知的財産高等裁判所第1部(高部眞規子裁判長)は、令和2年1月21日、特許無効審判の審決取消請求訴訟において、審決が明確性要件違反に関する判断を遺脱しており、この点の審理判断を尽くさせるためとして、手続違背を理由に審決を取り消す判決をしました。その一方で、原告が主張した補正要件違反、サポート要件違反等の主張に対する審決の判断遺脱については、判断の遺脱があったとは認めませんでした。

審決の判断遺脱による手続違背を理由に審決を取り消した裁判例は数少ないと思われますので、ご紹介します。

ポイント

骨子

  • 本件審決は、明確性要件の判断において、構成要件G及びLについて判断したのみで、構成要件Fについては「請求人の主張の概要」にも「当合議体の判断」にも記載がなく、実質的に判断されたと評価することもできない。したがって、本件審決には、手続的な違法があり、これが審決の結論に影響を及ぼす違法であるということができる。
  • 補正要件の適否は、当該補正に係る全ての補正事項について全体として判断されるべきものであり、事項Fの一部の追加が新規事項に当たるという主張は、本件補正に係る補正要件違反という無効理由を基礎付ける攻撃防御方法の一部にすぎず、これと独立した別個の無効理由であるとまではいえない。その判断を欠いたとしても、直ちに当該無効理由について判断の遺脱があったということはできない。また、構成要件Fで規定する「開口」は、構成要件Hの前提となる構成であって、事項Hの追加が新規事項の追加に当たらないとした本件審決においても、実質的に判断されているということができる。
  • サポート要件についても、補正要件に対する判断と同様、事項Fの一部についての判断を欠いたとしても、直ちに当該無効理由について判断の遺脱があったということはできない。また、構成要件Fで規定する「開口」は、上記のとおり、構成要件Hの前提となる構成であり、本件審決においても実質的に判断されているということができる。

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第1部
判決言渡日 令和2年1月21日
事件番号 平成31年(行ケ)第10042号
特許番号 特許第5009445号
発明の名称 マッサージ機
裁判官 裁判長裁判官 高部 眞規子
裁判官    小林 康彦
裁判官    関根 澄子

解説

明確性要件とは

明確性要件とは、特許請求の範囲(いわゆる特許のクレーム)は明確でなければならない、という特許出願の要件です。特許法36条6項2号がこれを定めています。

(特許出願)
第三十六条(略)
6 第二項の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
(略)
二 特許を受けようとする発明が明確であること。

明確性要件を充足しない場合、特許無効理由となります(特許法123条1項4号)。

明確性要件の趣旨は、独占排他権の範囲を画する前提となる特許請求の範囲の記載が不明確であると、権利範囲が不明確となり法的安定性を害するという点にあります。

裁判例によれば、明確性要件の判断は、特許請求の範囲の記載だけでなく、明細書の記載及び図面を考慮し、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否か、という観点から行われます。

補正要件(新規事項の追加の禁止)とは

特許出願の過程において、明細書、特許請求の範囲、図面を補正することができます。この補正には遡及効があり、補正の内容は出願当初に記載されていたものとみなされます。ただし、補正については時期的、内容的な要件が定められています。

補正の内容的要件の一つとして、補正によって新規事項の追加をすることを禁止する要件があります。すなわち、特許請求の範囲等の補正は、願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければなりません。特許法17条の2第3項がこれを定めています。

(願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の補正)
第十七条の二 (略)
3 第一項の規定により明細書、特許請求の範囲又は図面について補正をするときは、誤訳訂正書を提出してする場合を除き、願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面 (略) に記載した事項の範囲内においてしなければならない。

補正要件を充足しない場合、特許無効理由となります(特許法123条1項1号)。

補正によって新規事項を追加することを禁じる趣旨は、特許法は出願日を基準として最初に出願した者に特許を付与する先願主義を採用しているところ、出願時の内容に対して補正によって出願後に新規事項を付加することを許せば、補正の遡及効によりそれが出願時からの内容となって、先願主義に反し第三者に不測の不利益を与えるという点にあります。

サポート要件とは

サポート要件とは、特許請求の範囲に記載された発明は、発明の詳細な説明に記載されたものでなければならない、という特許出願の要件です。特許法36条6項1号がこれを定めています。

(特許出願)
第三十六条(略)
6 第二項の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
一 特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。

サポート要件を充足しない場合、特許無効理由となります(特許法123条1項4号)。

サポート要件の趣旨は、発明の詳細な説明に記載されていない発明が特許請求の範囲に記載されれば、公開されていない発明に独占排他権を与えることになり、発明公開の代償として独占排他権を付与する特許制度の趣旨に反するので、これを防止することとされています。

事案の概要

本件は、被告が有する特許第5009445号(発明の名称:マッサージ機)(以下「本件特許」といいます。)に対して原告が特許無効審判を請求したところ、特許庁が特許を有効と判断する旨の審決をしたため、原告が審決取消請求訴訟を提起した事案です。

原告は、6つの審決取消事由を主張しました。そのうちの1つが、手続違背を理由とするものでした。具体的には、原告は審判手続において補正要件、サポート要件、明確性要件及び分割要件の違反という各無効理由が存在することを主張したが、これらの無効理由について本件審決の判断はされなかった、という審理不尽、判断遺脱の手続的瑕疵を主張するものでした。本稿ではこの取消事由に対する裁判所の判断を取り上げます。

本件判決が整理する原告の当該主張は以下のとおりです。

〔原告の主張〕
被告は,原告と被告との間で係属している特許権侵害訴訟において,構成要件Fのうち「幅方向に切断して見た断面において被施療者の腕を挿入する開口」との特定事項に関し,掌部分や手首部分に内壁が存在する保持部も含むと述べたが,被告のこの陳述によれば,新たな技術事項を追加することになる。
そこで,原告は,本件の審判手続において,補正要件,サポート要件,明確性要件及び分割要件の違反という各無効理由が存在することを主張し,被告も答弁書で反論したが,当該各無効理由について,本件審決の判断はされず,その判断は他の構成要件の判断中に包含されるものでもない。
したがって,本件審決には,審理不尽や判断遺脱などの手続上の瑕疵があり,取り消されるべきである。

構成要件Fとは、本件特許の請求項1の構成要件の一つです。本件判決によると、当該請求項は以下のとおり分説されます。

【請求項1】
A 被施療者が着座可能な座部と,
B 被施療者の上半身を支持する背凭れ部と
C を備える椅子型のマッサージ機において,
D 前記座部の両側に夫々配設され,被施療者の腕部を部分的に覆って保持する一対の保持部と,
E 前記保持部の内面に設けられる膨張及び収縮可能な空気袋と,を有し,
F 前記保持部は,その幅方向に切断して見た断面において被施療者の腕を挿入する開口が形成されていると共に,その内面に互いに対向する部分を有し,
G 前記空気袋は,前記内面の互いに対向する部分のうち少なくとも一方の部分に設けられ,
H 前記一対の保持部は,各々の前記開口が横を向き,且つ前記開口同士が互いに対向するように配設されている
I ことを特徴とするマッサージ機。

本件特許に係る特許出願は分割出願であり、分割後に補正がなされました。当該補正が本件判決において補正要件が問題とされた「本件補正」であり、以下の内容を含むものです。

ア 構成要件F及び【0010】の「前記保持部は,その幅方向に切断して見た断面において被施療者の腕を挿入する開口が形成されていると共に、その内面に互いに対向する部分を有し」との事項(「事項F」という。)が追加されたこと。
イ 構成要件G及び【0010】の「前記空気袋は、前記内面の互いに対向する部分のうち少なくとも一方の部分に設けられ」との事項(「事項G」という。)が追加されたこと。
ウ 構成要件H及び【0010】の「前記一対の保持部は、各々の前記開口が横を向き、且つ前記開口同士が互いに対向するように配設されている」との事項(「事項H」という。)が追加されたこと。

すなわち、構成要件FないしHの全部が、本件補正によって追加されました。

判旨

本件判決はまず、明確性要件に関する判断遺脱について、次のように簡潔に述べ、審決の結論に影響を及ぼす手続的な違法であると判断しました。

本件審決は,明確性要件の判断において,構成要件G及びLについて判断したのみで,構成要件Fについては「請求人の主張の概要」にも「当合議体の判断」にも記載がなく,実質的に判断されたと評価することもできない。
したがって,本件審決には,手続的な違法があり,これが審決の結論に影響を及ぼす違法であるということができる。

次に、補正要件に関する審決の判断遺脱について、次のように述べ、手続的な違法ではないと判断しました。

ア 本件審決には,補正要件違反等の原告の主張する無効理由との関係で,構成要件Fについての明示的な記載はない。
しかし,補正要件の適否は,当該補正に係る全ての補正事項について全体として判断されるべきものであり,事項Fの一部の追加が新規事項に当たるという主張は,本件補正に係る補正要件違反という無効理由を基礎付ける攻撃防御方法の一部にすぎず,これと独立した別個の無効理由であるとまではいえない。その判断を欠いたとしても,直ちに当該無効理由について判断の遺脱があったということはできない。
また,構成要件Fで規定する「開口」は,構成要件H(「前記一対の保持部は,各々の前記開口が横を向き,且つ前記開口同士が互いに対向するように配設されている」)の前提となる構成であって,事項Hの追加が新規事項の追加に当たらないとした本件審決においても,実質的に判断されているということができる。
そして,後記のとおり,当初明細書の【0037】,【0038】,【図2】には,断面視において略C字状の略半円筒形状をなす「保持部」が記載され,「開口部」とは,「保持部」における「長手方向へ延びた欠落部分」を指し,一般的な体格の成人の腕部の太さよりも若干大きい幅とされ,そこから保持部内に腕部を挿入可能であることが記載されているから,構成要件Fで規定する「開口」が,当初明細書に記載されていた事項であることは明らかである。

なお、新規事項の追加があることを前提とした分割要件違反に起因する新規性・進歩性欠如をいう原告の主張に対する審決の判断遺脱についても、上記の補正要件に関する判断と同様であると述べて、判断遺脱があるとは認めませんでした。

さらに、サポート要件に関する審決の判断遺脱について、次のように述べ、手続的な違法ではないと判断しました。

ウ サポート要件についても,本件審決には,構成要件Fについての明示的な記載はない。
しかし,サポート要件の適合性は, (略) 上記アと同様,事項Fの一部についての判断を欠いたとしても,直ちに当該無効理由について判断の遺脱があったということはできない。
また,構成要件Fで規定する「開口」は,上記アのとおり,構成要件Hの前提となる構成であり,本件審決においても実質的に判断されているということができる。
そして,後記のとおり,本件発明1は,本件明細書の【0010】に記載された構成を全て備えており,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであり,加えて,本件明細書にも前記【0037】,【0038】,【図2】と同様の記載があることからすれば,構成要件Fで規定する「開口」が本件明細書の当該記載によってサポートされていることも明らかである。

本件判決は以上のとおり判断したうえ、本件審決は明確性要件についての判断を遺脱しており、この点の審理判断を尽くさせるため、本件審決は取り消されるべきであると結論付けました。

コメント

本件判決は、明確性要件違反について審決に判断遺脱の違法があったと認めた一方、補正要件違反、分割要件違反、サポート要件違反については判断遺脱の違法があったと認めませんでした。

結論が分かれた理由を対比的に読み取ることができるのは、構成要件Fについて「実質的に判断されたと評価することができるか」という点です。

すなわち、本件判決において補正要件、分割要件、サポート要件について判断遺脱により違法と認められなかった実質的な理由は、問題とされた構成要件Fの「開口」は、「前記開口」との文言を含む構成要件Hの前提となる構成であるという点にあると思われます。つまり、構成要件Hについて新規事項の追加か、サポート要件を充足しているか、という判断が示されていれば、構成要件Fについても実質的にその判断があったという論理です。

新規事項の追加を禁止する補正要件と分割要件は、クレームの記載がその判断対象である場合、当該クレームの記載が当初明細書等に記載されたものであるかを問うこととなり、実務上は本件のように発明の詳細な説明に記載されたものであるかが問題になることも多いです。またサポート要件も、クレームの記載が発明の詳細な説明に記載されたものであるかどうかを問う要件です。クレームの記載が発明の詳細な説明に記載されているかどうかという判断においては、ある構成要件について発明の詳細な説明に記載があるかという判断がなされている場合に、他の構成要件についても発明の詳細な説明に記載があるかという判断を論理的・実質的に経ているといえることは、クレームの構成要件相互の論理関係によってはありえるでしょう。

他方、明確性要件は、クレームの記載が明確かどうかを問う要件です。ある構成要件について明確かどうかの判断がされたからといって、他の構成要件が明確かどうかの判断を論理的・実質的に経ているものではないとされうることに、特別違和感はないといえるでしょう。ただ、明確性要件であれば必ずそうした帰結になるということではなく、個別具体的な判断をしていくものと思われます。

なお、審決が構成要件Fについて判断をしなかった理由は、本件審決および本件判決を読んでも判然としません。

いずれにせよ当事者の立場からは、もし審決において明確性要件違反、補正要件違反やサポート要件違反等の主張への判断が漏れている場合は、他の構成要件に対する判断によって実質的に判断されたと評価されるか否かが基準となることの示唆を得られる判決といえます。