経済産業省と特許庁は、令和2年6月30日、「研究開発型スタートアップと事業会社のオープンイノベーション促進のためのモデル契約書ver1.0」(以下「本モデル契約書」といいます。)を公表しました。

本モデル契約書は、スタートアップと事業会社との間の共同研究開発のプロセスに沿って必要となる秘密保持契約書、技術検証(PoC)契約書、共同研究開発契約書、及びライセンス契約書の雛形並びにそれらの逐条解説を、その内容とします。

本モデル契約書は、スタートアップのみならず、スタートアップと協業を行う大企業等の事業会社にとっても、両社の協業を円滑に進めて成果を上げるための参考になると思われますので、ご紹介します。

ポイント

  • 経済産業省と特許庁が公表した本モデル契約書には、秘密保持契約書、PoC(技術検証)契約書、共同研究開発契約書、ライセンス契約書の4つがあります。
  • 本モデル契約書は、研究開発型スタートアップと事業会社との間の共同研究開発のプロセスについて仮想の取引事例を設定し、これに即したモデル契約書とその逐条解説を提示することで、具体性と分かりやすさを高めています。
  • 本モデル契約書の目的の一つには、スタートアップが不利益を被る問題事例への解決案を示すことがあります。その一方で本モデル契約書は、スタートアップと協業する事業会社にとっても、スタートアップとのトラブルを避けつつ円滑に成果を上げるために意識しておくべきポイントを示しているといえます。

解説

本モデル契約書の作成経緯

本モデル契約書は、経済産業省と特許庁により、研究開発型スタートアップと大企業等の事業会社との間に存在する法的な知見のギャップを埋め、オープンイノベーションを促進するためのツールとして作成されました。
その背景には、オープンイノベーションが進みにくい理由の一つとしてスタートアップ側の法的な知見の不足があるという、経済産業省及び特許庁の現状認識があります。

本モデル契約書の作成には、弁護士に加え、大企業、スタートアップ、大学TLO等に所属する専門家が携わりました。

本モデル契約書はまた、公正取引委員会による「スタートアップの取引慣行に関する実態調査」の中間報告で明らかになった問題事例に対する具体的な対応策を示すものでもあると説明されています。

本モデル契約書の特徴

本モデル契約書の最大の特徴は、研究開発型スタートアップと事業会社との間の共同研究開発のプロセスについて仮想の取引事例を設定し、その進展に即した以下の4つのモデル契約書を提示したことです。このことにより、各モデル契約書とその逐条解説において、分かりやすさと具体性を生み出しています。
・秘密保持契約書
・技術検証(PoC)契約書
・共同研究開発契約書
・ライセンス契約書

本モデル契約書の逐条解説では、スタートアップがその特性上、これらの技術関連契約にあたって特に留意すべき点が各所に示されています。こうした留意点は、スタートアップにとっては大いに参考とすべきものです。

それらは同時に、スタートアップと協業しようとする事業会社にとっても、スタートアップの立場や考え方を理解するうえで有用な視点であり、本モデル契約書及びその逐条解説にはスタートアップとの協業を成功させるヒントが散りばめられているといえます。

以下、各モデル契約書について、その基礎となった取引事例における想定シーンの骨子を紹介し、その後、私見に基づき各モデル契約書のポイント及び注目される点を示してコメントいたします。

秘密保持契約書

本モデル秘密保持契約書における想定シーンは、大要次のようなものです。

  • 大学発スタートアップX社(以下「X社」)が開発した新素材に、多くの企業が関心を示している。
  • 自動車部品メーカーY社(以下「Y社」)から声がかかり、共同研究を前提とした技術情報の開示等を求められた。
  • そのため、まず両社の間で秘密保持契約を締結する運びとなった。

本モデル秘密保持契約書がポイントとしている点、及び注目すべきと考えられる点は次のとおりです。

① 開示した情報について想定外の開示・使用がなされることを避けるために、開示・使用の範囲を画する概念となる当該秘密保持契約の目的を適切に限定する。
② 開示した情報を契約終了後に自由に使用されてしまうことを避けるために、契約終了後も一定期間秘密保持義務を課す。
③ 共同研究の検討が開始された事実を、相手方の事前承諾なく公表可能とする。
④ 技術検証(PoC)契約又は共同研究開発契約の締結に向けて両当事者が最大限努力する旨と共に、Y社はX社に対し、それらの契約を締結するか否かを、本契約締結後2か月を目処に通知することを定める。

コメント

スタートアップにおける情報公開の必要性

上記③は、スタートアップに必要となる情報公開の要請を考慮するものとして注目されます。

ビジネスの状況を投資家に報告したり、共同研究の検討が開始された事実を公表したりすることは、本モデル秘密保持契約書の逐条解説も指摘するとおりスタートアップの資金調達や成長において重要です。

本モデル秘密保持契約書の逐条解説ではまた、これらの報告や公表が制約されることによりスタートアップの成長可能性が閉ざされることは、スタートアップと協業しようとする事業会社にとっても望ましいことではない旨の指摘もなされています。

本モデル秘密保持契約書では、こうした情報公開の要請を考慮して、秘密保持義務の範囲を適切に設定することや、その公表が可能であることを契約書に明記することなどの方策が提案されています。

スタートアップが契約を締結するにあたっては、こうした情報公開の必要性を意識しながら、秘密保持等の要請との適切なバランスを取っていくことが大切です。

期限の目処の定めについて

上記④は、事業展開や他社との協業を迅速に行うべきスタートアップの特性上、重要な視点です。

本モデル秘密保持契約書の逐条解説によれば、上記④の問題意識は、秘密保持契約を締結したもののその後音沙汰がなく、スタートアップが他の競合企業とのアライアンスを検討する機会を逸してしまう場面も少なくないが、次回資金調達までの短期間の中で実績作りや資金繰りを成し遂げなければいけないスタートアップとしては致命傷になりかねない、というものです。

次のステージに進むかどうかを決定する期限の目処を作っておくことは、状況をあやふやなまま放置せず、無用の紛争の発生を避ける意味で、事業会社の側にもメリットがあると思われます。

技術検証(PoC)契約書

技術検証(PoC)契約とは、共同研究開発段階に移行するかの前提として、スタートアップ側の保有している技術の開発可能性などを検証するための契約です(モデル契約書ver1.0技術検証(PoC)契約書(新素材)3頁)。

本モデルPoC契約書における想定シーンは、大要次のようなものです。

  • 秘密保持契約の締結後にスタートアップX社から自動車部品メーカーY社へ情報開示がなされた。
  • その結果、Y社の担当者としては、当該新素材を用いた製品開発を進めたい意向であったが、予算獲得のために社内の説明資料が必要であるとして、まずは技術検証(PoC)を行いたという意向であった。
  • 技術検証の概要は、Y社からX社へデータを開示した後、X社は当該新素材を用いた簡易検査を行い、検査結果をレポートにまとめるというものである。
  • Y社は、検査結果受領後、X社との共同研究開発へ移行するかどうかを決定する。

本モデルPoC契約書がポイントとしている点、及び注目すべきと考えられる点は次のとおりです。

① 技術検証として行う作業内容、成果物である報告書の納期と対価を明確に取り決める。
② 共同研究開発段階への移行及び共同研究開発契約の締結へ進むよう両当事者が最大限努力する旨と、Y社はX社に対し、共同研究開発契約を締結するか否かを、報告書確認完了日から2か月以内に通知することを定める。
③ 報告書及び検証遂行に伴い生じた知的財産権はX社に帰属するものとする。

コメント

本モデルPoC契約書作成にあたっての一つの問題意識は、NDAに基づく検討の後にスタートアップが追加作業を求められるものの対価も支払われないとか、無償の技術検証を続けたものの結局その後の展開がないといった状況が発生するケースがある、という点であると思われます。

これを防止するためには、曖昧な状況で技術検証に進むことをせず、まず技術検証(PoC)契約を書面で締結すること、その契約において技術検証の内容、期間、対価の有無等を明記すること(上記①及び②)が重要です。

また、本モデルPoC契約書の逐条解説によると、上記③の前提は技術検証の作業主体がスタートアップであることです。そのような場合、上記③のように技術検証の過程で生じた知的財産権をスタートアップに帰属させることに合理性があるとも考えられますが、ケースバイケースでもあります。
いずれにせよ、まず大事なことは、こうした知的財産権の帰属に関してうやむやのまま技術検証を始めずに、あらかじめ取り決めておくことだと考えられます。

このように技術検証も権利義務関係を明確にしながら進めることが、スタートアップのみならず、スタートアップと協業しようとする事業会社にとっても、無用の紛争の発生を防ぐために重要であるといえます。

共同研究開発契約書

本モデル共同研究開発契約書における想定シーンは、大要次のようなものです。

  • 自動車部品メーカーY社は、スタートアップX社から検証レポートを受領した後社内検討を行い、X社との共同研究を行うことを決定した。
  • 共同研究開発の成果物に係る知的財産権は、X社、Y社共に自社に帰属させることを希望した。
  • 費用については、X社はY社に対し、共同研究開発に係る実費及び人件費に加えて研究成果に対する報酬を支払ってもらいたいと希望した。これに対しY社は、最終的に共同研究開発の成果を事業化した場合は何らかの報酬を支払うが、共同研究開発フェーズにおいては実費及び人件費の負担にとどめることを希望した。

    本モデル共同研究開発契約書がポイントとしている点、及び注目すべきと考えられる点は次のとおりです。

    ① 各当事者が相手方から提供された情報に依拠せずに独自に行った発明等に係る知的財産権は、その発明等をなした当事者に帰属する。
    ② 共同研究開発の成果物に係る知的財産権の帰属については、X社に単独帰属させたうえで、Y社に対して無償の独占通常実施権(ただし、独占性を持つのは一定期間、一定地域に限定する。)を許諾する。
    ③ ただし、X社に一定の経済的不安が生じた場合には、Y社はX社から研究成果に係る知的財産権の無償譲渡を受けることができる。
    ④ 費用については、実費および人件費はY社が負担する。研究成果に対する報酬は、事業化に至る前であっても、研究成果が出た時点で頭金として相当価格を支払うこととし、その後についても、商品販売までの過程にメルクマールを設定し、各時点において研究成果への対価を支払う。
    ⑤ 試作等に関連する特許を一方当事者が無断で特許出願することを防ぐために、共同研究開発の遂行過程で発明等をした当事者は、速やかに相手方にその旨を通知する義務を定める。
    ⑥ 期間については、いずれかの当事者が更新拒絶の書面通知をしない限り契約が自動的に更新する旨を定めつつ、事業会社が更新拒絶の書面通知をするためには合理的理由が必要であることとする。

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    共同研究開発の成果物に係る知的財産権の帰属について

    本モデル共同研究開発契約書は、共同研究開発契約で論点になることが多い共同研究開発の成果物に係る知的財産権の帰属について、スタートアップに帰属させつつ、事業会社には独占的通常実施権を与えるという方策を示しました。

    その一方で、事業会社の利益への配慮としては、上記③のスタートアップの経済的不安の場合の無償譲渡請求権があります(ただし、本モデル共同研究開発契約書の逐条解説において、実務上は、詐害行為取消や倒産手続上の否認権行使のリスクに注意すべき旨の説明が付記されています。)。

    それに加えて
    ・事業会社に対する当該知的財産権買取りの交渉オプションの付与
    ・独占的通常実施権の独占期間の延長
    なども、事業会社の利益への配慮として、本モデル共同研究開発契約書の逐条解説において提案されています。

    知的財産権の帰属については、このほかにも、全て両当事者の共有とする処理もありえますが、本モデル共同研究開発契約書の逐条解説においては、これは極力避けることが望ましいとされています。

    その理由は、日本の特許法の下では、共有特許権の場合、当該特許の第三者へのライセンスや共有持分の譲渡について、共有者の同意が必要となるからです。これらの制約が、スタートアップの事業戦略やEXIT戦略の足かせになるというわけです。

    仮に共有にせざるを得ない場合でも、上記弊害が生じないよう、あらかじめ契約上必要な規定を設けておくべきと指摘されています(モデル契約書ver1.0共同研究開発契約書(新素材)15頁)。

    共同研究開発契約の期間について

    上記⑥のように、本モデル共同研究開発契約書は、契約期間の終了について事業会社側に制約を設けています。

    この理由は、事業会社との共同研究開発が継続していることが、スタートアップの資金調達におけるベンチャー・キャピタル側の考慮要素となり得るため、事業会社側からの合理性のない更新拒絶を防止する趣旨とされています(モデル契約書ver1.0共同研究開発契約書(新素材)30頁)。

    スタートアップも、ステージによっては、資金調達をさほど意識しないでよい場合もありますが、資金調達を重要な経営課題とする段階にあるスタートアップにとっては、確かに上記⑥のような点も必要といえるでしょう。

    ライセンス契約書

    本モデルライセンス契約書における想定シーンは、大要次のようなものです。

    • スタートアップX社と自動車部品メーカーY社の共同研究開発の成果として、X社により特許出願がなされ、製品の量産化のめどもついた。
    • Y社は、当初想定していた製品以外の応用製品にも研究成果を活用できると考えたため、X社に対し、応用製品についても研究成果の利用許諾を得ることを求め、ライセンス契約を締結する運びとなった。

    本モデルライセンス契約書がポイントとしている点、及び注目すべきと考えられる点は次のとおりです。

    ① 応用製品については、期間や地域を限定したうえ、非独占的通常実施権を許諾する。
    ② X社は、ライセンスに基づく製品の製造、販売等が第三者の特許権等を侵害しないことを保証しない。
    ③ ライセンス料はイニシャルフィーとランニングロイヤルティを組み合わせる。
    ④ X社はY社に対し、X社の商標の非独占的通常使用権を無償で付与し、Y社は共同研究開発に関する製品に同商標を付すよう努力する。

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    ライセンスの範囲について

    上記①は、ライセンス契約における基本的事項である、ライセンスの範囲に関する取り決めです。

    本モデルライセンス契約書の逐条解説では、特にスタートアップは、特許1件当たりの重要性が比較的高いことが多いから、ライセンスの対象を過度に広く設定しないよう留意すべきと指摘されています。

    また、スタートアップと協業する事業会社にとっても、真に自社事業に必要な範囲にライセンス対象を留めるよう配慮することが、スタートアップとの中長期的な関係を築くために重要であるとも指摘されています(モデル契約書ver1.0ライセンス契約書(新素材)9頁)。

    特許権非侵害の保証について

    上記②は、これも実務上論点となりやすい、特許権非侵害の保証に関する取り決めです。

    この点、本モデルライセンス契約書の逐条解説では、ライセンサーのリスクが非常に高いことを理由に、スタートアップと事業会社の間の適切なリスク分配という観点からは特許保証までは行わないという前提で他の条件を定めることが適切と指摘されています。
    特許権非侵害の保証を行わないことにしつつ、他の契約条件で配慮してバランスを取るということだと解されます。

    スタートアップの商標の許諾について

    上記④のスタートアップの商標の無償許諾は、スタートアップのPRの目的とするもので、スタートアップのブランディングにもたらす好影響が期待されます。

    こうした措置が議論されるのも、経営基盤の弱いスタートアップとの取引ならではといえますが、スタートアップにとっては宣伝になるのはありがたいことです。

    実際は、スタートアップの商標を付すとしても、事業会社の商標と併記する、あるいはスタートアップの素材やスタートアップとの共同研究開発が当該製品に寄与している旨を記載する、といった形になると思われます。

    おわりに

    本モデル契約書と共に公表された「オープンイノベーションを促進するための技術分野別契約ガイドラインに関する調査研究」委員会の「モデル契約書 ver1.0 の公表について」と題する文書の2頁には、以下の記述があります。

    スタートアップと事業会社は、それぞれに異なる強みをもった補完関係にあるパートナーです。スタートアップは未開の市場や技術の開発に没頭できますが、経営資源が圧倒的に不足しています。事業会社は顧客やステークホルダーなど、多くの責任を背負っていますが、資金や量産体制、販売チャネルといった経営資源が豊富です。当然、両者のビジネスモデルや経営手法、成長モデルは全く異なります。それらを相互に尊重しながら、どのような規律(=契約)に従うことで、両者が中長期的な目線でWin-Winとなるかを積極的に模索する必要があります。

    本モデル契約書のような技術関連契約のみならず、およそスタートアップと事業会社との協業、連携、提携等に携わる関係者にとっては、この観点を持って臨むことが実りある成果を得るために肝要であると言えるでしょう。

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    (文責・神田)