飯島歩本年(2017年)1月13日、「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS協定)の改正議定書が発効しました。この改正議定書は、2001年の「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定及び公衆の健康に関する宣言」(ドーハ宣言)を受け、開発途上国における感染症(いわゆるパンデミックなど)に対処するために先進国における医薬品生産の強制実施許諾を可能にすることを目的としたもので、2005年にWTO理事会で採択されました。
日本は、2007年に改正議定書を受諾していたため、今回の発効と同時に効力を生じることとなります。

この改正議定書のもと、途上国で感染症の蔓延などが生じたときには、先進国において途上国への医薬品の輸出を目的とする強制実施許諾が可能になります。

ポイント

改正の要旨

外務省の広報ページによる改正の要旨は以下の通りです。

  • 医薬品の生産能力が不十分又は無い国においては,HIV等の感染症等による公衆の健康の問題に対処するためには,外国からの医薬品の輸入に頼らざるを得ない。しかし,医薬品の製造能力を有する国が,自国において特許権が付与された医薬品をこれらの諸国への輸出のために生産することにつき「強制実施許諾」を与えることは,主として国内市場への供給であることを要件とするTRIPS協定第31条(f)に抵触する恐れがあった。
  • そこで,開発途上国における感染症等による公衆の健康の問題に対処するため,TRIPS協定上の「強制実施許諾」に関する規定の一部を一定の場合において不適用とする規定(第31条の2)を追加することとした。

解説

TRIPS協定とは

「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS協定)とは、世界貿易機関を設立するマラケシュ協定の付属議定書(附属書1c)で、知的財産権の保護について加盟国の義務を定めたものです。ベルヌ条約やパリ条約と比較すると、通商に関連する事項を対象とするため、人格権の保護などは規定されていませんが、内国民待遇を超えて最恵国待遇が規定されたほか、WTOの付属議定書であることから、従来の知財関連条約に枠組みのなかったエンフォースメントが可能になっています。

強制実施許諾とは

実施許諾(ライセンス)は、通常、特許権者と許諾を受ける者の合意によって与えられます。

しかし、各国の制度で、一定の場合に、公権的判断により、特許権者の意思に反してでも実施許諾を付与することが認められており、これを強制実施許諾と呼びます。
類似の制度として、職務発明における使用者の実施権や先使用権など、一定の要件を満たすと法律上当然に発生する法定実施権がありますが、強制実施許諾は国の判断によって付与するものである点で法定実施権と区別されます。

わが国の特許法では、 (1)不実施の場合(第83条)(2)利用関係がある場合(第92条)、(3)公共の利益のため(第93条)の3つの場合に裁定によって通常実施権が与えられますが、これは強制実施許諾に該当します。

なお、日米包括経済協議により、利用関係の場合の裁定実施権について、1995年7月以降、両国において設定しないことが合意されています。政府間合意によって法の執行が停止されている例といえます。

医薬品アクセスをめぐる議論

TRIPS協定は、加盟国に対し、医薬品発明を特許制度によって保護することを義務付けています。しかし、特許によって医薬品の価格が上昇したり、生産量が不足したりすると、特に途上国において医薬品の入手が困難になるため、感染症蔓延の原因となるとの問題が指摘されていました。

この点に関し、TRIPS協定は、一定の条件のもと、強制実施許諾を認めており、これによって医薬品の供給も可能になりますが、その要件のひとつとして、「主として国内市場への供給のために許諾される」(第31条(f))ことが求められるため、途上国で感染症が蔓延した場合に、生産能力の高い外国において強制実施許諾による医薬品を生産し、途上国に輸出することはTRIPS協定違反となる恐れがあり、自ら医薬品を生産する技術がないか、不十分な途上国にとって不安のある規定となっていました。

他方で、現在認識されている疾病のほとんどは特許切れの医薬品によって治療可能であることや、強制実施許諾があったからといって、必要とされる医薬品の生産設備や技術を持たない会社が短期間の供給を前提に生産できるわけではないことから、医薬品アクセス問題の本質は特許以外のところにあり、強制実施許諾にさほど意味はないのではないかとの懐疑的意見もあります。

ドーハ宣言とは

医薬品アクセスの問題をめぐっては、TRIPS理事会での検討を経て、2001年にドーハで開催された第4回閣僚会議において「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定及び公衆の健康に関する宣言」(ドーハ宣言)が採択されました。

その骨子は、外務省の要約によると以下のとおりで、医薬品開発のための特許による発明保護の重要性を認識すると同時に、各国が公衆衛生を保護、なかんずく医薬品アクセスのための措置を取ることが妨げられないことを宣言しています。

1.HIV/AIDS、結核、マラリアや他の感染症といった途上国等を苦しめている公衆衛生の問題の重大さを認識。
2.TRIPS協定がこれらの問題への対応の一部である必要性を強調。
3.知的所有権の保護の、新薬開発のための重要性を認識。医薬品価格への影響についての懸念も認識。
4.TRIPS協定は、加盟国が公衆衛生を保護するための措置をとることを妨げないし、妨げるべきではないことに合意。公衆衛生の保護、特に医薬品へのアクセスを促進するという加盟国の権利を支持するような方法で、協定が解釈され実施され得るし、されるべきであることを確認。
5.TRIPS協定におけるコミットメントを維持しつつ、TRIPS協定の柔軟性に以下が含まれることを認識。
(a)TRIPS協定の解釈には国際法上の慣習的規則、TRIPS協定の目的を参照。
(b)各加盟国は、強制実施権を許諾する権利及び当該強制実施権が許諾される理由を決定する自由を有している。
(c)何が国家的緊急事態かは各国が決定可能、HIV/AIDS、結核、マラリアや他の感染症は国家的緊急事態と見なすことがあり得る。
(d)知的所有権の消尽に関して、提訴されることなく、各国が制度を作ることができる。
6.生産能力の不十分または無い国に対する強制実施権の問題はTRIPS理事会で検討し、2002年末までに一般理事会に報告。
7.後発開発途上国に対する技術移転促進を再確認。後発開発途上国に対して2016年1月まで医薬品に関しては経過期間を延長。66.1の経過期間の延長を求める権利を妨げない。

改正議定書の採択とその趣旨

上記ドーハ宣言を受け、2005年12月6日、WTO閣僚会議において、改正議定書が採択されました。

改正議定書の第1文は、一定の条件を満たした場合に、「主として国内市場への供給のために許諾される」との31条(f)の要件が適用されないことを明らかにし、外国への輸出を目的とした強制実施許諾を可能にしています。

31条(f)における輸出国の義務は、この協定の附属書の第2段落に規定された条件に従い、医薬品を製造する目的のため及び資格のある輸入国へ輸出する目的のため必要な限りにおいて、強制実施権の許諾に関し、適用しない。

ここにいう「資格のある輸入国」は、付属書において以下のとおり定義されています。

「資格のある輸入国」とは、後発開発途上国及びその他の加盟国であって、輸入国 として第 31 条の 2 及びこの附属書に規定された制度(「制度」)を利用する意思を TRIPS 理事会に通報した国を意味し、加盟国は、同制度を全部又は限定的に利用すること、例えば、国家緊急事態の場合又はその他極度の緊急事態の場合あるいは非商業的使用の場合のみに利用することを、いつでも通報することができるものと解する。当該制度を輸入国として利用しないとする国及び同制度を利用するとしても国家緊急事態の場合又はその他の緊急事態の場合に限られると表明している国も存在することが認められる。

また、「条件」についても付属書に以下のような定義があります。

(a) 資格のある輸入国が TRIPS 理事会に対し、以下の通報をすること
(i)必要とする生産物の名称及び期待される数量を明確にするもの、
(ii)後発開発途上国加盟国以外で対象となる資格のある輸入国が、当該この附属書の補遺に記載された方法のいずれかで、当該生産物について医薬品分野の製造能力が不十分であるかまたは製造能力がないことを、その国として立証したことを確認するもの、かつ
(iii)その資格のある輸入国の領域において医薬品が特許となっている場合には、資格のある輸入国が第31条、31条の2及びこの附属書の条項に従って強制実施権を許諾したか又は許諾する意図を有することを確認するもの。
(b) 当該制度にもとづき輸出国により付与された強制実施権は次の条件を含まなければならない:
(i) その実施権の下で製造することができるのは、資格のある輸入国の需要を満たすのに必要な量のみであり、この生産量の全部を、その需要があることをTRIPS 理事会に通報した資格ある輸入国に輸出しなければならない。
(ii)実施権にもとづき生産された生産物が当該制度によって生産されたものであることが特殊なラベル又はマークにより明確に特定されるようにしなければならない。供給者は斯かる生産物につき、製品自体に特殊な包装をほどこすか特殊な色をつけるか、もしくは特殊な形状とすることにより他の生産物と明確に識別されるようにすべきである。ただし、このような識別化は実施可能でかつ価格に大きな影響が出ないものとする。
(iii)出荷が開始される前に、実施権者はウェブサイトに次の情報を載せるものとする。
- 上記(i)に記載された各国向けに供給される数量
- 上記(ii)に記載されたような生産物を識別するための特徴
(c) 輸出国は実施権を許諾することをその条件と併せ TRIPS 理事会に通報するものとする。この通報には以下の情報が含まれるものとする。実施権者の氏名及び住所;実施権許諾対象の生産物;実施許諾対象の数量;当該製品が供給される国(又は国々)並びに実施権許諾の期間。また、この通報には上記副段落(b)(iii)に記載のウェブサイトのアドレスが示されていなければならない。

さらに、改正議定書第2文は強制実施の対価について定めています。

この条及びこの協定の附属書に規定される制度において、輸出国により強制実施権が許諾される場合、輸出国において許可された使用の輸入国での経済的価値を考慮し、第31条(h)に従い適当な報酬が輸出国において支払われる。資格のある輸入国において、同一の生産物に強制実施権が許諾される場合、第31条(h)における加盟国の義務は、この段落の第一文に従い輸出国において報酬が支払われた生産物には適用しない。

改正議定書の発効

改正議定書は、WTO協定第10条3の規定により、加盟国の3分の2が受諾した時に受諾加盟国について効力を生じ、その後はその後に受諾した各加盟国についてそれぞれ受諾の時に効力を生ずるものとされていたところ、本年(2017年)1月23日、全加盟国の3分の2に当たる110加盟国が受諾したため、その時点で発効しました。
我が国は2007年8月31日に受諾していたため、改正議定書は、我が国においても、上記発効時点において効力を生じました。

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(文責・飯島)