ポイント

知的財産高等裁判所は、本年8月29日、誤訳の訂正を目的とする訂正審判における特許法126条6項(特許請求の範囲の拡張・変更の禁止)の要件適合性の判断にあたっては、翻訳文明細書等及び国際出願図面を基礎に行うべきであり、原文明細書等を参酌することはできないとの判断を示しました(判決原文)。

 

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第2部
判決言渡日 平成28年8月29日
事件番号 平成27年(行ケ)第10216号 審決取消請求事件
裁判官 裁判長裁判官 清 水   節
裁判官 片 岡 早 苗
裁判官 古 庄   研
特 許 「放射能で汚染された表面の除染方法」(特許第5584706号)
原審決 特許庁平成27年6月8日・訂正2014-390211号

 

解説

訂正審判とは

訂正審判とは、特許登録後に、特許権者が特許の記載を訂正する手続です。具体的には、明細書、特許請求の範囲、図面を訂正するための手続で、特許審判の一類型とされています(特許法126条1項)。

明細書等の内容は、審査段階で補正することが可能ですが、訂正審判は、すでに特許登録がなされ、特許権が生じてからその内容を変更する手続であるため、審査段階における補正とは異なる要件が課されています。特許権は対世的に効力を有する権利ですので、その内容が後日恣意的に変更できると、第三者の技術利用に支障を生じるからです。

 

訂正の目的

訂正審判では、以下のいずれかを目的とする場合に限り、特許の訂正が認められます(特許法126条)。

  1. 特許請求の範囲の減縮
  2. 誤記または誤訳の訂正
  3. 明瞭でない記載の釈明
  4. 他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること

本件では、2つ目の訂正目的のうち、誤訳の訂正の許否が問題となりました。

 

外国語書面出願と誤訳の訂正

本件では、外国語書面出願がなされています。外国語書面出願は、主として外国人の出願が翻訳のために遅れることを避けるため、特許出願の願書に、英語の書面を添付することを認める制度で、特許法36条の2が以下のように定めています。

特許を受けようとする者は、前条第二項の明細書、特許請求の範囲、必要な図面及び要約書に代えて、同条第三項から第六項までの規定により明細書又は特許請求の範囲に記載すべきものとされる事項を経済産業省令で定める外国語で記載した書面及び必要な図面でこれに含まれる説明をその外国語で記載したもの(以下「外国語書面」という。)並びに同条第七項の規定により要約書に記載すべきものとされる事項をその外国語で記載した書面(以下「外国語要約書面」という。)を願書に添付することができる。

この制度を利用する場合であっても、審査は英語の文書で行われるわけではありません。出願人は、優先日から1年2月以内に日本語の翻訳文を提出することを要し(36条の2第2項)、この翻訳文が審査の対象となります。

このように外国語書面出願において提出された翻訳文に誤訳があった場合には、2つ目の訂正目的である「誤記又は誤訳の訂正」として、訂正が認められます。

 

特許請求の範囲の拡張・変更の禁止

もっとも、翻訳文に誤記があるからといって、無限定に訂正が認められるわけではありません。

訂正審判が認められるためには、126条各項に記載された要件を充足する必要がありますが、本件では、中でも、126条6項に定められた、特許請求の範囲の拡張・変更の禁止に該当しないかが争われました。同条項は、以下のように規定しています。

第一項の明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであつてはならない。

いったん誰かに特許が付与されると、第三者はその技術を利用することができなくなるため、特許を回避して製品開発などを行うのが通常です。ところが、特許の内容が後日拡張されたり、変更されてしまうと、特許を回避して製品を製造していたはずが、いつの間にか違法行為を行っていることになりかねません。そのような事態を回避するため、特許法は、訂正が、実質的に特許請求の範囲を拡張したり、変更したりするものであってはならないと規定しています。

 

争点の概要

本件訴訟では、誤訳の訂正が特許請求の拡張・変更の禁止に抵触するのではないかが争われたのですが、その議論の中での争点のひとつとして、特許請求の拡張・変更の禁止に抵触するかどうかを判断するにあたり、外国語出願の原文明細書等を参酌してよいかが問題となりました。

本件における誤訳は、「ホスホン酸」と訳すべきところを「燐酸」と訳したというものなどで、特許の記載(誤訳を含む記載)と、訂正しようとした記載は、以下のとおりです。

<特許の記載>

【請求項1】

-第1の処理ステップで,部品材料の腐食によりこの部品上に生じた酸化物層を,除染用の有機酸を含んだ第1の水溶性の処理溶液で剥離し,

-これに続く第2の処理ステップで,少なくとも部分的に酸化物層が取り除かれた表面を,この表面に付着している粒子を除去するための作用成分を含んだ第2の水溶性の処理溶液で,処理する原子力発電所の冷却系統の構成部品の表面の化学的な除染方法であって,

前記作用成分がスルホン酸,燐酸,カルボン酸及びこれらの酸の塩からなる群から選ばれる少なくとも1つのアニオン界面活性剤で形成されている除染方法において,前記第2の水溶性の処理溶液が,遅くとも前記第2の処理ステップの終了する前に,イオン交換器に導かれることを特徴とする除染方法。

<訂正しようとした記載>

【請求項1】

-第1の処理ステップで,部品材料の腐食によりこの部品上に生じた酸化物層を,除染用の有機酸を含んだ第1の水性の処理溶液で剥離し,

-これに続く第2の処理ステップで,少なくとも部分的に酸化物層が取り除かれた表面を,この表面に付着している粒子を除去するための作用成分を含んだ第2の水性の処理溶液で,処理する原子力発電所の冷却系統の構成部品の表面の化学的な除染方法であって,

前記作用成分がスルホン酸,ホスホン酸,カルボン酸及びこれらの酸の塩からなる群から選ばれる少なくとも1つのアニオン界面活性剤で形成されている除染方法において,前記第2の水性の処理溶液が,遅くとも前記第2の処理ステップの終了する前に,イオン交換器に導かれることを特徴とする除染方法。

ところで、「燐酸」と訳された部分の外国語書面の原文には「Phosphonsäure」と記載されており、これに対応する正しい日本語訳が「ホスホン酸」であることに争いはありませんでした。したがって、上記訂正は、問題なく「誤訳の訂正」に該当します。

しかし、特許庁は、「燐酸」と「ホスホン酸」を置き換えると、発明特定事項を変更することとなり、特許請求の範囲を実質的に変更する場合に該当するから、上述の特許法126条6項に違反し、訂正は認められないとの審決をしました。

これに対し、特許権者は、審決取消訴訟を提起したのですが、その主張の一つとして、誤訳の訂正に際し、特許法126条6項に適合しているかどうかを判断するにあたっては、原文明細書等も参酌すべきであると主張しました。つまり、外国語の原文には、「Phosphonsäure」(ホスホン酸)と書かれているのですから、もし、原文明細書等を参酌して、特許請求の範囲の変更にあたるかどうかを判断することが許されるなら、特許請求の範囲を変更したことにはならない、という主張をしたのです。

 

判決要旨

この争点について、知財高裁は、「126条6項の要件適合性の判断に当たり、原文明細書等の記載 を参酌することはできない」と述べて、特許権者の主張を排斥しました。

その根拠として、いくつかの理由が掲げられていますが、第1に、技術的範囲の解釈との整合性が挙げられています。

本件特許のような外国語特許出願においては,特許発明の技術的範囲は,翻訳文明細書等及び国際出願図面を参酌して定められ,原文明細書等は参酌されないから,126条6項の要件適合性の判断に当たっても,翻訳文明細書等及び国際出願図面を基礎に行うべきであり,原文明細書等を参酌することはできないというべきである。

第2に、第三者に生じる負担が指摘されています。

原告の主張するように,同項の要件適合性の判断に当たり原文明細書等を参酌することができると解した場合には,誤訳の訂正の許否は原文明細書等を参酌しないと決することができないことになるから,訂正審決の遡及効(128条)を受ける第三者としては,我が国の特許庁によって公開されるものではなく,外国語により記載された原文明細書等を,翻訳費用や誤訳の危険を自ら負担して参照することを余儀なくされることになるが,このような解釈が第三者に過度の負担を課すものであって不当であることは明らかである。

第3に、訂正目的について定めた126条1項2号との関係について述べています。これは、「誤記の訂正」に該当するかどうかを判断するにあたっては原文を参照するのだから、126条6項適合性を判断する際にも原文の参酌が許されるべきだ、という主張を排斥したものです。

同条1項2号の要件適合性と同条6項の要件適合性とは別個の訂正要件についての判断であるから,その要件適合性の判断に当たり参酌できる資料の範囲についてもそれぞれの訂正要件の目的に応じた解釈がされるべきものであり,同条1項2号の要件適合性の判断に当たり参酌できる資料であることは同条6項の要件適合性の判断に当たり参酌できることを基礎付けるものではない。

なお、訂正の要件を定めた規定としては、新規事項追加の禁止を定めた126条5項もありますが、同規定は、誤記の訂正については、外国語書面を参酌して新規事項か否かを判断すべきものと定めています。

最後に、特許権者は不利益を甘受してもやむを得ない理由が示されています。

特許権者は自らの責任において誤訳を含む翻訳文明細書等を提出し,その後も誤訳の訂正を目的とする補正を行う機会が与えられていたにもかかわらず,その機会を活かすことなく,誤訳を含んだまま設定登録を受けて,特許権を発生させたのであるから,特許公報に掲載された願書に添付した明細書及び特許請求の範囲に記載した事項並びに図面の内容に基づいて特許発明の技術的範囲を認識する第三者の信頼を保護するために,特許権者が一定の不利益を被ることがあったとしてもやむを得ないものというべきである。

 

実務への示唆

誤訳というのは、異なる言語間で、本来訳語として充てるべき語を誤って別の意味の語をあてはめたり、文法的な構造を誤って別の論理的意味を与えることをいいます。そのため、誤訳を訂正すると、多かれ少なかれ意味に変更が生じるため、126条6項との緊張関係が生じやすいといえます。留意の必要な事項です。

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(文責・飯島)