知的財産高等裁判所第4部(髙部眞規子裁判長)は、本年11月21日、特許無効審判の審決取消訴訟において審決が取り消された場合の判決の拘束力に関し、「付言」の形ながら、前の審判における進歩性欠如の議論において主張されず、審決取消訴訟裁判所が明示的に判断しなかった顕著な効果に関する主張であっても、特許庁がこれを後の審判手続で審理したのは、一回的解決や訴訟経済に反し、取消判決の拘束力に関する行政事件訴訟法33条1項の趣旨に照らして問題があった、との判断を示しました。
審決取消訴訟ないしその前提となる特許無効審判は、特許権侵害訴訟と並行して申し立てられることが多く、また、特許の有効性という、侵害の成否の前提問題を取り扱う手続であるため、迅速な解決が要求されます。判決は、このことを考慮し、伝統的な拘束力の考え方と比較して広く拘束力の趣旨を捉えたものと思われます。
ポイント
骨子
- 発明の容易想到性については,主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか,当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断されるべきものであり,当事者は,第2次審判及びその審決取消訴訟において,特定の引用例に基づく容易想到性を肯定する事実の主張立証も,これを否定する事実の主張立証も,行うことができたものである。
- これを主張立証することなく前訴判決を確定させた後,再び開始された本件審判手続に至って,当事者に,前訴と同一の引用例である引用例1及び引用例2から,前訴と同一で訂正されていない本件発明1を,当業者が容易に発明することができなかったとの主張立証を許すことは,特許庁と裁判所の間で事件が際限なく往復することになりかねず,訴訟経済に反するもので,行政事件訴訟法33条1項の規定の趣旨に照らし,問題があったといわざるを得ない。
判決概要
裁判所 | 知的財産高等裁判所第4部 |
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判決言渡日 | 平成29年11月21日 |
事件番号 | 平成29年(行ケ)第10003号 |
事件名 | 審決取消請求事件 |
対象特許 | 特許第3068858号 「アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物」 |
原審決 | 無効2011-800018号 |
裁判官 | 裁判長裁判官 髙 部 眞規子 裁判官 山 門 優 裁判官 片 瀬 亮 |
解説
特許無効審判と審決取消訴訟
特許無効審判は、特許法が用意している4つの審判手続の1つで、瑕疵のある特許を無効にする手続です。その審理は特許庁が行い、特許無効を主張する審判請求人と、特許権者との間で争われます。
特許庁が審決で特許の有効性に関する判断を示すと、不服のある当事者は、審決の取消を求めて、裁判所に提訴することができます。この手続を審決取消訴訟といい、第一審から知的財産高等裁判所が管轄します。
審決を取り消す判決の拘束力
審決取消訴訟の判決で審決が取り消され、その判決が確定すると、特許庁はその判決に記載された認定判断に拘束され、これに反する審決をすることができなくなります。例えば、判決が、当業者であればある発明の構成を容易に想到することができた、という判断を示せば、特許庁は、容易に想到できなかった、という認定をすることはできなくなります。
また、特許庁が判決と異なる判断をすることが許されない以上、当事者もまた、判決で示された認定判断に反する主張はできないと解されています。そのような主張は、法律上採用されることはないからです。
取消判決のこのような効力は、行政事件訴訟法33条1項によって行政処分を取り消す判決一般に認められている効力で、講学上拘束力と呼ばれています。
取消判決の拘束力の客観的範囲
取消判決の拘束力は、判決の理由中の判断に生じますが、どの範囲で生じるかについては、議論があります。
「自動二輪車用燃料タンクの製造方法」事件東京高判
この点、かつての東京高等裁判所は、以下のとおり述べ、特許の有効性について、取り消された審決と同一の結論を導く場合であっても、その理由が異なる場合や、実質的に新たな証拠がある場合には、拘束力が及ばない、との考え方を示しました(東京高判平成元年4月26日無体裁集21巻1号327頁「自動二輪車用燃料タンクの製造方法」事件)。
(一)取り消された審決とは異なる理由で同じ結論の第二回審決をすることはもとより、(二)取り消された審決がされた審判手続及び右審決の取消訴訟において取調べられておらず、かつ、右審決を取り消した判決の事実についての認定判断を覆すに足りる証明力を有するという意味において実質的に新たな証拠が提出された結果、取り消された審決の事実認定と異なる事実認定又は同じ事実認定に基づいて、取り消された審決と同じ理由で同じ結論の第二回審決をすることも、右の拘束力に反するものではない
また、同判決は、上記の考え方に基づき、当事者が実質的に新しい証拠を提出して、審決の誤りを主張することも許されると判示しました。
判決の拘束力に従つた第二回審決の取消訴訟において、審決取消訴訟の審理範囲内の主張立証として許される限度内で、第二回審決の認定判断の違法性を裏付ける前記の意味で実質的に新しい証拠を提出し、これに基づき第二回審決の認定判断の違法性を主張すること及び裁判所が右主張立証に基づいて第二回審決の認定判断を違法と判断することは、いずれも、審決を取り消した判決の拘束力の制度の趣旨に反するものではない
高速旋回式バレル研磨法事件最判
最高裁判所は、最三判平成4年4月28日民集46巻4号245頁(高速旋回式バレル研磨法事件)において、上記の「自動二輪車用燃料タンクの製造方法」事件東京高判の考え方を明確に否定しました。
判決は、取消判決の拘束力は「判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断」に及ぶとの見解を示し、新たな証拠を提出するなどして、確定した取消判決の認定判断に反する主張をすることはできないとの考え方を示しました。
(取消判決)の拘束力は、判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたるものであるから、審判官は取消判決の右認定判断に抵触する認定判断をすることは許されない。したがって、再度の審判手続において、審判官は、取消判決の拘束力の及ぶ判決理由中の認定判断につきこれを誤りであるとして従前と同様の主張を繰り返すこと、あるいは右主張を裏付けるための新たな立証をすることを許すべきではなく、審判官が取消判決の拘束力に従ってした審決は、その限りにおいて適法であり、再度の審決取消訴訟においてこれを違法とすることができないのは当然である
進歩性判断における顕著な効果の位置付けと拘束力
発明の進歩性判断をするに際しては、その発明の構成が当業者にとって容易に想到可能であったか(構成の容易性)、という問題と、その発明には従来の発明にはない顕著な効果があるか、という問題とが考慮されます。そのため、前の審決で構成の容易性が議論された後にその判断が取り消され、今度は顕著な効果について議論する場合に、顕著な効果の問題も「判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断」に含まれるかが議論の対象となり得ます。
構成の容易性と顕著な効果の関係を巡っては、構成の容易性とは独立の考慮要素と位置付ける考え方や、構成の容易性との総合判断の対象とする考え方など、いくつかの考え方がありますが、両者を別個独立の考慮要素と捉えるならば、取消判決で構成の容易性が判断されたからといって、顕著な効果について拘束力が及ぶことはありません。両者は別の問題で、この場合に顕著な効果が「判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断」に含まれるとはいえないからです。しかし、実際の訴訟では、両者が混然一体議論され、進歩性の有無が総合的に判断されることは珍しくありません。
事案の概要
本訴訟の当事者は、特許第3068858号(本件特許)にかかる特許無効審判(無効2011-800018号。本件無効審判)の請求人(原告)と、同特許の権利者(被告・被請求人)です。
本件特許の設定登録時の請求項1は、以下のようなものでした。
【請求項1】アレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な眼科用組成物であって、治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、組成物。
本事件の手続の流れは概要以下のとおりで、拘束力の抵触が問題となったのは、平成26年7月30日の前訴判決と、平成28年12月1日の本件審決の関係です。
Ⅰ | 平成23年2月3日 | 原告 | 本件無効審判の請求 |
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平成23年5月23日 | 被告ら | 訂正請求(第1次訂正) | |
平成23年12月16日 | 特許庁 | 訂正認容、無効審決(第1次審決) | |
平成24年4月24日 | 被告ら | 審決取消訴訟提起 | |
平成24年6月29日 | 被告ら | 訂正審判請求 | |
平成24年7月11日 | 知財高裁 | 第1次審決につき差戻決定 | |
Ⅱ | 平成24年8月10日 | 被告ら | 訂正請求(第2次訂正) |
平成25年1月22日 | 特許庁 | 訂正認容、請求不成立審決(第2次審決) | |
平成25年3月1日 | 原告 | 審決取消訴訟提起 | |
平成26年7月30日 | 知財高裁 | 第2次審決につき取消判決(前訴判決) | |
平成28年1月12日 | 最高裁 | 上告不受理決定による前訴判決確定 | |
Ⅲ | 平成28年2月1日 | 被告ら | 訂正請求(本件訂正) |
平成28年12月1日 | 特許庁 | 本件訂正認容、請求不成立審決(本件審決) | |
平成29年1月6日 | 原告 | 本件審決取消訴訟提起 |
前訴判決で適否が争われた第2次審決では、当事者が下記のとおり訂正の請求をしており、特許庁は、この訂正を認め、請求不成立(有効)の審決をしました。
【請求項1】ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な、点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって、治療的有効量の11-(3-ジメチルアミノプロピリデン)-6,11-ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン-2-酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、ヒト結膜肥満細胞安定化剤。
これに対し、審決取消訴訟を提起したところ、知的財産高等裁判所は、以下のとおり、発明は容易想到である旨判示して第2次審決を取り消し(前訴判決)、同判決は、上告不受理決定によって確定しました。
・・・甲1及び甲4に接した当業者は,甲1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり,その適用を試みる際に,KW-4679が,ヒト結膜の肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどに対する拮抗作用を有することを確認するとともに,ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべきであるから,KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(「ヒト結膜肥満細胞安定化」作用)を有することを確認し,「ヒト結膜肥満安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる。
前訴判決確定によって、審理は特許庁に差し戻されましたが、その際、被告らは、再度訂正と不成立審決を求めるとともに、進歩性を肯定する新たな証拠として、顕著な効果を示す証拠、すなわち、請求項1記載の化合物のシス異性体等がヒト結膜肥満細胞に対して高いヒスタミン放出阻害率を有することを示す実験結果を提出しました。
これを受けた特許庁は、訂正を認容するとともに、顕著な効果の存在を理由として進歩性を肯定し、両請求項について再度不成立の審決をしました(本件審決)。
判旨
本判決は、被告らが新たに提出した上記実験結果は、優先日当時の技術常識に照らし、当業者が予測できない顕著な効果を開示したものとはいえないとして、本件審決を取り消しましたが、さらに進んで、特許庁が顕著な効果について審理をしたことは、拘束力について定めた行政事件訴訟法33条1項の趣旨に照らして問題があったとの考えを示しました。
まず、本判決は、前訴判決の趣旨を以下のとおり捉えます。
前訴判決は,「取消事由3(甲1を主引例とする進歩性の判断の誤り)」と題する項目において,引用例1及び引用例2に接した当業者は,KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し,ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められるとして,引用例1を主引用例とする進歩性欠如の無効理由は理由がないとした第2次審決を取り消したものである。特に,第2次審決及び前訴判決が審理の対象とした第2次訂正後の発明1は,本件審決が審理の対象とした本件発明1と同一であり,引用例も同一であるにもかかわらず,本件審決は,本件発明1は引用例1及び引用例2に基づき当業者が容易に発明できたものとはいえないとして,本件各発明の進歩性を認めたものである。
また、判決は、顕著な効果の位置付けについて、下記のとおり、「発明の容易想到性については,主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか,当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断されるべき」との考え方を示しました。これは、顕著な効果を構成の容易性と区別する考え方を否定し、総合判断の対象と見るものと思われます。
発明の容易想到性については,主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか,当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断されるべきものであり,当事者は,第2次審判及びその審決取消訴訟において,特定の引用例に基づく容易想到性を肯定する事実の主張立証も,これを否定する事実の主張立証も,行うことができたものである。
その上で、判決は、拘束力との関係で問題があったことの根拠として、以下のように、前訴判決の理由中に判断がなされたか否かということよりも、主張立証の機会があったか、あるいは、訴訟経済や紛争の一回的解決に反しないか、ということを主眼に置いた考え方を示しています。
これを主張立証することなく前訴判決を確定させた後,再び開始された本件審判手続に至って,当事者に,前訴と同一の引用例である引用例1及び引用例2から,前訴と同一で訂正されていない本件発明1を,当業者が容易に発明することができなかったとの主張立証を許すことは,特許庁と裁判所の間で事件が際限なく往復することになりかねず,訴訟経済に反するもので,行政事件訴訟法33条1項の規定の趣旨に照らし,問題があったといわざるを得ない。
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本判決は、「付言」ながら、進歩性判断は様々な要素を総合考慮して得られる規範的判断であるとの考え方に立ち、顕著な効果にかかる問題が明示的に判断されていなくとも、判決の趣旨に照らして進歩性について網羅的判断を示したとみられるときは、進歩性判断という抽象度に置いて拘束力が生じる、との考え方を示したものと思われます。また、その根拠として、紛争の一回的解決や訴訟経済を挙げており、拘束力の法的性質や高速旋回式バレル研磨法事件最判との関係性など、今後の議論が注目されます。
(文責・飯島)
令和元年(2019年)9月16日追記
本件の最高裁判決に関する解説記事を掲載しました。