大阪地方裁判所第4部(裁判長)は、令和5年7月3日、研究者である原告らが交付を受けた科研費により制作された装置に関し、研究機関である被告が、当該装置を第三者との共同研究の用に供しており、これにより、装置に関するノウハウが使用・開示されたとして、装置の使用差止め及び損害賠償等を求めた事案につき、被告が原告らに対して信義則上の秘密保持義務を負うとは言えず、また、不正競争防止法上の営業秘密の該当性について、特定された内容が抽象的にすぎ、具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことができないと判示しました。

判決全文はこちら

ポイント

骨子

  • 補助金により設備等を購入した研究者が所属する研究機関に対して行う寄付は、その字義どおり、当該設備等の所有権の無償譲渡を意味する。
  • 寄付が無償譲渡を意味する以上、本件物件に化体する本件情報に関する権利が原告らに帰属したままであるということはできず、本件情報に関し、被告が原告らに対し、信義則上の秘密保持義務を負うとはいえない。
  • 不正競争防止法上の営業秘密の該当性について、特定された内容が抽象的にすぎ、具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことができない。

判決概要

裁判所 大阪地方裁判所第26民事部
判決言渡日 令和5年7月3日
事件番号 令和2年(ワ)第12387号
事件名 実験装置使用差止等事件
裁判官 裁判長裁判官 松阿彌 隆
裁判官    阿波野 右起
裁判官    峯 健一郎

解説

秘密の保護

秘密にすべき情報について、例えば契約当事者間で開示する場合には、秘密保持契約等を締結し、違反した場合には、当該秘密保持契約の合意内容に従い、債務不履行を理由とする損害賠償請求や差止請求を行うこととなります。
また、秘密保持義務違反を理由とした請求とは別に、一定の要件を満たす場合、不正競争防止法上の「営業秘密」としての保護を受けることも可能です。この場合、不正競争防止法に定められた損害賠償請求や差止請求を行うこととなります。

営業秘密とは

不正競争防止法2条6項において、「営業秘密」は以下の通り定義されています。

この法律において「営業秘密」とは、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう。

ある情報が不競法上の「営業秘密」に該当するには、①秘密管理性、②有用性、③非公知性を備えたものであることが要件となります。
①秘密管理性
「秘密管理性」が認められるためには、情報にアクセスできる者が制限されていること(アクセス制限)、②情報にアクセスした者に当該情報が営業秘密であることが認識できるようにされていること(認識可能性)が判断の重要な要素となります(経済産業省「営業秘密管理指針」6頁)。

②有用性
「有用性」が認められるためには、その情報が客観的にみて、事業活動に
とって有用であることが必要となります(経済産業省「営業秘密管理指針」16頁)。公序良俗に反する内容の情報などを除外する趣旨であり、秘密管理性、非公知性が認められる場合は、有用性も認められる場合が通常です。

③非公知性
「非公知性」が認められるためには、当該情報が合理的な努力の範囲内で入手可能な刊行物に記載されていない、公開情報や一般に入手可能な商品等から容易に推測・分析されない等、保有者の管理下以外では一般的には知られておらず、又は容易に知ることができないことが必要となります(経済産業省「営業秘密管理指針」17頁)。

事案の概要

本件は、研究者である原告らが交付を受けた科研費により制作した装置に関するノウハウを巡って、研究機関を相手取って訴えた事案です。
具体的には、研究機関である被告が、当該装置を第三者との共同研究の用に供しており、これにより、(装置に化体した)装置に関するノウハウが使用・開示されたとして、信義則上の秘密保持義務に違反し、又は不正競争防止法に違反していると主張して、秘密保持義務の履行、装置の使用差止め及び損害賠償等を求めています。
本稿では、本判決の争点のうち、①被告が装置に関するノウハウについての秘密保持義務を負うか、②装置に関するノウハウが不正競争防止法上の営業秘密に該当するか、を取り上げます。

「寄付(附)」

本件では、科研費により製作され、被告である研究機関に寄付された装置が第三者との共同研究に用いられたことにより、ノウハウ等の情報が流出したと主張されており、前提として、当該「寄付」の法的性質が問題となっていることから、科研費により購入された設備等の取扱について、簡単に説明します。
文部科学省が所管する日本学術振興会は、研究者から公募を募る形で、研究資金の援助を行っています(「科学研究費助成事業」)。これにより研究者に交付される研究助成金(科学研究費補助金)がいわゆる「科研費」です。
科研費は研究代表者に対して交付されるものですが、研究者が所属する研究機関により管理されます(研究機関向け「文科省使用ルール」、いわゆる機関管理。)。また、科研費により設備等を購入した研究者は、研究上支障がある場合を除き、直ちにそれを所属する研究機関に寄付しなければならないとされています(科研費取扱規程18条)。
また、設備等の寄付をした研究者が他の研究機関に移る場合、当該研究者の希望に応じて当該設備等を返還することとされています(科研費ハンドブック)。

原告ら

原告らは、UCNという中性子の研究に従事する研究者であり、原告1が研究代表者、原告2が研究補助者です。独立行政法人日本学術振興会の科学研究費助成事業により交付される科学研究費補助金(いわゆる「科研費」)を用いて、研究に従事していました。

被告

被告は、高エネルギー加速器による素粒子、原子核並びに物質の構造及び機能に関する研究並びに高エネルギー加速器の性能の向上を図るための研究に係る研究分野について、大学における学術研究の発展等に資するために設置される大学の共同利用の研究所を設置することを目的として設立された法人です。

本件物件

本件物件は、原告らが交付を受けた科研費等により、大阪大学核物理研究センター(RCNP)において製作された装置です。
本件物件の所有者・設置場所の変更の経緯は下記のとおりです。

大阪大学核物理研究センター(RCNP)において製作

関係規定に基づき被告(原告らのうち、研究代表者がかつて所属)に寄付

被告の承諾の下、RCNPから搬送され大阪大学大学院理学研究科に設置

そのうち一部が前記研究科からカナダの国立研究所であるトライアンフ(TRIUMF)に搬送され、トライアンフらとの共同研究の用に供される

情報の内容

原告らは、本件物件に関するノウハウである下記の情報が、信義則上の秘密保持義務の対象となる秘密情報及び営業秘密に該当すると主張しています。

本件物件の外部形状、内部構造及びその機能を発揮させるため組み上げられた各部の装置や機器(以下「構成部品」という。)を含む仕組み自体であり、形状及び構造にあっては、本件物件全体及び各構成部品の形状、寸法、加工及び組立てに関する情報

判旨

(1)  被告は本件契約に付随する秘密保持義務に違反したか

ア 原告らの主張
原告らの主張の概要は、下記のとおりです。

  • 科研費の交付決定により、振興会、交付申請者(研究代表者及び研究分担者)及び研究機関の三者間で、三当事者が、関係規定に拘束されることを合意する一種の負担付贈与契約が成立した。
  • 関係規定によれば、交付申請者は、科研費により取得される設備等を研究機関に寄付しなければならず、研究機関はこれを受け入れて管理することとされていること、特に、科研費ハンドブックにいわゆる「返還ルール」が定められていることなどから、被告は、原告らからの寄付により受け入れた本件物件の所有権を「管理」目的で取得するにすぎない。
  • 従って、被告は本件物件の所有権を取得するものの、本件物件に化体する本件情報に関する権利は原告らに帰属したままであり、本件情報に関し、被告は原告らに対して、上記の負担付贈与契約に付随する信義則上の秘密保持義務を負う

イ 被告の主張
これに対し、被告は、科研費により取得される設備等の寄付は、無償による所有権の移転を意味するものであるとし、信義則上の秘密保持義務は発生しないと主張しました。

関係規定によれば、科研費により取得される設備等の寄付は、無償による所有権の移転を意味するものであり、「管理」目的に伴う内在的な制約が存在するとの原告らの主張は、原告ら独自の見解に基づくものである。

ウ 裁判所の判断
本判決は、「寄付」の字義が無償譲渡を意味すること、及び、関係規定によると、「取得」について、「固定資産及び少額備品(以下「固定資産等」という。)を購入、製作又は自家建設、寄附、交換、出資及び改良により当該資産の価値・能力を増加させること」と定義し、「保管」や「管理」と寄付による「取得」とを明確に区別していること等から、研究者による「寄付」は所有権の無償譲渡を意味するとし、被告が秘密保持義務を負うことはない、としました。

このような「寄付」の字義や関係規定によれば、補助金により設備等を購入した研究者が所属する研究機関に対して行う寄付は、その字義どおり、当該設備等の所有権の無償譲渡を意味するものと認められ、研究機関において、「管理」目的その他、寄付を受けた設備等の使用、収益及び処分に何らかの制限が課されるものとは認められない。

また、いわゆる「返還ルール」についても、下記の通り、期間終了後については別の研究等で使用することも差し支えないことを定めたものと解するのが相当としました。

少なくとも令和2年度以前において、「返還ルール」は、補助事業期間中のルールであり、かつ、研究機関の定めに従い、別の研究等で使用することも差し支えないことを定めたものと解するのが相当であるから、令和2年度以前に「返還ルール」の規定があったことは、寄付を所有権の無償譲渡と解することに影響を与えるものではない

(2)  本件情報が原告らの営業秘密(同法2条6項)に当たるか

原告らは、上記でも述べた通り、本件情報を、以下の通り特定しています。

「本件物件の外部形状、内部構造及びその機能を発揮させるため組み上げられた各部の装置や機器(構成部品)を含む仕組み自体であり、形状及び構造にあっては、本件物件全体及び各構成部品の形状、寸法、加工及び組立てに関する情報」

裁判所は、上記の情報につき、以下の通り具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことができないことを理由に、営業秘密の要件を備えるかどうかの判断ができないとしました。

情報の属性を極めて抽象的に述べたものにすぎず、具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことは全く不可能であり、ひいては公知の情報との対比(有用性、非公知性)や、管理態様(秘密管理性)を観念することができず、営業秘密の要件を備えるかどうかを判断することができない。したがって、原告らの主張によってはそもそも本件情報が営業秘密に当たるとすることはできず、その主張は失当に帰する。

また、仮に、原告らが営業秘密に属する本件情報を有していたとしても、本件物件の所有権が無償譲渡されていることから、少なくともその秘密管理性及び非公知性を喪失したといえると判示しています。

原告らから、本件物件の所有権の無償譲渡を受けて、任意又は強制執行手続によってその現実の引渡しを受けた上で、少なくともその一部を第三者機関であるトライアンフに移設して共同研究の用に供していることから、仮に、原告らが営業秘密に属する本件情報を有していたことがあったとしても、本件物件に化体しているとされる本件情報は、本件物件の所有権の無償譲渡及び被告又は第三者に対する引渡し等により、少なくともその秘密管理性及び非公知性を喪失したといえる(なお、本件物件を寄付した後に、原告らが本件物件に改良等を加えたことがあったとしても、本件物件の所有権が被告に属する以上、本件情報に秘密管理性及び非公知性が認められないことは同様である。)。

なお、この点につき、原告らは、被告が本件契約に付随する秘密保持義務を負っていることを指摘していますが、前述のとおり、被告が本件契約に付随する秘密保持義務を負うとは認められないと判断しています。
また、被告は、本件物件の外観や模式図を見ただけでは容易に解析することは不可能であることを指摘して、本件情報は秘密管理性を喪失しない旨を主張していますが、下記の通り、本件物件を扱う者であればかかる知見は知り得るものとして、被告の主張を排斥しています。

本件情報は、(原告らの特定では主張自体失当であることは前述のとおりであるが)本件物件の外部形状、内部構造及びその機能を発揮させるため組み上げられた構成部品を含む仕組み自体であって、本件物件に化体されたものであり、また同一目的の実験装置も他に存する(原告P1本人、P3証人)ことなどから、本件物件の目的とするUCN研究に関する一般的知見(乙15、17)や原告ら以外の被告所属の研究員の本件物件が含まれる実験装置全体の運転等に関する知見(乙18、19、P3証人)、本件物件の調達における仕様や設計(乙20~22)、本件物件の解析等によりその具体的内容を知ることが可能であると認められる。

コメント

本判決は、科研費の寄附の法的性質について無償譲渡との判断を示し、また、営業秘密の該当性について、特定された内容が抽象的にすぎ、具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことができないとして、営業秘密の要件を備えるかどうかを判断できないものとしており、特に後者については、営業秘密に関する主張を組み立てるうえで参考になるものと思われます。

本記事に関するお問い合わせはこちらから

(文責・秦野)