大阪地方裁判所第21民事部(武宮英子裁判長)は、本年(令和5年)8月29日、平成16年改正特許法のもとでの職務発明の相当の対価請求訴訟において、消滅時効の中断の成否に関し、会社が発明者に支払っていた技術指導料や贈呈金が相当の対価には該当せず、債務承認があったとは認められないとの判断をしました。
ポイント
骨子
- 被告は、吉富製薬を定年退職した製剤経験の豊富な原告に対し、その製剤技術を被告従業員に指導することを期待して、本件覚書と同様の内容の合意をした上で、平成16年7月から本件技術指導料の支払を始めたものと推認される。その後、・・・原告と被告が本件覚書のとおりの合意をしたため、本件技術指導料の支払額が同年11月から減額されている。これらの事情に照らせば、本件技術指導料は、本件覚書の文言どおり、原告の有する製剤技術を被告従業員に指導する対価として支払われていたものであると解すべきであり、本件技術指導料の支給開始時期と本件製品1の販売開始時期が近接していたとしても、上記解釈は左右されない。また、他に、本件技術指導料が本件発明1の対価として支払われていたことを認めるに足りる証拠はない(本件覚書においても、技術指導の対象について別途協議する旨が記載されているにすぎず、吉富特許の存続期間満了と本件技術指導料の減額との関連性も明らかではない。)。
- 本件100万円の名目は目録に記載されておらず、被告は、一般的に職務発明対価は雑所得として扱われるところ、本件100万円を給与所得である「賞与」として扱っている上、一貫して長年の功労に対する贈呈金の趣旨であるとの認識を原告に伝えている。また、本件100万円は原告の退職の直前に支給されているところ、原告は在職中多数の製剤業務に携わっていたのであり・・・、本件発明1により製品化された本件製品1の売上げが被告の業績を拡大させたこと(争いなし)を踏まえたとしても、本件100万円を特に本件発明1の職務発明の対価として支払われた金員であると解釈すべき合理的な理由は見当たらない。加えて、被告においては、・・・原告の退職までの間に、褒賞制度に基づく賞金支払の運用もとられているが、当該制度の賞金が職務発明の対価に当たるかはともかく、本件100万円がその賞金に該当しないことは明らかである。
判決概要
裁判所 | 大阪地方裁判所第21民事部 |
---|---|
判決言渡日 | 令和5年8月29日 |
事件番号 事件名 |
令和2年(ワ)第12107号 職務発明対価相当請求事件 |
特許番号 発明の名称 |
特許第4700480号 「徐放性経口固形製剤」 特許第5919173号 「徐放性塩酸アンブロキソール口腔内崩壊錠」 |
裁判官 | 裁判官裁判長 武 宮 英 子 裁判官 阿波野 右 起 裁判官 島 田 美喜子 |
解説
職務発明と権利の帰属
特許法における従業者発明の帰属
特許法は、同法35条において、企業等において生じる職務発明につき、使用者等と発明をした従業者等の間における権利の帰属や実施権、発明者への補償といった法律関係を定めています。
これらの法律関係のうち、企業内で生じた発明を誰のものとするかという点について比較法的に見ると、これを会社等の使用者のものとする使用者帰属主義の制度(英国、中国など)と、発明者個人のものとする発明者帰属主義の制度(米国、ドイツなど)に分かれています。我が国の特許法は、この点に関する直接的な規定を置いていないものの、特許法29条1項柱書が「発明をした者」が特許を受けることができる旨規定していることや、以下の特許法35条1項が使用者等の原則的な地位を「通常実施権者」に位置付けていることから、原則として発明をした個人が権利者となるものと解されています。
(職務発明)
第三十五条 使用者、法人、国又は地方公共団体(以下「使用者等」という。)は、従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明(以下「職務発明」という。)について特許を受けたとき、又は職務発明について特許を受ける権利を承継した者がその発明について特許を受けたときは、その特許権について通常実施権を有する。
(略)
また、使用者が権利を取得する旨の社内制度をあらかじめ設けることについては、以下の特許法35条2項が、職務発明以外の発明を対象とする場合には無効とする旨定めています。
(職務発明)
第三十五条 (略)
2 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ、使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、又は使用者等のため仮専用実施権若しくは専用実施権を設定することを定めた契約、勤務規則その他の定めの条項は、無効とする。
(略)
その結果、使用者は、「職務発明」に該当する発明、つまり、上の特許法35条1項にいう「その性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明」についてのみ、使用者が取得することを勤務規則などで定めることができることとなります。
原始取得制度の導入
なお、上述のような発明者帰属主義のもとで使用者が発明を権利化し、事業活動で利用する場合、発明者から権利を承継するのが原則となりますが、権利を承継によって取得することについては、二重譲渡等のリスクがあるため、平成27年改正特許法35条3項は、以下のとおり、使用者が「契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めた」ことを条件として、使用者が特許を受ける権利を原始的に取得することができる旨定めました。
(職務発明)
第三十五条 (略)
3 従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する。
(略)
原始取得制度の詳細については、こちらの記事もご覧ください。
相当の利益(相当の対価)請求権
相当の利益(相当の対価)請求権とは
特許法35条4項は、以下のとおり、使用者が職務発明にかかる特許を受ける権利を取得したときは、発明者は、「相当の利益」すなわち「相当の金銭その他の経済上の利益」を受けることができる旨規定しています。
(職務発明)
第三十五条 (略)
4 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、若しくは使用者等のため専用実施権を設定したとき、又は契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等のため仮専用実施権を設定した場合において、第三十四条の二第二項の規定により専用実施権が設定されたものとみなされたときは、相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第七項において「相当の利益」という。)を受ける権利を有する。
(略)
平成27年改正前の特許法においては、現在の特許法35条4項に相当する規定が同法35条3項に置かれており、そこでは、「相当の利益」ではなく「相当の対価」との文言が用いられていました。これを現在の「相当の利益」に改正したのは、「相当の対価」が金銭的対価に限られていたのを、金銭以外の経済上の利益も含むものとしたものです。
なお、上述のとおり、平成27年改正特許法は、特許を受ける権利について使用者による原始取得を認めていますが、これは、承継取得から生じる法的リスクの解消を図ったもので、使用者帰属主義を採用したわけではありません。そのため、たとえ使用者が権利を原始取得する場合であっても、使用者は、発明の取得について、発明者に対して一定の利益を付与しなければならないとの構造は維持されています。
社内算定基準に基づく相当の利益(相当の対価)の決定
職務発明についての報奨金の算定基準を社内規程などで定めた場合について、かつては、そのような定めがあったとしても、その額が特許法にいう「相当の対価」に満たない場合には、残額を請求することができると解されていました(最三判平成15年4月22日民集57巻4号477頁「ピックアップ装置」事件)。
しかし、これでは、使用者の立場は非常に不安定になるため、平成16年改正特許法は、以下のとおり、特許法35条5項(改正当時は4項)を設け、社内算定基準の策定から実際の支払いに至るまでの一連の手続に鑑みて、社内算定基準に基づく相当の利益の付与(改正当時は相当の対価の支払い)が「不合理であると認められるもの」であってはならない旨の規定を置きました。この規定を反対に解釈すれば、不合理と認められる場合でない限り、社内算定基準に基づく経済的利益の付与をもって相当の利益が支払われたこととすることができる、ということになります。その結果、社内手続きをきちんと履践して合理的な支払いをする限り、ピックアップ装置事件最判におけるような問題は生じないこととなったわけです。
(職務発明)
第三十五条 (略)
5 契約、勤務規則その他の定めにおいて相当の利益について定める場合には、相当の利益の内容を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された当該基準の開示の状況、相当の利益の内容の決定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等を考慮して、その定めたところにより相当の利益を与えることが不合理であると認められるものであつてはならない。
(略)
とはいえ、特許法のざっくりした規定だけでは、どのような場合に不合理とされるか不明確であるため、不合理性認定に関し、以下の特許法35条6項は、経済産業大臣において指針を定めることを定めています。
(職務発明)
第三十五条 (略)
6 経済産業大臣は、発明を奨励するため、産業構造審議会の意見を聴いて、前項の規定により考慮すべき状況等に関する事項について指針を定め、これを公表するものとする。
(略)
この規定に基づく指針(「特許法第35条第6項に基づく発明を奨励するための相当の金銭その他の経済上の利益について定める場合に考慮すべき使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況等に関する指針」)は、こちらから参照できます。
相当の利益(相当の対価)の支払いが不合理または算定基準がない場合
特許法35条5項により相当の利益の付与が不合理と認められる場合や、そもそも相当の利益の算定基準が設けられていない場合には、以下のとおり、同法35条7項により、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情」を考慮して決定されることとされています。
(職務発明)
第三十五条 (略)
7 相当の利益についての定めがない場合又はその定めたところにより相当の利益を与えることが第五項の規定により不合理であると認められる場合には、第四項の規定により受けるべき相当の利益の内容は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。
実務において、発明を使用者が自らの事業で実施している場合の上記規定による相当の利益は、多くの場合、発明を用いた製品やサービスの売上げを基礎として、まず、単なる通常実施権者の立場を超えて発明を独占することによって得られる超過売上の率を乗じ、それに仮想的な実施料率を乗じ、さらに発明者の貢献割合と、他に共同発明者がいる場合の寄与割合を乗じるといった計算手法が用いられます。
例えば、10億円の売上げに対し、超過利益率が30%、仮想実施料率が5%、貢献割合が5%、寄与割合が50%であった場合、相当の利益の額は、370,500円となります。
社内算定基準が適用されない場合の相当の利益(相当の対価)の計算方法については、こちらの記事で詳細に説明していますので、併せてご参照ください。
なお、この基準を適用した場合、一部の特許発明に対して非常に大きな額の相当の利益が算出されることはあっても、全体として見れば、必ずしも多くの特許発明について相当の利益が発生するわけではなく、また、発生したとしても、微々たる額にとどまることが珍しくありません。他方において、多くの会社の職務発明規程では、特許発明に基づく実績に対する支払いに上限が設けられていたり、そもそも実績に連動した支払いがなされないことがままあるものの、具体的な売上が発生しなくとも、発明の届出や出願、登録などの事実に基づいて相当の利益の支払いをすることが規定されているのが通例となっているといえます。この意味では、一般的な職務発明規程は、非常に大きな利益を生み出す稀有な特許発明との関係で相当の利益の額を抑制する効果があるとしても、多くの特許発明との関係では、発明者に平準化された報奨を与えるものになっているといえるでしょう。
債権の消滅時効
債権の消滅時効とは
現在の民法166条は、以下のとおり、債権者が一定期間権利を行使しないときは、債権が時効によって消滅することを定めています。
(債権等の消滅時効)
第百六十六条 債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
一 債権者が権利を行使することができることを知った時から五年間行使しないとき。
二 権利を行使することができる時から十年間行使しないとき。
2 債権又は所有権以外の財産権は、権利を行使することができる時から二十年間行使しないときは、時効によって消滅する。
(略)
時効によって債権が消滅することを食い止めるためには、以下の民法147条1項の規定に基づく手続きが必要になります。
(裁判上の請求等による時効の完成猶予及び更新)
第百四十七条 次に掲げる事由がある場合には、その事由が終了する(確定判決又は確定判決と同一の効力を有するものによって権利が確定することなくその事由が終了した場合にあっては、その終了の時から六箇月を経過する)までの間は、時効は、完成しない。
一 裁判上の請求
二 支払督促
三 民事訴訟法第二百七十五条第一項の和解又は民事調停法(昭和二十六年法律第二百二十二号)若しくは家事事件手続法(平成二十三年法律第五十二号)による調停
四 破産手続参加、再生手続参加又は更生手続参加
(略)
ここで、上記民法147条1項各号の事由があった場合、時効の進行は止まりますが、事由が消滅した場合には、時効期間がリセットされることなく、再び時計の針が進み始めます。このように、一時的に時候の進行が停止することを時効の「完成猶予」といいます。
他方、同条2項は、以下のとおり、確定判決等によって権利を確定させた場合に時効期間をリセットして「新たにその進行を始める」ようにする、時効の「更新」を規定しています。
(裁判上の請求等による時効の完成猶予及び更新)
第百四十七条 (略)
2 前項の場合において、確定判決又は確定判決と同一の効力を有するものによって権利が確定したときは、時効は、同項各号に掲げる事由が終了した時から新たにその進行を始める。
債権の消滅時効を巡る法改正
債権の消滅時効に関する規定は平成29年に改正されており、上記の現行民法166条は、令和2年4月1日から施行され、消滅時効の期間については、債権の原因となる法律行為が同日以降にあるものに適用されます(時効の完成猶予や更新に関する規定は、施行日から適用されます。)。したがって、本記事の公表時点(令和5年10月)において、同条のもとで時効が完成した債権はまだ存在せず、当面の間、訴訟で消滅時効が争われる場合には、平成29年改正前の民法が適用されることになります。
平成29年改正前の消滅時効の時効期間に関する規定は、民法167条1項に置かれており、「債権は、十年間行使しないときは、消滅する。」と規定されていました。現行法とは異なり、債権者が権利を行使できることを知っているかどうかに関わりなく、権利行使ができるようになった時点から10年間で時効が完成することとされていたわけです。
また、平成29年改正前民法167条2項には、「債権又は所有権以外の財産権は、二十年間行使しないときは、消滅する。」といった、現在の民法166条2項と類似の規定が置かれていましたが、旧規定は、消滅時効ではなく、除斥期間を定めたものと解されており、時効の完成猶予や更新(旧法下では中断)の適用がないなど、時効とは異なった制度に整理されていました。
承認による時効の更新・中断
上述のとおり、債権が時効消滅することを阻止するためには、原則として債権者による請求等のアクションが必要になりますが、以下の民法152条1項によれば、債務者が債務を承認した場合にも時効が更新され、承認の時から時効期間がリセットされます。
(承認による時効の更新)
第百五十二条 時効は、権利の承認があったときは、その時から新たにその進行を始める。
(略)
上記の制度は平成29年改正前からあったもので、以下の改正前民法147条3号に規定されていました。同規定は、裁判上の請求(1号)も、債務の承認(3号)も、並列に規定し、時効の「中断」事由に位置付けていました。ここにいう「中断」は、現在の「更新」に相当し、これらの事由があったときは、時効期間がリセットされることになります。
(時効の中断事由)
第百四十七条 時効は、次に掲げる事由によって中断する。
一 請求
二 差押え、仮差押え又は仮処分
三 承認
相当の利益(相当の対価)の請求権と消滅時効
現行法の適用関係
職務発明の相当の利益(相当の対価)の請求権は発明者の使用者に対する債権ですので、上記の各規定の適用を受けます。したがって、現行法のもとでは、発明者が相当の利益を請求できることを知った時点を特定できるならば、その時から5年で(民法166条1項1号)、特定できなければ、相当の利益を請求できるときから10年で(同項2号)、それぞれ時効消滅することになります。これを発明者側で阻止するためには、裁判上の請求等の完成猶予の手続をとることが必要になりますが、多くの場合、時効の更新のため、使用者に対し、相当の利益(相当の対価)の支払いを求める訴訟を提起し、判決や和解による決着を求めることになるでしょう。
平成29年改正前民法の適用関係
上述のとおり、平成29年改正前の民法には現在の民法166条1項1号に相当する規定はなく、同項2号と同様の考え方が適用されます。
なお、旧法下では、商行為によって生じた債権について消滅時効の期間を5年とする規定が商法にあったため(同法522条)、その適用があるかが議論されましたが、上述のピックアップ装置事件最判は民法所定の10年の時効期間を適用し、その後、10年の民事時効の適用が実務に定着していました。
例外的な事案として、東京地判令和4年5月27日令和2年(ワ)第29897号は、平成16年改正前の特許法のもと、社内規程に基づく発明の報奨金の請求権について、以下のとおり述べ、相当の対価の請求権について5年の商事時効を適用しています。
会社の行為は商行為と推定され、これを争うものにおいて当該行為が当該会社の事業のためにするものでないこと、すなわち当該会社の事業と無関係であることの主張立証責任を負う(最高裁平成20年2月22日第二小法廷判決・民集62巻2号576頁)。そして、前記前提事実(1)ア(イ)のとおり、被告は株式会社であるから、被告が被告発明規程に基づき発明をした従業者に登録報奨金を支払う行為は商行為と推定される。本件においては、上記の登録報奨金の支払が被告の事業と無関係であることについて、原告による立証はされておらず、他にこれをうかがわせるような事情は存しない。したがって、発明をした被告の従業者の被告に対する被告発明規20程に基づく登録報奨金請求権は、「商行為によって生じた債権」に当たり、これを5年間行使しないときは、時効によって消滅することとなる(商法522条)。
もっとも、上記の判旨は、あくまで社内規程に基づく報奨金のみを対象にしており、この判決も、相当の対価請求権については、10年の民事時効を適用しています。両者を別異に取り扱ったのは、平成16年改正前の特許法では、特許法上の相当の対価請求権と社内規程に基づく報奨金請求権とを別個の債権として観念することができたことによるもので、相当の利益(相当の対価)を社内規程で定めることができるようになった平成16年改正以降の制度の下でこの判決の考え方を用いることはできないものと考えられます。特許法の改正に加えて、商法522条も平成29年民法改正時に廃止されたため、今後の訴訟でこの論点が問題になることはなくなるでしょう。
相当の利益(相当の対価)の請求権の消滅時効の起算点
職務発明の発明者は、上記特許法35条4項に基づき、使用者が権利を取得したときに相当の利益(相当の対価)の請求権を取得するため、その時点を起算点として消滅時効が進行します。
もっとも、ピックアップ装置事件最判は、以下のとおり述べ、社内規程に支払時期の定めがあるときは、その時期が消滅時効の起算点となる旨述べています。
勤務規則等に対価の支払時期が定められているときは,勤務規則等の定めによる支払時期が到来するまでの間は,相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして,その支払を求めることができないというべきである。そうすると,勤務規則等に,使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には,その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解するのが相当である。
相当の利益(相当の対価)の請求権と債務の承認
債務の承認を時効の更新(中断)事由とする民法の規定は、相当の利益(相当の対価)の請求権についても適用されます。平成16年改正前の特許法に基づく相当の対価請求訴訟において、社内規程に基づく実績報奨金の支払いをもって債務の承認があったと判断した事案としては、知財高判令和2年6月30日平成30年(ネ)第10062号「FeliCa事件」があります(同判決の解説はこちら)。
他方、知財高判平成30年5月14日平成29年(ネ)第10099号を「ネットワークリアルタイムオークション方法事件」は、時効期間経過後に会社と発明者の間で交渉が行われ、会社が、相当の対価の支払を拒絶しつつ、一定の金銭の支払いによる解決を提示した事案において、債務の承認を否定しています(同判決の解説はこちら)。
事案の概要
本件の被告はジェネリック製剤を中心とする製薬企業で、原告は、被告に平成12年1月から平成26年10月まで在籍した元従業員です。原告が、被告の業績に大きな貢献をしたことについて当事者間に争いはありませんでした。そのような中、原告が、被告に対し、被告における2件の職務発明について、相当の対価の支払を求めたのが本件です。
2件の発明のうち、1件(「本件発明1」)は、遅くとも平成17年(2005年)11月22日までに、もう1件(「本件発明2」)は遅くとも平成24年(2012年)11月22日までに、それぞれ被告が承継取得しているところ、これらのうち、1件目の発明については、相当の対価の請求権について消滅時効の成否、特に債務承認の有無が争われました。
具体的には、原告は、被告から以下の2つの金銭支払いを理由に債務の承認による時効の中断があったものと主張しました。
- 平成16年(2004年)7月以降給与以外に支払われていた月額40万円(後に月額32万円)の「技術指導料」(「本件技術指導料」)
- 平成31年(2019年)3月29日に「贈呈品」として支払われた100万円(「本件100万円」。なお、その趣旨として、被告の会長は、原告の「多大な貢献」を指摘し、さらに「特筆すべきことは、弊社にとって事業拡大の源である『ニフェジピンCR錠』の開発」と述べています。ニフェジピンCR錠は、本件発明1の実施品です。)
判旨
判決は、まず、以下のとおり、本件技術指導料は、文字通り製剤技術を被告従業員に指導する対価として支払われていたものであって、発明の対価ではないとしました。
被告は、吉富製薬を定年退職した製剤経験の豊富な原告に対し、その製剤技術を被告従業員に指導することを期待して、本件覚書と同様の内容の合意をした上で、平成16年7月から本件技術指導料の支払を始めたものと推認される。その後、・・・原告と被告が本件覚書のとおりの合意をしたため、本件技術指導料の支払額が同年11月から減額されている。これらの事情に照らせば、本件技術指導料は、本件覚書の文言どおり、原告の有する製剤技術を被告従業員に指導する対価として支払われていたものであると解すべきであり、本件技術指導料の支給開始時期と本件製品1の販売開始時期が近接していたとしても、上記解釈は左右されない。また、他に、本件技術指導料が本件発明1の対価として支払われていたことを認めるに足りる証拠はない(本件覚書においても、技術指導の対象について別途協議する旨が記載されているにすぎず、吉富特許の存続期間満了と本件技術指導料の減額との関連性も明らかではない。)。
また、判決は、以下のとおり、本件100万円は税務上給与所得とされ、また、退職前に長年の功労に対する贈呈金として支払われたものであることを指摘し、やはり、発明の対価には該当しないとしました。
本件100万円の名目は目録に記載されておらず、被告は、一般的に職務発明対価は雑所得として扱われるところ、本件100万円を給与所得である「賞与」として扱っている上、一貫して長年の功労に対する贈呈金の趣旨であるとの認識を原告に伝えている。また、本件100万円は原告の退職の直前に支給されているところ、原告は在職中多数の製剤業務に携わっていたのであり・・・、本件発明1により製品化された本件製品1の売上げが被告の業績を拡大させたこと(争いなし)を踏まえたとしても、本件100万円を特に本件発明1の職務発明の対価として支払われた金員であると解釈すべき合理的な理由は見当たらない。加えて、被告においては、・・・原告の退職までの間に、褒賞制度に基づく賞金支払の運用もとられているが、当該制度の賞金が職務発明の対価に当たるかはともかく、本件100万円がその賞金に該当しないことは明らかである。
以上の結果、判決は、本件技術指導料も本件100万円も、発明の対価を支払ったものではなく、本件発明1の相当の対価の請求権にかかる債務を承認したものではないため時効の中断ないし更新は認められないとし、その請求を棄却しました。
なお、判決は、相当の対価の請求権について商法522条に基づき5年の商事時効を適用すべきである、との被告の主張に対し、本件発明2に関する認定判断の中で、以下のとおり述べて、これを排斥しています。
同条項に基づく相当対価請求権は、法定の債権であるから、その消滅時効期間は、権利を行使することができる時から10年(改正前民法167条1項)と解するのが相当である。
これは、平成16年改正後の相当の対価(相当の利益)についても、ピックアップ装置事件最判の考え方を及ぼしたものといえるでしょう。
結論として、判決は、本件発明1にかかる請求を棄却する一方、本件発明2にかかる相当の対価を388万8000円と算定し、被告に対し、その支払いを命じています。
コメント
判決は、本件発明1に関する時効中断の認定判断に際し、時効の中断・更新の原因として主張された2つの金銭支払いにつき、その支払いの趣旨に基づいて相当の対価に該当するものかどうかの判断をしています。要するに、支払われた金銭と発明の取得とのリンクがあるか、という判断といえるでしょう。
この、支払われた金銭と発明の取得との間のリンクですが、本件では、消滅時効の中断・更新という観点からリンクの有無が問題になったため、会社側としては、リンクがないとの判断は有利に働くことになりますが、相当の対価ないし相当の利益の支払いが行われたかどうかが争われた場合には、会社としては、発明に対する報奨金として支払ったつもりであっても、リンクがなければそのようには認定されず、別途報奨金の支払いが必要になることもあり得ます。
以前と比較すると発明の報奨金請求訴訟は減少しているとはいえ、紛争に発展するケースはままありますので、そのような事態に至ることのないよう、社内制度を整備し、発明に対する報奨金を明確にしておくことは重要です。
本記事に関するお問い合わせはこちらから。
(文責・飯島)