令和元年(2019年)6月14日、公正取引委員会(公取委)は、「製造業者のノウハウ・知的財産権を対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査報告書」を公表しました。これは、独占禁止法の優越的地位の濫用規制に係る実態について、製造業者の保有するノウハウや知的財産権に焦点を当てて実施された初めての調査です。製造業者から寄せられた多数の具体的事例が掲載されており、知的財産に関するいかなる行為が優越的地位の濫用等に該当するかを検討するうえで重要な資料となりますので、ご紹介します。
ポイント
- 公取委が「製造業者のノウハウ・知的財産権を対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査」を実施したところ、取引条件に含まれていないものを無償で提供させられるという従前知られた事例のほかに、取引条件の内容自体に優越的地位の濫用規制上又は下請法上の問題があるとする事例が多数報告されました。
- 参考事例集においては、独占禁止法2条9項5号ロ(経済上の利益の提供要請)又はハ(その他取引条件の設定等)の行為に該当し得るものとして、①秘密保持契約・目的外使用禁止契約無しでの取引を強要される、②営業秘密であるノウハウの開示等を強要される、③ノウハウが含まれる設計図面等を買いたたかれる、④無償の技術指導・試作品製造等を強要される、⑤著しく均衡を失した名ばかりの共同研究開発契約の締結を強いられる、⑥出願に干渉される、⑦知的財産権の無償譲渡・無償ライセンス等を強要される、⑧知財訴訟等のリスクを転嫁されるという8類型について、具体的事例が紹介されています。
- その他、取引先の要請を受け入れた理由や製造業者に生じた不利益に関する調査結果等も紹介されています。
解説
優越的地位の濫用規制
本報告書の内容を紹介する前に、独占禁止法の優越的地位の濫用規制について、簡単に説明します。
独占禁止法は、公正かつ自由な競争を促進するため(独占禁止法1条)、不当な取引制限(カルテルや入札談合)や私的独占(コスト割れ供給、抱き合わせ等)とともに、不公正な取引方法を禁止しています(独占禁止法19条)。そして、不公正な取引方法の一つに、優越的地位の濫用(独占禁止法2条9項5号・6号ホ)があります。
第二条
⑨ この法律において「不公正な取引方法」とは、次の各号のいずれかに該当する行為をいう。
五 自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して、正常な商慣習に照らして不当に、次のいずれかに該当する行為をすること。
イ 継続して取引する相手方(新たに継続して取引しようとする相手方を含む。ロにおいて同じ。)に対して、当該取引に係る商品又は役務以外の商品又は役務を購入させること。
ロ 継続して取引する相手方に対して、自己のために金銭、役務その他の経済上の利益を提供させること。
ハ 取引の相手方からの取引に係る商品の受領を拒み、取引の相手方から取引に係る商品を受領した後当該商品を当該取引の相手方に引き取らせ、取引の相手方に対して取引の対価の支払を遅らせ、若しくはその額を減じ、その他取引の相手方に不利益となるように取引の条件を設定し、若しくは変更し、又は取引を実施すること。
六 前各号に掲げるもののほか、次のいずれかに該当する行為であつて、公正な競争を阻害するおそれがあるもののうち、公正取引委員会が指定するもの
ホ 自己の取引上の地位を不当に利用して相手方と取引すること。
5号イは、購入・利用強制を、5号ロは、経済上の利益の提供要請を、5号ハは、受領拒否、不当な返品、支払遅延、不当な値引き、買いたたき、その他取引条件の設定等をそれぞれ規制するものです。6号ホに基づいて公取委が指定する行為としては、取引の相手方の役員選任への不当干渉があります(一般指定13項)。
優越的地位の濫用は、公取委による排除措置命令の対象となり(独占禁止法20条)、そのうち独占禁止法に規定されているもの(独占禁止法2条9項5号)であって、継続的なものは、公取委による課徴金納付命令の対象になります(独占禁止法20条の6)。また、優越的地位の濫用は、差止請求の対象にもなります(独占禁止法24条)。
優越的地位の濫用の要件は、①優越的地位(「自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して」)、②濫用(経済上の利益の提供要請等の各行為類型に該当する行為)、③公正競争阻害性(「正常な商慣習に照らして不当に」)の3つです。それぞれの考え方については、公取委「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」(平成22年11月30日公表、平成29年6月16日改正。以下「優越ガイドライン」といいます。)に詳しく述べられています。
①の「優越的地位」について、優越ガイドライン第2の1は、一方当事者が優越的地位にあるというためには、市場支配的な地位又はそれに準ずる絶対的に優越した地位である必要はなく、取引の相手方との関係で相対的に優越した地位であれば足り、優越的地位にあるとは、取引の継続が困難になることが事業経営上大きな支障を来すため、著しく不利益な要請等を行っても、これを受け入れざるを得ないような場合であると述べています。そして、優越ガイドライン第2の2によると、甲が乙に対して取引上の地位が優越しているかどうかの判断にあたっては、①乙の甲に対する取引依存度、②甲の市場における地位、③乙にとっての取引先変更の可能性、④その他甲と取引することの必要性を示す具体的事実が総合的に考慮されます。
②の「濫用」については、経済上の利益の提供要請等の各行為類型を踏まえ、取引相手方に「不利益」を与えているといえるか否かを検討する必要があると考えられます。
なお、独占禁止法の優越的地位の濫用規制を補完するものとして、下請代金支払遅延等防止法(下請法)があります。下請法は、優越的地位の有無を資本金により形式的に定め、濫用の行為類型についても、独占禁止法に比べて具体的に定めています。公取委は、下請法の適用対象であれば、下請法を優先的に適用しています。
調査の経緯
近年、知的財産保護の重要性が高まっていることや、平成30年6月19日に開催された第210回独占禁止懇話会において、会員から「中小企業の方々から、大企業に技術、ノウハウといった知的財産が不当に吸い上げられているといった声が聞かれる。中小企業は独自のノウハウを持っており、それを武器にしているので、このような部分にも目を向けていただきたい。」旨の発言がなされたこと等を踏まえ、本調査が実施されました。
これまで、取引条件に含まれていないものを無償で提供させられる事例が知られていました。しかし、有識者から、理不尽な契約書にサインさせられるケースが多い旨の指摘もあったため、本調査では、ノウハウや知的財産権に関する不当な取引条件の内容についても広く事例が収集されました。
なお、本調査では、製造業者の保有する技術に関する知的財産のうち、権利に関するものを「知的財産権」、それ以外のものをまとめて「ノウハウ」と表記されています。
調査方法
書面調査 | 調査票の発送数:30,000通(内訳:中小企業26,300通、大企業3,700通) 対象:製造業の全業種 回収数:15,875通(回収率52.9%) 報告対象期間:平成25年10月1日~平成30年9月30日 |
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ヒアリング調査 | 122件(内訳:製造業者101件、事業者団体13件、弁護士等の有識者8件) |
我が国における特許出願動向等
本報告書によると、我が国に所在する企業の99%以上は中小企業ですが、我が国企業による特許出願の約85%は大企業等により行われており、我が国の知的財産活動は大企業等を中心に行われています。
契約時のチェック体制・不安感等
書面調査では、公取委は、製造業者に対し、①ノウハウ・知的財産権に係る取扱いを確認する担当者等の有無と、②そのような契約を行う際に不安を感じることがあるかを質問しました。結果は、以下のとおりです。
契約締結時等にノウハウ・知的財産権に係る取扱いをチェックする担当者又は相談できる外部の専門家(弁護士、弁理士等)がいる | 92.1% | 72.6% |
契約締結時にノウハウ・知的財産権の取扱いについて不利な条項が入っていないか不安に感じることがある | 30.7% | 21.3% |
製造業者から報告された事例の概要
書面調査では、公取委は、製造業者に対し、優越的地位(取引の相手方との関係で相対的に優越した地位)にある取引先から、ノウハウや知的財産権に関して「納得できない」取引条件を設定されたり、取引条件に含まれていなかったものを無償で提供させられたりした事例の報告を求めました。その結果、製造業者641社(大企業160社、中小企業480社、資本金額無回答1社)から合計726件の事例が報告されました。
(内訳)
ノウハウや知的財産権に関する取引条件の内容自体を問題視するもの | 449件 | 61.8% |
取引条件に無いものを無償で提供させられたというもの | 227件 | 38.2% |
書面調査で多かった回答は、以下のとおりです(他の回答を含む回答数の詳細は、本報告書をご覧ください。)。
(全体)
製品を納めるだけの契約だったのに、レシピ、設計図面、3次元データ等の契約に含まれていないノウハウ・知的財産権まで無償で提供させられた。 | |
取引に伴い、対象商品に係る共同研究開発を行っていたところ、主に自社のノウハウや知的財産権を用いて新たに生み出された発明等であっても、全て一方的に取引先に帰属する取引条件になっていた。 | |
取引先に提供する内容に自社のノウハウや知的財産権が含まれているにもかかわらず、そのノウハウ・知的財産権に係る対価を考慮せずに一方的に低い対価を定められた(又は、ノウハウ・知的財産権に係る対価が無償だった。)。 |
(大企業)
その取引の経験に基づいて、自社が独自に新たな発明等を生み出した際には必ず取引先へ報告し、出願等する際には必ず許可を得なければならないといった取引条件になっていた。 | |
取引に伴い、対象商品に係る共同研究開発を行っていたところ、主に自社のノウハウや知的財産権を用いて新たに生み出された発明等であっても、全て一方的に取引先に帰属する取引条件になっていた。【全体2位】 | 製品を納めるだけの契約だったのに、レシピ、設計図面、3次元データ等の契約に含まれていないノウハウ・知的財産権まで無償で提供させられた。【全体1位】 |
(中小企業)
製品を納めるだけの契約だったのに、レシピ、設計図面、3次元データ等の契約に含まれていないノウハウ・知的財産権まで無償で提供させられた。【全体1位】 | |
門外不出のノウハウやレシピを開示することを一方的に義務付けられた。 | |
取引先に提供する内容に自社のノウハウや知的財産権が含まれているにもかかわらず、そのノウハウ・知的財産権に係る対価を考慮せずに一方的に低い対価を定められた(又は、ノウハウ・知的財産権に係る対価が無償だった。)。【全体3位】 |
以上のとおり、大企業では、知的財産権に関連した回答が多かった一方、中小企業では、ノウハウに関連した回答が多かったようです。
取引先の要請を受け入れた理由
書面調査で多かった回答は、以下のとおりです(他の回答を含む回答数の詳細は、本報告書をご覧ください。)。
取引先から今後の取引への影響を示唆されたわけではないが、その要請を断った場合、今後の取引への影響があると自社で判断したため。 | |
取引先から今後の取引への影響を示唆され、受け入れざるを得なかったため。 | 取引先は市場におけるシェアの高い有力な事業者等であり、取引を行うことで将来の売上高の増加や自社の信用力の確保につながると判断したため。 |
また、中小企業では、「当時はノウハウ・知的財産権に関する専門的な知識がなく、取引先からの要請をそのまま受け入れていたため。」が約1割(9.0%)に達し、3.9%にとどまった大企業との間に差異がみられました。
ヒアリング調査では、以下の回答などがありました。
- 応じなければ、その取引先に供給している別の製品の調達先を他社に切り替えると示唆されたため(化学工業)
- 既存の大口取引先が生産拠点を海外に移してしまったことを受けた新規取引であり、事業継続のために一方的な取引条件でも飲まなければならなかったため(生産用機械器具製造業)
- 新規の取引であったが、川下市場が世界で数社というまでに寡占化しており、その取引先以外の販売先を見つけるのが容易ではなかったため(情報通信機械器具製造業)
その他、ベンチャー企業に関連した意見も紹介されています。
取引年数と取引依存度
書面調査では、公取委は、取引先の要請を受け入れた時点における取引年数と取引依存度についても質問しました。取引年数については5年超との回答が多く(62.9%)、取引依存度については10%以下との回答が過半数(50.3%)でした。
製造業者に生じた不利益
書面調査では、公取委は、取引先の要請により生じた不利益の内容についても質問しました。多かった回答は、以下のとおりです(他の回答を含む回答数の詳細は、本報告書をご覧ください。)。
現状、不利益は生じていない。 | |
取引先が自社のノウハウ・知的財産権を用いて、内製化したり、他の価格の安い事業者へ発注するようになった(技術流出による内製化・転注)。 | 取引先から本来受け取れるはずのノウハウ・知的財産権に係る対価が受け取れなかった(買いたたき)。 |
1位の「現状、不利益は生じていない。」との回答については、「ノウハウや知的財産権の場合、将来における発明等の帰属について不利な取引条件を設定されている場合でも現時点でまだ発明等が生じていない(具体的な不利益が生じていない)といったケースがあるほか、営業秘密の流出の有無やそれによる損害等を具体的に認識するのが難しいケースなどがあるためと考えられる」との分析が記載されています。
また、この回答については、大企業では39.2%に達し、19.6%にとどまった中小企業との間に差異がみられました。
参考事例集(今回の調査で報告された事例)
本報告書では、今回の調査で報告された事例の中から、独占禁止法2条9項5号ロ(経済上の利益の提供要請)又はハ(その他取引条件の設定等)の行為に該当し得るものを抽出して作成した参考事例集が掲載されています。
参考事例集中の事例がすべて違法であるとの趣旨でない点には留意が必要です。本報告書においても、優越的地位の濫用規制の観点から問題があると評価されるのは、「自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して、正常な商慣習に照らして不当に」(独占禁止法2条9項5号)行われて製造業者に不利益を与える場合であり、製造業者がノウハウや知的財産権の移転等に係る対価の支払を受けるなど、納得したうえで取引先の要請を受け入れている場合や不利益が生じていない場合には、優越的地位の濫用として問題とはならないと記載されています。
次項以下では、参考事例集で採用されている次の分類に沿って、全事例(30事例)を具体的に紹介します。
① 秘密保持契約・目的外使用禁止契約無しでの取引を強要される
② 営業秘密であるノウハウの開示等を強要される
③ ノウハウが含まれる設計図面等を買いたたかれる
④ 無償の技術指導・試作品製造等を強要される
⑤ 著しく均衡を失した名ばかりの共同研究開発契約の締結を強いられる
⑥ 出願に干渉される
⑦ 知的財産権の無償譲渡・無償ライセンス等を強要される
⑧ 知財訴訟等のリスクを転嫁される
参考事例①―秘密保持契約・目的外使用禁止契約無しでの取引を強要される
事例1
何度求めても絶対に秘密保持契約等を締結してもらえず,秘密保持契約等が無い状態での取引を強いられる(金属製品製造業)事例2
自社は,取引先の秘密を厳格に守る必要がある一方,取引先は,自社から開示した技術を無償で様々なビジネスに利用できるという片務的な契約の締結を強いられる(業務用機械器具製造業)事例3
秘密保持契約等に応じてもらえない上,取引先の判断で取引先の提携先や顧客等に技術を開示することができるという契約を一方的に締結させられる(生産用機械器具製造業)
このような事例を踏まえ、公取委は、「このような行為を行う側としては,これまで秘密保持契約等を締結していなかったのでその必要性を感じていない,又は秘密保持契約等が無い形で取引することを前提として対価を定めていると認識している場合もあると思われるが,今回の調査結果を踏まえると,製造業者の側においては,秘密保持契約等無しでの取引に見合った対価になっていないと認識している場合もあることから,問題の未然防止のためには,取引条件の明確化とともに,対価に係る十分な協議を行う事が重要である」と指摘しています。
なお、「秘密保持契約等を伴わない取引が全て問題となり得るわけではないことに留意する必要がある」とも記載されています。
参考事例②―営業秘密であるノウハウの開示等を強要される
<秘密としている技術資料等を開示させられる事例>
事例4
小売業者からプライベート・ブランド商品(食料品)の生産を受託したところ,改良の参考にしたいという理由で,自社のナショナル・ブランド商品のレシピを開示させられる(食料品製造業)事例5
新商品の取引を始めるに当たり,取引先に提出する商品カルテ等に秘密としているレシピや製造工程を記載するよう強要される(食料品製造業)事例6
自社で製造している特殊な生地に関して,製造を再現できてしまうほどの技術情報(ノウハウ)を無償で開示させられる(繊維工業)事例7
取引条件とされていた技術情報は既に提供しているのに,追加して,営業秘密として管理している染色用薬剤の技術情報を無償で開示させられる(繊維工業)事例8
取引先に提出するQC工程表に営業秘密として管理している加工ノウハウまで無償で記載するよう強要される(金属製品製造業)事例9
不具合が生じているわけでもないのに,取引先に対して,ノウハウの塊である制御アプリケーションのソースコードを無償で開示させられる(電気機械器具製造業)事例10
自社の都合で取引を終了する場合だけでなく,取引先の希望で取引を終了させる場合であっても,供給責任の名目で,製造方法等の営業秘密を全て無償で取引先等に引き継がなければならないという取引条件を受け入れさせられる(金属製品製造業)事例11
取引先の防衛的な特許出願に付き合わされる形で,十分な協議もできないまま,意に反して,秘匿しておきたかった営業秘密を共同出願させられ,公開情報にされる(化学工業)<発注内容にない金型設計図面等を無償で提供させられる事例>
事例12
発注内容に含まれていなかった金型設計図面やその他の技術データを後から全て無償で提供させられる(生産用機械器具製造業)<一方的な工場見学や工場内撮影を強要される事例>
事例13
取引先が必要と判断した場合には,具体的な必要性がない場合であっても,自社にとって素性が分からない人物(取引先の顧客や取引先が指定する者)も含めた全面的な工場見学に応じることを強いられる(金属製品製造業)事例14
秘密保持契約や目的外使用禁止契約に応じてもらえない状況の下,営業秘密を扱っている区画も含めた製造工程等を全て動画撮影して無償で提供するよう強要される(電子部品・デバイス・電子回路製造業)
このような事例を踏まえ、公取委は、「このような行為を行う側としては,ノウハウの開示分も含めて取引の対価を設定していると認識している場合もあると思われるが,今回の調査結果を踏まえると,製造業者の側にはそのような認識が無い場合もあることから,問題の未然防止のためには,取引条件の明確化とともに,対価に係る十分な協議を行う事が重要である」と指摘しています。
参考事例③―ノウハウが含まれる設計図面等を買いたたかれる
事例15
金型だけを納品する取引から,金型に併せて自社のノウハウが含まれる金型設計図面等の技術資料も納品する取引に変更したにもかかわらず,対価は一方的に据え置かれる(金属製品製造業)
参考事例④―無償の技術指導・試作品製造等を強要される
<競合他社に熟練工の特殊技術を無償で供与させられる>
事例16
転注先の海外メーカーが図面どおりに製造できなかったという理由で,当該海外メーカーの工員に対して,自社の熟練工による技術指導を無償で実施させられる(生産用機械器具製造業)<継続取引の中での無償の試作品製造(実験等)を要請される>
事例17
継続的に取引している取引先から,発注とは別に,先方が提示する技術的な課題を研究するよう一方的に指示され,取引を継続するために,全額自己負担で取引先のために試作品の製造や実験等を繰り返しさせられる(輸送用機械器具製造業)
事例17のような事例以外にも「大手企業から,対価をもらえるわけでもないのに,『○○について調べておいてよ』と軽い感じで要求されたり,『お願いしていた件,どうなりましたか?』などと催促されたりする(業務用機械器具製造業)」という報告も寄せられたようです。
このような事例を踏まえ、公取委は、「このような行為を行う側としては,こうした対応分も含めた取引の対価を設定していると認識している場合もあると思われるが,今回の調査結果を踏まえると,製造業者の側にはそのような認識が無い場合もあることから,問題の未然防止のためには,取引条件の明確化とともに,対価に係る十分な協議を行うことが重要である」と指摘しています。
参考事例⑤―著しく均衡を失した名ばかりの共同研究開発契約の締結を強いられる
事例18
ほとんど自社の技術を用いて行う名ばかりの共同研究開発であるにもかかわらず,その成果である新技術は,発明の寄与度に関係なく,全て取引先にのみ無償で帰属するという取引先作成の雛形で契約させられ,新技術を奪われる(ゴム製品製造業)
このような事例を踏まえ、公取委は、「このような行為を行う側としては,成果の帰属分も含めて取引の対価を設定していると認識している場合もあると思われるが,今回の調査結果を踏まえると,製造業者の側にはそのような認識が無い場合もあることから,問題の未然防止のためには,取引条件の明確化とともに,対価に係る十分な協議を行うことが重要である」と指摘しています。
参考事例⑥―出願に干渉される
<出願内容の報告・修正を強いられる>
事例19
取引とは直接関係のない,自社だけで生み出した発明等を出願する場合でも,取引先に事前に出願内容を報告し,修正指示があれば,見返りなしで応じることを余儀なくされる(その他の製造業)<単独発明であっても,取引先と共同出願にさせられる>
事例20
新しい発明を出願する場合には,取引先が一切関与していない場合でも,必ず共同出願にしなければならないという取引条件を一方的に受け入れさせられる(生産用機械器具製造業)事例21
完全に自社単独で生み出した技術であるにもかかわらず,取引先から共同出願とするよう強要されるとともに,自社が第三者へのライセンスを行う場合のみ取引先の承諾が必要となる契約まで締結させられる(輸送用機械器具製造業)事例22
取引先からの要請により,単独出願していたものを見返りなしで共同出願に変更させられ,当該特許を用いた製品の販売先まで制限される(化学工業)
このような事例を踏まえ、公取委は、「このような行為を行う側としては,製造業者に供与した技術を勝手に出願されないよう事前に確認する必要があったり,将来の共同出願を前提として取引の対価を設定していると認識していたりする場合もあると思われるが,今回の調査結果を踏まえると,製造業者の側においては,取引先に本来事前に報告する必要のないものまで報告させられたり,事前に何の話もなかったのに急に共同出願にさせられたと認識している場合もあることから,問題の未然防止のためには,出願前に報告しなければならない範囲や発明等が生じた場合に共同出願とするかどうかといった取引条件の明確化とともに,対価に係る十分な協議を行うことが重要である」と指摘しています。
参考事例⑦―知的財産権の無償譲渡・無償ライセンス等を強要される
<知的財産権の無償譲渡等を強要される>
事例23
取引先に特許権の持分の2分の1を無償譲渡させられた上,自社から第三者への実施許諾時にのみ取引先の承諾を得なければならないという契約まで締結させられる(化学工業)事例24
納品した後になって,取引の中で生み出された技術の権利が全て無償で取引先に帰属するという契約を締結させられる(実質的に無償譲渡させられる)(電気機械器具製造業)<知的財産権の無償ライセンス等を強要される>
事例25
取引先に開示・提供したアイデアや技術等の知的財産は,取引先が無償かつ無制限に使用することができるという一方的なライセンス条項を受け入れることを余儀なくされる(石油製品・石炭製品製造業)事例26
取引の過程において自社単独で生み出した知的財産権を,全て取引先に無償でライセンスするという取引条件を受け入れさせられる(プラスチック製品製造業)事例27
複数のサプライヤーから調達したいという取引先の希望で,意に反して,自社のノウハウを競合相手に僅かな対価でライセンスさせられる(パルプ・紙・紙加工品製造業)<最恵待遇でのライセンスを一方的に義務付けられる>
事例28
取引先のみに都合がよい契約書を押し付けられ,その取引先に対して常に最恵待遇でライセンスする義務を一方的に負わされる(金属製品製造業)
このような事例を踏まえ、公取委は、「このような行為を行う側としては,無償譲渡・無償ライセンス分等も含めた取引の対価を設定していると認識している場合もあると思われるが,今回の調査結果を踏まえると,製造業者の側にはそのような認識が無い場合もあることから,問題の未然防止のためには,取引条件の明確化とともに,対価に係る十分な協議を行うことが重要である」と指摘しています。
参考事例⑧―知財訴訟等のリスクを転嫁される
事例29
取引先の指示に従って加工するだけの取引であるにもかかわらず,納品した製品に関して知的財産訴訟等が生じた場合,その責任を全て負わなければならないという取引条件を一方的に設定される(金属製品製造業)事例30
取引先が設計して自社に製造委託した製品であるにもかかわらず,知的財産上の係争等が生じた場合,その責任を全て負わなければならないという取引条件を一方的に設定される(情報通信機械器具製造業)
このような事例を踏まえ、公取委は、「このような行為を行っている事業者の中には,取引の実態に合わない契約書(雛形)をそのまま押し付けている場合などもあると考えられ,問題の未然防止のためには,契約の内容が取引の実態に合ったものとなるよう,十分な協議を行うことが重要である」と指摘しています。
今回の調査結果に対する公取委の評価と対応
今回の調査により、取引条件に含まれていないものを無償で提供させられるという従前知られた事例のほかに、取引条件の内容自体に優越的地位の濫用規制上又は下請法上の問題があるとする事例が多数報告されました(報告事例の61.8%)。これを受け、公取委は、本報告書において、取引当事者間の自由な交渉の結果、一方当事者の取引条件が不利となることは当然起こり得るとしたうえで、以下のとおり指摘しています。
しかしながら,取引条件の内容に関するものであっても「取引の相手方に不利益を与える行為」が「優越的な地位を利用して,正常な商慣習に照らして不当に」行われる場合には,優越的地位の濫用規制上の問題が生じ得るものであり,事業者においては,今回の調査結果のとおり,ノウハウ・知的財産権に関する取引条件の内容に不満を感じている製造業者も多く存在していることに留意が必要である。
製造業者が研究開発等の末に獲得したノウハウや知的財産権は,当該事業者の競争力の源泉となるものであり,秘匿しておきたいノウハウを意に反して開示させられたり,苦労して取得した知的財産権を意に反して無償譲渡・無償ライセンス等させられたりするのでは,当該事業者の知的財産戦略自体が成り立たなくなってしまう。
また,このような行為は,製造業者からノウハウや知的財産権を奪った取引先にとってはその競争者との関係において競争上有利となる一方で,ノウハウや知的財産権を奪われた製造業者にとってはその競争者との関係において競争上不利となるおそれが生じるものである。
また、公取委は、知的財産活動が活発な大企業からも多数の事例が報告されたことに注目し、たとえ相手の製造業者が大企業であっても、優越的地位の濫用規制上の問題となり得ることに留意を促しています。さらに、公取委は、ベンチャー企業に関する事例や意見も多く寄せられたことにも注目し、画期的な技術を持ったベンチャー企業が市場から退出させられてしまうことに懸念を示しています。
そして、公取委は、独占禁止法及び下請法上問題となり得る行為を未然に防止するため、製造業全体に対して本報告書を周知するとともに、以下のとおり、問題行為に対して厳正に対処していくことを表明しています。
また,公正取引委員会は,今後とも,製造業者のノウハウ・知的財産権を対象とした優越的地位の濫用行為等についての情報収集に努めるとともに,違反行為に対して厳正に対処していく(下請法違反行為については,共同して下請法を運用している中小企業庁と連携して厳正に対処していく。)。
コメント
優越的地位の濫用については、公取委が優越ガイドラインや「役務の委託取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の指針」(平成10年3月17日公表、平成23年6月23日最終改正)を公表し、実務上の指針を提供しています。しかし、知的財産権を巡る優越的地位の濫用については、それらにおいて必ずしも十分に言及されていなかったため、本報告書により、優越的地位の濫用に該当し得る多数の具体的事例が参考事例集として公表されたことは、実務上、非常に重要であると考えられます。
本報告書にも記載されているとおり、参考事例集の各事例は、公取委が優越的地位の濫用に該当すると認定したものではありません(あくまで該当し得る行為です)。しかし、公取委は、本報告書において違反行為に厳正に対処すると表明しており、参考事例集の各事例に類似する事例については、これまで以上に、厳しい態度をとる可能性があります。そのため、今後、実際の事案が参考事例集の各事例に類似するときは、相当慎重に優越的地位の濫用の該当性を検討する必要があるものと思われます。
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(文責・溝上)