知的財産高等裁判所第3部(中平健裁判長)は、本年(令和7年/2025年)4月16日、過去の特許無効審判及び特許権侵害訴訟(差止請求訴訟)の確定した審決及び判決で排斥された無効理由(サポート要件違反)を、後の特許権侵害訴訟(損害賠償請求訴訟)で主張することが許されるかが問題になった事案において、具体的な事案のもとでは訴訟上の信義則に反しないとし、当該無効理由の審理をしたうえで、同無効理由による特許無効の抗弁を認める判決をしました。
過去に排斥された無効理由の主張を許した理由として、判決は、差止と損害賠償を別個の訴訟で求め、被告が2度の防御を求められたのは原告の意向によるものであることや、先行の差止請求訴訟の事実審口頭弁論終結後に他の当事者による特許無効審判の不成立審決の取消訴訟でサポート要件違反を理由とする取消判決が確定したことから、無効理由の蒸し返しにはあたらないとし、また、当該別件無効審判及び本訴訟で提出された新たな証拠は重要なものであって、「同一の証拠」による無効主張とはいえないとしています。
ポイント
骨子
サポート要件違反の成否について
- 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
- 前記(略)のとおり、本件特許に係る発明の技術的意義は、参照抗体と競合する抗体であれば、参照抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体としての特性を有することを特定する点にあるというべきところ、前記(略)のとおり、参照抗体と競合する抗体であれば、LDLRのEGFaドメインと相互作用する部位(略)に結合してPCSK9とLDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖するとはいえず、他には、参照抗体と競合する抗体であれば、どのようなものであっても、PCSK9とLDLRのEGFaドメイン(及び/又はLDLR一般)との間の相互作用(結合)を阻害する抗体となる、とするメカニズムについての開示がない以上、当業者において、参照抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難というほかない。
サポート要件違反の主張の許否について
- 特許法167条の趣旨は、先の審判の当事者及び参加人は、先の審判で主張立証を尽くすことができたにもかかわらず、審決が確定した後に同一の事実及び同一の証拠に基づいて紛争の蒸し返しをできるとすることが不合理であるため、同一の当事者及び参加人による再度の無効審判請求を制限することにより、紛争の蒸し返しを防止し、紛争の一回的解決を実現させることにあると解される。
- このような紛争の蒸し返しの防止及び紛争の一回的解決の要請は、無効審判手続においてのみ妥当するものではないから、無効審判請求の請求不成立の審決が確定した場合に、この審判請求をしたのと同一の当事者が、侵害訴訟において、同一の事実及び同一の証拠に基づいて、無効の抗弁を主張することが、特許法167条の趣旨に照らし、訴訟上の信義則に反して許されない場合はあり得ると解される。
- 控訴人は、その意向により、同じ特許権に基づき、侵害訴訟として差止め等を求める訴訟(差止訴訟)と損害賠償を求める訴訟(本件訴訟)を分けて提起し、被控訴人は本件訴訟において二度目の防御のための主張立証活動が必要となったものであるところ、本件訴訟の事実審口頭弁論終結時(令和7年1月29日)までには、差止訴訟の事実審口頭弁論終結時(令和元年7月3日)までには生じていなかった事情、すなわち、リジェネロンによる第二次各無効審判請求(令和2年2月12日)とそれに対する請求不成立審決、第2回各審決取消訴訟の提起(令和3年8月13日)、第2回各審決取消訴訟における新証拠の提出と、上記請求不成立審決を取り消す知財高裁の判決の言渡し(令和5年1月26日)、最高裁による上告棄却及び上告不受理決定による同判決の確定(令和5年9月14日)、第二次各無効審判の再開という事情が生じたものである。これらの事実を総合すれば、被控訴人が差止訴訟において理由1(略)に相当するサポート要件違反の理由の主張をしたが、この理由が採用されず、差止訴訟においてサポート要件違反が認められなかったとしても、本件訴訟において、被控訴人が、理由1を含め、本件特許に係る発明がサポート要件違反であると主張することは、何ら蒸し返しに当たらず、この主張をすることが訴訟上の信義則に反するとは解されないし、特許法167条の趣旨に反するとも解されない。
- また、本件訴訟で被控訴人が証拠として提出した、B博士及びC博士の各供述書(略)は、第2回各審決取消訴訟で提出されたが(略)、差止訴訟、第1回各審決取消訴訟では提出されていなかったものである(弁論の全趣旨)。B博士の供述書⑴(略)は2019年(令和元年)12月13日付け、C博士の供述書⑴(略)は同月16日付けで、いずれも、差止訴訟の事実審の口頭弁論終結時(令和元年7月3日)及び第1回各審決取消訴訟の事実審の口頭弁論終結時(平成30年10月10日)の後の作成日付であり、被控訴人又はサノフィ社において、これらの証拠又はこれらと同趣旨の証拠を差止訴訟の事実審の口頭弁論終結時又は第1回各審決取消訴訟の事実審の口頭弁論終結時以前に提出できたことをうかがわせる具体的な事情はない。
そして、上記各供述書は、本件特許1の特許請求の範囲の請求項1(略)及び請求項9(略)(本件発明1の請求項)、本件特許2の特許請求の範囲の請求項1(略)及び請求項5(略)(本件発明2の請求項)がサポート要件違反であることを根拠づけるものとして、重要な意味合いをもつものである(略)。この点は、第2回各審決取消訴訟の知財高裁判決(略)が、第1回各審決取消訴訟においてはサノフィ社によるサポート要件違反に関する主張は退けられているが、これは、当時の主張や立証の状況に鑑み、参照抗体と競合する抗体は、参照抗体とほぼ同一のPCSK9上の位置に結合し参照抗体と同様の機能を有するものであることを当然の前提としたことによるものと理解することも可能であり、第2回各審決取消訴訟においては新証拠に基づく新主張により上記前提に疑義が生じた旨指摘しており(略)、この「新証拠」としてB博士及びC博士の各供述書も挙げていることにも示されているといえる。
以上の事情によれば、本件訴訟における被控訴人のサポート要件違反の主張は、差止訴訟と同一証拠に基づく主張であるとはいえず、この点においても、本件訴訟における被控訴人のサポート要件違反の主張が、特許法167条の趣旨に反するとか、訴訟上の信義則に反すると解することはできない。
判決概要
| 裁判所 | 知的財産高等裁判所第3部 |
|---|---|
| 判決言渡日 | 令和7年4月16日 |
| 事件番号 事件名 |
令和5年(ネ)第10107号 損害賠償請求控訴事件 |
| 原判決 | 東京地判令和5年9月28日 令和2年(ワ)第8642号 |
| 裁判官 | 裁判長裁判官 中 平 健 裁判官 今 井 弘 晃 裁判官 水 野 正 則 |
解説
サポート要件とは
特許法36条6項第1号は、以下のとおり、特許請求の範囲の記載要件として、「サポート要件」、すなわち、「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を求めています。
(特許出願)
第三十六条 (略)
6 第二項の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
一 特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。
(略)
サポート要件の制度趣旨や判断方法については考え方が分かれていましたが、現在の実務の指針となっているのは、知財高判平成17年11月11日平成17年(行ケ)第10042号「偏光フイルムの製造法」事件が示した考え方です。
同判決は、以下のとおり、サポート要件の充足は、特許請求の範囲と発明の詳細な説明を対比したときに、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載されていることを前提に、発明の詳細な説明の記載や示唆、出願時の技術常識から、発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか、という観点から判断されるべきものであるとし、その証明責任は、出願人または特許権者にあるとしました。
特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり,明細書のサポート要件の存在は,特許出願人(特許拒絶査定不服審判請求を不成立とした審決の取消訴訟の原告)又は特許権者(平成15年法律第47号附則2条9項に基づく特許取消決定取消訴訟又は特許無効審判請求を認容した審決の取消訴訟の原告,特許無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟の被告)が証明責任を負うと解するのが相当である。
サポート要件の詳細については、こちらの記事もご覧ください。
特許無効審判と一事不再理
特許無効審判とは
特許無効審判とは、特許庁がした特許を無効にすることを求める審判手続をいい、以下の特許法123条1項に規定されています。
(特許無効審判)
第百二十三条 特許が次の各号のいずれかに該当するときは、その特許を無効にすることについて特許無効審判を請求することができる。この場合において、二以上の請求項に係るものについては、請求項ごとに請求することができる。
一 その特許が第十七条の二第三項に規定する要件を満たしていない補正をした特許出願(外国語書面出願を除く。)に対してされたとき。
二 その特許が第二十五条、第二十九条、第二十九条の二、第三十二条、第三十八条又は第三十九条第一項から第四項までの規定に違反してされたとき(その特許が第三十八条の規定に違反してされた場合にあつては、第七十四条第一項の規定による請求に基づき、その特許に係る特許権の移転の登録があつたときを除く。)。
三 その特許が条約に違反してされたとき。
四 その特許が第三十六条第四項第一号又は第六項(第四号を除く。)に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたとき。
五 外国語書面出願に係る特許の願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項が外国語書面に記載した事項の範囲内にないとき。
六 その特許がその発明について特許を受ける権利を有しない者の特許出願に対してされたとき(第七十四条第一項の規定による請求に基づき、その特許に係る特許権の移転の登録があつたときを除く。)。
七 特許がされた後において、その特許権者が第二十五条の規定により特許権を享有することができない者になつたとき、又はその特許が条約に違反することとなつたとき。
八 その特許の願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正が第百二十六条第一項ただし書若しくは第五項から第七項まで(第百二十条の五第九項又は第百三十四条の二第九項において準用する場合を含む。)、第百二十条の五第二項ただし書又は第百三十四条の二第一項ただし書の規定に違反してされたとき。
(略)
同項の1号ないし8号には種々の無効理由が列挙されていますが、上述のサポート要件の違反も、同項4号で無効理由に位置付けられています。
一事不再理とは
特許無効審判の審決が確定したときは、以下の特許法167条により、審判の当事者や参加人は、「同一の事実及び同一の証拠」に基づいて審判を請求することができなくなります。
(審決の効力)
第百六十七条 特許無効審判又は延長登録無効審判の審決が確定したときは、当事者及び参加人は、同一の事実及び同一の証拠に基づいてその審判を請求することができない。
同じ審理を繰り返さないという原則は一般に「一事不再理」と呼ばれ、特許法167条が定める審決の効力は、「一事不再理効」などと呼ばれます。
ここで、特許を無効にする審決が確定したときは特許が対世的に無効になり、もはや特許無効審判を請求する意味はないため、一事不再理効は、審判請求が成り立たない(無効理由はない)とする不成立審決が確定した場合に、同一当事者間での審判の蒸し返しを禁止する効力といえます。
現在の特許法167条は平成23年特許法改正で改正されたものですが、その経緯や改正前後の法解釈の動きについては、こちらをご覧ください。
特許権侵害訴訟と無効理由の蒸し返し
上述のとおり、一事不再理は、特許無効審判における不成立審決が確定した場合に当事者による審判の蒸し返しを防止する制度で、特許法167条に明記されています。他方、不成立審決が確定した後に、特許権侵害訴訟で同一の事実及び同一の証拠に基づく特許無効の抗弁を主張することが許されるか、という点については、法律に明文の規定がありません。
この点について、知財高判平成30年12月18日平成29年(ネ)第10086号「美肌ローラ」事件は、以下のとおり、一事不再理によって特許無効審判を請求できない当事者が、特許権侵害訴訟で「同一の事実及び同一の証拠」に基づいて無効主張をするのは、特段の事情がない限り、訴訟上の信義則に反して許されないとしました。
特許法167条が同一当事者間における同一の事実及び同一の証拠に基づく再度の無効審判請求を許さないものとした趣旨は,同一の当事者間では紛争の一回的解決を実現させる点にあるものと解されるところ,その趣旨は,無効審判請求手続の内部においてのみ適用されるものではない。そうすると,侵害訴訟の被告が無効審判請求を行い,審決取消訴訟を提起せずに無効不成立の審決を確定させた場合には,同一当事者間の侵害訴訟において同一の事実及び同一の証拠に基づく無効理由を同法104条の3第1項による特許無効の抗弁として主張することは,特段の事情がない限り,訴訟上の信義則に反するものであり,民事訴訟法2条の趣旨に照らし許されないものと解すべきである。
「訴訟上の信義則」は、民事訴訟法の通則規定のひとつである同法2条に規定されており、以下のとおり、当事者は、「信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない」とされています。
(裁判所及び当事者の責務)
第二条 裁判所は、民事訴訟が公正かつ迅速に行われるように努め、当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない。
また、知財高判令和元年6月27日平成31年(ネ)第10009号「薬剤分包用ロールペーパ」事件は、特許法167条に規定する「当事者及び参加人」のみならず、特許無効審判の請求人である当事者と同視し得る立場にある侵害訴訟の当事者についても、同一の事実及び同一の証拠に基づく無効主張をすることは許されないとの判断をしました。
他方、本稿で紹介する事件の関連事件の判決である知財高判令和5年1月26日令和3年(行ケ)第10093号は、共同で製品化をしている一方の会社が請求した特許無効審判の不成立審決が確定したとしても、その審判手続に関与していない他の会社は実質的に同一の当事者とはいえず、同一の無効理由に基づき特許無効審判を請求することは制限されないとしました。
このように、特許権侵害訴訟に特許法167条を適用ないし準用することはできないものの、裁判例は、審判と訴訟の垣根を越えて、同一無効理由の主張を制限しており、主張制限を受ける当事者の範囲は、形式的に手続当事者であったかどうかだけでなく、実質的な関係を考慮して判断しているものといえます。
訴訟上の信義則に基づく無効主張の制限については、こちらやこちらの記事もご覧ください。
審決取消訴訟と確定した審決取消判決の効力
特許無効審判の審決があると、不服のある当事者は、裁判所で審決の取消を求めることができます。この手続を審決取消訴訟といい、第一審から知的財産高等裁判所が管轄します。
審決取消訴訟で審決を取り消す判決がされ、それが確定すると、特許庁は改めて審決をすることになりますが、その際、特許庁は、確定判決の理由中に示された認定判断に拘束され、これに反する審決をすることはできなくなります。また、特許庁が判決の認定判断に拘束される以上、当事者もまた、判決で示された認定判断に反する主張はできないと解されています。
取消判決のこのような効力は、行政事件訴訟法33条1項によって行政処分を取り消す判決一般に認められている効力で、講学上「拘束力」と呼ばれています。
取消判決の拘束力については、こちらの記事もご覧ください。
特許無効の抗弁と訂正の再抗弁
特許無効の抗弁とは
以下の特許法104条の3第1項は、特許権侵害訴訟にかかる特許に無効理由がある場合において、当該特許が「特許無効審判により無効にされるべきものと認められる」ことを抗弁に位置付けており、このような抗弁は、「特許無効の抗弁」と呼ばれています。
(特許権者等の権利行使の制限)
第百四条の三 特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において、当該特許が特許無効審判により又は当該特許権の存続期間の延長登録が延長登録無効審判により無効にされるべきものと認められるときは、特許権者又は専用実施権者は、相手方に対しその権利を行使することができない。
この規定は、抗弁事実として、「無効理由がある」ことでなく、「特許無効審判により無効にされるべきものと認められる」ことを定めています。これは、現在の特許法体系上、特許は特許庁の行政処分であり、それを無効にするにはやはり特許庁の審決という行政処分によることを要するため、民事訴訟の裁判所が特許を無効と判断するのは、行政処分としての特許の公定力に反する、という考え方によるものです。
訂正の再抗弁とは
他方、特許無効審判であれば、特許権者は、無効審決を回避するため、以下の特許法134条の2第1項に基づき、訂正の請求をすることができます。
(特許無効審判における訂正の請求)
第百三十四条の二 特許無効審判の被請求人は、前条第一項若しくは第二項、次条、第百五十三条第二項又は第百六十四条の二第二項の規定により指定された期間内に限り、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正を請求することができる。ただし、その訂正は、次に掲げる事項を目的とするものに限る。
一 特許請求の範囲の減縮
二 誤記又は誤訳の訂正
三 明瞭でない記載の釈明
四 他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること。
(略)
そこで、特許権侵害訴訟で「特許無効審判により無効にされるべきものと認められる」との主張(特許無効の抗弁)を受けた特許権者は、「特許無効審判における訂正の請求(特許無効審判が係属していないときは、訂正審判の請求)をしたことにより、特許無効審判により無効にされるべきものではなくなる」という事実を再抗弁として主張することが認められています。
このような主張は、一般に「訂正の再抗弁」と呼ばれ、訴訟実務において、以下の4つの要件を充足する場合に認められるものとされています。
① 特許庁に対し適法な訂正審判の請求又は訂正の請求を行っていること
② 当該訂正が訂正の要件を充たしていること
③ 当該訂正によって被告が主張している無効理由が解消されること
④ 被告各製品が訂正後の特許発明の技術的範囲に属すること
訂正要件
上述のとおり、訂正の再抗弁が認められるためには、現に訂正審判等の請求をしていることに加えて、訂正の要件の充足が求められるところ(上記②)、特許無効審判における訂正の実体的要件は、上述の特許法134条の2第1項と、同条9項が準用する特許法126条の各項に規定されています。特許法126条のうち、1項は、同法134条の2第1項と実質的に同じ要件を規定していますので、同法126条に基づいて訂正の要件をみると、以下のとおり、訂正が認められるためには、所定の訂正の目的に適合すること(1項但書)、新規事項の追加をするものではないこと(5項)、特許請求の範囲を拡張または変更するものではないこと(6項)が要求されています。なお、同条7項では、訂正後の発明が出願時に独立して特許を受けられるものである、という独立特許要件が規定されていますが、特許無効審判では、別途特許要件が審理されるため、同項は準用されていません。
(訂正審判)
第百二十六条 特許権者は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正をすることについて訂正審判を請求することができる。ただし、その訂正は、次に掲げる事項を目的とするものに限る。
一 特許請求の範囲の減縮
二 誤記又は誤訳の訂正
三 明瞭でない記載の釈明
四 他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること。
2 訂正審判は、特許異議の申立て又は特許無効審判が特許庁に係属した時からその決定又は審決(請求項ごとに申立て又は請求がされた場合にあつては、その全ての決定又は審決)が確定するまでの間は、請求することができない。
3 二以上の請求項に係る願書に添付した特許請求の範囲の訂正をする場合には、請求項ごとに第一項の規定による請求をすることができる。この場合において、当該請求項の中に一群の請求項があるときは、当該一群の請求項ごとに当該請求をしなければならない。
4 願書に添付した明細書又は図面の訂正をする場合であつて、請求項ごとに第一項の規定による請求をしようとするときは、当該明細書又は図面の訂正に係る請求項の全て(前項後段の規定により一群の請求項ごとに第一項の規定による請求をする場合にあつては、当該明細書又は図面の訂正に係る請求項を含む一群の請求項の全て)について行わなければならない。
5 第一項の明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面(同項ただし書第二号に掲げる事項を目的とする訂正の場合にあつては、願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面(外国語書面出願に係る特許にあつては、外国語書面))に記載した事項の範囲内においてしなければならない。
6 第一項の明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであつてはならない。
7 第一項ただし書第一号又は第二号に掲げる事項を目的とする訂正は、訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により特定される発明が特許出願の際独立して特許を受けることができるものでなければならない。
8 訂正審判は、特許権の消滅後においても、請求することができる。ただし、特許が取消決定により取り消され、又は特許無効審判により無効にされた後は、この限りでない。
複数の訂正事項に対する訂正の成否の判断方法
訂正審判や特許無効審判における訂正の請求においては、特許請求の範囲や明細書の複数の箇所を対象として訂正が申し立てられることがあり、このような場合には、訂正の成否は個別に判断されるのか、一体として判断されるのか、という問題が生じます。
この点について、特許庁は、従前、訂正の全体を一体のものとして取り扱ってきましたが、知財高判平成20年5月28日平成19年(行ケ)第10163号は、以下のとおり述べ、複数個所にわたる訂正の成否は、原則として一体不可分の1個の訂正事項として判断すべきであるものの、①訂正が誤記の訂正のような形式的なものであるときや、②請求人において複数の訂正箇所のうちの一部の箇所についての訂正を求める趣旨を特に明示したときは、個別に判断する必要があるとの考えを示しました。
本件訂正審判請求のように,原明細書等の記載を複数個所にわたって訂正するものであるときは,原則として,これを一体不可分の一個の訂正事項として訂正審判の請求をしているものと解すべきであり,これを請求人において複数箇所の訂正を各訂正箇所ごとの独立した複数の訂正事項として訂正審判の請求をしているものと解するのは妥当でない。上記のような不可分処理は客観的・画一的審理判断をむねとする特許庁における訂正審判制度の要請から導かれる結論であるから,客観的・画一的処理の要請に反しない場合,例えば上記昭和55年最高裁判決も明言するように,①訂正が誤記の訂正のような形式的なものであるとき,②請求人において複数の訂正箇所のうちの一部の箇所についての訂正を求める趣旨を特に明示したときは,それぞれ可分的内容の訂正審判請求があるとして審理判断をする必要があると解される。
事案の概要
判決の位置付け
本件は、原告・控訴人アムジェン・インコーポレーテッド(「アムジェン社」)が、発明の名称を「プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対する抗原結合タンパク質」とする特許第5705288号(本件特許1)及びその分割出願に基づく特許第5906333号(本件特許2)にかかる特許権について、被告・被控訴人サノフィ株式会社(「サノフィ社」)に対し、同社の高コレステロール血症治療薬「プラルエント」について、特許権侵害に基づく損害賠償を求めて訴えた事件です。
この訴えにつき、東京地方裁判所は、サポート要件違反に基づく無効理由があることを理由にアムジェン社の請求を棄却していました(東京地方裁判所令和5年9月28日令和2年(ワ)第8642号)。本判決は、これに対する控訴審の判断を示したものです。
本件の経緯
本件の被告となったサノフィ社の親会社であるフランスのサノフィ社(「仏サノフィ社」)は、本訴訟に先立つ平成28年(2016年)に、本件特許について特許無効審判を請求していましたが(「第一次各無効審判」)、アムジェン社による訂正請求(「本件訂正」)を経て不成立審決があり、仏サノフィ社が審決取消訴訟を提起したものの(「第1回各審決取消訴訟」)、知的財産高等裁判所は、平成30年(2018年)12月27日、同請求を棄却し(知財高判平成30年12月27日平成29年(行ケ)第10225号)、最高裁判所も、令和2年(2020年)4月24日、上告不受理の決定をしました。第一次各無効審判及び第1回各審決取消訴訟では、サポート要件違反や実施可能要件違反が争点になりましたが、特許庁も裁判所も、これらの無効理由を排斥していました。
第一次各無効審判の請求があった後、アムジェン社は、平成29年(2017年)に、サノフィ社に対して本件特許に基づき差止のみを求める訴訟を提起していたところ(「差止訴訟」)、東京地裁は、平成31年(2019年)1月17日、アムジェン社の請求を認容する判決をし(東京地判平成31年1月17日平成29年(ワ)第16468号)、その後、知財高裁が令和元年(2019年)10月30日に控訴棄却判決を(知財高判令和元年10月30日平成31年(ネ)第10014号)、最高裁判所が令和2年(2020年)4月24日に上告不受理決定を、それぞれしたことにより、東京地裁の上記判決が確定しました。この訴訟でも、上記特許無効審判と同じサポート要件違反や実施可能要件違反が争点になりましたが、いずれも排斥されました。
本訴訟は、差止訴訟の知財高裁判決後の令和2年(2020年)3月31日に提起されたもので、損害賠償だけが求められています。その手続きの中では、やはり、同様のサポート要件違反・実施可能要件違反が争われています。
他方、本訴訟提起の直前である同年2月12日、本訴訟外で、サノフィ社と共同で製品化を進めていたリジェネロン・ファーマシューティカルズ・インコーポレイテッド(「リジェネロン社」)が、本件特許2件について特許無効審判を請求しました(「第二次各無効審判」)。この事件でも、サノフィ社が当事者となった事件におけるものと同様のサポート要件違反や実施可能要件違反が争われたところ、審判段階では請求不成立の審決がされたものの、知財高裁は、令和5年(2023年)1月26日、サポート要件違反を認めて同審決を取り消す判決をし(知財高判令和5年1月26日令和3年(行ケ)第10093号)、最高裁判所が、同年9月14日、上告棄却及び上告不受理決定をしたことで上記取消判決が確定しました。この事件では、サノフィ社の手続では提出されていなかった新たな証拠等が提出された結果、無効理由が認められるに至ったものです。なお、リジェネロン社の代理人は、サノフィ社の代理人と同じです。
上記取消判決確定後の令和5年(2023年)9月28日、本件の原判決(東京地判令和5年9月28日令和2年(ワ)第8642号)があり、サポート要件違反が認められました。本判決は、その控訴審におけるものです。
本件発明
本件発明は、高コレステロール血症の治療薬であるPCSK9阻害剤に関するものです。高コレステロール血症の原因としては、LDL(いわゆる悪玉コレステロール)と呼ばれる脂質の一種が知られています。健康な状態では、LDLは、LDLR(LDL受容体)と結合することにより細胞内に取り込まれて、血中での量を減少させることができます。しかし、発明の名称にも表れるPCSK9(プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型)はLDLRの分解を促進するタンパク質であり、高コレステロール血症ではPCSK9がLDLRと結合してLDLRを減少させる結果、LDLを細胞内に取り込むことができず、結果的に血中のLDLの量が増加します。本件発明は、このPCSK9の阻害剤となる単離されたモノクローナル抗体(病原体や細胞の単一のエピトープに結合する抗体)を含む医薬組成物で、特許請求の範囲において、同抗体は、PCSK9とLDLRの結合を「中和」する(邪魔する)ことができ、PCSK9と結合する特定の参照抗体と「競合」するものと規定されています。
具体的にみると、本件特許1の特許請求の範囲(第一次各無効審判における訂正を経由したもの)は以下のとおりで、本件で問題になったのは、請求項9にかかる特許です。
【請求項1】
PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
【請求項9】
請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む、医薬組成物。(請求項9に記載の発明は「本件発明1」)。
本件特許1の請求項1で参照抗体に位置付けられる「配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体」は「21B12抗体」ですので、請求項9の発明は、以下のとおり分説されています。
A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、
B PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する、
C 単離されたモノクローナル抗体
D を含む、医薬組成物。
また、本件特許2の特許請求の範囲(第一次各無効審判における訂正を経由したもの)は以下のとおりで、本件で問題になったのは、請求項5にかかる特許です。
【請求項1】
PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
【請求項5】
請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む、医薬組成物
本件特許2の請求項1で参照抗体に位置付けられる「配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体」は「31H4抗体」ですので、請求項5の発明は、以下のとおり分説されています。
A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、
B´ PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する、
C 単離されたモノクローナル抗体
D を含む、医薬組成物。
審理再開後の第二次各無効審判における訂正の請求及び手続の中止
第二次各無効審判については、知的財産高等裁判所で不成立審決が取り消されたため、特許庁が令和5年(2023年)10月10日付で審理再開通知書を発し、アムジェン社は、同年10月23日、特許法134条の2第1項に基づき、以下の訂正を請求していました(記載は、判決からの引用)。
【本件特許1について】
a 特許請求の範囲の記載
各請求項に下線部を追加し、請求項9を独立項とする。
【請求項1】PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む参照抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
(本件再訂正後の本件特許1の請求項1に記載された発明は「本件再訂正発明1-1」)
【請求項9】PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む参照抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体であって、
前記モノクローナル抗体のFab断片がPCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、かつ、前記モノクローナル抗体のFab断片が、PCSK9との結合に関して、上記参照抗体のFab断片と競合することができる、単離されたモノクローナル抗体
を含む、医薬組成物。
(略)b 本件明細書1の記載
(a)本件明細書1の段落【0138】について、以下のとおり、取消線部分を削除し、本件再訂正後の本件特許1の請求項1及び請求項9記載の発明の「中和」の意義を限定する。
「『中和抗原結合タンパク質』又は『中和抗体』という用語は、リガンドに結合し、そのリガンドの生物学的効果を妨げ、又は低下させる、それぞれ、抗原結合タンパク質又は抗体を表す。これは、例えば、リガンド上の結合部位を直接封鎖することによって、又はリガンドに結合し、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー的変化など)を通じて、リガンドの結合能を変化させることによって行うことができる。」
(b)本件明細書1の段落【0140】について、以下のとおり、取消線部分を削除し、本件再訂正後の本件特許1の請求項1及び請求項9記載の発明の「競合」の意義を限定する。
「通常、検査抗原結合タンパク質は過剰に存在する。競合アッセイによって同定される抗原結合タンパク質(競合抗原結合タンパク質)には、基準抗原結合タンパク質と同じエピトープに結合する抗原結合タンパク質及び立体的妨害が生じるのに、基準抗原結合タンパク質によって結合されるエピトープに十分に近接した隣接エピトープに結合する抗原結合タンパク質が含まれる。競合結合を測定するための方法に関するさらなる詳細は、本明細書中の実施例に提供されている。通常、競合抗原結合タンパク質が過剰に存在する場合には、少なくとも40から45%、45から50%、50から55%、55から60%、60から65%、65から70%、70から75%又は75%又はそれ以上、共通の抗原への基準抗原結合タンパク質の特異的結合を阻害する(例えば、低下させる)。」
【本件特許2について】
a 特許請求の範囲の記載
各請求項に下線部を追加し、請求項5を独立項とする。
【請求項1】PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む参照抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体であって、配列番号3に記載のアミノ酸配列を有するPCSK9の374位のアスパラギン酸(D)がチロシン(Y)に置換した変異体(PCSK9のD374Y変異体)とLDLRタンパク質との結合を中和することができ、かつ、前記モノクローナル抗体のFab断片が、PCSK9との結合に関して、前記参照抗体のFab断片と競合することができる、抗体。
(本件再訂正後の本件特許2の請求項1に記載された発明は「本件再訂正発明2-1」)
【請求項5】PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む参照抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体であって、競合の程度が80%以上であり、かつ、前記モノクローナル抗体のFab断片がPCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができる、単離されたモノクローナル抗体を含む、医薬組成物。
(本件再訂正後の本件特許2の請求項5に記載された発明は「本件再訂正発明2-2」。「本件再訂正発明2-1」と「本件再訂正発明2-2」を併せて「本件再訂正発明2」。以下、「本件再訂正発明1」と「本件再訂正発明2」を併せて「本件再訂正発明」という。)
b本件明細書2の記載
(a)本件明細書2の段落【0138】について、前記(ア)b(a)と同一の部分を削除し、本件再訂正後の本件特許2の請求項1記載及び請求項5記載の発明の「中和」の意義を限定する。
(b)本件明細書2の段落【0140】について、前記(ア)b(b)と同一の部分を削除し、本件再訂正後の本件特許2の請求項1及び請求項5記載の発明の「競合」の意義を限定する。
もっとも、その後、特許庁は、本訴訟が係属していることを理由に、令和6年(2024年)11月21日付手続中止通知書を発し、第二次各無効審判の審理を中止しており、現時点で再開後の審決はされていません。今後審決をするにあたり、サポート要件違反の争点にかかる特許庁の判断は、確定した審決取消判決の理由中の判断に拘束されることになるため、審理再開後の結論との関係では、上記訂正が認められるかが争点になると考えられます。
争点
以上の経緯のもと、本件では、サポート要件違反はあるか、また、サポート要件違反があるとして、その主張は許されるか、が主要な争点となりました。
また、アムジェン社は、第二次各無効審判における上記の訂正請求に基づき、訂正の再抗弁を主張したため、これが認められるかも争点となりました。
判旨
本件発明の意義について
上述のとおり、本件発明は、いずれも、特定の条件を満たす単離されたモノクローナル抗体を含む医薬組成物ですが、判決は、本件明細書に基づき、以下のとおり、①本件発明は、LDLを増加させるPCSK9とLDLRタンパク質との結合を「中和」する抗体ないしその医薬組成物の提供を課題とすること、②本件発明中に現れる21B12抗体や31H4抗体といった参照抗体は、PCSK9がLDLRに結合する部位と重複する部位でPCSK9に結合し、LDLRとの結合を立体的に妨害する中和抗体であること、③本件発明にかかるモノクローナル抗体は参照抗体と「競合」し、参照抗体とPCSK9との結合を妨げるものであるとしました。
本件明細書の上記開示事項によれば、本件特許に係る発明は、LDLRタンパク質の量を増加させることにより、対象中のLDLの量を低下させ、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、また、この効果により、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し、又は予防し、疾患のリスクを低減すること、そのために、LDLRタンパク質と結合することにより、対象中のLDLRタンパク質の量を減少させ、LDLの量を増加させるPCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体又はこれを含む医薬組成物を提供することを課題とした上で、PCSK9は、LDLRのEGFaドメインに結合すること、及び、参照抗体は、結晶構造上、LDLRのEGFaドメインの位置と部分的に重複する位置でPCSK9とLDLRタンパク質の結合を立体的に妨害し、その結合を強く遮断する中和抗体であり、参照抗体と「競合」するモノクローナル抗体は、PCSK9への参照抗体の結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)抗体であることを明らかにするものである。
また、判決は、ここにいう「中和」の意味について、本件明細書の記載に基づき、以下のとおり、参照抗体がPCSK9のLDLR結合部位を封鎖し、または、PCSK9との結合を通じてLDLRに対するPCSK9の結合能を変化させることにより、PCSK9とLDLRの間の相互作用を妨害、遮断、低下または調整することを意味するとの認定をしました。
本件特許に係る発明における「中和」とは、PCSK9のLDLRタンパク質結合部位を直接封鎖することによって、又は、PCSK9に結合し、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー的変化等)を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させることによって、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することを意味するものと解される。
さらに、判決は、「競合」の意味につき、参照抗体が結合するPCSK9のLDLR結合部位と同一または重複する部位に結合することにより、またはそれに近接する部位に結合して参照抗体の結合を立体的に妨害することにより、参照抗体とPCSK9の特異的結合を妨害または阻害することを意味すると認定一方、競合の程度は特定されていないとしました。
本件特許に係る発明における参照抗体との「競合」とは、参照抗体がPCSK9と結合する部位と同一の又は重複するPCSK9上の部位に結合して、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことや、参照抗体がPCSK9と結合する部位に近接した部位に結合し、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害して、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことを意味するものと解される。
したがって、抗体がPCSK9への参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことがアッセイにより測定されれば抗体間の「競合」と評価されるものであり、本件特許に係る発明では「競合」の程度は特定されていない。
その上で、判決は、本件発明のモノクローナル抗体は、必ずしも参照抗体と同一の部位でPCSK9に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げる等するものに限らず、重複する部位への結合や立体的な妨害ができる部位への結合といった態様により、様々な程度で参照抗体とPCSK9の特異的結合を妨げる等の特性を有するものを含むとの認定をしました。
そうすると、参照抗体と競合する、本件特許に係る発明のモノクローナル抗体は、様々な程度で、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ものであって、必ずしも参照抗体がPCSK9と結合する同一のPCSK9上の部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体に限らず、参照抗体がPCSK9と結合するPCSK9上の部位と重複する部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体や、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害する態様でPCSK9に結合し、参照抗体のPCSK9への特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体を含むものであると認められる。
サポート要件違反について
サポート要件違反の判断にあたり、判決は、まず、以下のとおり、「偏光フイルムの製造法」事件判決の考え方に従い、サポート要件を充足するか否かは、発明が発明の詳細な説明に記載されていることに加え、発明の詳細な説明の記載及び技術常識に基づき当業者が発明の課題を解決できると認識できるかによって判断すべきものとしました。
特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
その上で、判決は、本件明細書の記載によれば、本件特許にかかる発明は、PCSK9とLDLRの結合を中和する抗体やその医薬組成物を提供することを課題とし、PCSK9とLDLRの結合を強く遮断する中和抗体である参照抗体と競合する抗体は、PCSK9への参照抗体の結合を妨げる等の特性を有する単離されたモノクローナル抗体であることを明らかにするものであると理解されると述べる一方、「中和」とは直接PCSK9の結合部位を直接封鎖する場合のほか、間接的手段によりLDLRに対するPCSK9の結合能を変化させることを含むところ、参照抗体とされた抗体は、PCSK9のLDLR結合部位と重複する位置でPCSK9とLDLRとの結合を強く阻害するものであることや、LDLRのPCSK9結合部位と相互作用し、または結合を遮断する抗体はLDLRとPCSK9の相互作用を阻害する抗体として有用であることが知られていたことを指摘し、以下のとおり、PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合するとの発明特定事項は、参照抗体と同様のメカニズムを有する抗体であれば、参照抗体と同様に、LDLRとPCSK9の相互作用を妨害するのに有用であることを明らかにする点に技術的意義があるとしました。
本件特許に係る発明における「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する」及び「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する」との発明特定事項も、参照抗体と競合する抗体であれば、参照抗体と同様のメカニズムにより、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して(具体的には、結晶構造上、抗体がLDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置でPCSK9に結合して)、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することを明らかにする点に技術的意義があるものというべきである。
他方、判決は、①本件明細書において参照抗体と競合するものとして同定された抗体は、アミノ酸配列において参照抗体と同一性が高いとはいえないこと、②本件明細書において参照抗体との競合を確認するのに用いられたアッセイでは、技術常識を考慮してもPCSK9上における抗体の結合位置まで明らかにならないこと、③参照抗体と「競合」する抗体には多様な抗体が含まれるところ、その中には、参照抗体のようにPCSK9上のLDLR結合部位に結合するもののほか、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害する態様でPCSK9に結合するものもあり、その中には結合部位が重複せず、軽微な立体的妨害をするものも含まれ得ること、を指摘し、以下のとおり、参照抗体と競合する抗体であれば、どのようなものであっても、PCSK9とLDLRとの間の結合を阻害する抗体となる、とするメカニズムについての開示がない以上、当業者において、参照抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難であると述べました。
前記(略)のとおり、本件特許に係る発明の技術的意義は、参照抗体と競合する抗体であれば、参照抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体としての特性を有することを特定する点にあるというべきところ、前記(略)のとおり、参照抗体と競合する抗体であれば、LDLRのEGFaドメインと相互作用する部位(略)に結合してPCSK9とLDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖するとはいえず、他には、参照抗体と競合する抗体であれば、どのようなものであっても、PCSK9とLDLRのEGFaドメイン(及び/又はLDLR一般)との間の相互作用(結合)を阻害する抗体となる、とするメカニズムについての開示がない以上、当業者において、参照抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難というほかない。
また、判決は、以下のとおり、「競合」とは、参照抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRとの結合中和抗体としての機能的特性を有することを特定した点に本件発明の技術的特徴があることを示すものであり、単に、参照抗体と競合する抗体を広く捉えた上で、結合中和性がないものを除外すればよいとするのは相当でないとしました。
参照抗体と競合する抗体であれば、参照抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合中和抗体としての機能的特性を有することを特定した点に本件特許に係る発明の技術的意義があるというべきであって、参照抗体と競合する抗体に結合中和性がないものが含まれるとすると、その技術的意義の前提が崩れることは明らかである。本件のような事例において、結合中和性のないものを文言上除けば足りると解すれば、抗体がPCSK9と結合する位置について、例えば、PCSK9の大部分などといった極めて広範な指定を行うことも許されることになり、特許請求の範囲を正当な根拠なく広範なものとすることを認めることになるから、相当でない。
また、判決は、以下のとおり、メカニズムを度外視して参照抗体と競合する抗体を広く捉え、結合中和性がないものを除外すると解したとすると、その場合には、PCSK9のLDLR結合部位と同一または重複する部位以外に結合する抗体についてサポートが必要になるところ、本件明細書にはそのような記載はないから、いずれにせよサポート要件を満たさないと述べました。
なお、仮に、本件特許1の特許請求の範囲の請求項1(略)及び本件特許2の特許請求の範囲の請求項1(略)は、PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合する抗体のうち、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」る抗体のみを対象としたものであると解したとしても、本件特許に係る発明のPCSK9との競合に関して、参照抗体と競合するとの発明特定事項は、参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体にとどまるものではなく、PCSK9とLDLRタンパク質の結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体をも含むものである(略)から、このような抗体についても結合中和抗体であることがサポートされる必要があるところ、参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体の場合とは異なり、PCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体が結合を中和するメカニズムについては本件明細書には何らの記載はなく、また、ビニングによる実験結果(略)に基づく結合中和抗体について、これらが立体的に妨害する抗体であることを示唆する記載はない。そうすると、本件明細書の発明の詳細な説明には、参照抗体と競合する抗体のうちPCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体が結合中和活性を有することについて何らの開示がないというほかなく、この点からも、本件特許はサポート要件を満たさない。
以上の認定判断を経て、判決は、このようなモノクローナル抗体を含む医薬組成物に関する請求項の記載は、サポート要件を充足しないとの結論に至りました。
サポート要件違反の主張の許否について
サノフィ社が過去の特許無効審判及び特許権侵害訴訟で上記サポート要件違反の主張をし、それを排斥する審決及び判決が確定していることとの関係で、本訴訟で同じサポート要件違反を主張することが許されるか、との点に関し、判決は、まず、以下のとおり、特許無効審判における一事不再理の趣旨は紛争の一回的解決を図ることにあり、特許権侵害訴訟でも、過去の確定審決で排斥された無効理由と同一の事実及び同一の証拠に基づく無効理由の主張は、訴訟上の信義則に反して許されないことがあり得ると述べました。
特許法167条の趣旨は、先の審判の当事者及び参加人は、先の審判で主張立証を尽くすことができたにもかかわらず、審決が確定した後に同一の事実及び同一の証拠に基づいて紛争の蒸し返しをできるとすることが不合理であるため、同一の当事者及び参加人による再度の無効審判請求を制限することにより、紛争の蒸し返しを防止し、紛争の一回的解決を実現させることにあると解される。そして、このような紛争の蒸し返しの防止及び紛争の一回的解決の要請は、無効審判手続においてのみ妥当するものではないから、無効審判請求の請求不成立の審決が確定した場合に、この審判請求をしたのと同一の当事者が、侵害訴訟において、同一の事実及び同一の証拠に基づいて、無効の抗弁を主張することが、特許法167条の趣旨に照らし、訴訟上の信義則に反して許されない場合はあり得ると解される。
もっとも、判決は、本件の経緯を指摘したうえで、以下のとおり、①差止と損害賠償とを個別の侵害訴訟で求め、サノフィ社が2度目の防御を求められるに至ったのはアムジェン社の意向によるものであること、そして、②差止請求訴訟の事実審口頭弁論終結後に、リジェネロン社による特許無効審判において、サポート要件違反を認めて原審決を取り消した判決が確定したこと、の2点を根拠として、本訴訟でサポート要件違反の主張をすることは蒸し返しにあたらないとしました。
控訴人は、その意向により、同じ特許権に基づき、侵害訴訟として差止め等を求める訴訟(差止訴訟)と損害賠償を求める訴訟(本件訴訟)を分けて提起し、被控訴人は本件訴訟において二度目の防御のための主張立証活動が必要となったものであるところ、本件訴訟の事実審口頭弁論終結時(令和7年1月29日)までには、差止訴訟の事実審口頭弁論終結時(令和元年7月3日)までには生じていなかった事情、すなわち、リジェネロンによる第二次各無効審判請求(令和2年2月12日)とそれに対する請求不成立審決、第2回各審決取消訴訟の提起(令和3年8月13日)、第2回各審決取消訴訟における新証拠の提出と、上記請求不成立審決を取り消す知財高裁の判決の言渡し(令和5年1月26日)、最高裁による上告棄却及び上告不受理決定による同判決の確定(令和5年9月14日)、第二次各無効審判の再開という事情が生じたものである。これらの事実を総合すれば、被控訴人が差止訴訟において理由1(略)に相当するサポート要件違反の理由の主張をしたが、この理由が採用されず、差止訴訟においてサポート要件違反が認められなかったとしても、本件訴訟において、被控訴人が、理由1を含め、本件特許に係る発明がサポート要件違反であると主張することは、何ら蒸し返しに当たらず、この主張をすることが訴訟上の信義則に反するとは解されないし、特許法167条の趣旨に反するとも解されない。
また、判決は、以下のとおり、リジェネロン社による特許無効審判において提出された新証拠は先行する差止訴訟で提出できたと認められるものではなく、また、サポート要件違反の根拠として重要な意味を持つものであって、リジェネロン社による特許無効審判の審決取消判決においても、この新証拠により、サノフィ社による当初の特許無効審判における誤った前提理解に疑義が生じた旨指摘していると述べ、本訴訟におけるサポート要件違反の主張は、同一証拠に基づく主張とはいえないとしました。
また、本件訴訟で被控訴人が証拠として提出した、B博士及びC博士の各供述書(略)は、第2回各審決取消訴訟で提出されたが(略)、差止訴訟、第1回各審決取消訴訟では提出されていなかったものである(弁論の全趣旨)。B博士の供述書⑴(略)は2019年(令和元年)12月13日付け、C博士の供述書⑴(略)は同月16日付けで、いずれも、差止訴訟の事実審の口頭弁論終結時(令和元年7月3日)及び第1回各審決取消訴訟の事実審の口頭弁論終結時(平成30年10月10日)の後の作成日付であり、被控訴人又はサノフィ社において、これらの証拠又はこれらと同趣旨の証拠を差止訴訟の事実審の口頭弁論終結時又は第1回各審決取消訴訟の事実審の口頭弁論終結時以前に提出できたことをうかがわせる具体的な事情はない。
そして、上記各供述書は、本件特許1の特許請求の範囲の請求項1(略)及び請求項9(略)(本件発明1の請求項)、本件特許2の特許請求の範囲の請求項1(略)及び請求項5(略)(本件発明2の請求項)がサポート要件違反であることを根拠づけるものとして、重要な意味合いをもつものである(略)。この点は、第2回各審決取消訴訟の知財高裁判決(略)が、第1回各審決取消訴訟においてはサノフィ社によるサポート要件違反に関する主張は退けられているが、これは、当時の主張や立証の状況に鑑み、参照抗体と競合する抗体は、参照抗体とほぼ同一のPCSK9上の位置に結合し参照抗体と同様の機能を有するものであることを当然の前提としたことによるものと理解することも可能であり、第2回各審決取消訴訟においては新証拠に基づく新主張により上記前提に疑義が生じた旨指摘しており(略)、この「新証拠」としてB博士及びC博士の各供述書も挙げていることにも示されているといえる。
以上の事情によれば、本件訴訟における被控訴人のサポート要件違反の主張は、差止訴訟と同一証拠に基づく主張であるとはいえず、この点においても、本件訴訟における被控訴人のサポート要件違反の主張が、特許法167条の趣旨に反するとか、訴訟上の信義則に反すると解することはできない。
訂正の再抗弁について
訂正の再抗弁の成否につき、判決は、まず、「競合」に関係する明細書の訂正について、訂正により明細書から削除された箇所に記載されていたのは、「競合」の意義に関する一般的に知られていた技術事項であり、また、残された文言も、「競合」の意味を残された部分に限定する表現にはなっていないことを指摘した上で、当該箇所を削除しても「競合」の意義が限定されることはなく、特許法134条の2第1項ただし書1号の「特許請求の範囲の減縮」にも、その他の訂正目的にも該当しないとしました。
また、「中和」に関する明細書の訂正についても、削除された箇所は「中和」の意義に関する一般的に知られていた事項であり、明細書の他の箇所には、削除された事項に相当する記載が残されていることから、当該箇所を削除しても「中和」の意義が限定されることはなく、これもいずれの訂正目的にも該当しないとしました。
その上で、判決は、これらの訂正事項は、すべての請求項に関するものであることから、その余の訂正事項について判断するまでもなくアムジェン社の訂正請求は認められないものであるから、訂正の再抗弁は理由がないとしました。
結論
結論として、判決は、アムジェン社の控訴を棄却しました。
コメント
無効理由の主張の許否について
本件で注目されるのは、過去の特許無効審判や特許権侵害訴訟で主張され、排斥されたのと同じサポート要件違反の主張が認められたということです。上に紹介したとおり、知財高裁は、紛争の一回的解決を重視し、訴訟上の信義則を介して特許無効審判における一事不再理の考え方を特許権侵害訴訟にも及ぼしてきたほか、蒸し返しを排斥する主観的範囲も広く解してきました。これに対し、本判決は、差止と損害賠償を別個の訴訟で請求したのは原告の意向であることや、その間に別の当事者が請求した特許無効審判の審決取消訴訟で、サポート要件違反を認めて審決を取り消した判決が確定していることから、本訴訟における再度のサポート要件違反の主張は蒸し返しにはあたらないとするとともに、別件無効審判や本訴訟で提出された新規の証拠は重要なもので、特許法167条にいう「同一の証拠」による無効主張にもあたらないとの理由で上記結論を導きました。
もっとも、サポート要件違反は、基本的に特許請求の範囲と発明の詳細な説明との対比から検討されるべき事項であるため、新規性・進歩性欠如における主引例が異なるような場合とは違って、証拠の違いが(実体判断における結論には大きなインパクトがあるとしても)一般的に訴訟上の信義則の判断において決定的な意味を持つとまでいえるかは疑問です。このような観点からより実質的に考えると、判旨の重要な根拠は、リジェネロン社が請求した特許無効審判において、訂正前の特許請求の記載のもとで特許が無効にされることは確定判決の拘束力により避けられないこと、そして、裁判所は、再開後の無効審判で提出された訂正の請求に抗弁を構成する事実として説得力を見出さなかったこと、といった点にあるものと推察されます(特許庁は、2024年3月26日付けで、アムジェン社の訂正の請求に対し、訂正拒絶理由通知を発しています。)。この場合、仮に、本訴訟で特許無効の抗弁を訴訟上の信義則によって排斥し、アムジェン社の請求を認容したとしても、遠からず特許は無効にされるからです。
なお、この点に関し、本件の経緯の中で、リジェネロン社の特許無効審判の審判合議体は、本訴訟の確定まで手続を中止しているため、本訴訟で無効主張を排斥したとしても、本訴訟の係属中に特許が無効にされることはありません。また、特許法104条の4は、特許権侵害を認める判決が確定した場合、その後に特許が無効にされたことを再審事由から排除しています。そのため、リジェネロン社の無効審判と、サノフィ社に対する特許権侵害訴訟とで無効主張の結論が分かれても、再審をもたらすような訴訟法的矛盾を回避することは可能です。特に、本件のような損害賠償請求訴訟では、過去の損害が審理対象になるため、差止請求訴訟と比較しても矛盾は小さいといえます。
それでも、2度にわたって排斥された無効理由の主張を認めたのは、裁判所としても、判決確定前の時点において、遠からず別の手続で無効化される可能性が高いと考えるに至った場合にまでその無効主張を排斥するのは適切でなく、また、そのような場合に同一無効理由の再主張を認めるのは、無効論の一回的解決を志向する実務の流れの中でも正当化できるものと考えたのではないかと思われます。
サポート要件違反にかかる判断について
本判決のサポート要件違反の認定判断は、基本的にリジェネロン社の審決取消訴訟におけるものと同様ですが、「中和」も「競合」もモノクローナル抗体を機能で限定する機能的記載であることに関連し、その内容は、かなり難解なものになっています。
サポート要件違反に至る判決のロジックを、その記載順に追いかけると、概要以下のようなものです。
- 参照抗体と「競合」する本件発明のモノクローナル抗体には、様々な程度で参照抗体の特異的結合を妨げるものが含まれる。
- PCSK9との結合において参照抗体と「競合」するとの発明特定事項は、参照抗体と同様のメカニズムを有する抗体であれば、LDLRとPCSK9の相互作用を妨害するのに有用であるとする点に技術的意義がある。
- 本件明細書には、参照抗体と「競合」する抗体であればPCSK9とLDLRとの間の結合を阻害する抗体となる、とするメカニズムについて開示がない以上、当業者において、参照抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難である。
- 本件において、結合中和性のないものを文言上除けば足りると解すれば、抗体とPCSK9の結合位置に関し、権利範囲が広くなりすぎるため、相当でない。
上記4.のとおり、判決は、「競合」する抗体から結合中和性のないものを文言上除けば足りると解すれば、抗体とPCSK9の結合位置に関し、権利範囲が広くなりすぎると述べています。これは、上記1.で指摘された「競合」の意味の広汎さに照らし、「中和」を「競合」から独立した構成要件と考えると権利範囲が広くなりすぎる、との判断といえます。
これを踏まえ、判決は、上記2.のとおり、本件発明の「技術的意義」は参照抗体と「競合」する抗体が「中和」を導く「メカニズム」にあるとしたうえで、上記3.のとおり、参照抗体と競合する抗体であればPCSK9とLDLRとの間の結合を中和できる、とのメカニズムについて開示がない以上、当業者において、参照抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難である、としてサポート要件違反を導いています。
つまり、判決は、「競合」が、LDLRとPCSK9の相互作用に対する軽微な立体的阻害を含む極めて広汎な意味を持つことを踏まえ、例えるなら、本件発明は、「競合」という機能的要素が認められる抗体から「中和」の効果がないものを「引き算」するのではなく、参照抗体との「競合」という機能的要素に基づき「中和」という効果を実現できる抗体を限定するという、構成要件の「掛け算」の発想によって発明を特定したものといえそうです。
そして、発明の要旨をこのように把握する場合、サポート要件を充足するには、当業者が、明細書や技術常識に基づき、「競合」があれば「中和」が実現できると理解できることが求められることになるところ、判決は、アミノ酸配列の類似性及び得られる結合位置情報の欠如や「競合」が持つ意味の広さに照らし、当業者はそのように理解できないと結論づけたものです。
以上のとおり、判決は、2つの機能的記載で特定された発明につき、両機能の関係から導かれる「発明の技術的意義」を発明の要素に位置づけたうえで、それがサポートされているか、という観点でサポート要件の充足を判断しており、その論理構成は実務上参考になるものと思われます。
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(文責・飯島)






