知的財産高等裁判所特別部(大合議)は、ピリミジン誘導体の特許の有効性について問題となった審決取消訴訟について、平成30年(2018年)4月13日、①審決取消訴訟の訴えの利益は、何人(旧法下)/原告(現行法下)に対して損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはない、②刊行物に記載された化合物の一般式が膨大な数の選択肢を有する場合、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき特段の事情がない限り、これを引用発明として認定することはできない、③主引用発明に副引用発明を適用することにより容易に発明をすることができたかどうかに関し、特許の無効を主張する側で動機付けがあること等を基礎付ける事実を主張・立証し、特許権者側で阻害要因や予測できない顕著な効果等を基礎付ける事実を、それぞれ主張・立証する必要があると判断しました。

ポイント

骨子

  • 審決取消訴訟の訴えの利益は、何人(旧法下)/原告(現行法下)に対して損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはない。
  • 刊行物に記載された化合物の一般式が膨大な数の選択肢を有する場合、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき特段の事情がない限り、これを引用発明として認定することはできない。
  • 主引用発明に副引用発明を適用することにより容易に発明をすることができたかどうか(進歩性があるかどうか)に関し、特許の無効を主張する側で動機付けがあること等を基礎付ける事実を主張・立証し、特許権者側で阻害要因や予測できない顕著な効果等を基礎付ける事実を、それぞれ主張・立証する必要がある。

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所 特別部(大合議)
判決言渡日 平成30年4月13日
事件番号 平成28年(行ケ)第10182号(第1事件)、第10184号(第2事件)審決取消請求事件
特許番号 特許第2648897号
発明の名称 「ピリミジン誘導体」
当事者 第1事件原告 日本ケミファ株式会社
第2事件原告 X
第1・第2事件被告 塩野義製薬株式会社(特許権者)
第1・第2事件被告補助参加人 アストラゼネカ ユーケイ リミテッド
裁判官 裁判長裁判官 清 水   節
裁判官    髙 部 眞規子
裁判官    森   義 之
裁判官    鶴 岡 稔 彦
裁判官    森 岡 礼 子

解説

審決取消訴訟とは

審決取消訴訟は、特許庁が審判手続においてなした審決について、不服のある当事者が、その取り消しを求める訴訟であり、知的財産高等裁判所の専属管轄に属します(特許法178条)。
特許法上の取消訴訟としては、拒絶査定不服審判、特許無効審判、訂正審判、延長登録無効審判といった4つの審判の審決に対する取消訴訟(審決取消訴訟)のほか、特許異議申立における取消決定に対する取消訴訟(取消決定取消訴訟)があります。

特許異議申立・特許無効審判と請求人適格

特許庁に対して特許が無効であると主張するための手続としては、以下のものがあります。
・情報提供
・特許異議申立
・特許無効審判

情報提供とは、特許庁が特許要件を判断するための資料を任意に提供する制度で、何人もこれを行うことができます。また、匿名で行うこともできます。

特許異議申立とは、特許掲載公報の発行の日から6か月以内に限り、何人も、特許に異議理由があると主張して異議を申し立てることができる制度です。

特許無効審判とは、特許に無効理由があるとして特許庁に対して審判を請求する制度であり、期間の制限はなく、特許の存続期間が満了した後でも請求ができます。

特許異議は、平成15年の特許法改正により一旦廃止されました。その際に、従前利害関係人のみが請求可能であった特許無効審判を、何人も請求可能な制度に改正し、特許異議申立制度と統合されました。

その後、平成26年の特許法改正で、特許異議が復活しました。これにより、特許無効審判は、再び利害関係人のみが請求できる制度に改正されました。

本件の無効審判は、平成26年特許法改正前の、何人も特許無効審判を請求できる時期に請求されたものでした。

訴えの利益

特許無効審判において審決があると、請求不成立(特許有効)の審決がなされた場合には請求人が、無効の審決がなされた場合には特許権者が、知財高裁に訴えを提起することができます(特許法178条)。

但し、訴訟を起こす場合には、一般的に、訴訟要件として「訴えの利益」、すなわち、訴訟により紛争を解決する必要性・適切性があることが必要になります。審決取消訴訟も訴訟の一類型ですので、「訴えの利益」が必要で、これを欠く場合、訴えは却下されます。

進歩性とは

特許の無効理由は特許法123条に列挙されており、進歩性欠如もその一つとされています。

進歩性とは、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が出願前に公になっていた発明に基いて容易に発明をすることができた(容易に想到できた)ものではないことをいいます(特許法29条2項)。

特許は、未だ公になっていない新しい発明に与えられるものですので、進歩性を欠く発明に特許が付与されてしまった場合、その特許は無効理由を有することになるのです(特許法123条1項2号)。

特許法29条
産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。
一 特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明
二 特許出願前に日本国内又は外国において公然実施をされた発明
三 特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となつた発明
2 特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。

進歩性判断の方法

進歩性の判断をする際には、出願に先行する発明を1つ、主引用発明として選択し、その発明と、特許発明とを対比して相違点を抽出し、その相違点について、出願当時の当業者が容易に想到することができたか、という経路で判断します。

容易に想到することができたかどうかを判断する際には、相違点を開示した他の引用発明(副引用発明)を主引用発明に組み合わせたり、技術常識を考慮したりして、容易に想到できたという論理付けをすることが可能か、という観点で検討します。

進歩性判断と主要事実

訴訟において、当事者が主張立証責任を負う事実を主要事実といいます。主要事実については、当事者が主張立証しない限り裁判所が事実認定をすることができず、また、主要事実について当事者に争いがないときは、裁判所がそれに反する事実認定をすることができません。他方、主要事実を推認させる間接事実は、当事者の主張がなくとも、裁判所がその裁量で証拠から認定することが可能です。この意味において、主要事実は、当事者間の主張立証責任と、当事者と裁判所との間の事実認定に関する権限分配の基礎になる考え方といえます。

進歩性は、例えば、ある製品を製造した、といった客観的事実とは異なり、ある発明から別の発明に容易に想到できたか、といった評価を含む概念です。そのため、どのような事実をもって当事者が主張立証責任を負担する主要事実かについて、進歩性そのものが主要事実だという考え方もあれば、容易性を肯定または否定する具体的事実が主要事実だという考え方もあります。

仮に進歩性そのものが主要事実だとすると、進歩性を肯定または否定する個々の具体的事実は主要事実を推認させる間接事実となるため、裁判所がその裁量で認定し、進歩性の有無を判断できることになります。これに対し、進歩性を肯定または否定する具体的事実が主要事実だとすると、当事者が主張立証した事実以外の事実を裁判所が認定することはできなくなります。

本件の経緯

本件は、被告が保有する「ピリミジン誘導体」の特許について、原告らが進歩性欠如及びサポート要件違反の無効理由を主張して無効審判を請求したものの、特許庁が請求不成立(特許有効)との審決をしたため、審決の取消しを求めて提訴したものです。

まず、本件では、提訴された時点で既に特許の存続期間が満了していたため、そのような場合でも審決取消訴訟について訴えの利益があるかどうかが問題となりました。

また、進歩性欠如の無効理由について、原告は、甲1(特表平3-501613号公報)に記載された発明(甲1発明)及び甲2(特開平1-261377号公報)に記載された発明(甲2発明)並びに優先日当時の技術常識により、本件発明1等は容易に発明することができたと主張していました。

本件発明1は、以下の化合物です。

【請求項1】(本件発明1)
式(I):
【化1】

(式中,
R¹は低級アルキル;
R²はハロゲンにより置換されたフェニル;
R³は低級アルキル;
R⁴は水素またはヘミカルシウム塩を形成するカルシウムイオン;
Xはアルキルスルホニル基により置換されたイミノ基;
破線は2重結合の有無を,それぞれ表す。)
で示される化合物またはその閉環ラクトン体である化合物。

甲1発明は以下の化合物であり、本件発明1との一致点・相違点は次のとおりです。

【甲1発明】

(M=Na)の化合物」

【一致点】
「式(I)
(式中,
R¹は低級アルキル;
R²はハロゲンにより置換されたフェニル;
R³は低級アルキル;
破線は2重結合の有無を,それぞれ表す。)
で示される化合物またはその閉環ラクトン体である化合物」である点

【相違点】
(1-ⅰ)
Xが,本件発明1では,アルキルスルホニル基により置換されたイミノ基であるのに対し,甲1発明では,メチル基により置換されたイミノ基である点
(1-ⅱ)
R⁴が,本件発明1では,水素又はヘミカルシウム塩を形成するカルシウムイオンであるのに対し,甲1発明では,ナトリウム塩を形成するナトリウムイオンである点

原告らは、上記相違点について、甲1発明の化合物のピリミジン環の2位のジメチルアミノ基(-N(CH³)²)の二つのメチル基(-CH³)のうちの一方を甲2発明であるアルキルスルホニル基(-SO²R’(R’はアルキル基))に置き換えること、すなわち、甲1発明の化合物のピリミジン環の2位の「ジメチルアミノ基」を「-N(CH³)(SO²R’)」に置き換えることにより、本件発明1に係る構成を容易に想到することができる旨主張していました。

ところが、甲2には、一般式で示される化合物が記載されているものの、膨大な数の選択肢があり、上記の構成は2000万通り以上の選択肢の一つでしかないという事情がありました。そこで、引用発明をどのように認定すべきかが問題となりました。

本件判決の内容 ①審決取消訴訟の訴えの利益

本件において、被告は、特許の存続期間が既に満了していたこと等から、原告は訴えの利益を欠くと主張していました。

この点、知財高裁は、まず、特許の存続期間が満了した後も無効審判請求ができることから(特許法123条3項)、存続期間が満了しても特許無効審判の訴えの利益は消滅しないと述べました。

その上で、仮に訴えの利益が認められるのが、特許権者と審判請求人に紛争が生じている等、審判請求人の法的不利益が具体的なものとして存在すると評価できる場合に限られるとすると、訴えの利益は職権調査事項であり、裁判所が当事者に紛争に発展する可能性についての主張を求めることになるところ、かかる主張には自己に不利益になる可能性がある事実の主張が含まれるため、このような事実の主張を強いるのは相当ではないとしました。

もっとも、特許権の存在によって不利益を受けるおそれのある者が全くいなくなった場合は、例外的に訴えの利益が失われることが示されました。

以上をふまえて、知財高裁は、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益について、以下のとおり判断しました。

平成26年法律第36号による改正前の特許法の下において,特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益は,特許権消滅後であっても,特許権の存続期間中にされた行為について,何人に対しても,損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり,刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り,失われることはない。

さらに、平成26年改正後は無効審判の請求人適格が利害関係人のみ認められることになりましたが、原告について特段の事情を判断することのほかは、上記同様に考えることが示されました。

特許権侵害を問題にされる可能性が少しでも残っている限り,そのような問題を提起されるおそれのある者は,当該特許を無効にすることについて私的な利害関係を有し,特許無効審判請求を行う利益(したがって,特許無効審判請求を 不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益)を有することは明らかであるから,訴えの利益が消滅したというためには,客観的に見て,原告に対し特許権侵害を問題にされる可能性が全くなくなったと認められることが必要であり,特許権の存続期間が満了し,かつ,特許権の存続期間中にされた行為について,原告に対し,損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり,刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存することが必要であると解すべきである。

本件判決の内容 ②引用発明の認定・進歩性判断における主張立証責任

本件では、対象特許が進歩性欠如により無効であると主張されていたところ、引用文献からどのような引用発明を認定できるのかについて争いがありました。

知財高裁は、以下のとおり、引用文献に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、原則として、特定の選択肢に係る具体的な技術思想を抽出して、引用発明として認定することはできないと判断しました。

本願発明と対比すべき主引用発明は,通常,本願発明と技術分野が関連し,当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択されるところ,同条1項3号の「刊行物に記載された発明」については,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。そして,当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され,当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には,当業者は,特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り,当該刊行物の記載から当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできない。
したがって,引用発明として主張された発明が「刊行物に記載された発明」であって,当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され,当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には,特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り,当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず,これを引用発明と認定することはできないと認めるのが相当である。

また、上記については、副引用発明についても同様であるとしました。

さらに、主引用発明に副引用発明を適用することにより容易に発明をすることができたかどうか(進歩性があるかどうか)を判断する場合の考慮要素及び主張立証責任について、以下のとおり、特許の無効を主張する側で動機付けがあること等を基礎付ける事実を主張・立証し、特許権者側で阻害要因や予測できない顕著な効果等を基礎付ける事実を主張・立証するものと判示しました。

主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合には,①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆,技術分野の関連性,課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して,主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに,②適用を阻害する要因の有無,予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断することとなる。特許無効審判の審決に対する取消訴訟においては,上記①については,特許の無効を主張する者(特許拒絶査定不服審判の審決に対する取消訴訟及び特許異議の申立てに係る取消決定に対する取消訴訟においては,特許庁長官)が,上記②については,特許権者(特許拒絶査定不服審判の審決に対する取消訴訟においては,特許出願人)が,それぞれそれらがあることを基礎付ける事実を主張,立証する必要があるものということができる。

これは、進歩性そのものではなく、想到容易かどうかという評価を導く上で参酌される具体的事実を主要事実と捉え、その主張立証責任の分配を明らかにしたものといえます。

本件事案においては、原告らは、甲1に示された引用発明の化合物のピリミジン環の2位のジメチルアミノ基(-N(CH³)²)の二つのメチル基(-CH³)のうちの一方を、甲2で示された引用発明であるアルキルスルホニル基(-SO²R’(R’はアルキル基))に置き換えることにより、本件発明1に係る構成を容易に想到できると主張していました。

しかし、甲2の一般式(I)で示される化合物は、甲1の一般式Iで示される化合物と同様であるところ、「殊に好ましい化合物」におけるR³の選択肢は、少なくとも2000万通り以上あり、「-NR⁴R⁵」であってR⁴及びR⁵を「メチル」及び「アルキルスルホニル」とすることは、そのうちの一つに過ぎず、さらに、「殊に極めて好ましい化合物」には本件発明の構成は含まれていませんでした。

そのため、甲2から,ピリミジン環の2位の基を「-N(CH³)(SO²R’)」とするという技術的思想を抽出して引用発明とすることはできないと判断しました。

コメント

審決取消訴訟における訴えの利益、引用文献の認定及び進歩性判断における主張・立証責任に関する知財高裁大合議の判決であり、今後の実務に影響を与えるものと思われます。

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(文責・藤田)