2021年3月29日、公正取引委員会(公取委)及び経済産業省は、スタートアップと連携事業者との間であるべき契約の姿・考え方を示すことを目的として「スタートアップとの事業連携に関する指針」(以下「本指針」といいます)を公表しました。本指針は、NDA(秘密保持契約)、PoC(技術検証)契約、共同研究契約及びライセンス契約という4つの契約類型に着目し、これらの契約において生じる問題事例とその事例に対する独占禁止法上の考え方を整理するとともに、それらの具体的改善の方向として、問題の背景及び解決の方向性を示したものです。本稿では、本指針について、独占禁止法上の考え方を中心に解説します。
ポイント
- スタートアップと連携事業者との間で締結されるNDA(秘密保持契約)、PoC(技術検証)契約、共同研究契約及びライセンス契約の各契約類型について、公取委「スタートアップの取引慣行に関する実態調査報告書」に基づく事例及び独占禁止法上の考え方とともに、取引上の課題と解決方針が示されています。
- 問題となり得る連携事業者の行為が該当し得る違反類型としては、優越的地位の濫用が中心となっています。
- 本指針に掲げられた問題となり得る事例は、あくまで問題と「なり得る」ものであり、独占禁止法上の要件を満たせば優越的地位の濫用等として独占禁止法上問題となるというものです。
- スタートアップや連携事業者は、本指針の事例と同様の事例に直面したときは、本指針の内容等を踏まえて優越的地位の濫用等の成否を具体的に検討することが求められます。
解説
経緯
公取委は、2019年6月14日に公表した「製造業者のノウハウ・知的財産権を対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査報告書」において、スタートアップ(同報告書上の表現は「ベンチャー企業」)に関する事例や意見も多く寄せられたことに注目し、スタートアップを巡る取引環境に懸念を示していました(拙稿「公正取引委員会『製造業者のノウハウ・知的財産権を対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査報告書』について」参照)。
そこで、公取委は、幅広い業種におけるスタートアップの取引慣行の実態を明らかにするための調査を開始し、2020年11月27日、「スタートアップの取引慣行に関する実態調査報告書」(以下「実態調査報告書」といいます)を公表しました。実態調査報告書では、アンケート調査及びヒアリング調査に基づく60の問題事例とそれらに対する独占禁止法上の考え方が紹介され、調査結果を踏まえたガイドラインを作成すると述べられていました。そのガイドラインに当たるものが本指針です。
同年12月23日、本指針の案が意見公募手続に付され、提出された意見も踏まえて案の一部を修正し、2021年3月29日、本指針の公表に至りました。
なお、実態調査報告書では、連携事業者との取引・契約だけでなく、出資者との取引・契約も対象とされていましたが、本指針は、連携事業者との取引・契約のみを対象とするものです(成長戦略会議「実行計画」(令和2年12月1日)14頁によれば、スタートアップ企業と出資者との契約の適正化に資する方策についても検討するとのことであり、出資者との取引・契約についても、今後、具体的な方策が検討されるものと思われます)。
本指針の構成
NDA(秘密保持契約)、PoC(技術検証)契約、共同研究契約及びライセンス契約の各契約類型について、公取委による実態調査報告書に基づく事例及び独占禁止法上の考え方とともに、取引上の課題と解決方針が示されています。後者は、経済産業省が担当しており、「スタートアップと連携事業者の連携を通じ、知財等から生み出される事業価値の総和を最大化すること」等のオープンイノベーション促進の基本的な考え方が基礎となっています(本指針2頁)。
4つの契約類型のうち、PoC(技術検証)契約については、聞き慣れない方もいるかもしれません。本指針によれば、PoC(Proof of Concept)とは、「事業連携によって想定した機能・性能や顧客価値の実現を検証し、共同研究開発に進むことができるかを判断するためのステップ」をいい、「検証のために、最低限かつ部分的な試作品(Minimum Viable Product)やプロトタイプを製作することも想定される」ものです(本指針10~11頁)。PoCは、企業間の研究開発提携において、NDAと共同研究開発契約との中間段階に位置付けられます。
本指針に掲げられた事例はあくまでも問題と「なり得る」事例であり、個別の事案ごとの判断により、本指針に掲げられた行為が独占禁止法上の要件を満たせば、優越的地位の濫用のほか、排他条件付取引、拘束条件付取引又は競争者に対する取引妨害として問題となるというものです(本指針2頁注7)。
「スタートアップ」「連携事業者」の定義
スタートアップの定義については、実態調査報告書の内容を引用するかたちで、「成長産業領域において事業活動を行う事業者のうち、①創業10年程度であること、②未上場企業であること」と記載されています(本指針1頁注3)。また、連携事業者は、「スタートアップと事業連携を目的とする事業者」と定義され(本指針1頁)、大企業に限られません。
これらには外国事業者が含まれ、また、事業者である公的研究機関が含まれます(本指針1頁注6)。
契約類型ごとの指針
本指針では、契約類型ごとに、問題となり得る連携事業者の行為が複数掲げられ、各行為について、独占禁止法上の考え方と問題となり得る事例のほか、問題の背景及び解決の方向性の整理が記載されています。問題となり得る行為とそれが独占禁止法上のいずれの違反類型に該当し得るかの全体像は以下のとおりです。
契約類型 | 問題となり得る行為 | 該当し得る違反類型 |
---|---|---|
NDA(秘密保持契約) | ① NDA未締結での営業秘密開示の要請 | 優越的地位の濫用 |
② スタートアップにのみ義務を課す片務的NDA、契約期間が短く自動更新されないNDAの要請 | 優越的地位の濫用 | |
③ スタートアップの営業秘密の盗用(NDA違反) | 競争者に対する取引妨害 | |
PoC(技術検証)契約 | ④ PoCの成果に対する必要な報酬の不払、PoC実施後のやり直し要求やそれに対する必要な報酬の不払 | 優越的地位の濫用 |
共同研究契約 | ⑤ 連携事業者への成果の一方的帰属 | 優越的地位の濫用 |
⑥ 共同研究の大部分をスタートアップが行った場合における連携事業者への成果の単独又は共同帰属 | 優越的地位の濫用 | |
⑦ 成果に基づく商品・役務や共同研究の経験を活かして新たに開発した成果に基づく商品・役務の販売先制限 | 排他条件付取引又は拘束条件付取引 | |
ライセンス契約 | ⑧ ライセンスの無償提供の要請 | 優越的地位の濫用 |
⑨ ライセンス技術の特許出願の制限 | 優越的地位の濫用 | |
⑩ 商品・役務の販売先制限 | 排他条件付取引又は拘束条件付取引 | |
その他(契約全体等)に係る問題 | ⑪ 顧客情報提供の要請 | 優越的地位の濫用 |
⑫ 報酬の減額、支払遅延 | 優越的地位の濫用 | |
⑬ 事業連携の成果に基づく商品・役務の損害賠償責任をスタートアップのみが負担する契約の要請 | 優越的地位の濫用 | |
⑭ 他の事業者との取引制限 | 排他条件付取引又は拘束条件付取引 | |
⑮ 最恵待遇条件の設定 | 拘束条件付取引 |
このように、該当し得る違反類型としては、優越的地位の濫用が中心となっています。以下では、優越的地位の濫用の要件に沿って、本指針の内容をもう少し詳しく見てみましょう。
優越的地位の濫用とは
前提として、優越的地位の濫用の意義について説明します。優越的地位の濫用は、独占禁止法が規制する「不公正な取引方法」の一種であり、自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して、正常な商慣習に照らして不当に、相手方に対して一定の不利益を課す行為をいいます(独占禁止法2条9項5項)。
五 自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して、正常な商慣習に照らして不当に、次のいずれかに該当する行為をすること。
イ 継続して取引する相手方(新たに継続して取引しようとする相手方を含む。ロにおいて同じ。)に対して、当該取引に係る商品又は役務以外の商品又は役務を購入させること。
ロ 継続して取引する相手方に対して、自己のために金銭、役務その他の経済上の利益を提供させること。
ハ 取引の相手方からの取引に係る商品の受領を拒み、取引の相手方から取引に係る商品を受領した後当該商品を当該取引の相手方に引き取らせ、取引の相手方に対して取引の対価の支払を遅らせ、若しくはその額を減じ、その他取引の相手方に不利益となるように取引の条件を設定し、若しくは変更し、又は取引を実施すること。
優越的地位の濫用の要件は、①優越的地位、②不利益行為、③公正競争阻害性に分けられます(「利用して」=因果関係も要件の1つですが、①と②があれば、通常は因果関係の存在も認められるので、割愛します)。
優越的地位の濫用が認められれば、公取委による排除措置命令と課徴金納付命令の対象になります(独占禁止法20条、20条の6)。
優越的地位の有無
前述のとおり、事例はあくまでも問題と「なり得る」事例であり、連携事業者がスタートアップに対して優越的地位になければ、連携事業者の行為は優越的地位の濫用に該当せず、独占禁止法違反にはなりません。
例えば①NDA未締結での営業秘密開示の要請について、本指針では、具体的には以下のとおり述べられています(本指針3~4頁。下線部は筆者による)。
取引上の地位がスタートアップに優越している連携事業者が、営業秘密が事業連携において提供されるべき必要不可欠なものであって、その対価がスタートアップへの当該営業秘密に係る支払以外の支払に反映されているなどの正当な理由がないのに、取引の相手方であるスタートアップに対し、NDAを締結しないまま営業秘密の無償開示等を要請する場合であって、当該スタートアップが、事業連携が打ち切られるなどの今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、正常な商慣習に照らして不当に不利益を与えることとなるおそれがあり、優越的地位の濫用(独占禁止法第2条第9項第5号)として問題となるおそれがある。
すなわち、上記以外の行為を含め、「スタートアップが取引先である連携事業者との取引の継続が困難になることが事業経営上大きな支障を来すため、連携事業者がスタートアップにとって著しく不利益な要請等を行っても、スタートアップがこれを受け入れざるを得ないような場合」に連携事業者の優越的地位が認められ、これが優越的地位の濫用の前提となります(本指針4頁注12)。
実態調査報告書では、「連携事業者……から『納得できない行為』を受けたスタートアップとの取引・契約においては,連携事業者……がスタートアップに対して優越的地位にあると認められる場合が多いのではないかと考えられる」と述べられていますが(実態調査報告書68頁)、あくまで個別の事案ごとに判断されます。
不利益行為の有無
優越的地位の濫用の要件としては、不利益行為であることも必要です。前記の問題となり得る行為が常に不利益行為と評価されるものではありません。
例えば⑤連携事業者への成果の一方的帰属について、本指針では、具体的には以下のとおり述べられています(本指針15頁。下線部は筆者による)。
取引上の地位がスタートアップに優越している連携事業者が、知的財産権が事業連携において連携事業者に帰属することとなっており、貢献度に見合ったその対価がスタートアップへの当該知的財産権に係る支払以外の支払に反映されているなどの正当な理由がないのに、取引の相手方であるスタートアップに対し、共同研究の成果に基づく知的財産権の無償提供等を要請する場合であって、当該スタートアップが、共同研究契約が打ち切られるなどの今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、正常な商慣習に照らして不当に不利益を与えることとなるおそれがあり、優越的地位の濫用(独占禁止法第2条第9項第5号)として問題となるおそれがある。
すなわち、連携事業者への成果の一方的帰属が常に不利益行為と評価されるものではなく、適切な対価が支払われているような場合は独占禁止法上問題となりません。上記以外の行為についても、不利益行為と評価されるか否かは個別の事案ごとに判断されます。
公正競争阻害性
優越的地位の濫用の要件としては、公正競争阻害性(公正な競争を阻害するおそれ)も必要です。本指針では、公正取引委員会「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」(平成22年11月30日・改正平成29年6月16日)と同様の立場から、公正競争阻害性の意味について「スタートアップの自由かつ自主的な判断による取引を阻害するとともに、スタートアップはその競争者との関係において競争上不利となる一方で、連携事業者はその競争者との関係において競争上有利となるおそれ」と記載されています(本指針4頁注12)。
どのような場合に公正競争阻害性が認められるかについては、上記「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」は、不利益の程度、行為の広がり等を考慮して個別の事案ごとに判断すると述べていますが、実態調査報告書がこれをスタートアップとの関係で以下のとおり具体的に説明しており(実態調査報告書69頁)、参考になります。
この点,スタートアップは,その成長がJカーブを描く点において通常の企業とは大きく異なるものであり,これが参入しているないし参入を予定している市場は,その画期的なアイデアや技術等によって飛躍的に成長する可能性のあるものであるところ,例えば,特定のスタートアップに対してしか不利益を与えていないときであっても,①当該スタートアップの事業が革新的であり,それによって将来的に当該市場が拡大する可能性が認められる場合であって,その不利益の程度が強い場合や,②スタートアップと連携事業者……が競争関係にある場合(連携事業者……が将来的に当該市場に参入することを予定するなど潜在的な競争関係にある場合を含む。)であって,その不利益の程度が強い場合には,公正な競争を阻害するおそれがあると認められやすい。また,③連携事業者……が多数のスタートアップに対して組織的に不利益を与える場合には,公正な競争を阻害するおそれがあると認められやすい。
モデル契約書
それぞれの問題となり得る事例について経済産業省が示した解決方針においては、随所で「研究開発型スタートアップと事業会社のオープンイノベーション促進のためのモデル契約書」が参照されています。このモデル契約書については、神田雄弁護士「研究開発型スタートアップと事業会社のオープンイノベーション促進のためのモデル契約書ver1.0の公表について」をご参照ください。
コメント
本指針は、あくまで独占禁止法上問題となり得る事例を紹介するものであり、実際に独占禁止法上問題となるか否かは、個別の事案ごとの判断が必要です。スタートアップと連携事業者のいずれの立場であっても、本指針の事例と同様の事例に直面したときは、独占禁止法違反だと即断するのではなく、本指針で示された独占禁止法上の考え方、関連ガイドライン、裁判・審決例等も踏まえ、優越的地位の濫用等の成否を具体的に検討することが求められます。
本指針に掲げられた問題となり得る事例は、スタートアップが関係する取引でなくても生じ得るものであり、本指針の内容は、他の取引であっても実務上参考になると思われます。
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(文責・溝上)