経済産業省と特許庁は、令和3年3月、「研究開発型スタートアップと事業会社のオープンイノベーション促進のためのモデル契約書ver1.0」(以下「本モデル契約書」といいます。)の「AI編」を公表しました。これは、令和2年6月に公表された本モデル契約書「新素材編」に続くものです。

本モデル契約書のAI編は、スタートアップと事業会社との間のオープンイノベーション促進の観点に立った秘密保持契約書、技術検証(PoC)契約書、共同研究開発契約書、及び利用契約書のひな形と、それらの逐条解説から構成されます。

本モデル契約書は、スタートアップのみならず、スタートアップと協業を行う大企業等の事業会社にとっても、両社の協業を円滑に進めて成果を上げるための参考になると思われます。

既に新素材編を「研究開発型スタートアップと事業会社のオープンイノベーション促進のためのモデル契約書ver1.0の公表について 」でご紹介したのに続き、本稿ではAI編のうち秘密保持契約書と技術検証(PoC)契約書をご紹介します。

ポイント

本モデル契約書AI編の秘密保持契約書

  • 本モデル契約書AI編の秘密保持契約書は、スタートアップが保有するAI技術について事業会社の事業への導入可能性を検討するにあたって締結される秘密保持契約のモデル契約を示すものです。
  • 秘密情報の範囲については、提供されるデータを秘密情報に該当するものとしてあらかじめ契約書別紙で特定し、その他の情報は秘密である旨の表示をすることで秘密情報と取り扱われるものとしています。
  • スタートアップと事業者間で検討が開始された事実を公表可能とする規定が設けられています。
  • 技術検証(PoC)等、次の段階へ進むかどうかを決定する期限を設けています。

本モデル契約書AI編の技術検証(PoC)契約書

  • 本モデル契約書AI編の技術検証(PoC)契約書は、スタートアップが保有するAI技術について事業会社の事業への導入可能性をさらに詳細に検証するための契約のモデル契約を示すものです。
  • 技術検証として行う作業内容、データ提供期限、成果物の提出期限と対価を明確に取り決めています。
  • 成果物である報告書と技術検証遂行に伴い生じた知的財産権はスタートアップに帰属するものとしています。
  • 技術検証が開始された事実を公表可能とする規定が設けられています。
  • 共同研究開発等の次の段階へ進むかどうかを決定する期限を設けています。

解説

本モデル契約書の作成経緯

本モデル契約書のAI編は、新素材編とは技術分野を異にするAI分野の事例のモデル契約書として作成されました。

本モデル契約書の新素材編とAI編は、公正取引委員会と経済産業省による「スタートアップとの事業連携に関する指針」でも参照されています。同指針については「公正取引委員会・経済産業省「スタートアップとの事業連携に関する指針」について 」でご紹介しています。

本モデル契約書の特徴

本モデル契約書の最大の特徴は、研究開発型スタートアップと事業会社との間の仮想の取引事例を設定し、その進展に即した4つのモデル契約書を提示していることです。このことにより、各モデル契約書とその逐条解説において、分かりやすさと具体性を生み出しています。

AI編では次の4つのモデル契約書が提示されています。
・秘密保持契約書
・技術検証(PoC)契約書
・共同研究開発契約書
・利用契約書

本モデル契約書の逐条解説では、スタートアップがその特性上、これらの技術関連契約にあたって特に留意すべき点が各所に示されています。こうした留意点は、スタートアップにとっては大いに参考とすべきものです。

それらは同時に、スタートアップと協業しようとする事業会社にとっても、スタートアップの立場や考え方を理解するうえで有用な視点であり、本モデル契約書及びその逐条解説にはスタートアップとの協業を成功させるヒントが散りばめられているといえます。

本モデル契約書のAI編ではさらに、AI技術分野に特徴的な点を考慮した規定及び解説がなされています。

以下、AI編のうち秘密保持契約書と技術検証(PoC)契約書について、その基礎となった取引事例における想定シーンの骨子及びポイントと思われる点をご紹介します。

秘密保持契約書

本モデル契約書AI編の秘密保持契約書(以下「モデル秘密保持契約書(AI)」といいます。)における想定シーンは、大要次のようなものです。

  • スタートアップ X社(以下「X社」)は、動画・静止画から人物の姿勢をマーカーレスで推定する高度なAI技術を持っており、人体の姿勢推定機能を有する独自開発の学習済みモデル(ベースモデル)を保有している。
  • 介護施設向けリハビリ機器メーカーY社(以下「Y社」)は、介護施設にお ける被介護者の見守り用に高度な機器を有するカメラシステム(見守りカメラシステム)の製造販売を検討している。
  • Y社から問い合わせを受けたX社は、Y社が既に保有している高齢者の居室内の動画データのうち少量をサンプルデータとして受領し、X社の保有するベースモデル(既存の学習済みモデル)がY社の介護事業における見守り業務へ導入可能であるかどうかについて検討することとなった。
  • この検討は、X社のベースモデルにY社が保有するデータを入力することによって得られた出力結果をアセスメントするのみで、X社のベースモデルの学習を行うことを目的とするものではない。
  • この検討のため、まず両社の間で秘密保持契約を締結する運びとなった。
秘密情報の範囲の設定

モデル秘密保持契約書(AI)では、主として事業会社が情報の開示側となり、主としてスタートアップが情報の受領側となります。これは、本モデル契約書の新素材編における秘密保持契約書(以下「モデル秘密保持契約書(新素材)」といいます。)と異なる点です。

逐条解説では、リソースが不足しがちなスタートアップの場合、情報管理のコストと秘密保持義務違反のリスクを軽減するべく、秘密情報の範囲を可能な限り絞って明確にしておくことが望ましいと説明されています 。*1

これを受けてモデル秘密保持契約書(AI)では、秘密情報の定義・範囲として、秘密である旨の表示や通知があることを要件としつつ、Y社がX社へ提供する対象データについては、当該表示等がなくても秘密情報に該当するものとして契約書別紙に限定列挙する方法をとっています。

スタートアップにおける情報公開の必要性

モデル秘密保持契約書(AI)では、X社が保有するAI技術をY社の介護事業における見守り業務へ導入する可能性の検討が開始された事実を、相手方の事前承諾なく公表可能とすることが定められています。

モデル秘密保持契約書(新素材)でも同様でしたが、これはスタートアップに必要となる情報公開の要請を考慮するものです。

ビジネスの状況を投資家に報告したり、顧客への導入検討が開始された事実を公表したりすることは、スタートアップの資金調達や成長において重要です。そのため、それを行うと契約違反になってしまわないかどうかを迷わないで済むように契約書を作成しておくべきといえます。

期限の目途の定め

モデル秘密保持契約書(AI)では、技術検証(PoC)契約又は共同研究開発契約の締結に向けて両当事者が最大限努力する旨を定めると共に、Y社はX社に対し、それらの契約を締結するか否かについて本契約締結後2か月を目途に通知することを定めています。

モデル秘密保持契約書(新素材)でも同様でしたが、これは事業展開や他社との協業を迅速に行うべきスタートアップの特性上、重要な視点です。

次のステージに進むかどうかを決定する期限の目途を作っておくことは、状況をあやふやなまま放置せず、無用の紛争の発生を避ける意味で、事業会社の側にもメリットがあると思われます。

技術検証(PoC)契約書

技術検証(PoC)契約とは、共同研究開発段階に移行するか否かを検討する前提として、スタートアップの保有している技術の開発可能性・導入可能性などを検証するための契約です 。*2

本モデル契約書AI編の技術検証(PoC)契約書(以下「モデルPoC契約書(AI)」といいます。)における想定シーンは、大要次のようなものです。

  • 秘密保持契約の締結後、機器メーカーY社からスタートアップX社へ情報開示がなされた。
  • その結果、Y社の担当者としては、X社のベースモデルを用いた製品開発を進めたい意向であったが、予算獲得のために社内の説明資料が必要であるとして、まずは技術検証(PoC)を行いたという意向であった。
  • 技術検証の概要は、Y社からX社へさらに学習用データを提供した後、X社が自社のベースモデルに同データを用いた学習を行うことで、より高い精度の姿勢推定を行うことができる学習済みモデル(カスタマイズモデル)のプロトタイプの生成作業や、同カスタマイズモデルによる推定の精度の検証作業を実施し、検証結果を報告書にまとめてY社に提供するというものである。
  • Y社は、検査検証結果受領後、X社との共同研究開発へ移行するかどうかを決定する。
技術検証の内容、期間、対価の有無の定め

逐条解説によると、モデルPoC契約書(AI)の問題意識は、本モデル契約書の新素材編における技術検証(PoC)契約書(以下「モデルPoC契約書(新素材)」といいます。)と同様です。すなわち、次から次へと無償の技術検証を依頼されたにもかかわらず本開発には移行せず、スタートアップが技術検証のコストを回収できないといった状況が発生するケースがある、というものです 。*3

これを防止するためには、曖昧な状態で進めることをせず、まず技術検証(PoC)契約を書面で締結すること、その契約において技術検証の内容、期間、対価の有無等を明記することが重要です。

このためモデルPoC契約書(AI)では、まず、技術検証として行う作業内容、成果物である報告書の納期と対価を明確に取り決めています。

また、Y社のデータ提供期限、X社の報告書提出期限を明確にするとともに、「データ提供から●日以内」などと両者をリンクさせています。これは、データ提供が遅れた場合も必要な検証期間を確保するためです。

知的財産権の帰属

モデルPoC契約書(AI)の問題意識としては、PoCの過程で得られた知見について、相手方に対して譲渡を強要されたり、無断で出願されてしまったりするなどの紛争が生じるケースもあることも指摘されています 。*4

そこでモデルPoC契約書(AI)では、モデルPoC契約書(新素材)と同様、技術検証の作業主体がスタートアップであることを前提に、報告書と検証遂行に伴い生じた知的財産権をスタートアップに帰属させています。なお、事業会社又は第三者が従前から保有している知的財産権はそのまま留保されることと、事業会社による報告書の使用、複製、改変が許諾されることも定められています。

技術検証の作業主体がスタートアップである場合、技術検証の過程で生じた知的財産権をスタートアップに帰属させることに合理性があるとも考えられますが、ケースバイケースでもあります。

いずれにせよまず大事なことは、こうした知的財産権の帰属に関してうやむやのまま技術検証を始めずに、あらかじめ取り決めておくことだと考えられます。

このように技術検証も権利義務関係を明確にしながら進めることが、スタートアップのみならず、スタートアップと協業しようとする事業会社にとっても、無用の紛争の発生を防ぐために重要であるといえます。

スタートアップにおける情報公開の必要性

モデルPoC契約書(AI)では、同契約書における秘密保持条項にかかわらず、X社とY社の間で技術検証が開始された事実を公表できることが定められています。この点は、モデルPoC契約書(新素材)でも同様に定められていました。

このような定めを置く趣旨は、モデル秘密保持契約書(AI)と同様です。逐条解説では、スタートアップにとって、自社技術が事業会社への導入の技術検証(PoC)の段階まで進んだとの事実は投資家やユーザーに対する効果的なPR材料になる場合が多いとも指摘されています 。*5

期限の目途の定め

モデルPoC契約書(AI)では、Y社はX社に対し、共同研究開発契約を締結するか否かの検討結果を報告書確認完了日から2か月以内に通知することを定めています。

これも、次のステップに進むかどうか未確定なままで時間が経過することを避けるための規定として設けられています。*6

共同研究開発契約書と利用契約書について

本モデル契約書AI編のうち残りの2つ、共同研究開発契約書と利用契約書については別の記事でご紹介します。

脚注
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*1 モデル秘密保持契約書(AI)(逐条解説あり)6頁

*2 モデルPoC契約書(AI)(逐条解説あり)3頁

*3 モデルPoC契約書(AI)(逐条解説あり)3頁

*4 モデルPoC契約書(AI)(逐条解説あり)3頁

*5 モデルPoC契約書(AI)(逐条解説あり)16頁

*6 モデルPoC契約書(AI)(逐条解説あり)12頁

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(文責・神田)