知的財産高等裁判所第2部(清水響裁判長)は、主引用発明に記載されていない自明の課題を認定し、当業者であれば、優先日当時の市販製品(Sartopore®2)が備える膜を用いて濾過を行うという周知技術を、主引用発明に適用することは容易想到であると認定しました。また、本件発明の顕著な効果について、本件明細書中の比較対象に基づくデータを考慮すると、本件効果が顕著なものであったと評価できず、さらにSartopore®2が掲載されているカタログを参酌すると本件発明の効果は予測可能であるとして、本件発明の進歩性を否定し、無効審判不成立とする審決を取り消しました。
本判決では、明細書の比較例自体の解釈が発明の効果を否定する材料となり得ることを明示していますので、明細書を作成する際に留意すべき点としてご紹介いたします。
ポイント
骨子
進歩性の判断
- 参加人は、第1の濾過工程と第2の濾過工程の間に「アジュバントエマルジョンのバルクを大きな瓶に充填する工程」が含まれる甲11発明(参加人)が甲11に記載されていると主張するが、前記充填工程は甲11発明において技術的に必須ではないため、第1の濾過工程と第2の濾過工程の間に当該工程が含まれない甲11発明(認定)が甲11に記載されていると認めるのが相当である。
- 甲11には、優先日当時の市販製品(Sartopore®2)が備える親水性異質二重層ポリエーテルスルホン膜を用いて濾過を行うという周知技術(本件周知技術という)の適用を動機付けるような課題の記載はみられない。しかしながら、甲20および甲65の記載に加え、甲11発明(認定)と本件周知技術とがその属する技術分野を共通にすることに照らすと、甲11発明(認定)には、①細菌を効果的に保持すること、②総処理量が大きいこと及び③流速が妥当なものであるという要請を達成するとの課題が内在している。
- 甲65の記載、前記市販製品に係る丙4の記載、および弁論の全趣旨によると、前記親水性異質二重層ポリエーテルスルホン膜をワクチンアジュバントのエマルジョンの製造(濾過)に用いることにより、前記課題をいずれも解決することができるものと認めるのが相当である。
- 本件発明1が奏する効果については、比較対象の結果を参酌すると参加人の主張する顕著な回収率が本件発明1に係る親水性二重層ポリエーテルスルホン膜の効果によるものであるとの証明がされているとはいえない。
- また甲11発明(認定)に本件周知技術を組み合わせた構成(本件発明1の構成)が奏するものとして、本件優先日当時の当業者が予測することのできないものであったと認めることはできず、また、当該構成から当該当業者が予測することのできた範囲の効果を超える顕著なものであったと認めることもできないというべきである。
判決概要
裁判所 | 知的財産高等裁判所第2部 |
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判決言渡日 | 令和6年3月25日 |
事件番号 事件名 |
令和5年(行ケ)第10056号 承継参加申立事件(特許) |
対象特許 | 特許第5754860号 |
原審決 | 令和5年2月20日 無効2021-800005号事件 |
裁判官 | 裁判長裁判官 清 水 響 裁判官 浅 井 憲 裁判官 勝 又 来未子 |
解説
新規性と進歩性
新規性および進歩性は、特許法第29条に規定され、特許出願に係る発明(本願発明)が、公知・公用・刊行物記載の発明(引用発明)と同一である場合(同条1項1~3号)は新規性がないと判断され、引用発明から容易に思いつく場合(同条2項)は進歩性がないと判断されます。
(特許の要件)
第二十九条
産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。
一 特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明
二 特許出願前に日本国内又は外国において公然実施をされた発明
三 特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となつた発明
2 特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。
具体的には、新規性・進歩性についての判断手法は、まず、本願発明の請求項に記載されている内容を、発明を特定するための事項(発明特定事項)に分説します。次に、本願発明の発明特定事項と、引用発明を文言で表現する場合に必要と認められる事項(引用発明特定事項)との一致点と相違点を認定します。
本願発明の発明特定事項の全てが、引用発明特定事項と一致する場合、本願発明は、引用発明に基づいて新規性がないと判断されます。
本願発明の発明特定事項のうち、引用発明には記載されていない発明特定事項が存在する場合、その発明特定事項は相違点として認定されます。そして、出願時の技術水準に基づいて、「当事者」がその相違点を容易に思いつく場合、本願発明は、引用発明に基づいて進歩性がないと判断されます。
当業者・技術常識・周知技術の関係
特許庁の審査基準第Ⅲ部第2章第2節進歩性では「当業者」について以下のように規定されています。
「当業者」とは、以下の(i)から(iv)までの全ての条件を備えた者として、想定された者をいう。当業者は、個人よりも、複数の技術分野からの「専門家からなるチーム」として考えた方が適切な場合もある。
(i) 請求項に係る発明の属する技術分野の出願時の技術常識を有していること。
(ii) 研究開発(文献解析、実験、分析、製造等を含む。)のための通常の技術的手段を用いることができること。
(Ⅲ) 材料の選択、設計変更等の通常の創作能力を発揮できること。
(iv) 請求項に係る発明の属する技術分野の出願時の技術水準にあるもの全てを自らの知識とすることができ、発明が解決しようとする課題に関連した技術分野の技術を自らの知識とすることができること。
そして「当業者」が備える条件の一つである「技術常識」について以下のように規定されています。
「技術常識」とは、当業者に一般的に知られている技術(周知技術及び慣用技術を含む。)又は経験則から明らかな事項をいう。したがって、技術常識には、当業者に一般的に知られているものである限り、実験、分析、製造の方法、技術上の理論等が含まれる。当業者に一般的に知られているものであるか否かは、その技術を記載した文献の数のみで判断されるのではなく、その技術に対する当業者の注目度も考慮して判断される。
一般的に知られている技術である「周知技術」および「慣用技術」については、以下のように規定されています。
「周知技術」とは、その技術分野において一般的に知られている技術であって、例えば、以下のようなものをいう。
(i) その技術に関し、相当多数の刊行物(略)又はウェブページ等(略)が存在しているもの
(ii) 業界に知れ渡っているもの
(iii) その技術分野において、例示する必要がない程よく知られているもの
「慣用技術」とは、周知技術であって、かつ、よく用いられている技術をいう。
「周知技術」は、当業者が有する技術水準として考慮されることもあれば、引用発明として考慮されることもあります。本判決では、裁判所で認定された「本件周知技術」が副引用発明として考慮されました。
進歩性の判断基準
当業者が引用発明から本願発明を容易に思いつくかどうかの判断基準、すなわち進歩性に関する判断基準は、「ピリミジン誘導体」事件の知財高裁の大合議判決(知財高判平成30年4月13日平成28年(行ケ)10182号、同10184号)において、以下のように判示されています。なお、この大合議判決の意義については、こちらに詳しくまとめてありますので、ご参照ください。
進歩性に係る要件が認められるかどうかは,特許請求の範囲に基づいて特許出願に係る発明(以下「本願発明」という。)を認定した上で,同条1項各号所定の発明と対比し,一致する点及び相違する点を認定し,相違する点が存する場合には,当業者が,出願時(又は優先権主張日。以下「3 取消事由1について」において同じ。)の技術水準に基づいて,当該相違点に対応する本願発明を容易に想到することができたかどうかを判断することとなる。
(略)
主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合には,
(1)主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆,技術分野の関連性,課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して,主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに
(2)適用を阻害する要因の有無,予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断することとなる。
具体的には、主引用発明に対して副引用発明を適用して、本願発明の進歩性を判断する場合、
①引用発明中の示唆
②引用発明間の技術分野の関連性
③課題や作用・機能などの共通性等
を総合的に考慮して「動機付け」の有無を判断し、さらに「動機付け」があった場合でも、
④主引用発明に副引用発明を適用することができないといった「阻害要因」の有無を考慮した上で、「本願発明の構成の容易想到性」が判断され、本願発明の構成を容易に想到できなければ進歩性が認められます。
さらに、本願発明の構成を容易に想到できる場合であっても、
⑤本願発明が、当業者が予測できない「顕著な効果」を奏する場合、本願発明の進歩性が認められます。
本願発明が奏する予測できない「顕著な効果」についての判断基準は、「ドキセピン誘導体含有局所的眼科用処方物」事件の最高裁判決(最高裁平成30年(行ヒ)第69号令和元年8月27日第三小法廷判決・裁判集民事262号51頁)において判示されています。この最高裁判決の意義については、こちらに詳しくまとめてありますので、ご参照ください。
原審は,結局のところ,本件各発明の効果,取り分けその程度が,予測できない顕著なものであるかについて,優先日当時本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か,当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点から十分に検討することなく,本件化合物を本件各発明に係る用途に適用することを容易に想到することができたことを前提として,本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみから直ちに,本件各発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して本件審決を取り消したものとみるほかなく,このような原審の判断には,法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。
事案の概要
経緯
特許無効審判(無効2021-800005事件)の被請求人(元特許権者)は、名称を「ワクチンアジュバントの製造の間の親水性濾過」とする発明についての特許権(特許第5754860号。「本件特許」といいます)を所有していました。当該無効審判の審決後、被請求人は承継参加人(以下、単に「参加人」といいます)に特許権を譲渡しました。本訴訟では、原告が参加人に対して、特許無効審判の審決の取消しを求めました。
本件特許で製造されるワクチンアジュバントは、スクアレンなどの油分が、水中に小さな油滴となって分散している水中油型エマルジョンに関する技術です。エマルジョン中では大きな油滴が存在すると、その油滴が周囲の小さな油滴と合体しながら成長します。そのため大きな油滴を除去することにより、安定したエマルジョンを得ることができます。
本判決では、審判手続と比較した本件訴訟の審理対象の適法性についても争われましたが、本稿では、進歩性の問題を取り上げます。
本件特許の請求項1(以下「本件発明1」といいます)は、以下のとおりです。
【請求項1】
スクアレン含有水中油型エマルジョンを製造するための方法であって、該方法は、
(i)第1の平均油滴サイズを有する第1のエマルジョンを提供する工程;
(ii)該第1のエマルジョンを微小流動化して、該第1の平均油滴サイズより小さな第2の平均油滴サイズを有する第2のエマルジョンを形成する工程;および
(Ⅲ)該第2のエマルジョンを、0.3μm以上の孔サイズを有する第1の層と0.3μmより小さい孔サイズを有する第2の層とを含む親水性二重層ポリエーテルスルホン膜を使用して、濾過し、それによって、スクアレン含有水中油型エマルジョンを提供する工程、
を包含する、方法。
原告は、無効審判で提出した甲11に基づき、以下の発明を主引用発明とする進歩性欠如の主張をしました。
甲11発明(原告)
(I)ポリソルベート80をWFI(判決注:注射用水のことである。)に溶解させて水性クエン酸ナトリウム-クエン酸の緩衝液と組み合わせ、それとは別に、ソルビタントリオレエートをスクアレンに溶解させ、二つの溶液を組み合わせた後、インラインホモジナイザーで処理して、粗エマルジョンを得、
(II)当該粗エマルジョンを、所望の粒径になるまでマイクロフルイダイザーの相互作用室に繰り返して通らせて平均粒径が約150nm、1.2μm以上の粒子がml当たり3.3×107個程度のサブミクロンエマルジョンを取得し、
(Ⅲ-1)バルクエマルジョンを窒素下で0.22μmフィルタに通して濾過し、大きな粒子を取り除いて、平均粒子径が約150nm、1.2μm以上の粒子がml当たり0.2×106個程度であるMF59C.1アジュバントエマルジョンの50L程度のバルクを手に入れ、(下線は筆者による)
(Ⅲ-2)当該バルクを0.22μm膜に通して滅菌濾過し、最終単回投与用バイアルに充填し、
(IV)インフルエンザヘマグルチニン(HA)を別個のバイアルとするデュアルバイアルワクチンとし、これを投与前に混合する方法
一方、参加人は、甲11発明(原告)には、アジュバントエマルジョンのバルク(50L程度の大容量物)を手に入れた後に、「バルクを大きな瓶に充填する工程」が記載されていない点を指摘し、甲11には、甲11発明(原告)ではなく甲11発明(参加人)が記載されていると主張しました。
甲11発明(参加人)の該当部分では、充填工程として工程(Ⅲ)が追記されています。
甲11発明(参加人)
(略)
(II-2)重要な品質パラメータである、ml当たりの径が1.2μm以上の粒子の数を0.2×106個程度に制御するために、当該サブミクロンエマルジョンを窒素下で0.22μmフィルタに通して濾過する工程、
を経て、安定なMF59C.1アジュバントエマルジョンのバルクを手に入れ、
(Ⅲ)当該MF59C.1アジュバントエマルジョンのバルクを大きな瓶に充填する工程、(下線は筆者による)
(IV)大きな瓶に充填されたMF59C.1アジュバントエマルジョンのバルクを、0.22μm膜に通して滅菌濾過し、最終単回投与用のバイアルに個別に充填する工程
(略)
両者の違いについて、甲11の図1を使って説明します。以下の図は、甲11の図1を一部抜粋し、吹き出しを追記したものです。甲11発明(原告)には、図1で示す濾過工程(Ⅲ-1)と濾過工程(Ⅲ-2)の間にバルク充填が含まれませんが、甲11発明(参加人)には、濾過工程(Ⅲ-1)および(Ⅲ-2)の間に、工程(Ⅲ)として「アジュバントエマルジョンのバルクを大きな瓶に充填する工程」が含まれます。
本稿では、判決に倣い、工程(Ⅲ-1)を「第1の濾過工程」、工程(Ⅲ-2)を「第2の濾過工程」、アジュバントエマルジョンのバルクを大きな瓶に充填する工程を「工程(Ⅲ)」と称する場合があります。
優先日当時の市販製品の存在
優先日当時、当業者に周知であった市販製品Sartopore®2(以下、判決に合わせて「本件製品」といいます)が存在していました。本件製品は、孔サイズが0.45μmのポリエーテルスルホン予備濾過膜と、孔サイズが0.2μmのポリエーテルスルホン最終濾過膜とが組み合わされた親水性異質二重層ポリエーテルスルホン膜を有していました。
また、丙4(本件製品が掲載されたカタログ)には、本件製品が、広範囲の医薬製品を濾過できるように設計されたものである旨が記載されていました。
なお、甲65(学術雑誌)には、(1)膜濾過は、製薬用途で日常的に使用され、製品の細菌汚染の可能性を低減することができ、プレフィルタと最終フィルタの組合せを正しく選択することで、流速、濾過時間及び全体的な濾過コストの最適なバランスが得られること、(2)膜フィルタに求められる各種特性、(3)本件製品は新しい革新的なアプリケーションであり、プレフィルタ層で非常に高い処理量を実現し、最終フィルタ層で信頼性の高い細菌保持を提供することが記載されていました。
動機付けに関する両者の主張
原告は、甲11発明(原告)に対して本件製品の膜を適用する動機付けについて、(a)両者の技術分野が共通していること、(b)甲65を参酌すると甲11発明(原告)には周知の課題が存在し、本件製品は、当該課題を解決しうること、(c)甲65に、本件製品の膜を採用して第1の濾過工程を省略できる示唆があることを主張しました。
一方、参加人は、甲11発明(参加人)に本件製品の膜を適用する動機付けがないことを主張するために、(a)工程(Ⅲ)の前後に行われる別個の2つの濾過工程を1つの工程に置き換えることは、甲11の記載を無視していること、(b)エマルジョンは「バイオ医薬品」ではないため、バイオ医薬品に関する甲65を根拠として甲11記載の発明に原告主張の課題を認めることはできないこと、(c)丙4には本件製品が水中油型エマルジョンの滅菌濾過を用途とする記載がないため、本件製品の膜は、原告主張の課題の解決手段ではないことを主張しました。
阻害要因に関する両者の主張
参加人は、甲11発明(参加人)に本件製品の膜を適用する阻害要因について、(a)本件製品の予備濾過膜の孔サイズ0.45μmは、甲11の第1の濾過工程で用いられる濾過膜の孔サイズ0.22μmの2倍以上であるため、安定性を有するエマルジョンのバルクが得られないこと、(b)丙4には、本件製品が水中油型エマルジョンの滅菌濾過に用いられる記載がないこと、(c)本件製品は、丙4に記載された他の製品より製品歩留まりが劣ることを主張しました。
一方、原告は、阻害要因の不存在に関し、(a)孔サイズを0.45μmの本件製品の予備濾過膜を用いれば、径1.2μmを超える大きな粒子は効果的に除去されるため、安定なエマルジョンが得られると当業者は理解できること、(b)広範囲の医薬製品を濾過できるように設計された本件製品を、当業者であれば当然水中油型エマルジョンの濾過に用いることを主張しました。
顕著な効果に関する両者の主張
原告は、本件発明の効果が顕著ではないことを主張するとともに、比較例の詳細が出願当初明細書に開示されておらず、さらに、出願後に提出された詳細(甲36)は信用できないことを主張しました。
一方、参加人は、比較対象のフィルタ3~7と比べ、実施例4には本件発明の予期し得ない優れた効果が開示されているため、本件明細書の記載を補足する上で甲36の参酌は許され、その記載内容は信用できると主張しました。
判旨
引用発明(甲11発明)の認定について
判決では、引用発明について、参加人が主張した甲11発明(参加人)を退け、甲11発明(原告)に近い甲11発明(認定)が認められました。甲11発明(認定)は、甲11発明(原告)の工程(IV)が存在しない以外は、甲11発明(原告)とほぼ同じです。
甲11発明(参加人)を退けた理由として、参加人が主張する工程(Ⅲ)は、甲11発明において必須でなく、また、本件発明1の各発明特定事項に対して対応関係がないことを指摘し、以下のように判示しています。
引用発明(特許法29条1項各号に掲げる発明)も発明である以上、その認定は、引用例に記載されるなどしたまとまりのある技術的事項に基づいてされなければならないものと解される。また、引用発明の認定は、これを進歩性の有無が問題とされる発明(以下「対象発明」という。)と対比させて、対象発明と引用発明との相違点に係る技術的構成を確定させることを目的としてされるものであるから、対象発明との対比に必要な技術的構成について過不足なくされなければならないが、当該過不足のない認定がされていれば足り、特段の事情がない限り、対象発明の発明特定事項との対応関係を離れ、引用発明を必要以上に限定して認定する必要はないものと解するのが相当である(下線は筆者による)
(略)
参加人が主張する工程(Ⅲ)(バルクを大きな瓶に充填する工程)を経ることが技術的に必須であるものと認めるに足りる証拠はない。そうすると、参加人が主張する工程(Ⅲ)は、前者の場合のために便宜上設けられた工程であると考える余地があるから、甲11記載の発明の認定に当たり、参加人が主張する工程(Ⅲ)が必須のものではないとして、これが含まれないものと認定したとしても、そのような認定がまとまりのある技術的事項に基づいてされたものではないということはできない。(下線は筆者による)
(略)
本件発明1は、・・・参加人が主張する工程(Ⅲ)又はこれに相当する工程を具体的な発明特定事項とするものではないから、甲11記載の発明の認定に当たり、参加人が主張する工程(Ⅲ)の認定が必要でないとして、これを含まないものと認定したとしても、そのような認定は、本件発明1との対比に必要な技術的構成について過不足なくされたものであるといえる。(下線は筆者による)
相違点の認定について
判決は、甲11発明(認定)と本件発明1との対比により、濾過工程について、審決とは異なる相違点Aを認定しています。すなわち、相違点は、本件発明1が、親水性二重膜により一度で濾過を行うのに対して、甲11発明(認定)の濾過工程は、(Ⅲ-1)大きな粒子を除去する濾過工程、および(Ⅲ-2)滅菌濾過する工程に分かれている点であると認定されました。
(相違点A)
濾過工程について、本件発明1においては、「0.3μm以上の孔サイズを有する第1の層と0.3μmより小さい孔サイズを有する第2の層とを含む親水性二重層ポリエーテルスルホン膜を使用して、濾過」する工程と特定されているのに対し、甲11発明(認定)においては、「(Ⅲ-1)バルクエマルジョンを窒素下で0.22μm膜に通して濾過し、大きな粒子を取り除いて、平均粒径が約150nm、1.2μm以上の粒子がml当たり0.2×106個程度であるMF59C.1アジュバントエマルジョンの50L規模のバルクを手に入れる工程、(Ⅲ-2)得られたアジュバントエマルジョンのバルクを0.22μm膜に通して滅菌濾過する工程」と特定されている点
動機付けの有無について
(1)周知技術の認定について
判決では、本件製品は、予備濾過膜及び最終濾過膜からなる親水性異質二重層ポリエーテルスルホン膜を備えており、この膜は、優先日当時の当業者に広く知られていたため、当該膜を用いて濾過を行うことを、本件優先日当時の周知技術(以下「本件周知技術」といいます)と認定しました。
そして本件周知技術は、相違点Aに係る本件発明1の構成に相当するため、優先日当時の技術水準に基づいて、甲11発明(認定)に本件周知技術を適用(以下「本件適用」といいます)して、相違点Aに対応する本願発明を容易に想到することができたことの動機付けが判断されました。すなわち、本件周知技術を副引用発明として、主引用発明である甲11発明(認定)に適用できるかについて判断されました。
(2)引用発明の技術分野について
動機付けを考慮する材料として、引用発明間の技術分野の関連性が判断され、甲65および丙4を参酌し、本件周知技術の技術分野は、甲11発明(認定)が属する技術分野を包む技術分野に属する技術であることが認定されました。
甲65には、「導入」として、「合成ポリマーの微小多孔性膜を使用する通常のフローフィルタ等は、多種多様なバイオ医薬液体の濾過用途に広く使用され、これらのフィルタの主な目的は、製品中の細菌汚染の可能性を減らすことである」旨の記載、「濾過膜は、血液分画、血清の処理、大容量非経口剤(LVP)等の従来の製薬用途でも日常的に使用され、ここでの目標は、バイオ医薬品プロセスと同じであり、製品の細菌汚染の可能性を低減させることである」旨の記載等があり、甲65は、これらの膜を備えた具体的な製品として、本件製品に言及している。また、(略)丙4には、本件製品が「広範囲の医薬製品を濾過できるように設計されたものであり、広範囲の化学的適合性を備えるものである」旨の記載がある。これらによると、本件製品は、少なくとも上記の「従来の製薬」に該当すると解されるワクチンアジュバントのエマルジョンの製造にも当然に適用し得るものであると認められるから(なお、前記(ア)のとおり、丙4には、本件製品の用途の例として「バルク医薬品」が挙げられている。)、本件周知技術は、甲11発明(認定)が属する技術分野を包む技術分野に属する技術である。(下線は筆者による)
(3)甲11発明(認定)の自明の課題について
動機付けを考慮する材料として、引用発明の課題について判断されました。裁判所は、甲11発明(認定)に本件適用を動機づけるような課題の記載がないことを認める一方で、原告の主張を採用し、甲11発明(認定)は、甲65に記載されているような自明の課題が内在すると判断しました。
(a) 甲11には、前記アにおいて認定した箇所を含め、本件適用を動機付けるような課題の記載はみられない。
しかしながら、甲20(日本ワクチン学会編「ワクチンの事典」(平成16年))の「無菌性の保証 ワクチンは通常、…無菌製造、無菌充填が行われる。」との記載、前記(イ)のとおりの甲65の記載(「プレフィルタと最終フィルタの組合せを正しく選択することで、流速、濾過時間及び全体的な濾過コストの最適なバランスが得られる」旨の記載、「膜濾過の主な目標である滅菌濾液の提供を評価する基準として、①細菌の効果的な保持がされること、②高い総処理量を有することによる濾過コストの削減がされること、③許容可能な範囲の流速による妥当な時間枠におけるバッチ全体の濾過がされることなどが挙げられる」旨の記載、「本件製品の製造業者が製造する本件製品と同種の製品のプレフィルタ層は、非常に高い処理量を実現し、10インチエレメント当たりの有効濾過面積を30%以上向上させ、0.2μmの最終フィルタ層は、本件製品の組合せと同じで、信頼性の高い細菌保持を提供する」旨の記載等)に加え、甲11発明(認定)と本件周知技術とがその属する技術分野を共通にすること(前記a)に照らすと、ワクチンアジュバントのエマルジョンの製造に用いられる濾過膜については、その品質を向上させるため、①・・・、②・・・及び③・・・が求められているものと認められる。それのみならず、そもそもワクチンアジュバントのエマルジョンの製造に用いられる濾過膜において、上記①から③までの要請が達成されることにより当該濾過膜の品質の向上につながることは、これらの要請の内容に照らし、本件優先日の当業者にとって自明であったというべきである。したがって、甲11発明(認定)には、これらの要請を達成するとの課題(以下「本件課題」という。)が内在しており、甲11発明(認定)に接した本件優先日当時の当業者は、甲11発明(認定)が本件課題を有していると認識したものと認めるのが相当である。(下線は筆者による)
そして、甲11発明(認定)に内在する課題(本件課題)は、本件製品に関する記載(丙4)、甲65の記載、および弁論の全趣旨から、本件製品が備える親水性異質二重層ポリエーテルスルホン膜をワクチンアジュバントのエマルジョンの製造(濾過)に用いることにより、いずれも解決することができると認定されました。
丙4の記載(「本件製品のフィルタカートリッジは、現存する滅菌フィルタカートリッジのいずれと比較しても優れた特性を持ち、広範囲の化学的適合性、高耐熱性、高処理量、高流速の特性を全て備えている」旨の記載、「本件製品のカートリッジは、0.45μm膜を用いた「組み込み予備濾過」による分画濾過のため、非常に高い総処理能力を持ち合わせている。ポリエーテルスルホン膜の非対称的孔構造は、低い圧力下で、高い流速を提供する」旨の記載、「本件製品のフィルタカートリッジは、HIMAやASTM F-838-83ガイドラインに従う滅菌グレードのフィルタエレメントとして十分検証されている」旨の記載、95%閉塞時における総処理量において本件製品が最も優れている旨のグラフ等)、前記(イ)のとおりの甲65の記載(「本件製品の製造業者が製造する本件製品と同種の製品の0.2μmの最終フィルタ層は、本件製品の0.45μm/0.2μmの組合せと同じで、信頼性の高い細菌保持を提供する」旨の記載等)及び弁論の全趣旨によると、本件製品が備える親水性異質二重層ポリエーテルスルホン膜をワクチンアジュバントのエマルジョンの製造(濾過)に用いることにより、本件課題をいずれも解決することができるものと認めるのが相当である。(下線は筆者による)
また、参加人が主張した、工程(Ⅲ)の前後に行われる別個の2つの濾過工程を1つの工程に置き換えることが甲11の記載を無視している点については、工程(Ⅲ)は単回投与ワクチンと組み合わせる(注:甲11の図1の左側に進むフローを参照ください)ために便宜的に存在する工程である余地があり、工程(Ⅲ)が技術的に必須の構成であるとはいえないから、第1の濾過工程および第2の濾過工程を連続して行うことは妨げられないと認定されました。
参加人が主張する工程(Ⅲ)(アジュバントエマルジョンのバルクを大きな瓶に充填する工程)は、アジュバントエマルジョンを抗原溶液と組み合わせる場合とこれらを組み合わせない場合とがあることから便宜上設けられた工程とみる余地があり、少なくとも後者の場合においては、当該工程を経ることが技術的に必須であるとまでいえないと考えられるのであるから、甲11記載の発明において第1の濾過工程と第2の濾過工程を連続して行うことは、同発明の技術的思想と何ら背馳するものではない(略)そうすると、甲11記載の発明の第1の濾過工程と第2の濾過工程が連続して行うことができない別個の工程であるということはできないから、上記の①の点を根拠とする参加人の主張を採用することはできない。(下線は筆者による)
甲11に、第1の濾過工程および第2の濾過工程を別異にすべきである記載がない点についても言及され、第1の濾過工程を充填工程の前に、第2の濾過工程を充填工程の後に行う必要はないと認定されました。
甲11には、第1の濾過工程における濾過と第2の濾過工程における濾過がどのような温度や圧力の下で行われなければならないかについての記載はなく、その他、濾過が行われるべき温度又は圧力を第1の濾過工程と第2の濾過工程とで別異にすべきであることを認めるに足りる証拠はないから、甲11記載の発明に接した本件優先日当時の当業者において、第1の濾過工程における濾過は高温高圧下で行う必要があるが、第2の濾過工程における濾過は高温高圧下で行う必要がないなどと認識するものとは認められない。(下線は筆者による)
(略)
甲11記載の発明に接した本件優先日当時の当業者において、第1の濾過工程はアジュバントエマルジョンのバルクの大きな瓶への充填の前に行う必要があり、第2の濾過工程は当該充填の後に行う必要があるなどと認識するものとも認められない。したがって、上記の②の点を根拠とする参加人の主張も採用することはできない。(下線は筆者による)
これにより、甲11発明(認定)に対して、第1の濾過工程および第2の濾過工程を連続して行うために、本件製品の二重膜を適用する構成について、動機付けがあると判断されました。
阻害要因の有無について
参加人が主張する阻害要因(a)から(c)について検討されましたが、いずれも理由がないとされました。特に(a)甲11発明(認定)では、第1の濾過工程で用いられる膜の孔サイズが0.22μmであるのに対し、本件製品の予備濾過膜の孔サイズは0.45μmである点について、甲65の記載に言及して、阻害要因ではないと判示しました。
甲65には、「膜の実際の孔径よりも大きい粒子や微生物は、効果的に除去される。」との記載があり、孔サイズが0.45μmである本件周知技術の予備濾過膜を採用した場合であっても、径が1.2μmを超える大きな粒子を十分に除去し、もって、安定性を有するエマルジョンのバルクを得ることができるものと認められる。また、前記(エ)bのとおり、甲11発明(認定)は、①細菌を効果的に保持するとの課題のほか、②総処理量を大きくするとの課題及び③流速を妥当なものにするとの課題を内在しているところ、当該②及び③の課題の解決のためには、目詰まりの防止等の観点から、適当な範囲で膜の孔サイズを大きくすることも十分に考え得ることであるから、甲11発明(認定)に接した本件優先日当時の当業者は、本件課題を解決するため、甲11発明(認定)において用いられる各膜の孔サイズを適当な範囲で大きくすることも小さくすることも検討するものと認められる。(下線は筆者による)
以上より、相違点Aに係る本件発明1の構成の容易想到性を認めました。
本件発明1が奏する効果について
本件発明1が奏する顕著な効果については、原告が主張した出願時の明細書に比較例の詳細が十分に開示されていない点を認め、仮に事後的に示された甲36を参照した場合、比較対象の材質および孔サイズを考慮すると、参加人の主張する顕著な回収率が、本件発明1で用いられる親水性二重層ポリエーテルスルホン膜によるものであると証明されていないと判断されました。
本件明細書には、50Lのエマルジョンの濾過において、10種類の異なる膜のうち本件各要件を備える親水性二重層ポリエーテルスルホン膜を用いた場合には、いずれも50%以上の回収率を示したが、その余の膜を用いた場合には、16%以下の回収率を示した旨の記載(略)がある。
しかしながら、本件明細書の実施例4の【表3】中の回収率の低いものとして比較対象となる膜の材質や孔サイズは本件明細書中では十分に開示されておらず、仮に事後的に甲36において示された材質や孔サイズを前提としたとしても、例えば、フィルタ2とフィルタ7を比較すると、同じ孔サイズの場合、最終フィルタの材質がPESであるものよりもPVDFであるものの方が回収率が高くなっているなど、これらのデータだけでは、参加人の主張する顕著な回収率が本件発明1に係る親水性二重層ポリエーテルスルホン膜の効果によるものであるとの証明がされているとはいえない。(下線は筆者による)
事後的に提出した甲36によると、比較対象であるフィルタ2、7の孔サイズは同じであり、フィルタ2はPES(ポリエーテルスルホン)/PVDF(ポリフッ化ビニリデン)の二重膜、フィルタ7はPES/PESの二重膜でした。本件明細書の結果によると、フィルタ2の回収率が16%である一方、フィルタ7の回収率が4%であるため、同じ孔サイズであるにもかかわらず、ポリエーテルスルホンという材質の優位性が示されていませんでした。そして、この結果を参酌すると、顕著な回収率が本件発明1に係る親水性二重層ポリエーテルスルホン膜の効果によるものであるとの証明がされているとはいえない、と判断されました。
さらに、丙4に基づき、本件明細書に記載された程度の高い回収率を実現しうることは、優先日当時の当業者にとって容易に理解し得たものである、と判断されました。
丙4の記載(「本件製品のカートリッジは、現存する滅菌フィルタカートリッジのいずれと比較しても優れた特性を持ち、広範囲の化学的適合性、高耐熱性、高処理量、高流速の特性を備えている」旨の記載、「本件製品のカートリッジは、0.45μm膜を用いた「組み込み予備濾過」による分画濾過のため、非常に高い総処理能力を持ち合わせている」旨の記載、本件製品の膜が95%閉塞するまでにおける総処理量が約90kgである旨のグラフ等)によると、本件製品を用いて50L程度のエマルジョンを濾過した場合、膜の詰まりの程度が低く抑えられ、本件明細書に記載された程度の高い回収率を実現し得ることは、本件優先日当時の当業者にとって容易に理解し得たものと認めるのが相当である(なお、本件明細書の段落【0197】も、実施例4における低回収率の原因は膜の詰まりであるとしている。)。
以上によると、本件各要件を全て満たす親水性二重層ポリエーテルスルホン膜を使用した場合と当該膜を使用しない場合とを比較し、前者の場合に得られる本件効果が当業者において予測することができない顕著なものであったとする参加人の主張の妥当性には疑問がある上、参加人が主張する本件効果は、甲11発明(認定)に本件周知技術を組み合わせた構成(本件発明1の構成)が奏するものとして本件優先日当時の当業者が予測することのできないものであったと認めることはできず、また、当該構成から当該当業者が予測することのできた範囲の効果を超える顕著なものであったと認めることもできないというべきである。(下線は筆者による)
以上より、参加人が主張する本件発明1の効果は、本件明細書の記載から証明されておらず、主引用発明である甲11発明(認定)に本件周知技術を適用する構成から、当業者が予測することができる程度のものであるとして、顕著な効果ではないと判断されました。
その結果、本件発明1は、本件優先日当時の当業者において甲11発明(認定)に基づき容易に発明をすることができたものであり、進歩性を欠くものであるとして、本件審決を取り消しました。
コメント
本判決のように、主引用発明に課題が記載されていない場合でも、他の文献を利用して、主引用発明に内在する自明の課題を明らかにすることができるとすると、副引用発明を結びづける論理付けの柔軟性が上がるため、進歩性を否定する際には、効果的なアプローチであると思われます。
また、比較例は実施例との対比の対象として考えられることが一般的ですが、この判決では、比較例において、請求項1に記載されたPES/PES二重膜という材質の優位性が示されていない点を指摘されました。もし、比較対象であるフィルタ2(PES/PVDF二重膜)の回収率が、フィルタ7(PES/PES二重膜)の回収率より低ければ、このような指摘を受けることはなかったと思われます。本判決を考慮すると、比較例自体についても、発明の効果を考察する上でのデータを構成しうるものであるとして、請求項の発明特定事項と矛盾がないか、明細書作成時点で留意が必要であると言えます。であると言えます。
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(文責・小林)