大阪地方裁判所第26民事部(高松宏之裁判長)は、本年(平成29年)4月10日、他人の商標権を侵害した場合に認められる過失の推定を覆す判断を示しました。
判決は、具体的な事実の積み重ねにより、商標の使用について許諾があったものと信じても無理はなく、過失はなかったとの認定をしています。
ポイント
骨子
- 商標権侵害について過失が推定されることとされた趣旨は,商標権の内容については,商標公報,商標登録原簿等によって公示されており,何人もその存在及び内容について調査を行うことが可能であること等の事情を考慮したものと解される。
- このことに鑑みると,侵害行為をした者において,商標権者による当該商標の使用許諾を信じ,そう信じるにつき正当な理由がある場合には,過失がないと認めるのが相当である。
判決概要
裁判所 | 大阪地方裁判所第26民事部 |
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判決言渡日 | 平成29年4月10日 |
事件番号 | 平成27年(ワ)第7787号 損害賠償等請求事件 |
裁判官 | 裁判長裁判官 髙 松 宏 之 裁判官 田 原 美奈子 裁判官 林 啓治郎 |
解説
過失の推定とは
他人の登録商標を、登録された商品や役務について使用すると、商標権侵害となります。
この場合に、商標法は、商標権侵害をした者には侵害行為について落ち度、つまり、過失があった、と推定する規定を置いています。これにより、「その商標が登録されていることは知らなかったので、自分は悪くない。」という言い訳は許されないこととなります。
法的には、過失が推定されることにより、商標を侵害した側が、自分に過失がなかったことについて立証責任を負うこととなります。
過失の推定が必要になる局面
商標権が侵害された場合、商標権者は、侵害の事実を証明すれば、商標権の侵害者に対し、使用の差止を求めることができます。
他方、差止に加えて損害賠償まで求めようとすると、単に侵害の事実を証明するだけでなく、侵害者に故意または過失があったことを証明しなければなりません。これは、商標権侵害に基づく損害賠償請求は、民法の不法行為に基づく損害賠償請求の規定に基づいてなされるからです。
民法709条は、以下のとおり、損害賠償を求めるためには、「故意又は過失」の立証が必要であることを規定しています。
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
過失の推定の必要性と根拠
しかし、民法の原則どおり商標権者が常に故意・過失の立証責任を負うとなると、その負担が大きく、せっかく商標登録をしても、実効的な権利行使ができなくなります。
他方、商標の登録内容は公示され、誰でも確認できます。現在では、インターネットを利用して、いつでも簡単に登録状況を知ることができます。この公示制度により、商標を使用する場合には、あらかじめ、その商標が他人の登録商標となっていないかを確認することができるため、これを怠った場合には、過失があったということできます。
そこで、商標法は、商標の登録内容が公示されていることを根拠として、商標権侵害があった場合には、過失があったことを推定することとしたのです。
過失の推定の根拠条文
商標法は直接的に過失の推定の根拠条文を置いておらず、特許法の規定を準用しています(商標法39条)。
特許法における過失の推定の規定は以下の特許法103条で、商標法に準用する際には、「特許権又は専用実施権」を「商標権又は専用使用権」と読み替えることとなります。
他人の特許権又は専用実施権を侵害した者は、その侵害の行為について過失があつたものと推定する。
推定の覆滅
いわゆる「みなし」規定と異なり、法律上の推定は、立証責任を負う側(商標を侵害した側)が、落ち度がなかったことを証明すれば、覆すことができます。
しかし、過失の根拠は商標登録を確認すべきであったことにあり、また、確認に特段の困難が伴うわけでもないため、過失の推定を覆すことは容易でないといわれており、実際、推定の覆滅を認めた事例はあまり多くありません。
推定の覆滅を認めた例
筆者が手がけた事案の中で過失の推定の覆滅を認めたものとしては、東京地判平成19年12月27日(「ガトーしらはま」事件)があります。
この事案では、経済的に行き詰まった商標権者(菓子職人)が、菓子職人に経済援助をした菓子メーカーに商標の使用を許諾して商品(チーズケーキ)を生産させ、さらに通信販売事業者等を通じて販売させていたのですが、第三者がその菓子職人を雇用するとともに、商標権を買い取り、菓子職人の許諾のもとでチーズケーキを製造ないし販売していた菓子メーカー及び販売会社に対して損害賠償を求めたという事例です(正確には、菓子職人を雇用し、訴訟を提起したのは、商標権譲受人が運営する会社です。)。
この事案では、被告各社は、もともと商標権者の合意のもとで生産体制及び販売体制を構築しているため、その後商標権が移転されたとしても、それを知らなかったことはやむを得ないことであって過失はなく、商標権の譲受人から譲り受けの事実を知らされた後についてのみ過失が認められました。
本件の事案
本訴訟は、「観光甲子園」という商標登録を有し、同名称のもとで観光プランコンテストを6回にわたって開催(正確には大会委員会との共催)していた大学(学校法人)が原告となり、7回目の観光プランコンテストを開催(共催)すべく、「観光甲子園」を用いたホームページなどを準備していた別の大学(学校法人)を被告として、商標権侵害で訴え、損害賠償を求めた事例です。
原告は、経営破綻の危機にあり、観光甲子園の事業を含む事業の承継先を探しており、被告はその候補となっており、担当者レベルでは被告を承継先として話が進んでおり、現に被告は、原告の担当者から送付を受けた「観光甲子園」ロゴデータなどを用いていたほか、主催者である大会委員会も、被告を共催者としていました。
ところが、実は原告の内部では担当者から上司への報告が行われておらず、理事会の承認は得られていませんでした。被告は、そのような事情は知らず、原告の意思として被告が「観光甲子園」の事業を承継するものと信じ、そのための準備を進めていたのですが、結果的には、商標の使用が無断使用となっていたのです。
判旨
判決は、まず、本件において、被告は、原告の適格な許諾なく「観光甲子園」の商標を使用したこととなるため、商標権を侵害しており、過失の推定が生じるとの判断をしました。
その上で、判決は、以下のように述べ、本件のような状況では、「侵害行為をした者において,商標権者による当該商標の使用許諾を信じ,そう信じるにつき正当な理由がある」場合には、過失の推定が覆されるとの判示をしました。
商標権侵害について過失が推定されることとされた趣旨は,商標権の内容については,商標公報,商標登録原簿等によって公示されており,何人もその存在及び内容について調査を行うことが可能であること等の事情を考慮したものと解される。このことに鑑みると,侵害行為をした者において,商標権者による当該商標の使用許諾を信じ,そう信じるにつき正当な理由がある場合には,過失がないと認めるのが相当である。
このような考え方のもと、判決は、以下のような事情を考慮し、被告が、「観光甲子園」の商標の使用を許諾されていたと考えても無理はなく、被告に過失はなかったとの認定をしました。
- 被告は、原告の代表者から、「観光甲子園」の事業を含む原告の事業の承継先を探していると聞かされていたこと
- 被告は、原告における「観光甲子園」事業の中心人物との間で話を進めていたこと
- 被告において当該事業を承継することを決定した後に、被告が、第6回の観光甲子園における選考委員会に招かれていたこと
- 第6回大会後に開催され、原告の理事らも出席し、原告の差配で執り行われる大会組織委員会や大会実行委員会で、被告が次回からの共催校として承認されていたこと
- その後、大会組織委員会等の名義ながら、原告の事務局が作成した文書により、被告が共催校となることが記載され、文科省その他対外的に公表されていたこと
- 第7回大会に向けて引継ぎが行われ、「観光甲子園」商標のデータも被告に送付されていたこと
実務への示唆
判決は、詳細な事実認定を経て過失の推定を覆しており、判断内容も正当なものと考えられます。
もっとも、ここまでの状況があっても商標権の侵害をめぐる紛争が生じることがあると思うと、他人が登録を受けている商標の使用に際しては、どのような場合であっても書面による許諾を受け、確実に使用権限を確保しておくことが重要だと言えるでしょう。
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(文責・飯島)