知的財産高等裁判所第4部(高部眞規子裁判長)は、平成30年5月14日、職務発明規程のない会社で生じた職務発明について特許を受ける権利を会社が承継した場合の相当の対価請求権について、その消滅時効期間の起算日は特許を受ける権利が会社に承継された日であるとするとともに、会社が、その後に設けられた職務発明規程に基づいて報奨金の支払いを提案したとしても、具体的な事情に照らして消滅時効の中断事由には該当せず、また、交渉決裂後に消滅時効を援用することは信義則に反しないとの判断を示しました。

ポイント

骨子

  • 本件対価請求権の消滅時効の起算日は,(特許を受ける権利が発明者から会社に承継された)平成14年9月3日と認められる。
  • ①・・・本件対価請求権の消滅時効の起算点は,平成14年9月3日であるから,控訴人が相当の対価の支払を求めた平成26年12月には,既に消滅時効期間が経過していたこと,②・・・被控訴人のAは,控訴人在職中の平成27年2月2日,控訴人に対し,被控訴人としては対価の支払に応じられない旨を説明していたこと,③控訴人は,相当の対価が支払われないのであれば,本件特許権の移転を希望するとしていたのであり,同年4月の退職後にも,本件特許権の移転の希望は当事者間の未解決の問題として残っていたこと(現に,控訴人は,本件訴状では,相当の対価の請求とは別に,特許権の冒認出願に係る損害賠償を求めていた。),④・・・本件各規程は,本来,施行日以降に被控訴人が権利を承継した知的財産権を対象とするものとして作成されたものであり,本件メールは,本件対価請求権に本件各規程を適用する旨の意思表示を行ったものとは解し難いことからすれば,本件メールによる6万円の支払の提示は,本件各発明に関する当事者間の紛争を解決するための解決金を提示する趣旨であり,本件対価請求権の存在を認めた上でその一部を支払うことを提案したものではないと解するのが相当である。
  • 相当の対価の支払交渉が始まった時点で,既に消滅時効期間が経過していたのであるから,控訴人が交渉の過程で被控訴人が支払に応じるとの期待を抱くに至ったとしても,交渉の決裂を受けて被控訴人が消滅時効を援用したことを,直ちに信義則違反ということはできない。

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第4部
判決言渡日 平成30年5月14日
事件番号・事件名 平成29年(ネ)第10099号
職務発明対価等請求控訴事件
原判決 東京地判平成29年11月15日
平成28年(ワ)第10147号
特許番号・発明の名称 特許第3997129号
「ネットワークリアルタイムオークション方法」
裁判官 裁判長裁判官 高 部 眞規子
裁判官    古 河 謙 一
裁判官    関 根 澄 子

解説

職務発明とは

企業の研究開発部門などで社員が生み出した職務発明をどのように取り扱うか、という問題は、各社の社内制度整備において問題となるほか、法制度としても各国ごとに異なっており、グローバルに事業展開する企業にとっては、制度差の吸収も課題になることがあります。ここでは、近年2度にわたって法改正が重ねられた日本の制度について概観します。

特許法35条1項は、職務発明を、「使用者、法人、国又は地方公共団体(以下「使用者等」という。)は、従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明」と定義しています。

(職務発明)
第三十五条 使用者、法人、国又は地方公共団体(以下「使用者等」という。)は、従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明(以下「職務発明」という。)について特許を受けたとき、又は職務発明について特許を受ける権利を承継した者がその発明について特許を受けたときは、その特許権について通常実施権を有する。
(略)

一般の会社を前提に以上の定義を整理すると、「職務発明」とは、以下の3つの要件を満たす発明ということができます。

  • 従業員や役員(従業者)がした発明であること
  • 会社の業務範囲に属する発明であること
  • 従業者の現在または過去の職務としてした発明であること

なお、ここでは、説明の便宜のため、この規定が適用される最も典型的な状況を前提に、「使用者等」については「会社」、「従業者等」については「従業者」とします。

職務発明にかかる権利の帰属

我が国の特許法は、後述の使用者原始取得制度が採用されていない限り、職務発明が完成すると、発明者個人が、その発明について特許を受ける権利を取得します。ここで見られるように、ある権利を誰かから承継するのではなく、独立に取得することは、「原始取得」と呼ばれ、企業その他の組織内で生じた発明にかかる権利を発明者個人が原始取得する考え方は、「発明者主義」と呼ばれます。

もっとも、会社のリソースをもとに生み出された発明が従業者個人に帰属し、会社に何の権限もないとすると、会社は、研究開発投資をすることができません。そこで、特許法は、発明についての権利は従業者個人に帰属するとしつつ、会社は、その発明を無償で実施できることとしました。その根拠となる特許法35条1項(再掲)は以下のとおりで、会社の利用権限を「通常実施権」として規定しています。

(職務発明)
第三十五条 使用者、法人、国又は地方公共団体(以下「使用者等」という。)は、従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明(以下「職務発明」という。)について特許を受けたとき、又は職務発明について特許を受ける権利を承継した者がその発明について特許を受けたときは、その特許権について通常実施権を有する
(略)

通常実施権とは、要するに非独占のライセンスで、発明者である従業者がライセンサー、その使用者である会社がライセンシーという関係が成立することになりますが、非独占の関係である以上、発明者である従業者は、競合他社に発明を実施させることもできれば、自ら事業化し、実施することも可能であることになります。
そのような状態では、会社にとって、研究開発投資はリスクが大きすぎるため、会社としては、従業者がした発明にかかる権利そのものを取得したいと考えるのが通常です。しかし、この点について、特許法35条2項は、従業者との間で、会社が発明にかかる権利を取得することをあらかじめ定めた契約や社内規程は、原則として無効とすることとしています。

(職務発明)
第三十五条 (略)
 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ、使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、又は使用者等のため仮専用実施権若しくは専用実施権を設定することを定めた契約、勤務規則その他の定めの条項は、無効とする
(略)

このように、会社が従業者の発明を包括的に召し上げることは制限されているのですが、上記の特許法35条2項には、「その発明が職務発明である場合を除き」という例外があります。要するに、職務発明に該当する発明だけは、この規定による制限が及ばず、従業者による発明の権利を、あらかじめ定めた契約や社内規程によって会社が取得することが認められているのです。

これに基づき、研究開発部門を有する会社では、一般に、職務発明を会社が取得することを定めた職務発明規程を設けています。

なお、特許法35条2項により無効とされるのは、会社が発明者から権利を取得することを「あらかじめ」定める場合だけです。そのため、職務発明に該当しない発明であっても、会社と従業者が事後に契約を締結し、その権利を会社が承継することまでは制限されません。実際、多くの会社の職務発明規程では、職務発明には該当しないものの、会社の業務範囲には属する、いわゆる「業務発明」についても、発明者に会社への報告義務を課し、会社が優先的に取得できる余地を残す規定が置かれています。このような規定は、従業者が独自の判断で職務発明であるものを職務発明でないものと考え、他社に売却してしまうといった事態を予防する上でも有効です。

使用者原始取得制度の導入

上述のとおり、特許法は、職務発明に限り、従業者による発明の権利を会社が取得する旨の契約や社内規程の効力を認めていますが、社内規程などで会社が権利を取得する場合、発明者主義のもとでは、いったん発明者に生じた権利を会社が承継するのが原則となります。このように、発明者に生じた権利を社内規程などで会社が取得するのは、「予約承継」と呼ばれます。

もっとも、予約承継の制度のもとでは、発明者が予約承継とは別に第三者にも発明を譲渡してしまうという二重譲渡の法律関係が生じたり、他社との共同研究開発等の場面で発明者が双方の会社にいる場合に、他社の発明者から特許法33条3項の同意を得られず、予約承継ができなくなったりすることが問題とされていました。

そこで、平成27年改正特許法は、社内規程などで、会社が職務発明を取得することを定めたときは、職務発明が生じたときに、会社がその権利を原始取得できることを定めました。このように、発明者を経由することなく、会社がいきなり権利を取得する考え方は「使用者主義」と呼ばれます。

(職務発明)
第三十五条 (略)
 従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する。
(略)

上述のとおり、特許法35条1項や同条2項は依然として発明者主義を前提としていますので、平成27年改正法は、発明者主義を放棄して使用者主義を採用したのではなく、発明者主義を原則としつつ、契約や社内規程等による手当てをした場合にのみ使用者主義が適用されるという、折衷的制度を採用したものといえます。また、後述のとおり、会社が原始取得をする場合であっても、会社は、発明者に対し、相当の利益を与える必要があるところ、これは、本来発明者に権利がある、ということを前提とする制度です。そのため、我が国の使用者原始取得制度は、典型的な使用者主義とは異なるもので、会社が権利取得する場合の法律構成を、紛争が生じにくい形に改めたものに過ぎないと考えるのが適切でしょう。

相当の対価(相当の利益)とは

会社は、従業者による職務発明を取得することが認められていますが、タダで取得できるわけではなく、その場合には、発明者たる従業者に対し、「相当の利益」を与えなければなりません(特許法35条4項)。

(職務発明)
第三十五条 (略)
 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、若しくは使用者等のため専用実施権を設定したとき、又は契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等のため仮専用実施権を設定した場合において、第三十四条の二第二項の規定により専用実施権が設定されたものとみなされたときは、相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第七項において「相当の利益」という。)を受ける権利を有する。
(略)

「相当の利益」との語は、平成27年改正によって導入されたもので、それ以前は、「相当の対価」という語が用いられていました。「相当の対価」は金銭のみが対象になっていましたが、「相当の利益」は、金銭以外の経済上の利益も含まれ、例えば、会社の費用負担による留学や、昇給を伴う昇進であっても良いとされています。これは、制度設計に柔軟性を与えることを目的とした改正ではありますが、実際のところ、金銭的対価以外の制度を導入している企業はあまりないようです。

実務的に問題となるのは、「相当の利益」をいかに算定するか、ということで、多くの企業では、その算定基準を職務発明規程などの社内規程で定め、疑義のないようにしています。

もっとも、かつて、最高裁判所は、最三判平成15年4月22日民集57巻4号477頁「ピックアップ装置」事件において、以下のとおり判示し、社内規程に基づいて支払われた対価の額が、客観的に算定された相当の対価の額を下回るときは、発明者は、会社に対し、その差額の支払いを求めることができると解していました(判決文中の特許法35条3項及び4項は、それぞれ、現在の同条4項及び7項に相当します。)。

使用者等があらかじめ定める勤務規則その他の定めにより職務発明について特許を受ける権利又は特許権を使用者等に承継させた従業者等は,当該勤務規則その他の定めに使用者等が従業者等に対して支払うべき対価に関する条項がある場合においても,これによる対価の額が特許法35条3項及び4項の規定に従って定められる相当の対価の額に満たないときは,同条3項の規定に基づき,その不足する額に相当する対価の支払を求めることができる。

このように、社内規程に基づいて算出した対価の額に拘束力がないと考えた場合、相当の対価を算出することができるのは裁判所だけ、ということになりますから、ピックアップ装置事件判決に示された上記解釈によると、会社は、職務発明規程で算定基準を定めたとしても、いつ裁判所によって覆されるか分からない、という非常に不安定な状態に置かれることとなってしまいます。

そこで、平成16年改正特許法は、以下のとおり、特許法35条5項(改正当時は4項)を設け、社内算定基準の策定から実際の支払いに至るまでの一連の手続に鑑みて、社内算定基準に基づく支払いが不合理なものと認められる場合でない限り、社内算定基準に基づく支払いをもって相当の利益が支払われたこととする旨の規定を置きました。

(職務発明)
第三十五条 (略)
 契約、勤務規則その他の定めにおいて相当の利益について定める場合には、相当の利益の内容を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された当該基準の開示の状況、相当の利益の内容の決定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等を考慮して、その定めたところにより相当の利益を与えることが不合理であると認められるものであつてはならない。
(略)

他方、この規定のもとで支払いが不合理であると認定され、または、そもそも算定基準の定めがないときは、従来の考え方に従い、最後は裁判所が認定する額が適用されることとなります。その場合の算定は、特許法35条7項によることとなり、会社の利益や負担、貢献、従業者の処遇などが考慮されることとなります。

(職務発明)
第三十五条 (略)
 相当の利益についての定めがない場合又はその定めたところにより相当の利益を与えることが第五項の規定により不合理であると認められる場合には、第四項の規定により受けるべき相当の利益の内容は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。
(略)

上述のとおり、特許法35条7項の法文上は、相当の利益の計算に関する抽象的な考え方が示されているだけで、具体的な計算手法は何も書かれていません。裁判例の蓄積により、ある程度の計算式は定着していますが、それでも、具体的計算に用いられる個々の係数の決定は容易でなく、この規定によって相当の利益を算出するのは、事業活動の予測可能性を阻害する要素となってしまいます。

そのため、特許法の構造からみた場合、職務発明規程によって相当の利益の算定基準を定めることの実質的意味は、特許法35条7項の適用を回避することにあり、そのため、算定基準の整備・運用にあたっては、特許法35条5項の手続的要素に不備が生じないよう、体制づくりが行われます。

なお、特許法35条5項の不合理性認定において考慮される事情については、特許法35条6項に基づき、経済産業大臣によるガイドラインが公表されています(「特許法第35条第6項に基づく発明を奨励するための相当の金銭その他の経済上の利益について定める場合に考慮すべき使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況等に関する指針」)。このガイドラインの解説については、こちらをご覧ください。

(職務発明)
第三十五条 (略)
 経済産業大臣は、発明を奨励するため、産業構造審議会の意見を聴いて、前項の規定により考慮すべき状況等に関する事項について指針を定め、これを公表するものとする。
(略)

特許法35条の改正経緯と相当の利益(対価)に関する規定の適用関係

ここまでの解説でも触れたとおり、特許法35条は、昭和34年法によって制定された後、平成16年と平成27年の2回の改正を経ています。平成16年改正は、ピックアップ装置事件判決を受けて、一定の要件のもと、社内規程による対価の支払いに「相当の対価」の支払いの意味を持たせたもので、平成27年改正は、使用者原始取得制度を導入するとともに「相当の対価」を金銭以外の利益も含む「相当の利益」に改め、かつ、社内規程に基づく支払いが不合理との認定を受けないための考慮事実について、経済産業大臣がガイドラインを公表することを定めたものです。

このように、特許法35条を巡っては、法改正が繰り返されたため、ある発明を会社が取得している場合に、いつの時期の法律が適用されるかが問題となりますが、経過措置により、発明が会社によって取得された時点で施行されていた法律が適用されます。

消滅時効とは

消滅時効とは、一定期間行使されないことを要件として、権利を消滅させる制度です。民法166条1項は、以下のとおり、一般の債権について、債権者が権利を行使することができることを知った時(主観的起算点)から5年を経過したか、権利を行使することができる時(客観的起算点)から10年を経過したときに、消滅時効によって消滅するものと定めています。

(債権等の消滅時効)
第百六十六条 債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
 債権者が権利を行使することができることを知った時から五年間行使しないとき。
 権利を行使することができる時から十年間行使しないとき。
(略)

なお、債権者が権利を行使することができることを知った時を基準時とする主観的起算点は、平成29年改正民法によって導入されたもので、それ以前は、権利を行使することができる時を基準時とする客観的起算点のみが規定されていました。法改正に伴う経過措置として、消滅時効に関する事項は、改正法の施行日より前に生じた債権には旧法が適用され、その後に生じた債権には新法が適用されるものと定められています。

商事消滅時効制度とその廃止

上記の時効期間についてはいくつかの例外がありますが、その1つとして、かつて商法522条は、商行為によって生じた債権につき、消滅時効期間を5年と定めていました。しかし、この規定は、平成29年民法改正の際に廃止され、現在は、商行為によって生じた債権についても、上記の民法166条が適用されることになっています。この点についても、改正法の施行日と債権の発生時期の前後で適用関係が振り分けられます。

時効の更新(中断)と権利の承認

消滅時効は、一定の事由が生じたときは、更新されます。更新とは、要するにリセットのことで、更新事由が生じると時効期間が振出しに戻り、その時点から改めて期間がカウントされることとなります。

具体的な更新事由としては、①裁判上の請求等(民法147条)、②強制執行等(民法148条)、③権利の承認(民法152条)が規定されています。

なお、「更新」は、かつて「中断」と呼ばれていましたが、平成29年の民法改正において「更新」に改められました。

相当の対価(利益)請求権の時効期間

起算点

職務発明の相当の対価(利益)の請求権について、消滅時効期間の起算点をいつとするかは、しばしば議論になる問題です。この請求権は、会社が発明を取得することによって生じるもので、原則としてその時点から行使することができるのですが、実際上、相当の対価(利益)を請求しようと思うと、計算根拠となる売上等の実績が生じていることが必要になるため、発明取得直後に権利行使するのは容易ではありません。特許の存続期間が出願から20年であることを考えると、出願前の取得の時点から消滅時効が進行すると、業務分野によっては、製品を上市する前に請求権が時効消滅することもあり得ます。

上述のピックアップ装置事件判決は、以下のとおり述べ、相当の対価(利益)請求権の消滅時効期間の起算点として、社内規程に支払い時期の定めがあるときは、その支払い時期が起算点となるものとしています。

勤務規則等に,使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には,その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解するのが相当である。

同判決は、支払い時期の定めがない場合について明示的に言及していませんが、東京地判昭和58年12月23日無体集16巻3号844頁や大阪高判平成6年5月27日知裁集26巻2号356頁等が、発明承継時を起算点とする考え方を示しており、この平成6年大阪高判の上告審判決である最判平成7年1月20日平成6年(オ)第1884号は「原審の判断は、正当として是認することができ」る旨判示しています。

消滅時効期間

消滅時効期間については、相当の対価(利益)請求権の被告は、多くの場合会社等、商法上の商人であることから商事時効が適用され、5年と解すべきであるという考え方もあります。

他方、裁判例は、相当の対価(利益)請求権について商事時効の適用を否定しており、その理由として、知財高判平成21年6月25日平成19年(ネ)第10056号は、職務発明にかかる対価請求権は「使用者と従業者間の衡平を図る見地から設けられた債権であって、営利性を考慮すべき債権ではないというべきであるから、商行為によって生じたもの又はこれに準ずるものと解することはできない」と述べています。ピックアップ装置事件判決は、消滅時効期間について明言はしていませんが、遅延損害金の計算において民法を適用し、商行為によって生じた債権における商事利率を適用していないため、消滅時効期間についても、民法の適用を前提に判断しているものと考えられます。

なお、上述のとおり、商事時効の制度は廃止されたため、今後会社が取得する発明の相当の利益については、この問題は生じません。

事案の概要

本訴訟の被告は情報処理サービス業等を業とする会社で、原告は、その従業員でした。原告は、被告在職中に「ネットワークリアルタイムオークション方法」との名称の発明をし、被告は、当該発明についての特許を受ける権利を原告から承継取得し、特許出願しました。

承継の日については、遅くとも、出願日である平成14年9月3日であると認定されています。したがって、相当の対価については、平成16年特許法改正前の特許法35条3項が適用されることとなり、被告は、仮に社内規程に基づいて相当の対価を支払ったとしても、なお不足があるときは、その差額の支払い義務を負担することになります。

原告は、出願から約12年を経た平成26年12月12日、被告代表者に宛てて、被告には職務発明の承継に関する規程がなくコンプライアンス違反になっているとして、本件各発明について承継の対価を請求するとともに、職務発明に関する規程を整備するよう求めました。

被告は、弁護士の意見を得て、平成27年2月2日、原告に対し、対価の支払には応じられない旨説明したところ、原告は、対価が支払われないのであれば本件特許権を原告に移転して欲しいと要求しましたが、被告はこれを拒絶しました。

その後の平成27年3月31日、原告は被告を定年退職しましたが、その際、被告は、原告に対し、職務発明に関する規程は半年をめどに作成すること等の内容を含む電子メールを送信し、また、平成27年9月1日付けで、相当の対価として、出願褒賞金1万円と登録褒賞金5万円のほか、自己実施またはライセンス供与をした場合に支給する実施褒賞金を支払う旨の「職務発明等褒賞金規程」を策定し、施行しました。同規程上、実施褒賞金の支給時期は、「登録後の実施開始1年後」と定められていました。

同年9月になって、原告が被告に経過報告を求めたところ、被告は、同月28日、原告に対し、以下のメールを送信しました。

特許に関する規定の件ですが、職務発明等褒賞金規定と知的財産取扱い規定の制定を行いました。…両規定とも27年9月以降の適用となっておりますが、当社の過去の特許においても該当する案件には今回の規定を適用することといたしました。
よって、Aさんに対しましても、出願報奨金10,000円と登録報奨金50,000円が該当いたします。手続きを進めたいと存じますので、振込口座をお教えください。

これに対し、原告は、被告に対し、規程類の送付を求めましたが、被告は、社内規程を退職者に開示することはできない旨回答しました。

以上の経緯を経て、原告は、平成27年10月30日、被告に対し、原告の発明に係る特許権を移転した対価5115万1430円の支払を求める民事調停を東京簡易裁判所に申し立てたましたが、平成28年3月17日付で不調に終わったため、同月30日、東京地方裁判所において相当の対価を求める訴訟を提起しました。これが、本訴訟の第一審です。

原判決

第一審において、被告が消滅時効を援用する旨主張したところ、原告は、まず、消滅時効期間の起算点に関し、被告が上記メールを送信したことにより、原告の発明についても上記の規程が適用されるため、相当の対価請求権の消滅時効期間の起算点は、実施褒賞金の支給時期である「登録後の実施開始1年後」に相当する平成20年8月10日であると主張しました。

また、原告は、被告が上記メールを送付して、対価請求権の一部である合計6万円を支払う意思表示をしたことにより、対価請求権の支払債務を承認し、時効を援用する権利を放棄したか、そうでなくとも、信義則に照らして消滅時効を援用することは許されないと主張しました。

これに対し、第一審判決は、以下のとおり述べ、本件における消滅時効期間の起算点は、発明の承継時であると認定しました。

前記前提事実・・・によれば,原告は,遅くとも本件特許の出願までに,被告に対し,本件各発明に係る特許を受ける権利を承継させたものといえるから,本件対価請求権を「行使することができる時」(民法166条1項)は,遅くとも平成14年9月3日であって,同日を消滅時効の起算日と認めるのが相当である。

第一審判決は、被告が上記メールを送信したことにより、時効期間の起算点が実施褒賞金の支給時期となるとの原告の主張については、以下のとおり述べて、これを排斥しました。

本件各規程が策定されたり,本件メールが送受信されたりしたのは,原告が被告を退職してから8か月ほどが経過した時点であって,被告が本件各規程を策定し,既に雇用関係がなくなった原告に対して本件メールにより意思表示を一方的にしたとしても,既に発生していた本件対価請求権が影響を受ける理由はおよそ見当たらない。

次に、第一審判決は、被告が支払い債務を承認したか、という点について、原告が請求しているのは、特許法上の相当の対価であって、平成27年に制定された社内規程によって生じたものではないから、規程に基づく支払いを内容とするメールを送信しただけで、相当の対価請求権にかかる債務を承認したものと評価できないと述べました。

原告が被告に上記特許を受ける権利を承継させた平成14年当時,被告には,特許を受ける権利の承継に関する「勤務規則その他の定」は存在しなかったのであるから,上記承継は,原被告間の契約に基づくものであって,本件対価請求権も,平成27年に被告が策定した本件各規程に基づき発生したものではない。したがって,Bが,同年9月28日,原告に対し,本件各規程に基づき6万円を原告に支払う用意がある旨が記載された本件メールを送付したことのみをもって,被告が本件対価請求権の支払債務を承認したものと評価することは困難である。

また、第一審判決は、その後の被告の言動を踏まえて、メールによる6万円の支払いの提示は、解決金の提案であったとしました。

被告は,原告から本件各発明の対価の請求を受けた平成26年12月12日以降,被告には対価の支払義務がないとの立場を示していたのであって,Bが本件メールを送付して原告に6万円の支払をする用意があると伝えたのは,その後の電子メールに「今回特別にお支払する6万円でAさんの特許に対する対応は完了とさせて頂きます。」との記載にあるように,本件各発明に関する原被告間の紛争を全て収束させるための解決金との趣旨で提案されたものとみるのが相当である。

さらに、第一審判決は、社内規程に基づく報奨金と、特許法に基づく相当の対価とは発生原因が異なるから、報奨金の支払いの提案が当然に相当の対価の支払い債務の承認となるわけではないとの判断も示しました。

本件各規程に基づく褒賞金と本件対価請求権とはその発生原因が異なるのであるから,本件各規程に基づく褒賞金の支払を提案したからといって,当然には本件対価請求権の支払債務を承認したものとみることはできない。

最後に、第一審判決は、被告が消滅時効を援用することが信義則に反するとの原告の主張も否定しました。

以上のとおり,Bが原告に対して本件メールを送付したことをもって,被告が本件対価請求権の支払債務を承認したと評価することはできないから,被告が本件対価請求権に係る消滅時効の時効援用権を放棄したとか,消滅時効の援用が信義則に反して許されないということはできない。

結論として、第一審判決は、消滅時効の成立を認め、原告の請求を棄却しました。原告が、これを不服とし、控訴したのが、今回紹介する判決の事件です。

判旨

消滅時効期間の起算点について

判決は、まず、相当の対価請求権の消滅時効の起算日は、権利が会社に承継された平成14年9月3日であると認定しました。

前記のとおり・・・,本件対価請求権の消滅時効の起算日は,平成14年9月3日と認められる。

原告(控訴人)は、控訴審においても、後日制定された社内規定が適用されることを主張していましたが、判決は、この主張を排斥しています。

支払い債務の承認について

次に、判決は、メールの送信によって債務の承認があったかという問題について、①時効期間経過後の交渉であったこと、②被告が支払いを拒絶していたこと、③特許権の移転が問題となっていたこと、④社内規程はその施行日以降の発明を対象とするものであること、といった諸事情を考慮して、債務の承認には当たらないと判断しました。

①・・・本件対価請求権の消滅時効の起算点は,平成14年9月3日であるから,控訴人が相当の対価の支払を求めた平成26年12月には,既に消滅時効期間が経過していたこと,②・・・被控訴人のAは,控訴人在職中の平成27年2月2日,控訴人に対し,被控訴人としては対価の支払に応じられない旨を説明していたこと,③控訴人は,相当の対価が支払われないのであれば,本件特許権の移転を希望するとしていたのであり,同年4月の退職後にも,本件特許権の移転の希望は当事者間の未解決の問題として残っていたこと(現に,控訴人は,本件訴状では,相当の対価の請求とは別に,特許権の冒認出願に係る損害賠償を求めていた。),④・・・本件各規程は,本来,施行日以降に被控訴人が権利を承継した知的財産権を対象とするものとして作成されたものであり,本件メールは,本件対価請求権に本件各規程を適用する旨の意思表示を行ったものとは解し難いことからすれば,本件メールによる6万円の支払の提示は,本件各発明に関する当事者間の紛争を解決するための解決金を提示する趣旨であり,本件対価請求権の存在を認めた上でその一部を支払うことを提案したものではないと解するのが相当である。

最後に、判決は、交渉の決裂を受けて消滅時効を援用することは、信義則違反にはあたらないとしました。

相当の対価の支払交渉が始まった時点で,既に消滅時効期間が経過していたのであるから,控訴人が交渉の過程で被控訴人が支払に応じるとの期待を抱くに至ったとしても,交渉の決裂を受けて被控訴人が消滅時効を援用したことを,直ちに信義則違反ということはできない。

以上の認定判断の結果、判決は、原告の控訴を棄却しました。

コメント

特に社内規程や契約がない場合の相当の対価請求権の消滅時効期間の起算点が発明の取得時であることは、確定した裁判例の考え方と言って良いと思われ、また、債務の承認や信義則違反については、具体的な事例に対する判断を示したもので、本判決に新たな規範が含まれるわけではありません。もっとも、具体的な事案に則した起算点や債務承認の成否の認定は実務上参考となるものと思われますので、紹介しました。

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(文責・飯島)