東京地方裁判所民事第40部(佐藤達文裁判長)は、令和2年(2020年)2月28日、音楽教室の運営事業者らが原告となって、一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)に対して、原告らの音楽教室における被告の管理する楽曲の使用について、被告が原告らに対して請求権を有しないことの確認を求めた事案において、原告らの請求を棄却する判決をしました。
本判決は、音楽教室における教師や生徒による楽曲の演奏や録音物の再生演奏が、教室の運営事業者による著作物の演奏として著作権者からの許諾を要する行為であることを裁判所が判断した事例として実務上参考になると思われることから、紹介します。
ポイント
骨子
- 音楽教室における音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、利用される著作物の選定方法、著作物の利用方法・態様、著作物の利用への関与の内容・程度、著作物の利用に必要な施設・設備の提供等の諸要素を考慮し、当該演奏の実現にとって枢要な行為がその管理・支配下において行われているか否かによって判断するのが相当であり、著作物の利用による利益の帰属についても考慮に入れることは妨げられない。
- 演奏権について著作権者の権利が及ばないのは、演奏の対象が「特定かつ少数の者」の場合であるところ、「特定」の者に該当するかどうかは、利用主体との間に個人的な結合関係があるかどうかにより判断すべきである。また、「多数」の者に当たるかどうかは、著作権法22条の趣旨に照らすと、一時点のレッスンにおける生徒の数のみではなく、音楽教室事業の実態を踏まえ、社会通念に照らして、その対象が「多数」ということができるかという観点から判断するのが相当である。
- 著作権法22条の「聞かせることを目的とする」とは、演奏が行われる外形的・客観的な状況に照らし、音楽著作物の利用主体から見て、その相手である公衆に演奏を聞かせる目的意思があれば足りるというべきである。
- 講師や生徒が楽譜及びマイナスワン音源を購入することにより、音楽教室における演奏に係る演奏権が消尽するということはできない。
判決概要
裁判所 | 東京地方裁判所民事第40部 |
---|---|
判決言渡日 | 令和2年2月28日 |
事件番号 | 平成29年(ワ)第20502号、同第25300号 |
事件名 | 音楽教室における著作物使用にかかわる請求権不存在確認事件 |
裁判官 | 裁判長裁判官 佐 藤 達 文 裁判官 𠮷 野 俊太郎 裁判官 今 野 智 紀 |
解説
事案の概要
本件は、被告である一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)が、音楽教室において被告が管理する楽曲(以下「被告管理楽曲」といいます。)を演奏、上映又は伝達する際の使用料として、被告が定める使用料規程に「音楽教室における演奏等」の項目を新設し、同規程に基づき、平成30年1月1日より音楽教室から使用料徴収を開始する方針を示したことに端を発しています。
原告らは、音楽教室を運営し、教室または生徒の居宅において音楽の基本や楽器の演奏技術・歌唱技術の教授を行っている法人及び個人計249人です。被告管理楽曲を演奏する態様は原告ごとに異なっていましたが、全ての原告が共通して行う演奏態様は、原告らが設営した教室において、教師及び生徒が1対1の個人レッスンまたは1対最大10名程度以下のグループ レッスンにおいて、課題曲を教師及び生徒が演奏するものでした。
原告らは、上記被告の方針に反対し、原告らの音楽教室における楽曲の使用(教師及び生徒の演奏並びに録音物の再生演奏)が、「公衆に直接…聞かせることを目的」とした演奏(著作権法22条)に当たらないことなどから、被告は、原告らの音楽教室における被告の管理する楽曲の使用にかかわる請求権(著作権侵害に基づく損害賠償請求権又は不当利得返還請求権)を有しないと主張して、被告に対し、同請求権の不存在の確認を求める訴訟を提起しました。
本判決に関係する主な論点
上演権及び演奏権とは
著作権法は、以下のように定め、著作者が著作物を公衆に直接見せまたは聞かせることを目的として、上演または演奏する権利を専有すると定めています。
すなわち、楽曲の著作者はその楽曲を上演、演奏する権利を専有しており、第三者が当該楽曲をコンサートなどで演奏するためには、著作者の許諾が必要となります。
(上演権及び演奏権)
第二十二条 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。
また、この22条の「公衆に」の意義につき、著作権法には以下の規定があります。この規定から、「公衆」には不特定または多数に対する演奏だけではなく、特定かつ多数に対するものも含むことになり、「公衆」に該当しない場合とは、特定かつ少数に対するものだけであると解されています。
(定義)
第二条
(略)
5 この法律にいう「公衆」には、特定かつ多数の者を含むものとする。
(以下略)
また、22条の「目的として」の意義については、目的意思があれば足りるものと解されています。
著作物の利用主体性
本件では、演奏やCDの再生を行うのは音楽教室の教師や生徒であるため、音楽教室事業者である原告らが、「演奏」や「上演」を行う主体として認められるのかが問題となっていました。
同様の点は、カラオケスナックにおける歌唱(客ではなくカラオケボックスの営業者が楽曲の利用主体となるか)や、ライブハウスにおける演奏(ライブハウスの営業主が楽曲の利用主体となるか)などでも争われています。
この点につき、裁判所は著作物の利用主体を規範的に判断する立場を採っています。例えば、前述のカラオケスナックにおける歌唱については、カラオケ装置と音楽楽曲を録音したカラオケテープとを備え置き、従業員においてカラオケ装置を操作し、客に曲目の索引リストとマイクを渡して歌唱を勧め、客の選択した曲目のカラオケテープの再生による演奏を伴奏として他の客の面前で歌唱させていた等の事実関係の下では、客が歌唱する場合を含めて、当該音楽著作物の利用主体はカラオケスナックの営業主であると判断しています(クラブキャッツアイ事件・最判昭和63年3月15日)。
著作権の消尽とは
著作権の消尽とは、複製物等が一旦適法に流通に置かれた後には、その後の譲渡等には権利は及ばないという理論のことです。例えば、適法に収録し製作をした音楽のCDを購入した人が、そのCDを他人に譲渡する行為については著作権者等が権利行使を行うことはできません。
譲渡権については著作権法26条の2第2項で認められているほか、頒布権については判例(中古ゲームソフト事件・最判平成14年4月25日)により消尽が認められています。
消尽が認められる根拠は、著作物の取引の安全と権利者の利得の機会の確保の調和にあると解されています。上記の音楽CDの場合を例にとると、CDを転売する度に収録された音楽の著作権者等の許諾を要するとするとその流通が阻害される一方、著作権者等はCD制作時や第1譲渡時に利得を確保する機会があるといえるため、以降の転売行為について著作権を行使できなくても不利益はないといえます。
楽曲の著作物性
演奏権は「著作物」を演奏することであるため、対象となる楽曲が著作物、すなわち、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)であることが前提となります。
ほとんどの場合、音楽楽曲は著作物であると認められると考えられますが、本件では、原告らからは、音楽のレッスンにおける2小節以内などごく短い演奏については、対象が著作物ではない(創作的な表現ではない)との主張もなされていました。
判旨
音楽教室における音楽著作物の利用主体
原告らの経営する音楽教室における被告管理楽曲の演奏が著作権法22条の要件を満たすためには、被告管理楽曲を演奏という形態で利用している主体が原告らであるという判断が前提となります。
この点につき、原告らは、被告管理楽曲の利用主体は同音楽教室の教師及び生徒であると主張していました。(仮に原告らが利用主体でないとすると、被告は原告らから楽曲の使用料を収受する前提を欠くことになります。)
裁判所は、まず被告管理楽曲の利用主体性の判断につき、以下のような規範を立てました。
原告らの音楽教室のレッスンにおける教師及び生徒の演奏は、営利を目的とする音楽教室事業の遂行の過程において、その一環として行われるものであるところ、音楽教室事業の上記内容や性質等に照らすと、音楽教室で利用される音楽著作物の利用主体については、単に個々の教室における演奏の主体を物理的・自然的に観察するのみではなく、音楽教育事業の実態を踏まえ、その社会的、経済的側面も含めて総合的かつ規範的に判断されるべきであると考えられる。かかる観点からすると、原告らの音楽教室における音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、利用される著作物の選定方法、著作物の利用方法・態様、著作物の利用への関与の内容・程度、著作物の利用に必要な施設・設備の提供等の諸要素を考慮し、当該演奏の実現にとって枢要な行為がその管理・支配下において行われているか否かによって判断するのが相当である(クラブキャッツアイ事件最高裁判決、ロクラクⅡ事件最高裁判決参照)。また、著作物の利用による利益の帰属については、上記利用主体の判断において必ずしも必須の考慮要素ではないものの、本件における著作物の利用主体性の判断においてこの点を考慮に入れることは妨げられないと解すべきである(ロクラクⅡ事件最高裁判決の補足意見参照)。
その上で、各要素の本件へのあてはめについては次のように述べ、被告管理楽曲の利用主体は原告らであると認定しました。
考慮要素 | あてはめ |
利用される著作物の選定方法 | 一部の原告ら(大手の音楽教室)では、原告らが作成したレパートリーや教材の中から課題曲が選定されており、その他の教室でも、生徒の演奏の技量、習熟度等を踏まえ、教師が、自ら又は生徒の希望も踏まえて、教育的な観点から課題曲を選定しているものと推認されることから、利用される著作物の選定は原告らが主体となって行われるものである。 |
著作物の利用方法・態様 |
|
著作物の利用への関与の内容・程度 |
|
著作物の利用に必要な施設・設備の提供 | 録音物の使用を行わない個人教室以外の教室については、原告らが地域等を選定した上でその費用において教室を設営し、当該教室において同原告らが備え付けた設備・装置を使用して行われるものであると認められるから、著作物の利用に必要な施設、設備等についても、原告らの管理・支配が及んでいるということができる。 |
著作物の利用による利益の帰属 | 音楽教室事業における演奏技術の指導にとって、教師及び生徒が音楽著作物の演奏をすることは不可欠であり、かかる演奏をすることなく演奏技術を教授することは困難であることに照らすと、音楽教室の生徒が原告らに対して支払うレッスン料の中には、教師の教授料のみならず、音楽著作物の利用の対価部分が実質的に含まれているというべきであるから、音楽教室における音楽著作権の利用による利益は原告らに帰属していると認めるのが相当である。 |
利用主体である原告らからみて、生徒は「公衆」に当たるか
被告管理楽曲の利用主体が原告らであるとして、音楽教室における生徒に向けた楽曲の演奏が「公衆」に対する演奏であるといえるのかが争われました。
この点につき、裁判所は、以下のような規範を立てた上で、音楽教室事業者である原告らからみて、その生徒は「不特定かつ多数」の者に当たると判断しました。
著作権法22条に基づき演奏権について著作権者の権利が及ばないのは、演奏の対象が「特定かつ少数の者」の場合であるところ、「特定」の者に該当するかどうかは、利用主体との間に個人的な結合関係があるかどうかにより判断すべきである。
これを本件に即していうと、音楽教室における音楽著作物の利用主体である原告ら音楽教室事業者からみて、その顧客である生徒が「特定」の者に当たるかどうかは、原告らが音楽教室のレッスンの受講を申し込むに当たり、原告らとその生徒との間に個人的な結合関係があったかどうかにより判断することが相当である。
(中略)
音楽教室における音楽著作物の利用主体である原告ら音楽教室事業者からみて、その顧客である生徒が「多数」の者に当たるかどうかは、・・・・著作権法22条の趣旨に照らすと、一時点のレッスンにおける生徒の数のみではなく、音楽教室事業の実態を踏まえ、社会通念に照らして、その対象が「多数」ということができるかという観点から判断するのが相当である。
音楽教室における演奏が「聞かせることを目的」とするものであるか
また、音楽教室における演奏が「聞かせることを目的」とするものであるかについても争いがありました。
原告らは、「聞かせることを目的」とするとは、「聞き手に官能的な感動を与えることを目的とする演奏」すなわち「音楽の著作物としての価値を享受させることを目的とする演奏」をいうため、音楽教室での楽曲の演奏は聞かせることを目的とするものではないと主張していました。
「聞かせることを目的」とする(著作権法22条)の意義につき、裁判所は以下のように述べています。
著作権法22条は、「公衆に直接…聞かせることを目的」とすることを要件としているところ、その文言の通常の意義に照らすと、「聞かせることを目的とする」とは、演奏が行われる外形的・客観的な状況に照らし、音楽著作物の利用主体から見て、その相手である公衆に演奏を聞かせる目的意思があれば足りるというべきである。
その上で、「原告らの音楽教室におけるレッスンは、教師が演奏を行って生徒に聞かせることと、生徒が演奏を行って教師に聞いてもらうことを繰り返す中で、演奏技術の教授が行われるが、このような演奏態様に照らすと、そのレッスンにおいて、原告ら音楽教室事業者と同視し得る立場にある教師が、公衆である生徒に対して、自らの演奏を注意深く聞かせるため、すなわち「聞かせることを目的」として演奏していることは明らかである。」と述べ、音楽教室における被告管理楽曲の演奏は、「聞かせることを目的とする」ものであると判断しました。
音楽教室における2小節以内の演奏について演奏権が及ぶか
原告らは、予備的請求として、音楽教室における2小節以内の演奏については、短すぎるため、どの楽曲を演奏しているかを特定することができず、著作者の個性が発揮されているということはできないから、著作物に当たらず、また、聞かせる目的もないとして、被告が被告管理楽曲の使用に係る請求権を有しないことの確認を求めていました。
この点につき、裁判所は、原告らの音楽教室におけるレッスンにおいては、課題曲が様々な形で連続的・重畳的に演奏されるので、一回のレッスンにおける演奏及び再生演奏は常に不可分一体であると解すべきであり、その一部である2小節以内の演奏のみを切り取り、これを独立したものとして、その著作物性を否定することは相当ではないとしました。
また、1回のレッスンにおける上記の演奏態様に照らすと、教師から指示された特定の2小節以内の小節を演奏する生徒は、当該部分が課題曲の一部であると十分に認識し、その楽曲全体の本質的な特徴を感得しつつ、その特徴を表現することを企図して演奏をするのであり、その演奏を聞いている他の生徒も同様に当該部分が課題曲の一部であると認識しつつ聞くものと考えられるから、生徒による2小節以内の演奏であるとしても、当該演奏は他の生徒等に「聞かせることを目的」とするものであるというべきであると述べ、原告らの主張を排斥しています。
演奏権の消尽の成否
原告らは、音楽教室のレッスンで使用する楽譜等及びマイナスワン音源(演奏から一部のパートのみを除外して収録した音源)は、教師及び生徒に購入された後に演奏に用いられることが当然に想定され、被告は、これらが譲渡される際に、複製権のみならず演奏権の対価を含めて使用料を徴収する機会があるから、演奏権についても消尽すると主張していました。
この点につき、裁判所は、まず、知的財産権の消尽が認められる趣旨については、以下のように述べ、取引の安全と権利者に排他的権利に基づく利得の機会を保障することとの間の調和を図ることにあると説明しています。
・・・知的財産権の消尽が認められる根拠は,①権利の対象となる商品について譲渡を行う都度権利者の許諾を要することとなると,市場における商品の自由な流通が阻害され,取引の安全を害し,②権利者は自ら譲渡する際に譲渡代金又は使用料を取得するなどして代償を確保する機会が保障され,二重 の利得を得させる必要がないという点にあり,このような場合に知的財産権の 権利者の権利行使を制限することを認める趣旨は,取引の安全と権利者に排他的権利に基づく利得の機会を保障することとの間の調和を図ることにあると解される。
そして、本件では、次のように、演奏をされる楽曲の楽譜やCD等が購入された後演奏に用いられていることが当然に想定されているとはいえないことや、楽譜への登載やCD等への録音(いずれも複製権)と、音楽教室のレッスンにおける演奏(演奏権)とは、支分権が異なる別個の行為であること等から、演奏権の消尽を否定しました。
以上のような消尽が認められる根拠、趣旨に照らし、本件において消尽が認められるかについて検討すると、楽譜等やマイナスワン音源は、その性質からして、購入後に演奏に用いられることがあり得るとしても、楽譜等やマイナスワン音源の購入者が、これらの楽譜等を使用して「公衆に直接…聞かせることを目的として」演奏するとは限らず、購入者の家庭内における演奏に使用し、あるいは著作権法38条1項などの権利制限規定により演奏権が及ばない態様で演奏される可能性も当然あり得ることである。そうすると、音楽教室のレッスンで使用する楽譜等及びマイナスワン音源が、購入された後に演奏に用いられることが当然に想定されているということはできない。また、音楽著作物の楽譜への登載及び著作物のCD等への録音(いずれも複製権)と、音楽教室のレッスンにおける演奏(演奏権)とは、支分権が異なる別個の行為であり、著作物の利用形態も異なるものなので、行為ごとに権利処理することが許されると解するのが相当である。そして、著作権法が、同じ著作物であってもその利用態様ごとに対応する支分権を定めていることに照らしても、異なる支分権である複製と演奏のそれぞれについて対応する使用料を取得したとしても、著作権者が不当に二重の利得を得ていると評価することはできない。さらに、原告らは、被告には演奏権の対価を含めて使用料を徴収する機会があったことも根拠として挙げるが、楽譜等の複製権に係る使用料を算定する際に、当該楽譜等の購入者がその後に演奏権の及ぶ態様で演奏するかどうかを把握することは困難であると考えられることからすると、楽譜等について被告に事前に演奏権に係る対価取得の機会が保障されているということはできない。以上によれば、講師や生徒が楽譜及びマイナスワン音源を購入することにより、音楽教室における演奏に係る演奏権が消尽するということはできない。
録音物の再生に係る実質的違法性阻却事由の有無
原告らは、音楽教室においては、レッスンの場にいる全員がレッスンで使用する楽曲の音源を再生して自らが聞くことについての権利を有しているので、それを全員がいるレッスンの場で再生しても、著作権侵害の実質的な違法性を欠くと主張としていました。
この点につき、裁判所は、音楽著作物のCD等への録音(複製権)と音楽教室のレッスンにおける著作物の演奏(演奏権)とは、支分権が異なる別個の行為であることや、音楽教室における録音物の利用主体は、原告らであって、教師及び生徒ではないことを理由に、上記原告らの主張を排斥しています。
権利濫用の成否
原告らは、①教則本やレッスンで使用するCD等の録音物を制作する際や、生徒による発表会など著作権が及ぶ使用については被告に使用料を払っているので、音楽教室における演奏について著作物使用料を徴収することは、過度の負担を強いるものであること、②音楽教室のレッスンにおける演奏に対して著作物使用料が発生することになれば、その萎縮効果から、被告管理楽曲は使用しなくなり、ひいては文化の発展に寄与するという著作権法1条の目的に反すること、③被告は音楽教室における演奏について長年権利を行使してこなかったから、被告の原告らからの使用料の徴収は権利の濫用に当たると主張していました。
しかしながら、裁判所は、①演奏については教則本等の複製とは支分権の異なる別個の行為であること、②使用料規程に基づく使用料の負担が音楽著作権者の保護の要請との均衡を失するほど過大とはいえないこと、③昭和46年から平成15年までの間音楽教室における演奏について権利を行使しなかったことは、一部の原告が協議に応じなかった等の事情によるもので、合理的な理由がある等と述べ、権利濫用の主張は認めませんでした。
コメント
本件は、JASRACが音楽教室事業者から楽曲使用料を徴収することが認められるかが争われた事案として注目されていましたが、裁判所は音楽教室事業者側の主張を認めないという判断をしました。(なお、本判決に対しては原告側から控訴がされています。)
本件は、著作物の利用主体の判断につき、従来から裁判所が用いてきたものと同様の基準を音楽教室における楽曲の演奏についても適用した点や、著作権法22条の「公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として」との文言の解釈を示した点において、実務上参考になるものと思われます。
本判決の個々の論点についての解釈はこれまでの判例の考え方から外れるものではありませんが、本判決が生徒の演奏について音楽教室の利用主体性を認める一方、生徒を「公衆」と認定している点については、論理的な点から疑問も残るところです。
本記事に関するお問い合わせはこちらから。
(文責・町野)