知的財産高等裁判所第1部(大鷹一郎裁判長)は、本年(令和4年)6月30日、共同で建物を賃借し貸画廊を営んでいた夫婦(後日離婚成立)が、その後の関係悪化により、交互に画廊を使用する旨の合意をしていた状況において、紛争が顕在化した後に画廊の商号を含む標章についてそれぞれ商標権を取得し、相互に権利を行使した事案において、いずれの権利行使も権利の濫用にあたるとする判決をしました。

懸案の画廊(「本件画廊」)の商号は、現在の場所に移転する前(「旧事務所」)から、夫側が長らく使用してきたものであることから、原判決は、妻側から夫側への権利行使について権利濫用を認めつつ、夫側から妻側への権利行使についてはこれを否定していました。これに対し、本判決は、交互に画廊を使用する合意に基づき、相互に営業を妨害しない義務を負担していたとして、いずれの側からの権利行使も権利の濫用となると判示しています。

判断の相違の背景として、権利の濫用の成否を判断するにあたり、原判決は、商標に権利者独自の信用が化体していたか、という点に着目していたのに対し、本判決は、交互に画廊を使用し、互いの営業を妨害しないという合意が存在していたことを重視しています。いずれを重視すべきかは事案によることになりますが、それぞれの判決に見られる権利濫用の認定判断手法を比較することは、実務上有益であると思われます。

なお、訴訟では、商標権侵害のほか、営業妨害や信用棄損に基づく各種請求や、ドメイン名の使用差止なども争われていますが、ここでは、商標権行使と権利濫用の問題に絞って取り上げることとします。

ポイント

骨子

【原告側の権利行使について】

  • 1審原告と1審被告Yは、1審原告及び1審被告Yの両名が賃借人として契約した本件賃貸借契約が存続する限りにおいては、別居後の上記合意に基づいて、1審原告及び1審被告Yが、本件事務所において、それぞれ本件商号及び被告ら標章1あるいは原告商標を使用した貸画廊(本件画廊)の営業を行うことを妨げてはならない旨の義務を相互に負うものと解するのが相当である。
  • 1審原告は、1審被告Yが、婚姻前から、亡母Cの旧事務所の賃借人の地位を引き継いで、旧事務所で、本件商号及び被告ら標章1を使用した本件画廊の営業を行っていたこと、1審被告Yが、旧事務所の移転先の本件事務所においても本件画廊の営業を継続する意思を有していたことを十分に認識し、1審被告Yが本件商号や被告ら標章1を使用できない事態になれば、1審被告Yが大きな不利益を受けることになることを知りながら、別居直後の平成30年1月30日、被告ら標章と実質的に同一の原告商標に係る商標登録出願をしたことが認められる。
  • 1審原告が1審被告Y及び1審被告Yが代表取締役を務める1審被告会社に対し、原告商標権に基づいて、被告ら各標章の使用等の差止めを求める権利行使を行うことは、信義則に反し、権利の濫用に当たり、許されないというべきである。

【被告側の権利行使について】

  • 1審原告と1審被告Yは、1審原告及び1審被告Yの両名が賃借人として契約した本件賃貸借契約が存続する限りにおいては、別居後の上記合意に基づいて、1審原告及び1審被告Yが、本件事務所において、それぞれ本件商号及び被告ら標章1あるいは原告商標を使用した貸画廊(本件画廊)の営業を行うことを妨げてはならない旨の義務を相互に負っていることに照らすと、本件賃貸借契約が現に存続しているにもかかわらず、1審被告Yが1審原告に対し、被告各商標権に基づいて、原告各標章の使用等の差止めを求める権利行使を行うことは、信義則に反し、権利の濫用に当たり、許されないというべきである。
  • 1審原告と1審被告Yは、1審原告及び1審被告Yの両名が賃借人として契約した本件賃貸借契約が存続する限りにおいては、別居後の合意に基づいて、1審原告及び1審被告Yが、本件事務所において、それぞれ本件商号及び被告ら標章1あるいは原告商標を使用した貸画廊(本件画廊)の営業を行うことを妨げてはならない旨の義務を相互に負っていることに照らすと、1審被告Yの(遅くとも平成19年以降「GALLERY ART POINT」の商号を使用して画廊の営業をしてきたことから、それが1審被告Yの役務を指すものであることは需要者に広く認識されており、「GALLERY ART POINT」の表示が正当に帰属するのは1審被告Yであるとの)上記主張は、本件商号が1審被告Yの本件画廊の業務に係る役務を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたかどうかを検討するまでもなく、採用することができない。

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第1部
判決言渡日 令和4年6月30日
事件番号
事件名
令和3年(ネ)第10096号
競業行為差止等請求本訴・損害賠償請求反訴控訴事件
同附帯控訴事件
原判決 東京地方裁判所令和3年10月29日(國分隆文裁判長)
令和元年(ワ)第15716号競業行為差止等請求事件(本訴)
令和2年(ワ)第4369号損害賠償請求反訴事件(反訴)
裁判官 裁判長裁判官 大 鷹 一 郎
裁判官    小 川 卓 逸
裁判官    遠 山 敦 士

解説

商標と商標権

商標とは、事業者が商品や役務について用いるマーク(標章)をいい、商標と、その商標を使用する商品や役務とを指定して出願することにより、商標登録を受けることができます。商標と合わせて登録される商品や役務は、それぞれ「指定商品」、「指定役務」と呼ばれ、登録料等の基準とするため、現在、商品や役務の内容により、指定商品については34の、指定役務については11の区分に分類されています。

出願人は、商標登録を受けると、商標権を取得して商標権者となり(商標法18条1項)、指定商品または指定役務について登録商標を使用する権利を専有します(商標法25条本文)。そのため、第三者が指定商品または指定役務について登録商標を使用すると、商標権者は、商標権を行使して、その使用を差し止めたり(商標法36条)、損害賠償を求めたりすることができます(民法709条)。

標識保護制度としての商標法

商標法は、知的財産法制の重要な一部で、マークを保護するものであることに特徴があります。知的財産法制に属する他の法制と比較すると、例えば、特許法は発明を保護し、著作権法は著作物を保護しますが、これらが保護を受けるためには、対象となる発明や著作物に一定の創作性が求められます。これに対し、商標法が保護するマークは、保護を受ける上で、識別力は要求されるものの、創作性までは求められません。たとえば、著名な商標である「ルイ・ヴィトン」や「シャネル」は、いずれも人名で、そこにはもとより創作性はありません。

では、商標が法的保護を受けるのはなぜかというと、商品やサービスを示すマークは、それを使用し続けることによって、品質など、企業努力の成果としての信用が化体し、消費者に対する顧客誘引力を持つようになるからです。もともと人名に過ぎない「ルイ・ヴィトン」や「シャネル」が強い顧客誘引力を持つのは、高品質の製品を提供してきた企業努力がこれらの名前に結実しているからなのです。この意味において、特許権や著作権は、その目的物である発明や著作物がもともと創作性という価値を持つ物であることを前提に付与されるのに対し、商標権は、マークの識別力を基礎に与えられ、その価値は、使用によって積み重ねられていくものといえます。

このような相違が端的に表れる例は種々ありますが、そのひとつをあげると、権利侵害があった場合の損害賠償請求において、特許権侵害や著作権侵害の場合には、ライセンスがあった場合のロイヤルティ相当額が損害額の最低限度とされていますが、商標権侵害の場合には、ごく例外的な場合ながら、損害不発生を理由に損害賠償請求権を否定し得るものと考えられています(最三判平成9年3月11日平成6年(オ)第1102号民集51巻3号1055頁小僧寿し事件判決)。要するに、企業の信用が化体していない商標については、商標登録があったとしても、例外的に損害賠償請求権の根拠とならない場合があるわけです。

権利濫用とは

民法1条3項は、以下のとおり、権利の濫用を禁止しています。

(基本原則)
第一条 (略)
3 権利の濫用は、これを許さない。

権利の濫用とは、一見正当な権利の行使に見えるものの、具体的な状況等に照らして社会的な妥当性を欠く権利行使をいいます。権利の濫用に該当する場合、上記の民法1条3項により権利行使ができなくなるため、訴訟上、この規定は、権利行使に対する抗弁として機能し、この点に着目するときは「権利濫用の抗弁」などと呼ばれます。

制定時の民法に権利の濫用に関する規定はありませんでしたが、大判大正8年3月3日民録25輯356頁信玄公旗掛松事件判決で鉄道の運行を土地所有権の濫用とする考え方が示された後、大判昭和10年10月5日民集14巻1965頁宇奈月温泉事件判決が、所有権に基づく妨害排除請求権の行使を「権利ノ濫用」とし、抗弁に位置づける判断を示しました。この法理は、戦後の民法改正の一環として、昭和23年改正において、上記の民法1条3項に成文化され、現在に至っています。

知的財産権の行使と権利の濫用

民法の規律と知的財産法の関係

商標法を含む産業財産権法は、民法、刑法、行政法など様々な法制度の特則に位置付けられますが、その中でも、権利行使に関する規定は、私人間の権利義務に関するものですので、民法の特則に位置づけられます。そのため、権利行使に関しては、各法律によって排除されない限り民法の原則が適用され、この点は民法1条3項も同様です。その結果、知的財産権の行使であっても、権利の濫用に該当する場合には認められないことになります。

権利濫用と無効の抗弁

知的財産法分野における権利の濫用について、かつてしばしば問題になったのは、無効理由のある特許についての権利行使が権利の濫用になるか、ということでした。この問題については、最三判平成12年4月11日平成10年(オ)第364号民集54巻4号1368頁キルビー特許事件判決が、衡平の理念と紛争の一回的解決の必要性等を理由に、以下のように述べ、明らかに無効理由のある特許にかかる権利行使は権利の濫用にあたり、許されない旨判示しました。

特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり、審理の結果、当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。

特許に無効理由があることが明らかな場合に権利濫用を根拠に権利行使を妨げるキルビー特許最判の考え方は、「明らか無効の抗弁」などと呼ばれ、多くの訴訟で主張されるとともに、下級審判例が積み上げられる中で、事実上「明らか」の要件は考慮されなくなり、端的に特許無効を理由とする抗弁が侵害訴訟における定番の争点となるに至りました。

もっとも、本来、権利濫用の抗弁は、個別具体的な事情に基づいて判断されるべきもので、多くの訴訟における定番の抗弁になるような性質のものではありません。明らか無効の抗弁は、権利濫用の抗弁の枠組みを用いながらも、裁判例の蓄積の中で、無効理由の存在という具体的要件のもとで認められる類型的な抗弁に位置づけられたものといえます。この意味で、キルビー特許事件最判は、特許法に記載のない解釈上の抗弁を生み出したものともいえるでしょう。

その後、特許無効の抗弁は、平成16年特許法改正において、以下のとおり、「明らか」との要件を捨象した形で特許法104条の3に成文化され、商標法39条により、商標権の行使にも準用されています。

(特許権者等の権利行使の制限)
第百四条の三 特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において、当該特許が特許無効審判により又は当該特許権の存続期間の延長登録が延長登録無効審判により無効にされるべきものと認められるときは、特許権者又は専用実施権者は、相手方に対しその権利を行使することができない。
(略)

標準必須特許にかかる権利行使と権利の濫用

明らか無効の抗弁以外に、権利濫用の抗弁の枠組みを用いつつ類型化された抗弁となり得る規範を示した例としては、たとえば、知的財産高等裁判所特別部が、FRAND宣言がなされた標準必須特許の権利行使について、①権利行使を受けた者が特許権者によるFRAND宣言の存在及び②権利行使を受けた者の「FRAND条件によるライセンスを受ける意思」の存在を証明すれば特許権の行使は権利濫用になるとの考え方を示した、知財高決平成26年5月16日平成25年(ラ)第10007号同第10008号があります。この事件の原決定も権利の濫用を肯定しましたが、その認定においては個別具体的な事情を考慮していたのに対し、抗告審決定は、ある程度類型化された規範を示している点で、対照的なものといえそうです。

この決定は、大合議とはいえ下級審の裁判例にとどまるほか、標準必須特許にかかる権利行使という限られた事実関係を前提にするため、キルビー特許事件最判とは異なり、多くの裁判例が追随する状態にはなっていませんが、公正取引委員会の知財ガイドラインや、経済産業省の「標準必須特許のライセンスに関する誠実交渉指針」の策定など、様々な影響を生じた決定でもあります。

個別事情に基づく権利濫用法理の適用

他方において、あくまで個別具体的な事情に基づいて知的財産権の行使が権利の濫用にあたるとされた例も存在します。最近話題になった事案としては、プリンタのトナーカートリッジのサードパーティによる再生品について、その使用時に、プリンタの表示部に「?」といった表示が現れるようにした仕様が独禁法に抵触し、特許権行使が権利濫用に当たるとした東京地判令和2年7月22日平成29年(ワ)第40337号トナーカートリッジ事件判決が挙げられます(なお、この判決は、控訴審判決である知財高判令和4年3月29日令和2年(ネ)第10057号によって覆され、権利の濫用が否定されています。)。

商標権の行使と権利の濫用

商標権の特質と権利の濫用

上に見たとおり、特許法分野における権利濫用は、無効理由がある場合のように、権利そのものに瑕疵がある場合や、権利行使が過剰な独占をもたらし、取引秩序が害されるような場合に認められています。

これに対し、商標権行使について権利の濫用を認めた事案では、その商標に信用を化体させたのは誰か、ということに着目されることが多いように思われます。以下、参考になる事例をいくつか取り上げてみたいと思います。

POPEYE事件判決

商標権の行使に関して権利濫用の抗弁の適用を認めたリーディングケースとしては、最二判平成2年7月20日昭和60年(オ)第1576号民集44巻5号876頁POPEYE事件があります。この事件は、日本国内で「POPEYE」や「ポパイ」といった文字と、水兵服を着てマドロスパイプを加えた人物、すなわち、漫画「ポパイ」の主人公の図形を結合させた標章について商標登録を受けていた者が、同漫画の著作権者から許諾を受けて生産したマフラー等の製品に「POPEYE」の文字と漫画「ポパイ」の主人公の図形が配されていた点を捉えて商標権侵害の訴訟を提起した事案です。このような事実関係のもと、最高裁判所は、以下のとおり述べて、商標権の行使は権利の濫用にあたるとしました。

本件商標登録出願当時既に、連載漫画の主人公「ポパイ」は、一貫した性格を持つ架空の人物像として、広く大衆の人気を得て世界に知られており、「ポパイ」の人物像は、日本国内を含む全世界に定着していたものということができる。そして、漫画の主人公「ポパイ」が想像上の人物であって、「POPEYE」ないし「ポパイ」なる語は、右主人公以外の何ものをも意味しない点を併せ考えると、「ポパイ」の名称は、漫画に描かれた主人公として想起される人物像と不可分一体のものとして世人に親しまれてきたものというべきである。したがって、乙標章がそれのみで成り立っている「POPEYE」の文字からは、「ポパイ」の人物像を直ちに連想するというのが、現在においてはもちろん、本件商標登録出願当時においても一般の理解であったのであり、本件商標も、「ポパイ」の漫画の主人公の人物像の観念、称呼を生じさせる以外の何ものでもないといわなければならない。以上によれば、本件商標は右人物像の著名性を無償で利用しているものに外ならないというべきであり、客観的に公正な競業秩序を維持することが商標法の法目的の一つとなっていることに照らすと、被上告人が、「ポパイ」の漫画の著作権者の許諾を得て乙標章を付した商品を販売している者に対して本件商標権の侵害を主張するのは、客観的に公正な競業秩序を乱すものとして、正に権利の濫用というほかない。

この判決は、商標について実質的な信用を獲得した主体と、その商標の登録の主体とが異なり、実質的にフリーライドの関係が認められる場合に、信用を獲得した主体に対して権利行使する行為は、公正な競業秩序を害するものとして、権利の濫用にあたるという考え方を示したものといえるでしょう。

極真空手事件判決

商標に信用を化体した者の役務を承継し、同一の商標を使用していた者同士の権利行使に関して権利濫用の抗弁を認めた裁判例としては、大阪地判平成15年9月30日平成14年(ワ)第1018号極真空手事件判決があります。この事件は、極真空手の創始者である大山倍達氏の系譜をひき、「極真」の標章を使用していたグループ内の特定の者が商標権を取得し、他の者に行使した事件のひとつで、「極真」の語に信用を化体させた大山倍達氏が故人となった後に争われたものでした(その後の同種事件については、こちらもご覧ください。)。

上記のような事情のもと、判決は、商標を使用してきたグループの中の特定の者が独占権を有するには、「表示の周知性・著名性の獲得がほとんどその特定の者に集中して帰属しており、グループ内の他の者は、その者からの使用許諾を得て初めて当該表示を使用できるという関係にあることを要する」とし、そのような関係がない場合のグループ内における権利行使は権利の濫用にあたるとしました。

商標は、自分の商品と他人の商品、自分の役務と他人の役務を区別するために、事業者が商品又は役務につける標章である。しかるところ、複数の事業者から構成されるグループが特定の役務を表す主体として需要者の間で認識されている場合、その中の特定の者が、当該表示の独占的な表示主体であるといえるためには、需要者に対する関係又はグループ内部における関係において、その表示の周知性・著名性の獲得がほとんどその特定の者に集中して帰属しており、グループ内の他の者は、その者からの使用許諾を得て初めて当該表示を使用できるという関係にあることを要するものと解される。そして、そのような関係が認められない場合には、グループ内の者が商標権を取得したとしても、グループ内の他の者に対して当該表示の独占的な表示主体として商標権に基づく権利行使を行うことは、権利濫用になるというべきである。

この判決は、商標に信用を化体させた者とそうでない者の対比が明確なPOPEYE事件とは異なり、すでに商標に信用が化体した状態でともに同一の商標を使用している者らのグループ内において、その中の特定の者が商標登録を受けたとしても、グループ内の他者に権利行使をするのは権利濫用にあたるとしたものといえます。

DHC-DS事件判決

信用の化体に加えて、権利取得の経緯も重視した事案としては、東京地判平成27年11月13日平成27年(ワ)第27号DHC-DS事件判決があります。この事件は、被告が、古くから、バッテリーテスターなどの商品につき、各国で「DHC」の商標を使用し、国内では「DHC-DS」との商標を使用していたのに対し、原告は、被告との商標にかかる交渉が暗礁に乗り上げてから、バッテリーテスターについて「DHC-DS」の商標権を取得し、行使した、という事案です。判決は、被告が古くからDHCの商標を使用していることや、原告からの警告を受け、当初使用していた「DHC JAPAN」の商標の使用を中止して「DHC-DS」に変更したこと、「DHC-DS」の使用において、「DHC」の部分が特に強調されているわけでもないことなどを指摘するほか、以下のとおり述べ、当該権利行使は権利の濫用にあたるとしました。

原告は、「化粧品、健康食品、食品、医薬品、遺伝子検査キット、アパレル等」の商品を販売する会社であって(原告自身、訴状ではこのように説明していた。)、不使用取消審判でも指摘されたように「電気磁気測定器の小売」を行ったことはなく、ましてやバッテリーテスターの製造・販売を行ったこともない。しかるに、原告は、被告の使用する標章をめぐって交渉を積み重ねている中で、被告が譲歩を示して、当初原告から商標権の侵害であるとして使用の中止を求められた「DHC JAPAN」を「DHC-DS」という標章に変更してこれを使用していることを十分認識しながら、被告との交渉が条件が折り合わず暗礁に乗り上げたとみるや、自らの標章につき不使用取消審判を受けているにもかかわらず、あえて被告の使用していた「DHC-DS」の文字につき、指定役務にわざわざバッテリーテスターを含めた上で、原告商標として出願し、その登録を得ると、直ちにこれを被告に対して行使したことが認められる。
以上の諸事情に照らせば、原告が、被告に対し、原告商標権に基づいて被告各標章の使用の差止めを求めるとともに、被告各標章を付した商品の廃棄等を求めることは、権利の濫用に当たり、許されないものといわざるを得ない。

この判決は、権利の濫用を認めるにあたり、権利取得の経緯ないし目的が正当なものかを考慮したものといえるでしょう。

エマックス事件判決

最近になって最高裁判所が商標権行使について権利濫用の抗弁を認めた例としては、最三判平成29年2月28日平成27年(受)第1876号エマックス事件判決があります。この事件は、商標法上の登録無効審判の除斥期間経過後は商標法39条が引用する特許法104条の3第1項の登録無効の抗弁は主張できないとしつつ、以下のとおり述べ、「登録商標が自己の業務に係る商品等を表示するものとして当該商標登録の出願時において需要者の間に広く認識されている商標又はこれに類似する商標である」場合に、自己に対する権利行使は権利の濫用になるとの考え方を示しました。

登録商標が商標法4条1項10号に該当するものであるにもかかわらず同号の規定に違反して商標登録がされた場合に,当該登録商標と同一又は類似の商標につき自己の業務に係る商品等を表示するものとして当該商標登録の出願時において需要者の間に広く認識されている者に対してまでも,商標権者が当該登録商標に係る商標権の侵害を主張して商標の使用の差止め等を求めることは,特段の事情がない限り,商標法の法目的の一つである客観的に公正な競争秩序の維持を害するものとして,権利の濫用に当たり許されないものというべきである(最高裁昭和60年(オ)第1576号平成2年7月20日第二小法廷判決・民集44巻5号876頁参照)。
(略)
商標法4条1項10号該当を理由とする商標登録の無効審判が請求されないまま商標権の設定登録の日から5年を経過した後であっても,当該商標登録が不正競争の目的で受けたものであるか否かにかかわらず,商標権侵害訴訟の相手方は,その登録商標が自己の業務に係る商品等を表示するものとして当該商標登録の出願時において需要者の間に広く認識されている商標又はこれに類似する商標であるために同号に該当することを理由として,自己に対する商標権の行使が権利の濫用に当たることを抗弁として主張することが許されると解するのが相当である。

この判決は、やはり、商標に誰の信用が化体しているかを問題にしつつ、キルビー特許事件判決と同様、権利濫用の枠組みを用いながらも、商標法4条1項10号違反という一定の要件を充足する場合に、登録無効審判の除斥期間経過後においても侵害訴訟における抗弁が成立することを示したものといえます。

事案の概要

経緯

本件は、被告Yの妻であった原告が、被告Yと、被告Yが営む被告会社を相手取って提起した訴訟です。被告Yは、平成19年以降、「GALLERY ART POINT」という商号で都内の貸画廊を営んでおり、平成26年に原告と知り合いました、原告は、それ以前に画廊での勤務経験はなく、また業務知識もありませんでしたが、被告Yと知り合ったことを機に同画廊の営業を補助するようになりました。

原告と被告Yは、翌平成27年に結婚し、原告は、それまで勤めていた勤務先を退職し、画廊の業務に専念するようになりました。また、平成29年には、原告と被告Yの双方が賃借人となって家主であるマルナカホールディングスから新たに店舗を借り、そこに画廊を移転しました。

しかし、両者は、平成30年から別居し、調停を経て、令和2年8月には裁判上の離婚が成立しました。その過程で、平成30年1月ころから、両者間には、共同で店舗を賃借している画廊「GALLERY ART POINT」を交互に使用するようになっていました。

また、原告は、両者の関係が悪化した後に「GALLERY ART POINT」の文字を含む商標の登録出願をして登録を受けており、被告Yもまた、原告の行動に気づき、「GALLERY ART POINT」の文字を含む商標の登録出願をし、いずれも登録を受けています。

原告と被告Yの商標登録は、以下のとおりで、商標については、若干のフォントの相違などはあるものの、きわめて類似したものとなっています。

【原告商標】
登録番号 第6086526号
出願日  平成30年1月30日
登録日  平成30年10月5日
登録商標
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商品及び役務の区分・指定役務
第35類   広告物の制作、広告用及び販売促進用の広告文の作成、広告、画廊による美術品の小売の業務において行われる顧客に対する便益の提供
第41類   絵画及び美術品の展示、絵画及び美術品の貸与

【被告商標】
登録番号 第6195500号
出願日  平成30年11月1日
登録日  令和元年11月8日
登録商標

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商品及び役務の区分・指定役務
第35類  商取引の媒介・取次ぎ又は代理、商品の売買契約の仲介・代行、商品 の売買契約の仲介に関する情報の提供、展示施設の提供に係る事業の 運営

登録番号 第6151134号
出願日  平成30年10月29日
登録日  令和元年6月7日
登録商標

画像3

商品及び役務の区分・指定役務
第43類  展示施設の貸与

本件は、これらの登録商標に基づき、双方当事者が相手方に対して商標権を行使した事案です(他にも多岐にわたる請求原因が主張されていますが、本稿では省略します。)。

なお、訴訟において、原告は、被告Yから画廊の営業権の譲渡を受けたとの主張をしていましたが、その証拠として提出された文書について、成立の真正、つまり、被告Yの意思によって作成されたものであることの証明がないとされ、同主張が排斥されています。

原判決

原判決は、下記のとおり述べ、まず、原告の請求について、本件商標には原告独自の信用が化体しておらず、それが正当に帰属すべきは被告Yであったことや、原告が営業譲渡によって被告Yから権利を譲り受けたとの主張は認められないことから、原告の権利行使は権利の濫用にあたると判示しました。

・・・原告商標は被告ら標章1と同一であること,被告Yは,遅くとも,母であるDが亡くなった平成19年以降,本件商号を用いて貸画廊を運営しており,平成21年以降は,被告ら標章1を使用していたこと,原告において本件営業譲渡契約が締結されたと主張する平成27年2月当時,本件商号及び被告ら標章1には原告独自の信用が化体しておらず,むしろ,それらが正当に帰属すべきは被告Yであったと認められる。

これに対し,原告は,本件営業譲渡によって,被告Yから本件商号を含め本件画廊に関する全ての権利を譲り受けていると主張するが,前記1のとおり,本件営業譲渡契約の成立は認められないから,平成30年1月30日の原告商標の登録出願がされた時点においても,本件商号及び被告ら標章1に原告独自の信用が化体していたとは認められず,これらが正当に帰属すべきは被告Yであったと認めるのが相当である。

そうすると,原告が,被告Yに対して,原告商標権に基づく差止及び廃棄請求並びに商標権侵害による損害賠償請求を行うことは,権利の濫用に該当して許されないというべきである。また,弁論の全趣旨によれば,被告会社は,被告Yが代表者を務め,被告Yと一体になって被告ら標章1を使用しているものと認められるから,原告が,被告会社に対して,原告商標権に基づく差止及び廃棄請求を行うことも,同様に権利の濫用に該当するというべきである。

他方、被告Yの権利行使について、原告は、営業譲渡を理由に権利の濫用にあたると主張していましたが、原判決は、前提となる営業譲渡が認められないことを理由に、権利濫用の抗弁を否定しました。

原告は,本件営業譲渡の事実を権利濫用の評価根拠事実として主張するが,前記1のとおり,本件営業譲渡の事実は認められず,被告商標権1の行使について,原告の権利濫用の抗弁は理由がない。

結論として、原告の被告Yに対する商標権の行使は否定され、被告Yの原告に対する商標権の行使は肯定されました。この判決に対する控訴審の判決が、本稿で取り上げる判決です。

判旨

原告による権利行使について

原告(本判決では「1審原告」)の商標権行使が権利の濫用にあたるかを検討するに際し、判決は、まず、以下のとおり、原告による商標登録が、その権利を行使した場合に被告Y(本判決では「1審被告Y」)がかねてより継続している営業に不利益を及ぼすものであることを認識してなされたものであることを指摘しました。

・・・1審原告と1審被告Yの婚姻に至る経緯及び別居に至る経緯等によれば、1審原告は、1審被告Yが、婚姻前から、亡母Cの旧事務所の賃借人の地位を引き継いで、旧事務所で、本件商号及び被告ら標章1を使用した本件画廊の営業を行っていたこと、1審被告Yが、旧事務所の移転先の本件事務所においても本件画廊の営業を継続する意思を有していたことを十分に認識し、1審被告Yが本件商号や被告ら標章1を使用できない事態になれば、1審被告Yが大きな不利益を受けることになることを知りながら、別居直後の平成30年1月30日、被告ら標章と実質的に同一の原告商標に係る商標登録出願をしたことが認められる。

また、判決は、以下のとおり、本件の経緯に照らし、当事者間には、画廊を交互に使用し、互いの営業を妨げない義務を負っていたと認め、またその前提となる共同の賃貸借契約は存続していることを指摘しました。

また、・・・1審原告と1審被告Yは、別居後の本件事務所の使用方法、経費負担、生活費の負担、外注費の返金の要否等の交渉を通じて、同年2月までに、当面、本件賃貸借契約に基づいて共同で賃借した本件事務所を交互に使用してそれぞれが本件画廊の営業を行うことについて相互に了承し、その旨の合意をしたこと、1審原告と1審被告Yは、旧事務所から本件事務所へ移転した後、本件画廊の経営を分離した上で、別居後の上記合意に基づいて、本件事務所を1週間交代で交互に使用し、本件商号及び被告ら標章1を使用した貸画廊(本件画廊)の営業を行うようになったことに鑑みると、1審原告と1審被告Yは、1審原告及び1審被告Yの両名が賃借人として契約した本件賃貸借契約が存続する限りにおいては、別居後の上記合意に基づいて、1審原告及び1審被告Yが、本件事務所において、それぞれ本件商号及び被告ら標章1あるいは原告商標を使用した貸画廊(本件画廊)の営業を行うことを妨げてはならない旨の義務を相互に負うものと解するのが相当である。

そして、・・・当審の本件口頭弁論終結時点(口頭弁論終結日令和4年4月19日)において、マルナカホールディングスと1審被告Y及び1審原告間の本件賃貸借契約は、その契約締結後、更新されて、現に存続しているものと認められる。

さらに、判決は、以下のとおり、原告が主張する営業譲渡の事実は認められず、商標登録は、被告Yとの交渉を有利に進めるために出願されたものであって、正当なものではないと述べました。

加えて、・・・1審原告主張の本件営業譲渡契約は成立したものと認められないことに照らすと、1審原告による原告商標に係る商標登録出願は、1審原告が1審被告Yとの別居後の上記交渉を自己に有利に進める手段を得るために行われたものとうかがわれ、1審被告Yとの関係では、正当なものとはいえない。

以上を踏まえ、判決は、原告の被告Yに対する商標権行使は、権利の濫用にあたるとしました。

以上の認定事実を総合考慮すると、1審原告が1審被告Y及び1審被告Yが代表取締役を務める1審被告会社に対し、原告商標権に基づいて、被告ら各標章の使用等の差止めを求める権利行使を行うことは、信義則に反し、権利の濫用に当たり、許されないというべきである。

これに対し、原告は、原告商標には、原告独自の信用が化体しており、その行使は権利の濫用にあたらないと主張しましたが、判決は、以下のとおり述べ、画廊を交互に使用し、互いの営業を妨害しない合意があり、また、原告の商標登録は交渉を有利に進めるための手段に過ぎないものであることから、原告商標に原告独自の信用が化体しているかどうかを検討するまでもなく、原告の主張は採用できないとしました。

①1審原告と1審被告Yは、1審原告及び1審被告Yの両名が賃借人として契約した本件賃貸借契約が存続する限りにおいては、別居後の合意に基づいて、1審原告及び1審被告Yが、本件事務所において、それぞれ本件商号及び被告ら標章1あるいは原告商標を使用した貸画廊(本件画廊)の営業を行うことを妨げてはならない旨の義務を相互に負っていること、②1審原告による原告商標に係る商標登録出願は、1審原告が1審被告Yとの別居後の交渉を自己に有利に進める手段を得るために行われたものとうかがわれ、1審被告Yとの関係では、正当なものとはいえないことに照らすと、1審原告の上記主張は、原告商標に1審原告独自の信用が化体しているかどうかを検討するまでもなく、採用することができない。

被告による権利行使について

判決は、被告Yの商標登録についても、原告の商標登録に対抗するためのものであるとの前提のもと、以下のとおり述べ、画廊を交互に利用する合意のもと、互いの営業を妨害しない義務がある以上、商標権の行使は権利の濫用にあたると判断しました。

以上のとおり、1審原告と1審被告Yは、1審原告及び1審被告Yの両名が賃借人として契約した本件賃貸借契約が存続する限りにおいては、別居後の上記合意に基づいて、1審原告及び1審被告Yが、本件事務所において、それぞれ本件商号及び被告ら標章1あるいは原告商標を使用した貸画廊(本件画廊)の営業を行うことを妨げてはならない旨の義務を相互に負っていることに照らすと、本件賃貸借契約が現に存続しているにもかかわらず、1審被告Yが1審原告に対し、被告各商標権に基づいて、原告各標章の使用等の差止めを求める権利行使を行うことは、信義則に反し、権利の濫用に当たり、許されないというべきである。

この点について、被告Yは、遅くとも平成19年以降「GALLERY ART POINT」の商号を使用して画廊の営業をしてきたことから、それが被告Yの役務を指すものであることは需要者に広く認識されており、「GALLERY ART POINT」の表示が正当に帰属するのは被告Yであると主張していましたが、判決は、画廊を相互に利用し、互いの営業を妨害しない合意がある以上、需要者の認識を検討するまでもなく、この主張は採用できないとしました。

・・・1審原告と1審被告Yは、1審原告及び1審被告Yの両名が賃借人として契約した本件賃貸借契約が存続する限りにおいては、別居後の合意に基づいて、1審原告及び1審被告Yが、本件事務所において、それぞれ本件商号及び被告ら標章1あるいは原告商標を使用した貸画廊(本件画廊)の営業を行うことを妨げてはならない旨の義務を相互に負っていることに照らすと、1審被告Yの上記主張は、本件商号が1審被告Yの本件画廊の業務に係る役務を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたかどうかを検討するまでもなく、採用することができない。

結論として、判決は、いずれの商標権の行使も否定しました。

コメント

本判決は、もともと一方当事者が画廊を経営してきたことにより信用を化体させた商標を巡る争いである一方、他方当事者と対象事業を共同で経営するに至った後に、営業資産である画廊を交互に使用する合意をしたことから、同一の商標を用いる独立事業者のグループが形成されていたともいえます。また、両者の紛争が顕在化してからそれぞれ商標権を取得しており、この意味では、権利取得の経緯も特殊であったといえます。

このように、本件は、本稿で紹介した裁判例において権利の濫用の根拠事実とされてきた様々な要素が現れるものといえますが、原判決は、もともと一方当事者によって信用が化体されたことを重視して当該当事者に独占権を認めたのに対し、本判決は、それを前提としつつも、合意に基づく義務が優先されるとした結果いずれの当事者も権利行使はできないとの結論に至ったものといえます。

両判決の判断が相違した点につき、原告は、原審において、被告Yによる権利行使が権利の濫用に当たるとする根拠事実として、営業譲渡があったことしか主張していなかったという事情もあると考えられますが、結果的には、両判決を対比することにより、商標権行使における権利濫用の抗弁の判断手法を比較することができ、実務上参考になる事案となったものと考えられます。

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(文責・飯島)