東京地方裁判所民事第46部(柴田義明裁判長)は、本年(令和2年)1月30日、発明の名称を「加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置」とする特許について、実施可能要件違反を理由に、その権利行使を否定する判決をしました。実施可能要件違反の具体的な内容として、判決は、特許発明が前提とする自然現象が生じず、それ故、発明の一部について、当業者がその構成を特定できないことを問題としています。

ポイント

骨子

  • 平成14年法律第24号による改正前の特許法36条4項は,明細書の発明の詳細な説明の記載は「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない」と定める。物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),同条にいう記載がされているというためには,物の発明については,明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき,当業者がその物を作ることができ,かつ,その物を使用することができる必要があるといえる。
  • 本件訂正発明1-1を実施するためには,排気装置の生産,使用に当たり,その吸引端を「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」(構成要件1-1E)とする必要があるところ,本件明細書1において,当業者が「熱気流の上部」を検知して本件訂正発明1-1を生産,使用することができる程度に明確かつ十分な記載がされているとは評価できない。

判決概要

裁判所 東京地方裁判所民事第46部
判決言渡日 令和2年1月30日
事件番号
事件名
平成29年(ワ)第39602号
特許権侵害差止等請求事件
対象特許 特許第3460996号及び特許第3460998号
「加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置」
裁判官 裁判長裁判官 柴 田 義 明
裁判官    安 岡 美香子
裁判官    古 川 善 敬

解説

特許を受けるための要件

特許とは特許権を付与する行政処分をいい、特許を受けるためには、一定の要件を満たすことが必要です。

第一に、権利の主体、つまり、誰が権利者となることができるか、という観点からは、出願人が特許に関する権利を享有することのできる者であることが必要です。この点、日本国民については権利の享有に特に制限はありませんが、日本国内に住所や居所・営業所を有しない外国人が権利を享有するためには、特許法25条所定の要件を満たす必要があります。

第二に、権利の客体、つまり、どのような発明が特許の対象になるのか、という観点からは、対象となる発明が、特許法にいう「発明」(特許法2項1項)に該当し、産業上の利用可能性、新規性及び進歩性を有するとともに、公序良俗や公衆衛生を害しないものであることが必要です。こういった発明の実体に着目した要件は「特許要件」と呼ばれ、特許法29条から32条にかけて規定されています。

第三に、手続の観点から、適式な出願がなされることも必要で、具体的には、特許庁に提出される出願書類の記載が法律上の要件を満たしていることが求められます。こういった出願書類の記載上の要件は「記載要件」と呼ばれ、特許法36条に基本的な規定があります。記載要件の中でも特許制度の基本思想に根差すものの違反は特許の消長に影響するため、実務的に、記載要件は、特許要件と並んで頻繁に問題となります。この点は本稿の中心的なテーマにですので、後で詳述します。

第四に、同一の発明について複数の出願人から出願があったときは、最先の出願人だけが特許を受けることができます。この考え方を先願主義といい、かつては発明の先後を基準とする先発明主義と対比される制度でした。わが国では、実質的に最初の特許法である明治18年の専売特許条例以来先発明主義が採用されていましたが、大正10年特許法改正で先願主義に移行し、現行特許法では39条にその規定があります。なお、各国が先願主義に移行する中、米国は最後まで先発明主義を残していましたが、2013年施行のAmerica Invents Act(AIA)により先願主義に移行し、現在では、すべての主要国が先願主義を採用しています。

記載要件とは

上述のとおり、特許を受けるための要件の1つとして、適式な出願をすること、つまり、必要な出願書類を提出し、かつ、提出された出願書類が記載要件を充足することが求められます。

まず、提出すべき書類について見ると、特許法36条1項は、以下のとおり、出願人や発明者に関する事項を記載した願書を提出することを求め、同条2項は、願書に、明細書、特許請求の範囲、必要な図面及び要約書を添付することを求めています。

(特許出願)
第三十六条 特許を受けようとする者は、次に掲げる事項を記載した願書を特許庁長官に提出しなければならない。
 特許出願人の氏名又は名称及び住所又は居所
 発明者の氏名及び住所又は居所
 願書には、明細書、特許請求の範囲、必要な図面及び要約書を添付しなければならない。

また、同条3項以下には、上記の各添付書類に何を記載すべきか、つまり記載要件が定められています。具体的には、以下のとおり、同条3項、4項には明細書の記載要件が、同条5項、6項には特許請求の範囲の記載要件が、同条7項には要約書の記載要件が定められています。

(特許出願)
第三十六条
(略)
 前項の明細書には、次に掲げる事項を記載しなければならない。
 発明の名称
 図面の簡単な説明
 発明の詳細な説明
 前項第三号の発明の詳細な説明の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
 経済産業省令で定めるところにより、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること。
 その発明に関連する文献公知発明(第二十九条第一項第三号に掲げる発明をいう。以下この号において同じ。)のうち、特許を受けようとする者が特許出願の時に知つているものがあるときは、その文献公知発明が記載された刊行物の名称その他のその文献公知発明に関する情報の所在を記載したものであること。
 第二項の特許請求の範囲には、請求項に区分して、各請求項ごとに特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記載しなければならない。この場合において、一の請求項に係る発明と他の請求項に係る発明とが同一である記載となることを妨げない。
 第二項の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
 特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。
 特許を受けようとする発明が明確であること。
 請求項ごとの記載が簡潔であること。
 その他経済産業省令で定めるところにより記載されていること。
 第二項の要約書には、明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した発明の概要その他経済産業省令で定める事項を記載しなければならない。

これらの規程により、明細書は、発明に関する説明が記載された文書であり、特許請求の範囲は、権利の対象となり、明細書で詳細に説明された発明が明確・簡潔に記載された文書、ということになります。

実施可能要件とその解釈

実施可能要件の意味

実施可能要件とは、上記の記載要件のうち、明細書中の「発明の詳細な説明」(同条3項3号)の記載要件で、以下に再掲する特許法36条4項1号に規定があります。具体的には、発明の詳細な説明について、経済産業省令で定めるところにより、当業者(「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者」)が発明を実施できるように説明をすることを要求するものです。

(特許出願)
第三十六条
(略)
 前項第三号の発明の詳細な説明の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
 経済産業省令で定めるところにより、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること。
(略)

ここにいう「経済産業省令」の定めは、特許法施行規則24条の2にあり、以下のとおり、実施可能要件を満たすためには、技術的な課題や解決手段といった観点から、「(当業者が)発明の技術上の意義を理解するために必要な事項」を記載することを求めています。

(発明の詳細な説明の記載)
第二十四条の二 特許法第三十六条第四項第一号の経済産業省令で定めるところによる記載は、発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならない。

実施可能要件の趣旨

実施可能要件は、各種記載要件の中でも、特許法の基本的な制度趣旨に根差した要件のひとつです。

特許制度は、新規で有用な発明を世の中に公開することの代償として、一定期間の独占権である特許権を与えるもの、と考えられています。このような考え方を「公開代償説」といいます。本来、技術の独占は技術革新を阻害するものとなるところ、公開代償説は、特許権という代償を与えることで優れた技術を世に出させれば、保護期間が満了した後にその技術を誰もが自由に利用できるようになり、産業が発達する、という仮説に基づき、特許による技術独占を正当化するものといえます。

この考え方によると、特許を与えるにあたって、保護期間満了後に、当業者が対象技術を使える、という状態を担保することにより、特許による技術独占を正当化することが可能になります。そのため、出願書類に、当業者が特許発明を実施できる程度に発明の説明を記載することが要求されるわけです。これが、特許を取得する上で実施可能要件の充足が求められる理由です。

平成14年特許法改正と実施可能要件

発明の詳細な説明の記載要件に関する特許法36条4項については、平成14年に改正がありました。従前の規定は以下のようなもので、現行法とは異なり、1号、2号に分かれておらず、実施可能要件のみが規定されていました。これに対し、同年の法改正によって上に引用した同項2号が加えられ、出願人が保有する先行技術文献情報の記載が義務化されました。この改正に伴い、実施可能要件についても形式的に文言が変更されましたが、実質的な変更ではありません。

(特許出願)
第三十六条
(略)
 前項第三号の発明の詳細な説明は、通商産業省令で定めるところにより、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に、記載しなければならない。

実施可能要件の具体的意味

上記のとおり、明細書の記載が明確性要件を充足するためには、当業者が発明を「実施をすることができる程度に明確かつ十分に」記載することが必要です。ここにいう「実施」の意味については、特許法が以下のとおり定義しています。

(定義)
第二条 (略) この法律で発明について「実施」とは、次に掲げる行為をいう。
 物(プログラム等を含む。以下同じ。)の発明にあつては、その物の生産、使用、譲渡等(譲渡及び貸渡しをいい、その物がプログラム等である場合には、電気通信回線を通じた提供を含む。以下同じ。)、輸出若しくは輸入又は譲渡等の申出(譲渡等のための展示を含む。以下同じ。)をする行為
 方法の発明にあつては、その方法の使用をする行為
 物を生産する方法の発明にあつては、前号に掲げるもののほか、その方法により生産した物の使用、譲渡等、輸出若しくは輸入又は譲渡等の申出をする行為
(略)

上記定義により、「実施をすることができる」というのは、物の発明については、発明の対象となる物を「生産」し、「使用」することができる、ということが求められます。物の発明の実施行為としては、譲渡(販売)や輸出入等もありますが、これらの行為は、物を生産できれば通常可能になるため、一般に実施可能要件との関係で考慮されることはありません。

以上の解釈について、例えば、知財高判平成27年8月5日平成26年(行ケ)第10238号は、以下のように述べています。

特許法36条4項1号は,明細書の発明の詳細な説明の記載は,「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したもの」でなければならないと定める。
特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につき独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容を一般に開示する内容を記載しなければならない。特許法36条4項1号が上記のとおり規定する趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に発明が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことにあると解される。
そして,物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),同法36条4項1号の「その実施をすることができる」とは,その物を作ることができ,かつ,その物を使用できることであり,物の発明については,明細書にその物を生産する方法及び使用する方法についての具体的な記載が必要であるが,そのような記載がなくても,明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき,当業者がその物を作ることができ,かつ,その物を使用できるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということができる。
さらに,ここにいう「使用できる」といえるためには,特許発明に係る物について,例えば発明が目的とする作用効果等を奏する態様で用いることができるなど,少なくとも何らかの技術上の意義のある態様で使用することができることを要するというべきである。

方法の発明や物を生産する方法の発明については、発明にかかる方法を「使用」することができるかが問われます。物を生産する方法の発明の場合、その使用とは、物を作ることに他ならないため、実質的には、物を生産することができるかが問題になります。

実施可能要件違反の効果

明細書の記載に実施可能要件違反がある場合の効果としては、出願段階におけるもの、特許査定後におけるもの、侵害訴訟におけるものに分類できます。

まず、出願段階では、以下の特許法49条4号により、特許出願を拒絶する理由になります。

(拒絶の査定)
第四十九条 審査官は、特許出願が次の各号のいずれかに該当するときは、その特許出願について拒絶をすべき旨の査定をしなければならない。
(略)
 その特許出願が第三十六条第四項第一号若しくは第六項又は第三十七条に規定する要件を満たしていないとき。
(略)

次に、特許登録後においては、以下の特許法113条4号により、特許掲載公報発行後6か月の間、特許の取消を求める特許異議の申立て事由になります。

(特許異議の申立て)
第百十三条 何人も、特許掲載公報の発行の日から六月以内に限り、特許庁長官に、特許が次の各号のいずれかに該当することを理由として特許異議の申立てをすることができる。この場合において、二以上の請求項に係る特許については、請求項ごとに特許異議の申立てをすることができる。
(略)
 その特許が第三十六条第四項第一号又は第六項(第四号を除く。)に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたこと。
(略)

また、特許登録後においては、以下の特許法123条1項4号により、特許無効審判における無効理由にもなります。特許異議申立てとは異なり、特許無効審判については請求期間の制限はなく、また、審理は訴訟に近い当事者対立構造によって行われます。

(特許無効審判)
第百二十三条 特許が次の各号のいずれかに該当するときは、その特許を無効にすることについて特許無効審判を請求することができる。この場合において、二以上の請求項に係るものについては、請求項ごとに請求することができる。
(略)
 その特許が第三十六条第四項第一号又は第六項(第四号を除く。)に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたとき。
(略)

最後に、特許権侵害訴訟においては、権利行使の根拠となる特許に実施可能要件違反がある場合、以下の特許法104条の3により、権利行使が認められず、特許権者の請求は棄却されることになります。

(特許権者等の権利行使の制限)
第百四条の三 特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において、当該特許が特許無効審判により又は当該特許権の存続期間の延長登録が延長登録無効審判により無効にされるべきものと認められるときは、特許権者又は専用実施権者は、相手方に対しその権利を行使することができない。
(略)

実施可能要件違反に対して以上のような強い効果が規定されているのは、実施可能要件が、公開と権利の代償関係という、特許制度の根幹にかかわる要件であることに由来するものといえるでしょう。

事案の概要

本件は、焼肉に用いるコンロがついたテーブルとその上部に設けられた排気装置に関する発明の特許権者が権利行使をした事件で、被告は、反論の1つとして、本件特許の記載につき、実施可能要件違反を主張していました。

本件の対象特許のうち、特許第3460996号の請求項1記載の発明の構成は以下のようなもので、実施可能要件が問題となったのは、「吸引端は,前記加熱調理部から前記焼き網を通過して立ち上る熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置で前記加熱調理部に臨まされている」(構成要件1-1E)という部分です(訴訟では2件の特許の合計4つの請求項にかかる特許権が行使されていましたが、実施可能要件にかかる論点は実質的に同一ですので、以下、この発明を対象に事案と判旨を紹介します。)。

1-1A 天井の排気ダクトに接続された吸気部がその吸引端を加熱調理部付きテーブルの焼き網を備えた焼肉用の炭火コンロまたはガスコンロからなる加熱調理部に上方から臨ませ,この吸引端を介して吸引することにより,前記加熱調理部に対する排気を前記加熱調理部付きテーブルごとになせるようにされている,加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置において,
1-1B 前記吸気部がパイプで形成され,
1-1C かつ前記吸引端が前記パイプの先端部開口のみで形成され,
1-1D さらにこの吸引端のサイズが前記加熱調理部のサイズよりも小さくされ,
1-1E そしてこの吸引端は,前記加熱調理部から前記焼き網を通過して立ち上る熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置で前記加熱調理部に臨まされている
1-1F ことを特徴とする加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置。

焼肉店などのテーブルの上部には、煙を吸い取って排気するためのダクトが備えられていますが、多くは、煙を吸い取る部分が大きく広がったフード構造になっています。

本件特許の明細書の以下の記載によれば、そういった従来のダクトの吸気部は、その大きさゆえに効率的な吸引排気ができないほか、飲食の邪魔になる等種々の問題があったところ、本件の発明は、焼肉のコンロの煙はロウソクの炎のように先端が狭まった熱気流によって流れるとの理解のもと、ダクトの吸気部を、そうやって狭まった熱気流の上端部より若干大きい程度まで小さくして、上記のような課題を解決するものとされています。

加熱調理部付きテーブルに対する個別排気のための排気装置における従来の技術は,吸気部をフード構造にしてその吸引端のサイズを加熱調理部のサイズより大きくするというものであった。しかし,この技術には,必ずしも効率的な吸引・排気がされておらず,周辺の空気にわずかな流れがあってもそれで吸引流が乱されて漏れのない吸引・排気ができなくなる,加熱調理部付きテーブルを囲んでの飲食の邪魔になる,空調に大きな容量を必要とする,吸気部が重いため吸気部を可動構造にする場合にはその構造が大掛かりになるといった問題点があった。
本件訂正発明1は,加熱調理部付きテーブルの焼き網を備えた焼き肉用の炭火コンロ又はガスコンロにおいて,加熱調理部からはローソクの炎のようなパターンで熱気流が立ち上り,加熱調理部からの煙もその熱気流に乗って流れる傾向にあるとの知見を前提として,この熱気流の上端部に,熱気流の上端部の広がりより若干大きい程度のサイズ(実際的な目安は加熱調理部のサイズの3分の1以下)の吸引端を臨ませる排気装置とすることによって,より効率的な排気を行なうことができ,また,吸気部の吸引端のサイズを小さくすることができ,これにより飲食の邪魔になることを避け,空調コストの低減が可能になるとの作用効果を奏するものであると認められる。

そして、このような課題解決のための具体的な構成が、上述の「吸引端は,前記加熱調理部から前記焼き網を通過して立ち上る熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置で前記加熱調理部に臨まされている」という構成要件1-1Eとされています。

本件特許の図面には、以下のように、焼肉の調理に用いるコンロから出た熱気流が三角形状に収束する様子が描かれています。構成要件1-1Eの「熱気流の上部を包み込む」というのは、この三角形状の熱気流の上部を包み込むことを意味しています。

判旨

まず、判決は、以下のとおり、物の発明における実施可能要件の具体的意味として、「明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき、当業者がその物を作ることができ、かつ、その物を使用することができる」ことを意味するとの考え方を示しました。これは、現在の実施可能要件に関する一般的な理解に則ったものといえます。

平成14年法律第24号による改正前の特許法36条4項は,明細書の発明の詳細な説明の記載は「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない」と定める。物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),同条にいう記載がされているというためには,物の発明については,明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき,当業者がその物を作ることができ,かつ,その物を使用することができる必要があるといえる。

判決は、平成14年改正前の特許法36条4項について解釈を示していますが、上述のとおり、この改正は実施可能要件との関係では形式的なものであり、現行法の同項1号との間に実質的な相違はありません。

続いて判決は、以下のとおり述べ、本件発明は、「吸引端は,前記加熱調理部から前記焼き網を通過して立ち上る熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置で前記加熱調理部に臨まされている」という構成を有するため、その実施ができるというためには、「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ」すなわち三角形状の熱気流の上端部を検知できることが必要であるとしました。

本件訂正発明1-1についてみると,構成要件1-1Eは「吸引端は,前記加熱調理部から前記焼き網を通過して立ち上る熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置で前記加熱調理部に臨まされている」とするから,本件各発明を実施するためには,排気装置の生産,使用に当たり,その吸引端をこの「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」とする必要があり,熱気流の上部を検知できなければならない。
また,本件明細書1・・・によれば,本件訂正発明1は,加熱調理部付きテーブルの加熱調理部からはローソクの炎のようなパターンで熱気流が立ち上っており,その熱気流には,上記の炎と同じような上端部があるという前提に基づき,この熱気流の上端部に吸引端を臨ませて,集中的な吸引をするというものである(【0009】)。また,その立ち上るという熱気流は,本件図のとおりとされていて,本件図において,「熱気流(H)」として,加熱調理部の上部から吸引端の付近まで三角形に似た形状(以下「本件三角形状」という。)が示されている(【0019】)。
これらによれば,本件明細書1によれば,「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」は,本件図に示された加熱調理部の上部にある本件三角形状の頂点である熱気流の上端部を吸引端が包むことができる位置であり,熱気流の上部とは,本件三角形状の頂点である熱気流の上端部をいうものといえる。

その上で、判決は、証拠によると、コンロの煙は三角形状に収束する様子が見られず、「熱気流の上部」の位置が特定できないと述べました。

炭火コンロにおける煙の立ち上り方等についてみると,加熱調理部である炭火コンロから発生する煙の様子を通常のカメラで撮影した動画(甲37,46,47,乙27,34)及び乙29(30枚目)によれば,加熱調理部から発生した煙は,いずれも上方に行くにしたがって徐々に拡散しており,加熱調理部の上方のいずれかの位置において,本件図に示された本件三角形状のように収束する様子は見られない。
原告は,上記動画(甲46)の30秒及び52秒時点における煙の動き(甲43の画像10及び画像11)を見ると,炭火コンロから発生した煙は炭火コンロの中央上部に向かって収束するように立ち上っていることが見て取れると主張する。しかし,煙がコンロの中央上部に向かって立ち上るようにみえる動きをする瞬間があったとしても,一定の時間を通じて見ると,加熱調理部から発生した煙は,いずれも上方に行くにしたがって徐々に拡散しており,加熱調理部の上方のいずれかの位置において,本件図に示された本件三角形状のように収束する様子は見られない。
これらによれば,本件各発明を実施しようとする者が,煙の動きを観察したとしても「熱気流の上部」の位置を特定することができるとは認められないというべきである。

以上の認定のもと、判決は、本件特許の明細書には、当業者が、本件発明にかかるダクトの吸引端を「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」にするために必要な「熱気流の上部」の検知をし、発明の実施品を生産、使用できる程度に明確かつ十分な記載はないとの判断を示しました。

以上によれば,本件訂正発明1-1を実施するためには,排気装置の生産,使用に当たり,その吸引端を「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」(構成要件1-1E)とする必要があるところ,本件明細書1において,当業者が「熱気流の上部」を検知して本件訂正発明1-1を生産,使用することができる程度に明確かつ十分な記載がされているとは評価できない。

結論として、判決は、本件特許は特許無効審判で無効にされるべきものであるとして、上述の特許法104条の3第1項、同法123条1項4号に基づき、原告の請求を棄却しました。

コメント

本件の判決は、「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」との構成について、これを当業者が特定できるだけの記載が明細書にないことから特許に無効理由があるとしたもので、結論的にも、特に妥当性を欠くものではないと思われます。

ただ、少し考えてみると、本件の発明は、そもそも、熱気流が三角形条に収束する、という誤った現象理解に立っているため、どんなに明細書の記載を充実させたとしても、当業者が「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」を特定できることはなく、発明を実施できるようになるわけではありません。要するに、発明そのものが科学的に誤っているのです。

そこで特許法の規定に立ち返ってみると、特許法にいう「発明」は、以下の同法2条1項により、「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」と定義されています。

(定義)
第二条 この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。
(略)

本件の発明の場合、「自然法則」にあたるのは、焼肉用コンロの煙が三角形状を描いてコンロの上部で収束する、という法則です。これが誤っているとすると、本件では、発明の要件である「自然法則」を欠くことになり、法的に見れば、本件特許で発明とされているものは、特許法にいう「発明」にあたらない、ということにもなります。その場合、記載要件に関する特許法36条ではなく、特許要件に関する特許法29条の違反を理由に特許が無効にされることになります。

もっとも、現在の特許実務の国際的な潮流として、ここで述べたような発明該当性の問題は、記載要件の中で検討されるのが主流となっているといわれています。本判決も、このような考え方に従ったものということができるでしょう。

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