知的財産高等裁判所第3部(東海林保裁判長)は、令和6年2月1日、平成16年改正特許法の適用を受ける職務発明の相当の対価請求訴訟において、職務発明規程が存在しない会社が就業規則における表彰の規定に基づいて発明者に賞品(クオカード)を授与したとの事案で、相当の対価請求権の消滅時効の起算点につき、相当の対価の支払時期に関する規定が存在しないことを理由として、賞品の授与の時ではなく特許を受ける権利の承継時が起算点となると判断しました。

また、消滅時効の中断(平成29年改正前の民法)の成否に関し、前記賞品の授与をもって相当の対価支払債務の承認ないしその一部弁済とは認められず、中断は認められないとの判断をしました。

ポイント

骨子

  • 勤務規則等に対価の支払時期が定められているときは、当該定めによる支払時期が到来するまでの間は、相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして、その支払を求めることができないというべきであるから、勤務規則等に、使用者が従業者に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には、その支払時期が相当の対価の支払請求権の消滅時効の起算点となる。他方、勤務規則等にこのような支払時期に関する条項がない場合には、原則として、従業者が相当の対価の支払請求権を取得したとき、すなわち、従業者が特許を受ける権利を使用者に承継させたときが相当の対価の支払請求権の消滅時効の起算点となる。
  • 本件の場合、職務発明規定という名称の規定は存在しておらず、また、会社が従業者に対して支払うべき対価の支払時期に関する定めを含む勤務規則等が存在することをうかがわせる証拠もない。したがって、会社において職務発明をし、その特許を受ける権利を会社に承継させた従業者の会社に対する対価請求権は、その特許を受ける権利の承継時を起算点として消滅時効が進行するものと認められる。
  • 本件就業規則60条は「表彰」に関する規定であることが表題として明示されていること、他の表彰事由は「永年にわたり誠実に勤務し、勤務ぶりが他の模範となるとき」「その他前各号に準ずる程度の業務上の功績が認められるとき」などであり、業務上の功績と認められる事情が広範に表彰対象とされ得ること、表彰に際して支給される経済的利益の内容やその支給時期はおろか、表彰それ自体の内容や時期についても本件就業規則上規定されていないことに鑑みると、本件就業規則60条をもって職務発明の対価やその支払時期について定めたものと理解することはできない。
  • 本件就業規則60条は、その表題のとおり表彰制度について定めたものであって、職務発明の対価について定めた規定とはいえない。このため、被告がこの規定に基づいて表彰状及び賞品を授与したことをもって、控訴人に対する対価支払債務の承認ないしその一部弁済と見ることはできない。

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第3部
判決言渡日 令和6年2月1日
事件番号 令和5年(ネ)第10069号
裁判官 裁判長裁判官 東海林保
裁判官 今井弘晃
裁判官 水野正則

解説

職務発明に係る権利の帰属

我が国の特許法では、企業において生じる職務発明につき、原則として発明をした個人が特許を受ける権利を取得すると解されています。このことを直接規定する条文はないものの、特許法(以下「法」といいます。)29条1項柱書が「発明をした者は」「特許を受けることができる」旨規定していることや、以下の特許法35条1項が使用者等の地位を「通常実施権者」としていることが、その解釈の根拠とされています。

(職務発明)
第三十五条 使用者、法人、国又は地方公共団体(以下「使用者等」という。)は、従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明(以下「職務発明」という。)について特許を受けたとき、又は職務発明について特許を受ける権利を承継した者がその発明について特許を受けたときは、その特許権について通常実施権を有する。

また、以下の法35条2項のとおり、その発明が職務発明に該当する場合を除き、あらかじめ使用者等に特許を受ける権利を帰属させる契約や勤務規則等は無効とされます。

 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ、使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、又は使用者等のため仮専用実施権若しくは専用実施権を設定することを定めた契約、勤務規則その他の定めの条項は、無効とする。

この法35条2項の反対解釈として、職務発明、すなわち「その性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明」(法35条1項)に限り、職務発明規程等の勤務規則等によって使用者が取得することをあらかじめ定めることができます。

さらに、平成27年の改正で導入された法35条3項によれば、以下のとおり、使用者が「契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めた」ことを条件として、使用者が特許を受ける権利を原始的に取得することができます。すなわち、発明者が取得した特許を受ける権利を承継するのではなく、発明が生じた時から使用者等がその権利者となることが可能とされています。

 従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する。

なお、平成27年の法改正前の特許法では、使用者が特許を受ける権利を原始的に取得することはできず、特許を受ける権利は発明者が取得し、これを契約、勤務規則その他の定めによって使用者が発明者からその権利を承継することができるものとされていました。しかしその場合、発明者が使用者等ではない第三者(例えば転職先など)に特許を受ける権利を譲渡すると、特許を受ける権利の二重譲渡が生じるという不都合があり得たため、平成27年改正法において、使用者の原始的取得が可能とされました。

相当の利益の請求権

特許法35条4項は、以下のとおり、使用者が職務発明にかかる特許を受ける権利を取得したときは、発明者は、「相当の金銭その他の経済上の利益」である「相当の利益」を受けることができる旨規定しています。

 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、若しくは使用者等のため専用実施権を設定したとき、又は契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等のため仮専用実施権を設定した場合において、第三十四条の二第二項の規定により専用実施権が設定されたものとみなされたときは、相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第七項において「相当の利益」という。)を受ける権利を有する。

かつては、職務発明についての報奨金の算定基準を社内規程などで定めていたとしても、その額が当時の特許法にいう「相当の対価」に満たない場合にはその差額を請求することができ、裁判所は使用者等が定めた算定基準に拘束されることなく、客観的な「相当の対価」を算定できるものと解されていました。

しかし、これでは使用者の立場は非常に不安定になるため、平成16年の法改正を経て、現行の法35条5項において、社内算定基準の策定から実際の支払いに至るまでの一連の手続に鑑みて、社内算定基準に基づく相当の利益の付与(平成16年改正法の下では「相当の対価」の支払い)が「不合理であると認められるもの」であってはならない旨が定められています。この規定の反対解釈により、不合理と認められる場合でない限り、社内算定基準に基づく経済的利益による相当の利益の付与が認められることになっています。

 契約、勤務規則その他の定めにおいて相当の利益について定める場合には、相当の利益の内容を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された当該基準の開示の状況、相当の利益の内容の決定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等を考慮して、その定めたところにより相当の利益を与えることが不合理であると認められるものであつてはならない。

どのような場合に不合理と認められるかについては、法36条6項により、経済産業大臣が指針を定め公表することになっています。

 経済産業大臣は、発明を奨励するため、産業構造審議会の意見を聴いて、前項の規定により考慮すべき状況等に関する事項について指針を定め、これを公表するものとする。

この規定に基づく指針は職務発明ガイドライン[1]などと呼ばれ、こちらから参照できます。

他方、法35条5項により相当の利益の付与が不合理と認められる場合や、そもそも職務発明規程等により相当の利益の算定基準が設けられていない場合には、法35条7項により、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情」を考慮して相当の利益の内容が定められることとされています。

 相当の利益についての定めがない場合又はその定めたところにより相当の利益を与えることが第五項の規定により不合理であると認められる場合には、第四項の規定により受けるべき相当の利益の内容は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。

債権の消滅時効

現行民法における消滅時効

民法166条は、以下のとおり、債権者が一定期間権利を行使しないときは、債権が時効によって消滅することを定めています。

(債権等の消滅時効)
第百六十六条 債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
 債権者が権利を行使することができることを知った時から五年間行使しないとき。
 権利を行使することができる時から十年間行使しないとき。
 債権又は所有権以外の財産権は、権利を行使することができる時から二十年間行使しないときは、時効によって消滅する。
(略)

債権者にとって、時効によって債権を消滅させないための手段としては、以下の民法147条1項の規定に基づく時効の「完成猶予」があり、裁判上の請求や支払督促等が挙げられています。

(裁判上の請求等による時効の完成猶予及び更新)
第百四十七条 次に掲げる事由がある場合には、その事由が終了する(確定判決又は確定判決と同一の効力を有するものによって権利が確定することなくその事由が終了した場合にあっては、その終了の時から六箇月を経過する)までの間は、時効は、完成しない。
 裁判上の請求
 支払督促
 民事訴訟法第二百七十五条第一項の和解又は民事調停法(昭和二十六年法律第二百二十二号)若しくは家事事件手続法(平成二十三年法律第五十二号)による調停
 破産手続参加、再生手続参加又は更生手続参加

この「完成猶予」とは、民法147条1項所定の事由が発生した場合に時効期間の進行を停止させるものです。ただし、その事由が消滅した場合には、再び時効期間が進行します。このとき、期間計算は初めからリセットされるのではなく、完成猶予時点からの再開となります。

これに対し、民法147条2項は、確定判決等により権利が確定した場合に時効期間をリセットして「新たにその進行を始める」ようにする、時効期間の「更新」を規定しています。

 前項の場合において、確定判決又は確定判決と同一の効力を有するものによって権利が確定したときは、時効は、同項各号に掲げる事由が終了した時から新たにその進行を始める。

時効期間の「完成猶予」や「更新」としてはほかにも複数の事由が定められており、債務者による債務の承認があったことは「更新」の事由とされています(民法152条1項)。

(承認による時効の更新)
第百五十二条 時効は、権利の承認があったときは、その時から新たにその進行を始める。

平成29年改正前民法における消滅時効

債権の消滅時効に関する規定は平成29年に改正されており、上記の現行民法166条は、令和2年4月1日から施行されました。この平成29年改正後の現行民法は、消滅時効の期間については、債権発生の原因となる法律行為が施行日以降にされたものに適用され、時効の完成猶予や更新に関する規定は、施行日から適用されます。したがって、令和2年4月1日より前の法律行為について消滅時効が争われる場合、平成29年改正前の民法が適用されることになります。

平成29年改正前民法において、消滅時効の時効期間は、166条1項にて「消滅時効は、権利を行使することができる時から進行する。」、167条1項にて「債権は、十年間行使しないときは、消滅する。」と規定されていました。すなわち、現行民法とは異なり、債権者が権利を行使できることを知っているかどうかによって時効期間や起算点を分けておらず、権利を行使することができる時から10年間とされていました。

債権者にとって時効によって債権を消滅させないための手段としては、平成29年改正前民法では時効の「中断」がありました。「中断」の意味は現行民法の「更新」と同じく時効期間の進行をリセットするものであり、改正前民法では①請求、②差押え、仮差押え又は仮処分、③承認が中断事由とされていました。

相当の利益(相当の対価)の請求権と消滅時効

現行民法が適用される場合

相当の利益の請求権は発明者の使用者に対する債権であるため、現行民法の下では、発明者が権利を行使することができることを知った時から5年(民法166条1項1号)、あるいは発明者が権利を行使することができる時から10年(同項2号)が、消滅時効期間となります。

平成29年改正前民法が適用される場合

平成29年改正前民法では、上記のとおり、発明者が権利を行使することができる時から10年間が消滅時効期間となります。

なお、旧法下では、商法において、商行為によって生じた債権について消滅時効の期間を5年とする規定があったため(商法522条)、その適用があるかが議論されましたが、最三判平成15年4月22日・民集57巻4号477頁[オリンパス事件]は民法所定の10年の時効期間を適用し、その後、10年の時効期間の適用が実務に定着していました。

相当の利益(相当の対価)の請求権の消滅時効の起算点

消滅時効の起算点については、現行民法・平成29年改正前民法ともに「権利を行使することができる時」の解釈となるところ、発明者は使用者が特許を受ける権利を取得したときに相当の利益(相当の対価)の請求権を取得するため、その時点が起算点となります。

もっとも、前記オリンパス事件最判は、以下のとおり述べ、社内規程に支払時期の定めがあるときは、その支払時期が消滅時効の起算点となる旨判断しています。

勤務規則等に対価の支払時期が定められているときは,勤務規則等の定めによる支払時期が到来するまでの間は,相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして,その支払を求めることができないというべきである。そうすると,勤務規則等に,使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には,その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解するのが相当である。

事案の概要

被控訴人(一審被告)は、スポーツ用具の製造、販売等をその目的とする株式会社ダイセイコーであり、その主要事業の一つとして、スポーツ吹矢用具開発・販売事業があります。

控訴人(一審原告)は、被控訴人の元従業員であり、被控訴人に在職中、スポーツ吹矢の用具開発を行い、これに関する発明(以下「本件発明」)をしました。

被控訴人は本件発明につき平成23年9月13日に特許出願し、本件発明は平成24年1月20日に特許登録されました。

本件発明の当時、被控訴人には職務発明規定は存在しておらず、また、本件発明につき特許出願するに際して控訴人と被控訴人との間では特段の契約は締結されませんでした。もっとも、本件発明が職務発明に該当するものとして被控訴人が控訴人から特許を受ける権利を承継したことにつき、当事者間に争いはありません。

また、控訴人は、平成24年2月24日付け被控訴人宛て「同意書」と題する書面(以下「本件同意書」)を作成しました。

私ことAは吹矢の矢の特許取得に関して、以下の項目に同意します。
第1項 私は株式会社ダイセイコーが新型吹矢の特許を取得するにあたって、発明者としての報酬やその他の権利は一切主張しません。
第2項 私は株式会社ダイセイコーが特許の権利を主張する限り在職中、退職後にかかわらずこれを認めます。

このような状況において、控訴人が被控訴人に対して本件発明につき相当の対価を請求し本訴訟を提起しました。

消滅時効に係る争点

被控訴人は消滅時効を主張しました。すなわち、職務発明に基づく相当の対価請求権の消滅時効の起算点は特許を受ける権利の承継時であるところ、本件においては、遅くとも本件特許の出願日である平成23年9月13日の時点で被控訴人は控訴人から本件各発明に係る特許を受ける権利を承継していた、そのため控訴人による訴訟提起日である令和4年6月1日時点で「権利を行使することができる時」から10年を経過しているから、その請求権は時効により消滅したと主張しました。

これに対し控訴人は、消滅時効の起算点を争いました。すなわち、

  • 被控訴人の就業規則60条(3)は、従業員が「業務に関して、有益な発明考案をしたとき」との表彰事由を定めており、これは職務発明の対価に関する規定である
  • 被控訴人においては、各事業年度が終了し翌事業年度に切り替わる毎年6月末に前年度の表彰を行っており、これを前提とすると、本件発明に係る対価の支払時期は平成24年6月末となるため、消滅時効の起算点はこの時点となる

と主張しました。

控訴人はさらに時効の中断を主張しました。すなわち、

  • 被控訴人は本件発明につき、被控訴人の就業規則60条(3)の「従業員が業務に関して、有益な発明考案をした場合」との表彰事由に基づいて、平成24年6月27日、控訴人に対し、表彰状及び賞品として1000円分のクオカードを授与した
  • これは職務発明の対価の一部弁済に当たり、債務承認として時効の中断が認められる

と主張しました。

一審判決は消滅時効の完成を認め、原告の請求を棄却したため、原告が控訴しました。

判旨

本判決は、以下のとおり消滅時効の完成を認め、控訴人の控訴を棄却しました。

なお、本訴訟においては、本件同意書に基づく控訴人の対価請求権の放棄の効力、本件同意書の有効性も争点となっていましたが、一審判決、本判決とも当該争点については判断をしていません。

消滅時効の起算点について

本判決はまず、相当の対価請求権の消滅時効の起算点について、オリンパス事件最判を引用しつつ、勤務規則等に使用者が従業者に対して支払うべき対価の支払時期に関する定めがあるときはその支払時期が起算点となり、支払時期に関する条項がない場合は従業者が特許を受ける権利を使用者に承継させた時が消滅時効の起算点になると述べました。

勤務規則の定め等に基づき職務発明について特許を受ける権利を使用者に承継させた従業者は、特許を受ける権利を使用者に承継させたときに、使用者に対する相当の対価の支払請求権を取得するが(法35条3項)、勤務規則等に対価の支払時期が定められているときは、当該定めによる支払時期が到来するまでの間は、相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして、その支払を求めることができないというべきであるから、勤務規則等に、使用者が従業者に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には、その支払時期が相当の対価の支払請求権の消滅時効の起算点となる(最高裁平成13年(受)第1256号平成15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁)。他方、勤務規則等にこのような支払時期に関する条項がない場合には、原則として、従業者が相当の対価の支払請求権を取得したとき、すなわち、従業者が特許を受ける権利を使用者に承継させたときが相当の対価の支払請求権の消滅時効の起算点となると解される。

その上で本判決は、以下のとおり判示した一審判決に記載のとおりであるとして、本件の被控訴人に対する相当の対価請求権の消滅時効は、その特許を受ける権利の承継時が起算点となると判断しました。

本件の場合、被告には職務発明規定という名称の規定は存在しておらず(前提事実(3))、また、被告において、被告が従業者に対して支払うべき対価の支払時期に関する定めを含む勤務規則等が存在することをうかがわせる証拠もない。

したがって、被告において職務発明をし、その特許を受ける権利を被告に承継させた従業者の被告に対する対価請求権は、その特許を受ける権利の承継時を起算点として消滅時効が進行するものと認められる。

具体的な起算点について本判決は、遅くとも特許の出願日時点で被控訴人は控訴人から特許を受ける権利を承継していたことが認められるとして、控訴人の相当の対価請求権の消滅時効の起算点は遅くとも出願日である平成23年9月13日となると認定した一審判決を維持しています。

消滅時効の起算点に関する控訴人の主張に対して本判決は、以下のとおり判示した一審判決に記載のとおりであるとして、就業規則の表彰に関する規定が職務発明の対価やその支払時期について定めたものと理解することはできないと判断しました。

上記のとおり、本件就業規則60条は「表彰」に関する規定であることが表題として明示されていること、他の表彰事由は「永年にわたり誠実に勤務し、勤務ぶりが他の模範となるとき」((1))、「その他前各号に準ずる程度の業務上の功績が認められるとき」((6))などであり、業務上の功績と認められる事情が広範に表彰対象とされ得ること、表彰に際して支給される経済的利益の内容やその支給時期はおろか、表彰それ自体の内容や時期についても本件就業規則上規定されていないことに鑑みると、本件就業規則60条をもって職務発明の対価やその支払時期について定めたものと理解することはできない。

さらに本判決は、「権利を行使することができる」ものであったかについても以下のとおり判断を示し、その表彰の時期まで被控訴人に対して職務発明に係る相当の対価の支払請求権を行使することを現実に期待し得ないとはいえないとして、控訴人の主張を排斥しました。

また、『権利を行使することができる』(平成29年法律第44号による改正前の民法166条1項)とは、その権利の行使につき法律上の障害がないこととともに、権利の性質上、その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要とすると解されるが(最高裁昭和40年(行ツ)第100号昭和45年7月15日大法廷判5 決・民集24巻7号771頁、最高裁平成4年(オ)第701号平成8年3月5日第三小法廷判決・民集50巻3号383頁等)、本件就業規則60条が職務発明の対価やその支払時期について定めた規定ではないとすれば、仮に、被控訴人において毎年6月末に前年度に生じた事由に関する表彰を行うとの慣行があるとしても、被控訴人の従業者が職務発明について特許を受ける権利を被控訴人に承継させた場合に、その承継の時点の翌年度の6月末まで、従業者が被控訴人に対して職務発明に係る相当の対価の支払請求権を行使することを現実に期待し得ないとはいえない。

控訴人の控訴審における補充主張について

控訴人は控訴審における補充主張として、「職務発明規定を設けず、就業規則において表彰という名目の下、表彰内容について詳細な規定を設けず、職務発明に対して他の表彰事由と同様に簡易・一律に取り扱うという発明者にとって不利益な規定に基づいてインセンティブの支払をすれば、職務発明に対する対価の支払ではないとして、消滅時効の起算点が特許を受ける権利の承継時点に早まる運用を認めることになり、発明者に対するインセンティブを与えない使用者の方が消滅時効の観点からは手厚い保護がされることになってしまう。」と述べ、このような結論は特許法35条の立法趣旨からは妥当ではないと主張していました。

これに対し、本判決は以下のとおり、不当であるとはいえないと述べています。

勤務規則等において職務発明に係る対価の支払に関する規定が存在する場合でも、支払時期の定めがなければ、職務発明について特許を受ける権利を使用者に承継させた従業者は、権利の承継の時点から使用者に対して職務発明対価請求権を行使することができるから、原則として同時点が消滅時効の起算点となる。勤務規則等において支払時期の定めがあるときに、上記支払請求権の消滅時効の起算点が当該支払時期となるのは、同支払時期までは権利行使について法律上の障害があり、上記支払請求権を行使することができないことによる(補正後の原判決第3の1⑴ア)。これらの事情からすれば、本件において控訴人の被控訴人に対する相当の対価の支払請求権の消滅時効が特許を受ける権利の承継の時点から進行すると解することが、発明者に対するインセンティブを与えるために職務発明対価請求に関する規定を定めた使用者に比べ、発明者に対するインセンティブを与えない使用者である被控訴人に対して消滅時効の起算点に関して手厚い保護を与える結果となって不当であるとはいえない。

時効の中断について

本判決は、以下のとおり判示した一審判決に記載のとおりであるとして、被控訴人の就業規則における表彰の規定が職務発明の対価について定めた規定とはいえないとの判断を踏まえ、被控訴人が当該規定に基づいてクオカードを授与したことをもって対価支払債務の承認や一部弁済とみることはできないと判断し、時効の中断に関する控訴人の主張も排斥しました。

本件就業規則60条は、その表題のとおり表彰制度について定めたものであって、職務発明の対価について定めた規定とはいえない。このため、被告がこの規定に基づいて表彰状及び賞品を授与したことをもって、原告に対する対価支払債務の承認ないしその一部弁済と見ることはできない。また、原告は、上記表彰に先立ち、被告に対し、同年2月24日付けで本件同意書を提出していたのであり、本件同意書の有効性はともかく、既にこのような書面の提出を受けていた被告が、原告に対し、職務発明の対価の一部弁済として賞品を交付したとも考え難い。

コメント

本判決は、平成16年特許法改正後の相当の対価に係る消滅時効の起算点及び時効期間についても、オリンパス事件最判の述べたところが適用されることを知財高裁として確認した点で意義があります。

なお、平成27年特許法改正後の使用者による特許を受ける権利の原始取得の事案についてはいまだ裁判例がありませんが、原始取得の事案でも、消滅時効について裁判所では、特許を受ける権利を使用者が取得した時すなわち発明がされた時を原則的な起算点とし、職務発明規程等に支払時期が定められているときはその支払時期を起算点とする判断がされる可能性が高いと思われます。

本判決は、時効の中断について、金品の授与の根拠となった就業規則における「表彰」と題する規定の内容や具体性がないこと等を根拠として、職務発明の対価について定めた規定とはいえないと判断しており、授与された金品と発明の取得との紐づけを否定しています。

本件ではそれが会社にとって有利に働きましたが、逆に会社として相当の対価(相当の利益)を支払ったつもりであった場合にその紐づけが否定されると、会社にとって想定外の相当の対価(相当の利益)の支払義務を負うことにもなり得ます。

本件でも、発明の承継から10年が経過していたため消滅時効が成立したものの、発明者の請求がいつ来るかは会社がコントロールできる事情ではなく、訴訟提起があと1年でも早ければ会社が消滅時効を主張することはできませんでした。時効が成立していなかった場合、職務発明規程も発明取得に紐づけられる支払いもなかった本件では、他の争点の帰趨によっては会社が特許法に基づいて算定された相当の対価の支払いを命じられていた可能性があります。

その意味で、職務発明規程を定めておかないと会社が予期していない大きな負担を負うリスクを残すことになり、発明が創出され特許出願をする会社にとって職務発明の報奨に関する明確な規定を整備することは重要といえます。

なおこの点に関し、判旨で紹介した控訴人の補充主張のように、職務発明規程を設けないほうが消滅時効の完成時期が早くなり得るという点で使用者に有利になる場合がないとは言い切れません。

しかし、そもそも消滅時効が成立するためには相応に長い期間を必要とする上その間に請求がされるか否かは使用者が決定できることではないため、使用者として消滅時効の成立を早めることを狙って職務発明規程を設けない選択は合理的とはいえず、上記のように予期せぬ負担を負うデメリットのほうが大きいと思われます。発明者に対するインセンティブを与える意味でも、(発明者が退職し音信不通など事実上支払いが不能な場合は別として)職務発明規程を設けて支払うべきものは支払うとの姿勢が肝要でしょう。

 

脚注
————————————–
[1] 正式名称は「特許法第35条第6項に基づく発明を奨励するための相当の金銭その他の経済上の利益について定める場合に考慮すべき使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況等に関する指針」

 

本記事に関するお問い合わせはこちらから

(文責・神田雄)