大阪地方裁判所第26民事部(杉浦正樹裁判長)は、令和3年9月6日、特許権侵害訴訟を提起した特許権者が、その主張に根拠がないことを容易に知り得たのに、被告の事業展開を妨げる目的であえて訴訟提起したものとし、訴訟提起が不法行為であるとして、被告の特許権者に対する損害賠償請求を認容する判決をしました。
認容された賠償額は、弁護士費用20万円と慰謝料30万円の合計50万円でした。
ポイント
骨子
- 法的紛争の当事者が紛争の解決を求めて訴えを提起することは,原則として正当な行為であり,訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。
- 原告は,本訴で主張する権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものであることにつき,少なくとも通常人であれば容易にそのことを知り得たのに,被告による事業展開を妨げることすなわち営業を妨害することを目的として,敢えて本訴を提起したものと見るのが相当である。そうすると,原告による本訴の提起は,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められるから,被告に対する不法行為を構成する。
- 相手方の違法行為によって自己の権利を侵害された者が,自己の権利の擁護上,訴えを提起し又は応訴することを余儀なくされた場合,その弁護士費用は,事案の難易,請求額,認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り,不法行為と相当因果関係に立つ損害というべきであり,必ずしも常に不法行為の被害者が現実に支払い,又は負担した弁護士費用等債務の全額に及ぶものではないと解される。
判決概要
裁判所 | 大阪地方裁判所 |
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判決言渡日 | 令和3年9月6日 |
事件番号 事件名 |
(本訴)令和2年(ワ)第3247号 損害賠償請求事件 (反訴)令和2年(ワ)第8842号 損害賠償請求事件 |
裁判官 | 裁判長裁判官 杉 浦 正 樹 裁判官 杉 浦 一 輝 裁判官 峯 健一郎 |
解説
不当訴訟とは
裁判を受ける権利と不当訴訟
日本国憲法32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と定め、裁判を受ける権利を国民の権利としています。そのため、裁判所に訴えた結果、敗訴したとしても、そのことによって、訴えそのものが直ちに違法行為とみなされるわけではありません。
もっとも、裁判の過程では、訴えられた相手方に対して大きな負担をかけることもあります。それが不当なものであれば、訴え提起が違法とされ、損害賠償を明示されることもあります。そのような不当な訴訟は、一般に「不当訴訟」と呼ばれます。
訴えの提起が違法とされる基準
どのような場合に訴えが違法とされるかという基準を示したのは、最三判昭和63年1月26日昭和60年(オ)第122号民集42巻1号1頁です。
最高裁判所は、この判決の中で、裁判を受ける権利を最大限尊重し、裁判制度の利用を不当に制限してはならないとしつつ、応訴の負担の大きさから、訴えの提起が違法になることはあるとし、以下のとおり、「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるとき」には訴えの提起が不法行為になり得るとしました。
民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。けだし、訴えを提起する際に、提訴者において、自己の主張しようとする権利等の事実的、法律的根拠につき、高度の調査、検討が要請されるものと解するならば、裁判制度の自由な利用が著しく阻害される結果となり妥当でないからである。
上述のとおり、昭和63年最判は、不当訴訟が認められる具体的状況として、「提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起した」場合をあげています。
この判決については、こちらでも詳しく解説しています。
権利行使と不正競争行為
今回紹介する事件のテーマからは離れますが、特許権侵害訴訟で原告が敗訴した後に勝訴した被告から損害賠償が請求される理由としては、不正競争防止法上の虚偽事実の告知に基づくものが見られます。この問題を巡っては、どのような場合に違法とされるのか、また、どのような事実がどのような要件で議論されるのかをめぐって裁判例が揺れており、留意を要するところです。この問題については、こちらをご覧ください。
敗訴者の弁護士費用負担
訴訟で敗訴した当事者が、勝訴した相手方の弁護士費用を負担する義務があるかは、国によって法制度が異なります。我が国では、敗訴者負担制度は採用されておらず、原則として、訴訟追行に要した弁護士費用は、各当事者の負担とされています。
もっとも、最一判昭和44年2月27日昭和41年(オ)第280号民集23巻2号441頁は、以下のとおり述べ、故意または過失によって権利を侵害された場合には、不法行為に基づく損害賠償請求の一部として、「事案の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内」で弁護士費用を請求することができる旨判示しています。
わが国の現行法は弁護士強制主義を採ることなく、訴訟追行を本人が行なうか、弁護士を選任して行なうかの選択の余地が当事者に残されているのみならず、弁護士費用は訴訟費用に含まれていないのであるが、現在の訴訟はますます専門化され技術化された訴訟追行を当事者に対して要求する以上、一般人が単独にて十分な訴訟活動を展開することはほとんど不可能に近いのである。従つて、相手方の故意又は過失によつて自己の権利を侵害された者が損害賠償義務者たる相手方から容易にその履行を受け得ないため、自己の権利擁護上、訴を提起することを余儀なくされた場合においては、一般人は弁護士に委任するにあらざれば、十分な訴訟活動をなし得ないのである。そして現在においては、このようなことが通常と認められるからには、訴訟追行を弁護士に委任した場合には、その弁護士費用は、事案の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り、右不法行為と相当因果関係に立つ損害というべきである。
現在の裁判実務では、特許権侵害訴訟を含む不法行為訴訟においては、認容された損害額の1割が弁護士費用として認められるのが通例となっています。
事案の概要
本訴訟の原告は、漏水探査等水道に関するコンサルタント業務を行う会社で、特許第 6331164 号「水道配管における漏水位置検知装置」にかかる特許権者でした。他方、被告は、原告の元従業員で、平成22年に原告を退職した後は、個人で漏水探査等を目的とする業務を行っていました。
原告は、被告が独立開業し、原告と被告とが競合した自治体の業務を被告が落札したことをきっかけに、被告に対し、原告の工法を無断使用しているなどとして、直接非難したり、漏水調査協会に対して質問形式で被告の業務を問題視するような書面を送付したりしていました。
このような流れの中で、原告は、被告に対し、特許権侵害訴訟を提起しましたが、原告は、訴え提起までに、被告が用いていた具体的な工法を把握すらしていなかったことが伺われる状況でした。
また、判決文を見る限り、結論的にも、およそ文言侵害が認められる余地はなく、また、均等侵害の主張もなされていたものの、判決において「主張自体失当」、すなわち、原告の主張する事実が全て証拠上認められたとしてもなお侵害が認められないという、法的に無意味な主張であったとの認定がなされています。
このような訴訟提起を受けて、被告は、原告に対し、不当訴訟を理由とする損害賠償請求として、慰謝料300万円及び弁護士費用199万1000円の合計499万1000円の支払いを求める反訴を提起しました。
判旨
不当訴訟について
判決は、まず、以下のとおり、昭和60年最判を引用し、訴え提起が不当訴訟と認められる場合の基準を示しました。
法的紛争の当事者が紛争の解決を求めて訴えを提起することは,原則として正当な行為であり,訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である(最高裁昭和60年(オ)第122号同63年1月26日第三小法廷判決・民集42巻1号1頁参照)。
その上で、判決は、原告による侵害訴訟の提起は、原告が被告の行動を問題視してきた一連の行動の一環であると認定しました。
原告は,被告が原告を退職して独立開業した後,本訴の提起に至るまでの間,被告が門川町の業務を落札したことを契機に,被告の事業活動を問題視するようになり,被告の使用する工法が原告の「エア加圧工法」を無断で使用するものであるなどとして,刑事告訴の可能性にも言及するなどしつつ,被告に対して直接非難する趣旨を含む書面を送付した。他方で,原告は,漏水調査協会に対しても,有資格者名簿に被告が記載されていることにつき,質問の形式を取りながら,これを問題視していることをうかがわせる内容の書面を送付した(しかも,原告は,本訴提起後も改めてこのような行為に及んでいる。)。さらに,本件特許権の設定登録後には,「エア加圧工法」につき特許権を取得したとの前提ではあるものの,被告の行為は特許権侵害にあたるとして,技術使用料の支払を重ねて求めたものである。
こうした経過を経て本件の本訴が提起されたことを踏まえると,本訴の提起も,被告がその事業上実施する工法を原告が問題視して行った一連の行動の一環として行われたものと理解される。
また、判決は、原告が、侵害訴訟提起に先立ち、被告の行為が特許権侵害に該当するかについて、十分な調査もしていなかったことを認定しました。
他方,原告と被告との一連のやり取りにおいて,原告は,被告から「特許侵害等の法を犯す工法ではありません」などと反論されたこともあるにもかかわらず,被告の使用する工法等が原告の特許権を侵害するものと考える理由に言及したことはなく,また,被告が使用する漏水探査方法の具体的内容やこれに使用する装置について質問等をしたのも,平成30年2月7日付け「最後通告書」におけるものが初めてである。加えて,本件における原告の主張立証活動,就中,原告自身が「裁判を提訴するまで,被告の行って居る工法につては,知る由は無かった。」とし,実際,被告が主張する被告装置の構成等を前提として主張立証を行っていることに鑑みると,原告は,本訴の提起に先立ち,被告の使用する漏水探査方法やこれに使用する装置に関する調査等を自ら積極的には必ずしも行っていなかったことがうかがわれる。
以上の事実関係及び本件において権利の抵触が認められないことを前提に、判決は、原告が、原告の主張に理由がないことについて容易に知り得たのに、営業妨害目的で訴訟提起したとの認定をし、訴え提起は不法行為にあたる、すなわち、不当訴訟であるとしました。
このような本訴の提起に至る経緯や訴訟の経過等に加え,前記のとおり,被告装置につき本件各発明の技術的範囲に属さないことに照らすと,原告は,本訴で主張する権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものであることにつき,少なくとも通常人であれば容易にそのことを知り得たのに,被告による事業展開を妨げることすなわち営業を妨害することを目的として,敢えて本訴を提起したものと見るのが相当である。
そうすると,原告による本訴の提起は,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められるから,被告に対する不法行為を構成する。これに反する原告の主張は採用できない。
損害について
損害について、判決は、まず、最高裁判所の判決を引用し、違法行為によって弁護士費用の負担を余儀なくされた場合、「諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り」賠償請求が認められるとの判示をしました。
相手方の違法行為によって自己の権利を侵害された者が,自己の権利の擁護上,訴えを提起し又は応訴することを余儀なくされた場合,その弁護士費用は,事案の難易,請求額,認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り,不法行為と相当因果関係に立つ損害というべきであり,必ずしも常に不法行為の被害者が現実に支払い,又は負担した弁護士費用等債務の全額に及ぶものではないと解される(最高裁昭和41年(オ)第280号同44年2月27日第一小法廷判決・民集23巻2号441頁参照)。
その上で、判決は、以下のとおり、本件では、相当因果関係のある弁護士費用は20万円であるとしました。
証拠(乙14,16)及び弁論の全趣旨によれば,被告は,本件において,本訴に応訴するため,被告訴訟代理人との間で委任契約を締結し,これに基づき,着手金60万5000円(消費税込)を既に支払い,また,本訴に係る原告の請求が全部棄却された場合は,今後,報酬金として138万6000円(消費税込)を支払う見込みであることが認められる。本件の事案の内容や審理経過,その他本件に顕われた一切の事情を考慮すると,被告が負担する上記弁護士費用のうち,本訴の提起という原告の不法行為と相当因果関係のある費用は,20万円と認めるのが相当である。
また、慰謝料については、30万円をもって相当としました。
前記(2(1))認定に係る本訴の提起に至る経緯を踏まえつつ,本件の事案の内容や審理経過,その他本件に顕われた一切の事情を考慮すると,本訴の提起により被告が被った精神的苦痛に対する慰謝料については,30万円をもって相当と認める。
結論
以上の認定判断の結果、判決は、特許権侵害にかかる原告の請求を棄却するとともに、原告に対し、50万円を被告に支払うよう命じました。
コメント
本件は、およそ特許権侵害が成立する余地がなかったことや、訴え提起までの事実経過に照らして不当訴訟との認定がなされた事案であり、通常の特許実務において問題となる事例ではありませんが、根拠のない嫌がらせに対する対抗手段としては参考になるでしょう。
他方において、本件において認容された損害賠償額はごく低額であり、また、企業が当事者となる場合には慰謝料請求もできません。もともとこの訴訟で請求されていた弁護士費用が特許権侵害訴訟の弁護士費用としては低額であったこともありますが、露骨な嫌がらせ訴訟に対する損害賠償額については、裁判を受ける権利との兼ね合いも考えつつ、どのような額が適正か、議論されることが望まれます。
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(文責・飯島)