知的財産高等裁判所第3部(鶴岡稔彦裁判長)は、本年(2018年)11月6日、特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」とは引例から抽出可能な具体的な技術的思想であって、物の発明の場合には刊行物の記載と技術常識から当業者がその物を作れることが必要であるとの規範を示し、そのあてはめを示す判決をしました。

ポイント

骨子

  • 特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」は,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明(本件特許発明)を容易に発明することができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。
  • また,本件特許発明は物の発明であるから,進歩性を検討するに当たって,刊行物に記載された物の発明との対比を行うことになるが,ここで,刊行物に物の発明が記載されているといえるためには,刊行物の記載及び本件特許の出願時の技術常識に基づいて,当業者がその物を作れることが必要である。

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第3部
判決言渡日 平成30年11月6日
事件番号 平成29年(行ケ)第10117号
事件名 特許取消決定取消請求事件
原決定 特許庁平成29年4月18日異議2016-700611号
対象特許 特許第5845033号
発明の名称 「マイコプラズマ・ニューモニエ検出用イムノクロマトグラフィー試験デバイスおよびキット」
裁判官 裁判長裁判官 鶴 岡 稔 彦
裁判官    寺 田 利 彦
裁判官    間 明 宏 充

解説

特許異議申立とは

特許異議申立とは、特許庁による特許付与に対して公衆が異議を述べる制度をいいます(特許法113条)。このような制度により、簡易に瑕疵ある特許を是正するとともに、特許の早期安定化を図ることを可能にします。

特許異議申立制度は、かつては特許付与前に公衆からの異議を受け付ける制度でしたが、平成6年の特許法改正により、特許付与後6月間に異議を受け付ける制度に変更されました。

その後、特許異議申立制度は、平成15年の特許法改正によっていったん廃止され、特許無効審判がその機能を担うこととされましたが、平成26年の改正により、特許無効審判とは別に、特許付与後(特許掲載公報発行後)6か月まで申し立てることができる特許異議申立制度が改めて設けられました。

なお、上記改正に伴い、平成15年改正法後の特許無効審判は、冒認出願や共同出願違反を理由とする場合を除き、何人も請求できるものとされていましたが、平成26年改正法により、利害関係人に限って請求できる制度となりました。これにより、特許無効審判は紛争解決を目的とする制度としての性格を強くし、公衆からの異議の受付は特許異議申立によって賄うという役割分担が明確になったといえます。

特許異議申立の審理と決定

特許異議の申立があると、特許庁は、3名または5名の審判官からなる合議体により(特許法114条1項)、特許権者との間で書面による審理を行います(特許法118条1項)。特許異議申立てでは、申立後は特許庁と特許権者の間で審理が行われ、申立人は例外的場合を除いて審理に関与することはできません。

審理の結果、審判官が異議申立に理由があると認めたときは、特許を取り消す決定をします(特許法114条2項)。取消しの決定が確定すると、特許は取り消され、特許権は初めからなかったものとみなされます(特許法114条3項)。

なお、特許異議申立がなされた場合において、審判官が特許を取り消すべきと考えたときは、特許権者に対して取消の理由が通知されますが、これに対し、特許権者としては、取消理由を解消するため、訂正の請求をすることが認められています(特許法120条の5第1項)。なお、訂正が認められてもなお取消理由が解消しないときは、やはり取消決定がなされることとなります。

決定取消訴訟とは

特許を取り消す決定がなされたときは、特許権者は、取消決定の取消しを求めて決定取消訴訟を提起することができます(特許法178条1項)。決定取消訴訟の審理は、知的財産高等裁判所において行われます。

進歩性とは

進歩性の意味

ある発明に特許が付与されるためには進歩性があることが必要であり、進歩性を欠くことは(特許法29条2項)、特許異議の申立理由の一つとされています(特許法113条2号)。

進歩性について、特許法29条2項は以下のとおり規定しています。

特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。

要するに、「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者」(一般に「当業者」と呼ばれます。)が、既存の発明から容易に想到することのできる発明は進歩性がない、逆にいえば、既存の発明から容易に想到できない場合に、発明に進歩性があるということとなります。

先行発明の類型

進歩性判断に際し、容易に想到できるかの基準となる「前項各号に掲げる発明」については、特許法29条1項に以下のとおり規定されています。

一 特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明
二 特許出願前に日本国内又は外国において公然実施をされた発明
三 特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となつた発明

つまり、公知の発明(1号)、公然実施された発明(2号)、刊行物に記載された発明・ネットに掲載された発明(3号)が、既存の発明として進歩性の有無の判断基準となるわけで、いずれも、公衆が発明にアクセスできる状態になっていた点で共通しています。その結果、誰もがアクセスできる発明から容易に想到できる発明は進歩性がないこととなります。本件訴訟では、これらのうち、刊行物に記載された発明の解釈が問題となりました。

なお、特許法29条1項は新規性に関する規定であり、特許出願された上記の3つのいずれかと同一の発明は新規性がないものとして特許が拒絶されることを定めています。他方、進歩性は、上記3つの類型の発明から容易に想到可能かどうかを問題とする概念ですので、その前提として、既存の発明との間に相違する点があることを前提としており、この点で新規性の問題とは異なっています。

「刊行物に記載された発明」とは

「刊行物に記載された発明」の意味

一般に、「刊行物に記載された発明」といえるためには、抽象的なアイデアが記載されているだけでは足りず、「当業者が特別の思考を要することなく、当該発明を実施し得る程度に」記載されていることが必要とされており(中山信弘「特許法」第3版126頁)、具体的には、刊行物の記載に基づき、物の発明ならその物を作ることができ、方法の発明ならその方法を使用できることが必要です。

上記の条件を満たすために、一般的には、発明の目的や作用効果の記載は必要なく、発明の構成が明らかになれば足りるとされていますが、物質など、発明の構成を開示しただけではどのようにして作れるのか当業者に容易には分からない場合には、具体的な作り方が記載されていることが必要になる場合もあり、このことを一般的に述べた上で、技術常識から作ることができたと認定した裁判例として、東京地判平成20年11月26日判時2036号125頁があります。

実施可能要件との関係

なお、上記東京地判で問題となった特許は、ある物質について、純度(93重量%以上)で発明を限定した特許でしたが(クレームの記載は「組成物」とされていましたが、当該物質以外は水と不純物のみです。)、その権利を行使したところ、被告からは、①新規性違反を理由とする無効主張と、②明細書に98重量%以上に精製する方法の記載がないという実施可能要件違反の主張がなされました。これらのうち、新規性違反の点については、引用例には93重量%以上の精製方法の記載がなかったため、「刊行物に記載された発明」を認定できるかが問題とされたのです。

これに対し、判決は、新規性違反の主張については、精製を繰り返せば純度を上げることができるのは技術常識であるとして、「刊行物に記載された発明」を認定し、新規性がないとの結論を示しつつ、明細書には98重量%以上に精製する方法の記載がないという主張を認め、この点でも特許は無効であるとの判断を示しました。

一見矛盾する判断のようにも見えますが、実施可能要件における開示は、開示と権利の代償性という特許制度の根幹にかかわる要請であるため、「刊行物に記載された発明」の認定における開示よりも厳格さが求められるのかもしれません。

事案の概要

経緯

本訴訟の原告は、発明の名称を「マイコプラズマ・ニューモニエ検出用イムノクロマトグラフィー試験デバイスおよびキット」とする特許第5845033号 (平成23年9月26日特許出願、平成27年11月27日設定登録)を受けましたが、同特許に対して特許異議の申立てがありました(異議2016-700611号)。原告は、これに対し、意見を述べるとともに訂正の請求をしましたが、特許庁は、平成29年4月18日、訂正請求を認めた上で、原告の特許を取り消す旨の決定をしました。

この取消決定に対し、決定取消訴訟を提起したのが本訴訟です。

争点

判決の要約をそのまま引用すると、原告の主張の概要は以下のようなものです(カッコ内は筆者)。

本件特許発明は,P1タンパク質に対する特異的なモノクローナル抗体に着目することで,イムノクロマトグラフィー法によって,初めて臨床検体からのマイコプラズマ・ニューモニエ抗原の特異的な検出を実現した発明であるところ,引用例1は,そもそも,P1タンパク質とは全く異なるタンパク質(CARDS)とそのポリクローナル抗体に着目した発明の特許公報である上に,引用例1においては,CARDSに特異的なポリクローナル抗体を用いた場合ですら,臨床検体からのマイコプラズマ・ニューモニエの検出には成功しておらず,かつ,そもそもP1タンパク質に特異的な抗体については,臨床検体はもちろん,精製rP1タンパク質を用いた検出実験すら行われていないにもかかわらず,本件取消決定は,P1タンパク質とCARDSタンパク質の差異や,臨床検体と非臨床検体との差異,さらにはモノクローナル抗体とポリクローナル抗体との差異をいずれも看過したまま,引用発明1を,P1タンパク質に特異的なモノクローナル抗体を用いて,患者サンプル(臨床検体)からマイコプラズマ・ニューモニエを検出することができる発明であると認定した(点において誤っている)

要旨としては、本件発明は、以下の3点で引用例記載の発明と相違しているにもかかわらず、特許取消決定では、引用例に、P1タンパク質に特異的なモノクローナル抗体を用いて,患者サンプル(臨床検体)からマイコプラズマ・ニューモニエを検出することができる発明が記載されていると認定した点に誤りがあると主張するものといえます。

  1. P1タンパク質とは全く異なるタンパク質(CARDS)とそのポリクローナル抗体に着目した発明の特許公報であること
  2. 引用例1においては,CARDSに特異的なポリクローナル抗体を用いた場合ですら,臨床検体からのマイコプラズマ・ニューモニエの検出には成功していないこと
  3. そもそもP1タンパク質に特異的な抗体については,臨床検体はもちろん,精製rP1タンパク質を用いた検出実験すら行われていないこと

判決の要旨

「刊行物に記載された発明」の解釈について

上記争点について判断するにあたり、裁判所は、以下のように述べ、引用例と技術常識から引用発明を認定するためには、引用例の記載に基づいて実施可能であること、具体的には、発明たる物を作れることが必要であるとの考え方を示します。

特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」は,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明(本件特許発明)を容易に発明することができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。また,本件特許発明は物の発明であるから,進歩性を検討するに当たって,刊行物に記載された物の発明との対比を行うことになるが,ここで,刊行物に物の発明が記載されているといえるためには,刊行物の記載及び本件特許の出願時(以下「本件出願時」という。)の技術常識に基づいて,当業者がその物を作れることが必要である。

認定判断

上記規範のもとで、判決は、引用例の内容を詳細に検討し、引用発明が記載されているとはいえないとの判断を示しました。

事実認定に関する判示事項の詳細な引用は避けますが、判決は、まず、以下のとおり述べて、種々のモノクローナル抗体を得る技術は周知技術であっても、引用例や技術常識から,取消決定が認定したような引用発明の対象物を当業者が作れたわけではないとの結論を導きました。

・・・以上を踏まえれば,たとえ様々なモノクローナル抗体を得る技術自体は周知技術であるとしても,本件取消決定が認定した引用発明1のラテラルフローデバイスは,引用例1の記載及び本件出願時の技術常識から,直ちに作ることができるものとはいえない。
したがって,引用例1に引用発明が記載されている(あるいは,記載されているに等しい)ということはできない。

また、判決は、患者サンプルからの患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエの検出についても詳細な検討をし、結論において、以下のとおり、引用例に記載はないと述べました。

・・・以上の点からみて,引用例1の実施例7の記載は,患者サンプル(臨床検体)からのマイコプラズマ・ニューモニエの検出が可能であったことを示すものとはいえない。
かかる観点からも,引用例1に引用発明が記載されている(あるいは,記載されているに等しい)ということはできない。

これらの検討を経て、判決は、特許庁がした取消決定を取り消しました。

コメント

引用発明の認定は、新規性や進歩性が争点となる訴訟では常に議論の対象となりますが、本判決における詳細な認定は実務上参考になるものと思われましたので紹介しました。

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(文責・飯島)