知的財産高等裁判所第3部(鶴岡稔彦裁判長)は、令和2年(2020年)11月5日、パリ優先権を主張した国内出願にかかる発明において、基礎出願にない新規の構成が含まれていた場合であっても、直ちに優先権の効力が失われて特許が無効になるのではなく、当該構成について引用発明との関係における新規性や進歩性の有無の充足が個別に検討される必要がある旨判示するとともに、部分優先の具体的な適用手法を示す判決をしました。

パリ優先権の効力や適用要件について、いわゆる遡及効説に立ちつつ、部分優先の場合の判断手順を示したものとして参考になるため、紹介します。

なお、本稿では、パリ優先権に関する争点のみを取り上げます。

ポイント

骨子

  • (優先権主張出願にかかる発明が基礎出願にかかる発明を含み、かつ、1まとまりの完成した発明を構成している場合),パリ条約4条Fによれば,パリ優先権を主張して行った特許出願が優先権の基礎となる出願に含まれていなかった構成部分を含むことを理由として,当該優先権を否認し,又は当該特許出願について拒絶の処分をすることはできず,ただ,基礎となる出願に含まれていなかった構成部分についてパリ優先権が否定されるのにとどまるのであるから,当該特許出願に係る特許を無効とするためには,単に,その特許が,パリ優先権の基礎となる出願に含まれていなかった構成部分を含むことが認められるだけでは足りず,当該構成部分が,引用発明に照らし新規性又は進歩性を欠くことが認められる必要があるというべきである。
  • (優先権主張出願に含まれない新規の構成が複数あり、それぞれ独立した発明の構成部分となり得るものであるときは),引用発明に対する新規性,進歩性は,それぞれの構成について,別個に問題とする必要がある。

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第3部
判決言渡日 令和2年11月5日
事件番号・事件名 令和元年(行ケ)第10132号
審決取消請求事件
原審決 特許庁無効2018-800023号事件
特許番号 特許第5575340号
発明の名称 「ブルニアンリンク作成デバイスおよびキット」
裁判官 裁判長裁判官 鶴 岡 稔 彦
裁判官    上 田 卓 哉
裁判官    都 野 道 紀

解説

新規性と進歩性

特許法29条は、ある発明が特許を受けるために、その発明が、産業上利用可能な発明であることに加えて、既存の発明との関係で新規なものであり(同条1項)、また、進歩性を有することを求めています(同条2項)。

(特許の要件)

第二十九条 産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。

 特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明

 特許出願前に日本国内又は外国において公然実施をされた発明

 特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となつた発明

 特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。

上記の特許法29条1項各号に見られるように、新規性や進歩性の判断においては、「特許出願前」の発明との対比が行われます。この意味で、新規性や進歩性の判断基準時は、特許出願時ということになります。

パリ条約とは

上述のとおり、発明の新規性や進歩性の判断基準時は特許出願時ですが、例外的に、基準時が遡ることがあります。その例の一つが、パリ条約に基づくパリ優先権を主張する出願です。

知的財産権の文脈でのパリ条約とは、特許や意匠、商標といった産業財産権(工業所有権)の保護の国際調和を目的として1883年にパリで作成された条約で、その後の改正を経て、現在の我が国における正式名称は、「千九百年十二月十四日にブラッセルで、千九百十一年六月二日にワシントンで、千九百二十五年十一月六日にヘーグで、千九百三十四年六月二日にロンドンで、千九百五十八年十月三十一日にリスボンで及び千九百六十七年七月十四日にストックホルムで改正された工業所有権の保護に関する千八百八十三年三月二十日のパリ条約」となっています。現在では、主要国はすべて加盟しているといってよい条約です。

パリ条約にいう「工業所有権」には産業財産権のほかにも、種々の権利が含まれ、また、規定の内容は多岐にわたりますが、その中でも、内国民待遇の原則(第2条)、優先権制度(第4条)、各国工業所有権独立の原則(第4条の2、6条(2)、同条(3))の3つは、パリ条約の3大原則と呼ばれています。

なお、商標権など、必ずしも「工業」に関係するとは限らない権利が含まれるにもかかわらず「工業所有権」という語があてられているのは、パリ条約の原文に用いられた「propriété industrielle(仏)/industrial property(英)」に由来します。

パリ優先権とは

パリ優先権の概要

パリ優先権とは、パリ条約の3大原則の1つである優先権制度に基づく優先権で、最初にある国(第一国)で特許、実用新案、意匠、商標の出願をした場合において、その後1年(特許・実用新案)または6月(意匠・商標)の優先期間内にその発明について他国で出願をしたときは、第一国で出願後に出願にかかる発明が公知になったとしても、特許要件の充足などの点で不利益を受けないとする制度です。一般に、優先権の基礎となる第一国での出願は、「基礎出願」ないし「優先権基礎出願」と呼ばれ、基礎出願に基づいて優先権を主張して行う後の出願は、「優先権主張出願」と呼ばれます。

このパリ優先権について、パリ条約第4条A.(1)は、以下のとおり、同条約加盟国の出願人が一定期間中優先権を有することを規定しています。

A.(1)いずれかの同盟国において正規に特許出願若しくは実用新案、意匠若しくは商標の登録出願をした者又はその承継人は、他の同盟国において出願することに関し、以下に定める期間中優先権を有する。
(略)

上記規定中の「以下に定める期間」について、同条C.(1)(2)は、出願の日の翌日から、12か月(特許・実用新案)または6か月(意匠・商標)と定めています。

C.(1) A(1)に規定する優先期間は、特許及び実用新案については12箇月、意匠及び商標については6箇月とする。
(2) 優先期間は、最初の出願の日から開始する。出願の日は、期間に算入しない。
(略)

基礎出願後優先期間中に優先権主張出願をした場合、同条Bにより、他の出願や発明の公表など、「その間に行われた行為」によって「不利な取扱いを受けない」こととされています。

B.すなわち、A(1)に規定する期間の満了前に他の同盟国においてされた後の出願は、その間に行われた行為、例えば、他の出願、当該発明の公表又は実施、当該意匠に係る物品の販売、当該商標の使用等によつて不利な取扱いを受けないものとし、また、これらの行為は、第三者のいかなる権利又は使用の権能をも生じさせない。優先権の基礎となる最初の出願の日前に第三者が取得した権利に関しては、各同盟国の国内法令の定めるところによる。

パリ優先権制度の趣旨

パリ優先権制度の趣旨について、知財高判平成18年11月30日平成17年(行ケ)第10737号(「殺菌剤」事件)は、以下のとおり、出願人が、同一の発明について、同時に複数国で特許出願する負担を軽減することにあると解しています。

パリ条約による優先権は,同一の発明について複数の国に特許出願等を行う場合,翻訳等の準備や各国ごとに異なる手続が必要となり,特許出願等を同時に行うことは,出願人にとって負担が大きいため,出願人の負担の軽減を図る趣旨で設けられたものと解される。

基礎出願において参酌される記載

優先権の利益を主張することができる基礎出願における記載について、パリ条約第4条Hは、以下のとおり、優先権主張出願におけるクレームが基礎出願におけるクレームと異なっている場合であっても、基礎出願の明細書など、出願書類に記載されている場合には、優先権が認められることを規定しています。

H.優先権は、発明の構成部分で当該優先権の主張に係るものが最初の出願において請求の範囲内のものとして記載されていないことを理由としては、否認することができない。ただし、最初の出願に係る出願書類の全体により当該構成部分が明らかにされている場合に限る。

上記規定の我が国における解釈として、上記「殺菌剤」事件判決は以下のとおり述べ、優先権の利益を主張するためには、基礎出願の出願書類全体より把握される発明と優先権主張出願にかかる発明とが「実質的に同一」であることを要すると述べています。

優先権制度の趣旨に照らすと,優先権主張の対象となるためには第1国出願に係る出願書類全体により把握される発明の対象と優先権主張に係る発明の対象とが実質的に同一であることを要すると解するのが相当である。

パリ優先権の適用基準

パリ優先権の適用基準に関する従来の議論

パリ優先権の適用基準について、パリ条約第4条A.(1)は、上述のとおり、「いずれかの同盟国において正規に特許出願若しくは実用新案、意匠若しくは商標の登録出願をした」と規定するのみで、具体的な要件を示していません。また、その効果についても、「その間に行われた行為」によって「不利な取扱いを受けない」といった抽象的な規定があるにとどまります。

そのため、パリ優先権の適用要件が何か、また、その効果はどのようなものか、ということが議論されてきました。

この点について、かつては、基礎出願にかかる発明について、優先期間中に現れた証拠を排除するものであるとの考え方(証拠排除効説)と、優先権主張出願の出願日は、基礎出願にかかる発明の範囲で基礎出願の出願日に遡及したものとみなされるとの考え方(遡及効説)に分かれていたとされます。

これらのうち、証拠排除効説は、優先権主張出願における特許要件の充足を検討するに際し、基礎出願の内容と証拠とを対比して、両者に同一性が認められる場合には優先権主張出願においてその証拠を考慮すべき先行例から排除するという考え方であるのに対し、遡及効説は、基礎出願の内容と優先権主張出願における発明とを対比し、優先権主張出願における発明に新規事項が含まれないことを条件に、特許要件その他の判断基準時が基礎出願の時に遡及するという考え方です。

国内優先権とその効果

我が国の特許法41条1項は、以下のとおり、パリ条約とは別に、国内での出願に基づいて優先権を主張することも認めています。同条項に規定された優先権は、「国内優先権」と呼ばれます。

(特許出願等に基づく優先権主張)

第四十一条 特許を受けようとする者は、次に掲げる場合を除き、その特許出願に係る発明について、その者が特許又は実用新案登録を受ける権利を有する特許出願・・・であつて先にされたもの(以下「先の出願」という。)の願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲・・・又は図面・・・に記載された発明に基づいて優先権を主張することができる。(略)

 その特許出願が先の出願の日から一年以内にされたものでない場合(その特許出願を先の出願の日から一年以内にすることができなかつたことについて正当な理由がある場合であつて、かつ、その特許出願が経済産業省令で定める期間内にされたものである場合を除く。)
(略)

国内優先権については、以下の特許法41条2項において、所定の要件を満たす優先権主張出願が「先の出願の時にされたものとみなす」と定められており、明文の規定で遡及効説の考え方が採用されています。

第四十一条 (略)

 前項の規定による優先権の主張を伴う特許出願に係る発明のうち、当該優先権の主張の基礎とされた先の出願の願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲若しくは実用新案登録請求の範囲又は図面・・・に記載された発明・・・についての第二十九条・・・の規定の適用については、当該特許出願は、当該先の出願の時にされたものとみなす。

なお、国内優先権との関係で、特許庁が証拠排除効説に基づく判断手法で審理を行ったのに対し、裁判所が遡及効説に立った判断をし、審決を取り消したものとして、知財高判平成18年3月22日平成17年(行ケ)第10296号「耐摩耗性皮膜被覆部材」事件があります。

裁判例の考え方

パリ優先権については、上述の「殺菌剤」事件判決が以下のとおり述べ、基礎出願にかかる発明と優先権主張出願にかかる発明とを対比した場合に両者が実質的に同一であることを優先権主張の要件とする旨述べ、遡及効説の判断手法を採用しています。

このような優先権制度の趣旨に照らすと,優先権主張の対象となるためには第1国出願に係る出願書類全体により把握される発明の対象と優先権主張に係る発明の対象とが実質的に同一であることを要すると解するのが相当である。

また、優先権の主張適格にかかる争点に関して述べたものではあるものの、同判決は、以下のとおり、国内優先権とパリ優先権とは本質を同じくするものであるとの考え方を示し、国内優先権についての考え方がパリ優先権にも及び得ることを示唆しました。

発明が優先権主張の基礎とされた出願の明細書に記載されていた場合に,優先権主張の利益を享受させるという点において,国内優先権の主張とパリ条約に基づく優先権の主張とは本質を同じくするものである・・・

審査基準の考え方

現在の審査基準(令和2年12月改訂審査基準第V部第1章3.1.3(1))には、「対比における基本的な考え方」として以下の記載を置いているところ、この判断手法は、遡及効説に立ったものといえます。

日本出願の明細書、特許請求の範囲及び図面が第一国出願について補正されたものであると仮定した場合において、その補正がされたことにより、日本出願の請求項に係る発明が、「第一国出願の出願書類全体に記載した事項」との関係において、新規事項の追加されたものとなる場合には、パリ条約による優先権の主張の効果が認められない。

部分優先とその効果

部分優先とは

上述のとおり、優先権主張出願のクレームが、基礎出願の出願書類に記載された発明であるときは、基礎出願の後に優先権主張出願にかかる発明が公知になるなどしても、特許を受けることができます。

他方、優先権主張出願のクレームに、基礎出願の出願書類に記載された発明になかった事項が付加されることもあります。

この場合について、パリ条約4条Fは、以下のとおり、発明の単一性が維持されている限り、新規の構成が含まれることを理由としては、優先権を否認したり、拒絶査定をしたりすることはできないとしつつ、「優先権の主張の基礎となる出願に含まれていなかつた構成部分については、通常の条件に従い、後の出願が優先権を生じさせる」旨規定しています。

第4条 優先権
(略)
F.いずれの同盟国も、特許出願人が2以上の優先権(2以上の国においてされた出願に基づくものを含む。)を主張することを理由として、又は優先権を主張して行つた特許出願が優先権の主張の基礎となる出願に含まれていなかつた構成部分を含むことを理由として、当該優先権を否認し、又は当該特許出願について拒絶の処分をすることができない。ただし、当該同盟国の法令上発明の単一性がある場合に限る。
優先権の主張の基礎となる出願に含まれていなかつた構成部分については、通常の条件に従い、後の出願が優先権を生じさせる。
(略)

なお、このように、パリ条約第4条Fには、「2以上の優先権を主張する」場合と、「優先権を主張して行つた特許出願が優先権の主張の基礎となる出願に含まれていなかつた構成部分を含む」場合の2通りの状況が規定されていますが、前者は「複合優先」、後者は「部分優先」と呼ばれます。

部分優先の効果

部分優先の具体的適用に際しては、証拠排除効説と遡及効説の相違が現れますので、以下、その相違を、2つの事例をもとに説明します。

<事例1>

ある出願人が、「軸の断面が3ないし6の角を有する正多角形である鉛筆」という発明について基礎出願をし、その後優先期間内に、「軸の断面が3ないし8の角を有する正多角形である鉛筆」という発明について優先権主張出願をしたところ、基礎出願後優先権主張出願前に、第三者が軸の断面が正六角形である鉛筆の製造販売を開始した場合。

この場合、優先期間中に発売された正六角形の鉛筆は、基礎出願のクレームである「軸の断面が3ないし6の角を有する正多角形である鉛筆」に該当する一方、優先権主張出願のクレームである「軸の断面が3ないし8の角を有する正多角形である鉛筆」は、正七角形や正八角形を含むため、権利範囲が広がっています。他方、優先期間中に販売された鉛筆は、軸の断面が正六角形ですので、基礎出願に記載された発明に該当します。

証拠排除効の考え方に立った場合、優先期間中に販売された鉛筆は、基礎出願にかかる発明と同一であるため、優先権主張出願の特許要件判断における証拠から排除されます。したがって、<事例1>の優先権主張出願にかかる発明は、特許要件を充足することとなります。

他方、遡及効の考え方に立った場合、優先権主張出願は、基礎出願にかかる発明の範囲で基礎出願の時に出願されたものとみなされます。<事例1>では、優先権主張出願にかかる発明のうち、3ないし6の正多角形の鉛筆は出願時期が遡及するため、その後発売された第三者の鉛筆によって新規性が失われることはありません。

他方、基礎出願にかかる発明には、正七角形や正八角形の鉛筆が含まれません。ここで、上述のとおり、基礎出願の明細書や図面等に現れる発明も優先権主張の基礎となりますので、この場合、まず、出願時の文書のどこかに正七角形や正八角形の鉛筆が開示されていないかを検討します。そして、これらの構成の開示がない場合には、これらの部分については新規事項となり、出願時期が遡及することはなく、その後発売された正六角形の鉛筆との関係で特許要件が検討されることとなります。その結果、もし、正六角形の鉛筆から正七角形や正八角形の鉛筆を容易に想到できたと認定されれば、優先権主張出願は進歩性欠如を理由に拒絶されますし、特許後に有効性が争われた場合には、特許が取り消され、または無効にされることとなります。

その対応として、出願人ないし特許権者が特許性を維持しようとすると、補正や訂正で権利範囲を減縮することが必要になるでしょう。

なお、審査基準第V部第1章3.2.1には、<事例1>と同種の事例が例示されています。

<事例2>

事例1と同様の基礎出願及び第三者による正六角形の鉛筆の販売があった後、出願人が、「軸の断面が3ないし6の角を有する正多角形であり、一方の端に消しゴムを備えた鉛筆」について優先権主張出願をした場合。

<事例2>の場合には、優先権主張出願は、基礎出願と比較して、「消しゴム」を備えていることが新たな要件になっていますので、発明の技術的範囲が基礎出願よりも狭くなっています。

この事例の場合、証拠排除効の考え方に立てば、<事例1>と同様、優先期間中に発売された正六角形の鉛筆は先行例として考慮すべき証拠から除外されますので、さらに限定が加えられた消しゴム付きの鉛筆は特許要件を充足することになります。

他方、遡及効の考え方に立った場合、2通りの考え方があり得ます。まず、優先権主張出願にかかる発明は、基礎出願にかかる発明との間で新規事項を含むものであり、また、<事例1>の場合とは異なり、基礎出願にかかる発明を消しゴムによって限定したものとなっているため、消しゴムを備える鉛筆と備えない鉛筆に分けるといったことができず、発明全体について遡及効が認められなくなる、という理解があり得ます。この考え方に立った場合、この発明の特許要件は、原則どおり、優先期間中に販売された正六角形の鉛筆との関係で進歩性があるかという観点から検討されることとなり、仮に、その時点での技術常識などを考慮して、鉛筆に消しゴムをつけることが容易だと判断されれば、進歩性が否定されます。

遡及効説を前提とするもう1つの考え方として、パリ条約第4条F.の「特許出願人が・・・優先権を主張して行つた特許出願が優先権の主張の基礎となる出願に含まれていなかつた構成部分を含むことを理由として、当該優先権を否認し、又は当該特許出願について拒絶の処分をすることができない。優先権の主張の基礎となる出願に含まれていなかつた構成部分については、通常の条件に従い、後の出願が優先権を生じさせる。」との文言から、遡及効が生じる対象を発明の構成単位で把握し、新規事項に相当する部分について、優先期間中に新規性・進歩性が失われたといえるかを判断するという理解もあり得ます。この理解によれば、<事例2>でも、優先期間中に発売された鉛筆には消しゴムが備えられていなかったため、優先権の効力は失われず、特許性が認められることとなります。

特許無効審判と審決取消訴訟

ある特許について、当該特許にかかる発明が新規性や進歩性を欠いているなど、法律所定の瑕疵があるときは、利害関係人は、特許庁において、その特許を無効にするために、特許無効審判を請求することができます。この点について、特許法123条1項、2項は、以下のとおり規定しています。

(特許無効審判)

第百二十三条 特許が次の各号のいずれかに該当するときは、その特許を無効にすることについて特許無効審判を請求することができる。この場合において、二以上の請求項に係るものについては、請求項ごとに請求することができる。

 その特許が第十七条の二第三項に規定する要件を満たしていない補正をした特許出願(外国語書面出願を除く。)に対してされたとき。

 その特許が第二十五条、第二十九条、第二十九条の二、第三十二条、第三十八条又は第三十九条第一項から第四項までの規定に違反してされたとき(その特許が第三十八条の規定に違反してされた場合にあつては、第七十四条第一項の規定による請求に基づき、その特許に係る特許権の移転の登録があつたときを除く。)。

 その特許が条約に違反してされたとき。

 その特許が第三十六条第四項第一号又は第六項(第四号を除く。)に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたとき。

 外国語書面出願に係る特許の願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項が外国語書面に記載した事項の範囲内にないとき。

 その特許がその発明について特許を受ける権利を有しない者の特許出願に対してされたとき(第七十四条第一項の規定による請求に基づき、その特許に係る特許権の移転の登録があつたときを除く。)。

 特許がされた後において、その特許権者が第二十五条の規定により特許権を享有することができない者になつたとき、又はその特許が条約に違反することとなつたとき。

 その特許の願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正が第百二十六条第一項ただし書若しくは第五項から第七項まで(第百二十条の五第九項又は第百三十四条の二第九項において準用する場合を含む。)、第百二十条の五第二項ただし書又は第百三十四条の二第一項ただし書の規定に違反してされたとき。

 特許無効審判は、利害関係人(前項第二号(特許が第三十八条の規定に違反してされたときに限る。)又は同項第六号に該当することを理由として特許無効審判を請求する場合にあつては、特許を受ける権利を有する者)に限り請求することができる。

特許無効審判が請求されると、特許庁は、その審理を行い、特許を無効にすべきものと認めるときは無効審決を、無効理由がないとするときは不成立審決をします。

特許無効審判の当事者または参加人は、特許庁の審決に不服があるときは、審決の送達から30日以内に限り、知的財産高等裁判所に対し、審決の取消を求める訴訟を提起することができます(特許法178条1項ないし3項、知的財産高等裁判所設置法2条2号)。

特許法

(審決等に対する訴え)

第百七十八条 取消決定又は審決に対する訴え及び特許異議申立書、審判若しくは再審の請求書又は第百二十条の五第二項若しくは第百三十四条の二第一項の訂正の請求書の却下の決定に対する訴えは、東京高等裁判所の専属管轄とする。

 前項の訴えは、当事者、参加人又は当該特許異議の申立てについての審理、審判若しくは再審に参加を申請してその申請を拒否された者に限り、提起することができる。

 第一項の訴えは、審決又は決定の謄本の送達があつた日から三十日を経過した後は、提起することができない。

(略)

知的財産高等裁判所設置法

(知的財産高等裁判所の設置)

第2条 東京高等裁判所の管轄に属する事件のうち、次に掲げる知的財産に関する事件を取り扱わせるため、裁判所法(昭和22年法律第59号)第22条第1項の規定にかかわらず、特別の支部として、東京高等裁判所に知的財産高等裁判所を設ける。

 (略)

二 特許法(昭和34年法律第121号)第178条第1項の訴え、実用新案法(昭和34年法律第123号)第47条第1項の訴え、意匠法(昭和34年法律第125号)第59条第1項の訴え又は商標法(昭和34年法律第127号)第63条第1項(同法第68条第5項において準用する場合を含む。)の訴えに係る訴訟事件
(略)

事案の概要

本件の被告は、米国における仮出願を基礎出願としてパリ優先権を主張し、日本で特許出願した特許権者で、原告は、当該日本特許についての特許無効審判の請求人です。

この日本特許における発明は、基礎出願にかかる発明に、4つの新たな構成が付加されたものとなっていました(個々の内容には立ち入りませんが、判決中では、①ないし④の番号が振られています。)。また、被告は、米国における仮出願の後、日本における出願の前に、仮出願にかかる発明の構成を開示した動画を公表していました。

そこで、原告は、被告の日本特許について特許無効審判を請求し、本件特許発明は、米国仮出願書類に含まれていなかった新規事項を含むことを理由にパリ優先権主張の効果は認められないと主張し、その結果、被告が公開した動画によって日本出願にかかる発明は新規性または進歩性を欠いていたと主張しました。

特許庁は、原告の請求は成り立たないとの審決をしたため、原告は、当該審決の取消を求めて、知的財産高等裁判所に出訴しました。

判旨

部分優先の効果

判決は、発明の構成に新規事項が付加された場合におけるパリ優先権の効果に関し、まず、以下のとおり、パリ条約4条Fを解釈し、優先権主張出願にかかる発明に新規の構成が含まれている場合にも、パリ優先権の効力が失われるのではなく、基礎出願に含まれていなかった構成についてのみパリ優先権の効力が否定されるとの考え方を示しました。

(優先権主張出願にかかる発明が基礎出願にかかる発明を含み、かつ、基礎出願にかかる発明が1まとまりの完成した発明を構成している場合),パリ条約4条Fによれば,パリ優先権を主張して行った特許出願が優先権の基礎となる出願に含まれていなかった構成部分を含むことを理由として,当該優先権を否認し,又は当該特許出願について拒絶の処分をすることはできず,ただ,基礎となる出願に含まれていなかった構成部分についてパリ優先権が否定されるのにとどまる・・・

判決は、上記解釈を根拠に以下のとおり述べ、パリ条約4条Fの具体的適用方法として、基礎出願に対して新規事項を含む発明にかかる特許を無効にするためには、基礎出願に含まれていなかった構成が引用発明に照らして新規性または進歩性を欠くことが認められなければならないと判示しました。これは上に述べた<事例2>における遡及効説の2つ目の適用手法に立ったものといえます。

当該特許出願に係る特許を無効とするためには,単に,その特許が,パリ優先権の基礎となる出願に含まれていなかった構成部分を含むことが認められるだけでは足りず,当該構成部分が,引用発明に照らし新規性又は進歩性を欠くことが認められる必要があるというべきである。

さらに、判決は、上記のように解する根拠として、以下のとおり、そのように解しない場合の不都合を指摘しています。これは、<事例2>における遡及効説の1つ目の適用手法に対する批判といえます。

このように解することがパリ条約4条Fの文言に沿うばかりではなく,このように解しないと,例えば,特許権者がAという構成の発明について外国出願をし,その後,その構成を含む発明Bが公知となった後に,わが国において,パリ優先権を主張し,構成Aと,前記外国出願には含まれないが,発明Bに対して新規性,進歩性が認められる構成Cを合わせた構成A+Cという発明について特許出願をした場合,当該発明は,構成Aの部分は,発明Bよりも外国出願が先行しており,優先権も主張されており,かつ,構成Cは,発明Bに対し新規性,進歩性が認められるにも関わらず,前記外国出願に含まれない構成Cを含んでいることのみを理由として構成Aについての優先権までが否定され,特許出願が拒絶されるという結論にならざるを得ないが,そのような結論は,パリ条約4条Fが到底容認するものではないと考えられるからである。

最後に、判決は、新規事項に該当する構成が複数あり、それぞれ独立したものである場合には、各構成について別個に進歩性、新規性の有無を検討する必要があるとしています。要するに、新規事項に該当する全ての構成について新規性・進歩性が認められない限り、優先権の効力は失われることになります。

①ないし④も,それぞれ独立した発明の構成部分となり得るものであるから,引用発明に対する新規性,進歩性は,それぞれの構成について,別個に問題とする必要がある。

部分優先の適用

上記解釈のもと、判決は、事実認定として、新規事項となる4つの構成のうち、①、②及び④は引用例によって開示されておらず、新規性が問題となるのは、③の構成のみであると認定しました。

この観点から検討すると,甲1によれば,甲1動画に係るツールは,前記③の構成を有していることが認められる。そして,本件発明の請求項は,「ベース上にサポートされた複数のピン」と定めているのみであって,前記③の構成を含むことは明らかであるから,この点において,本件発明は,甲1動画との関係で新規性を欠くものといわなければならない。したがって,パリ優先権が認められるかどうかを判断するため,さらに,構成③が,本件米国仮出願に含まれない構成であるかどうかを判断する必要がある。これに対し,甲1動画に係るツールは,前記①,②,④の構成を含むものとは認められないから,新規性が問題となる余地はなく,また,これらの構成が,甲1動画に係る発明に対して進歩性を欠くことを認めるに足りる主張立証はない。

そこで、判決は、③の構成が優先権主張出願の出願書類に記載されているかを検討し、結論として、「たとえ明示的な記載がないとしても・・・その記載の想定の内に含まれている」とし、実質的な記載があるとの判断を示しました。

そこでさらに,構成③が,本件米国仮出願に含まれない構成であるかどうかについて判断するに,たしかに,米国仮出願書類には,ベースに設けた溝にピンバーを嵌め込む態様しか記載されていないが,これは実施例の記載にすぎないし,米国仮出願書類全体を検討しても,ベースにピンバーを固定する態様を,この実施例に係る構成に限定する旨が記載されていると理解することはできない。そして,ベースに凹部を設け,その凹部にピンバーを嵌め込む態様の構成(米国仮出願書類の実施例の記載)と,ベースに凸部を設け,この凸部にピンバーを嵌め込む態様の構成(③の構成)とは,まさに裏腹の関係にあるものであって,一方を想起すれば他方も当然に想起するのが技術常識であるといえるから,たとえ明示的な記載がないとしても,ベースに凹部を設ける構成が記載されている以上,ベースに凸部を設ける構成も,その記載の想定の内に含まれているというべきである。そうすると,③に係る構成が,本件米国仮出願に含まれない構成であるとはいえないから,この点に関する原告の主張も失当ということになる。

以上の検討を経て、判決は、特許庁における不成立審決を維持し、原告の請求を棄却しました。

コメント

本判決は、パリ優先権について、国内優先権と同様の遡及効説に立ちつつ、優先期間中の先行例に基づく特許性判の手順として、優先権主張出願にかかる発明が基礎出願にかかる発明を含み、かつ、基礎出願にかかる発明が1まとまりの完成した発明を構成していることを前提に、①優先権主張出願にかかる発明は、新規事項を含むか、②新規事項を含む場合、その部分は先行例によって開示され、または先行例から容易に想到できるか、③新規事項が先行例によって開示され、または、容易に想到できる場合において、当該新規事項は基礎出願の出願書類の全体から実質的に開示されているといえるか、をそれぞれ判断し、③において開示がないとされた場合に、特許要件が否定される、という考え方を示しました。

優先権の利用形態としては、実施例補充型、単一性利用型、上位概念抽出型、補正代用型などがあるといわれ、適用手法としては、遡及効説のもと、東京高判平成15年10月8日平成14年(行ケ)第539号「人工乳首」事件など、過去に重要な判決が現れています。本判決は、主に補正代用型の優先権主張出願における特許要件の判断指針となるものと思われます。

【主要な参考文献】
柴田和雄「改良発明に対する複合/部分優先権制度の意義-証拠除外効から遡及効への解釈の転換-」パテント59巻6号70頁
柴田和雄・井上典之「米国先願主義実現の鍵となるか?/『傘理論』復活への期待(上)」パテント60巻11号87頁

令和3年3月23日追記

参考文献の記載が編集過程で脱落していたため、追記しました。

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(文責・飯島)