大阪地方裁判所第21民事部(武宮英子裁判長)は、本年(令和7年/2025年)3月28日、職務発明の対価請求訴訟において、発明者の同意がないことを理由に発明完成後に導入された職務発明規程の適用を否定し、平成16年改正前特許法に基づいて算出した相当の対価(現行特許法の「相当の利益」)の額の支払いを命じる判決をしました。
相当の対価の計算においては、特許による独占の利益が基礎になるところ、この事件においては、日本の薬機法上の再審査制度等、各国に特許とは別に一定の独占を認める制度があることから、そういった制度による独占が認められる期間に特許による独占の利益はあるといえるのか、という問題についても争われましたが、判決は、再審査等の期間においても後発品の参入を阻止しているのは特許権であるとして、独占の利益を認めています。
ポイント
骨子
- 本件職務発明規程には、本件発明のように、上記定めに記載された発明に該当しない発明にも同規程が適用される旨の定めはなく、本件記録上、原告と被告との間で、上記のような発明に本件職務発明規程を適用する旨の合意が成立したと認めるに足りる証拠もない。
したがって、本件発明に関する対価の算定について、本件職務発明規程の適用を認めることはできず、平成16年改正前特許法に基づき算定するのが相当である。 - 被告は、本件職務発明規程に基づく実績報奨金を原告が受領していたことをもって、原告は本件職務発明規程の適用について合意していたと主張するが、原告は同規程に基づく報奨金の額に従前より疑問を呈し、上市後5年目以降の報奨金の受領を拒否していたのであるから(略)、上記受領の事実をもって、被告主張の合意が成立していたと認めることはできない。
- 被告は、被告の自己実施による売上・利益に関し、日本の再審査制度並びに米国及び欧州の薬事制度において、新医薬品の製造販売承認を得た者には、特許の有無にかかわらず市場の独占が認められるから独占の利益はない旨主張する。しかし、再審査制度並びに米国や欧州の各薬事制度の内容は上記(略)のとおりであり、製造販売承認取得後一定期間、第三者による後発医薬品としての製造販売承認申請を困難ならしめる定めがあり、これにより事実上、所定の期間、第三者の市場への参入が制限されることは否定できないが、法律上、後発医薬品としての製造販売承認申請及び承認取得が一切禁じられているわけではなく、第三者による参入を阻止するのはあくまで特許権の排他的効力にほかならない。また、欧米の薬事制度においては希少疾病用医薬品や新規の医薬品の承認を受けた者に対して一定の市場独占的効果が法律上付与されるとしても、それらは特許制度とは別個の法律上の制度であり、効果も異なる。かかる薬事制度による独占的効果が特許権の排他的効力と併存する場合に、特許による独占の利益が否定ないし減殺されると解することはできない。そうすると、再審査期間中やExclusivity期間中であっても、この間に、本件特許の実施により得た被告の利益については、本件特許による独占の利益があると認めるのが相当である。
判決概要
| 裁判所 | 大阪地方裁判所第21民事部 |
|---|---|
| 判決言渡日 | 令和7年3月28日 |
| 事件番号 事件名 |
令和4年(ワ)第11405号 職務発明の譲渡対価請求事件 |
| 裁判官 | 裁判長裁判官 武 宮 英 子 裁判官 阿波野 右 起 裁判官 島 田 美喜子 |
解説
職務発明に関する特許法35条の概要
職務発明とは
企業の従業者が、その職務として、その企業の業務範囲に属する発明をした場合、その発明は、以下の特許法35条1項の「職務発明」に該当します。
(職務発明)
第三十五条 使用者、法人、国又は地方公共団体(以下「使用者等」という。)は、従業者、法人の役員、国家公務員又は地方公務員(以下「従業者等」という。)がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明(以下「職務発明」という。)について特許を受けたとき、又は職務発明について特許を受ける権利を承継した者がその発明について特許を受けたときは、その特許権について通常実施権を有する。
この規定は、必ずしも会社とその従業員の間だけでなく、個人事業主のような使用者とその従業員の間にも、国や地方公共団体と公務員との間にも、法人と役員の間にも適用されるものとなっており、職務発明を巡る法律関係が適用される使用者側は「使用者等」と、従業員や役員、公務員は「従業者等」と総称されています。
実務的には、会社における企業内発明の取扱いが問題になることが多いため、以下では、会社と従業者の関係について説明を進めます。
職務発明における使用者の地位
会社の中でその従業者が職務発明をした場合、以下の特許法29条1項柱書等の規定の解釈として、会社ではなく、「発明をした者」、つまり、発明者個人が特許を受ける権利を取得するものと解されています。
(特許の要件)
第二十九条 産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。
(略)
他方、会社は、その発明について特許が成立した場合、上記の特許法35条1項に基づき、その特許権について、通常実施権者となります。つまり、会社は、発明をした従業者との関係で、非独占のライセンシーという地位を得るにとどまるわけです。このように、法律によって与えられる通常実施権は、「法定通常実施権」と呼ばれます。
発明にかかる権利の会社による取得
発明者が権利者となり、会社は非独占のライセンシーにとどまるということは、発明者は、会社の競合先に権利を売却したり、ライセンスを付与したりできるということ意味します。会社としては、そのような状況で研究開発投資をすることはできないため、社内規程において、従業者の発明を取得することを予め定めておくのが通常で、そういった権利の取得は「予約取得」と、予約取得を定める規定は「予約取得規定」と、それぞれ呼ばれることがあります。
予約取得に関しては、以下の特許法35条2項が、社内規程等に予約取得規定を設けても、原則として無効とする旨定めており、ただ、職務発明を対象とする場合だけがその例外に位置付けられています。
(職務発明)
第三十五条 (略)
2 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ、使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、又は使用者等のため仮専用実施権若しくは専用実施権を設定することを定めた契約、勤務規則その他の定めの条項は、無効とする。
(略)
つまり、会社は、職務発明に該当する発明に限り、予約取得を定めておくことができるわけです。
なお、職務発明に関する会社と従業者の関係を定める社内規程は、一般に、「職務発明規程」と呼ばれます。特許法の規定は、職務発明規程以外に契約で定めることも想定していますが、ここでは、通常の実務に従い、職務発明規程による取扱いについて説明します。
会社による発明の取得の形態
一般に、権利の取得の形態は、誰かから権利を譲り受ける「承継取得」と、その権利が発生したときから権利者となる「原始取得」に分かれます。
この点、上述のとおり、職務発明について特許を受ける権利を得られるのは発明者個人ですので、職務発明について会社が権利を取得する場合の法律関係は、発明者個人が権利を原始取得し、その権利を会社が発明者から承継取得する、というのが原則です。
しかし、以下の特許法35条3項は、職務発明については、職務発明規程で会社に権利を取得させることを予め定めることにより、会社が権利を原始取得できることを定めています。この規定は、平成27年の特許法改正で設けられたもので、その後、多くの会社が、原始取得のための職務発明規程を整備しています。
(職務発明)
第三十五条 (略)
3 従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する。
(略)
以上の詳細については、こちらもご覧ください。
相当の利益とは
会社が従業者から職務発明にかかる特許を受ける権利や特許権、専用実施権といった独占権を得たときは、以下の特許法35条4項に基づき、従業者は、会社から「相当の利益」を受ける権利を取得します。
(職務発明)
第三十五条 (略)
4 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、若しくは使用者等のため専用実施権を設定したとき、又は契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等のため仮専用実施権を設定した場合において、第三十四条の二第二項の規定により専用実施権が設定されたものとみなされたときは、相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第七項において「相当の利益」という。)を受ける権利を有する。
(略)
「相当の利益」は、多くの会社において報償金等の名称で呼ばれますが、その内容は必ずしも金銭である必要はなく、経済的な利益を内容とするものであればよいものとされています。もっとも、上記特許法35条4項は、単に「相当の利益」の請求権が生じることを定めるのみで、どのような場合に「相当」の利益といえるかについて、具体的なことを何も定めていません。
職務発明規程の算定基準に基づく相当の利益の付与に関する規律
上述のとおり、特許法35条4項は、どのような場合に「相当の利益」といえるかについて規定していませんが、同条5項は、以下のとおり、相当の利益を契約や社内の勤務規則等で定めるときは、その定めにより相当の利益を与えることが不合理と認められるものであってはならない、と規定しています。
(職務発明)
第三十五条 (略)
5 契約、勤務規則その他の定めにおいて相当の利益について定める場合には、相当の利益の内容を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された当該基準の開示の状況、相当の利益の内容の決定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等を考慮して、その定めたところにより相当の利益を与えることが不合理であると認められるものであつてはならない。
(略)
また、同項は、不合理かどうかの判断の際の考慮要素として、以下の諸点を規定しています。
① 相当の利益の内容を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況
② 策定された当該基準の開示の状況
③ 相当の利益の内容の決定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況
④ 等
上記④の「等」に何が含まれるかについては議論のあるところですが、主要な要素である①から③によれば、基準の策定から支払いに至るまでの手続的側面がフォーカスされ、金額は考慮の対象となっていないことが分かります。
このことから、特許法35条5項は、社内で相当の利益の基準を策定してそれを付与する運用をする場合には、単に合理的な基準を策定すれば良いものではなく、基準の策定から相当の利益の付与に至るまでの全過程において適正な手続を履践しているか、という観点から、会社からの経済的利益の付与が不合理と認められるものであってはならないことを定めたものといえます。そして、逆にいえば、その判断の結果、不合理と認められなければ、付与された経済的利益は「相当の利益」に該当し、会社は、特許法35条4項に規定された従業者の権利に対する義務を履行したと認められることになるわけです。
相当の利益に関するガイドライン
上述のとおり、相当の利益に関する社内基準の運用が不合理かどうかは、①協議の状況、②開示の状況、③意見聴取の状況という3つの主要な要素を考慮して、手続の適正の観点から判断されることになりますが、具体的に、そういった要素がどのように考慮されるのかは必ずしも明確ではありません。
そこで、以下の特許法35条6項は、不合理性判断にかかる予見可能性を担保するため、経済産業大臣がガイドラインを定めることを規定しています。
(職務発明)
第三十五条 (略)
6 経済産業大臣は、発明を奨励するため、産業構造審議会の意見を聴いて、前項の規定により考慮すべき状況等に関する事項について指針を定め、これを公表するものとする。
(略)
経済産業大臣は、上記規定に基づき、平成28年(2016年)4月22日、経済産業省告示第131号として、特許法35条6項の指針(正式名称「特許法第三十五条第六項に基づく発明を奨励するための相当の金銭その他の経済上の利益について定める場合に考慮すべき使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況等に関する指針」)を公表しました。
この指針は、社内で相当の利益の基準を策定する際には、必ず参照されるべき資料となっています。
不合理と判断された場合の相当の利益の計算
仮に、職務発明規程に基づく相当の利益の付与が不合理であると認められた場合について、以下の特許法35条7項は、以下の各考慮要素に基づき、相当の利益が決定されることを定めています。
① その発明により使用者等が受けるべき利益の額
② その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情
(職務発明)
第三十五条 (略)
7 相当の利益についての定めがない場合又はその定めたところにより相当の利益を与えることが第五項の規定により不合理であると認められる場合には、第四項の規定により受けるべき相当の利益の内容は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。
会社は、特許法35条1項により、権利を取得しなくても特許発明を無償で非独占的に実施する通常実施権を有するため、①「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」とは、通常実施権によって得られる利益を超える部分、すなわち、権利を取得することによって得られる「独占の利益」を意味するものと解されます。これを基礎に、②「その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情」を考慮するわけですが、その内容には、従来の知見の蓄積や研究開発環境の整備等、発明の創出に向けた会社の貢献や、具体的な製品等の販売に向けた貢献、そして、発明に向けて行われた発明者の処遇などが含まれます。実際の計算にあたっては、会社の貢献等の半面としての、発明者側の発明に対する貢献割合や、独占の利益に対する寄与を考慮することになります。
具体的には、ライセンスが付与された場合には、現に得られた実施料を基礎に、また、自社実施の場合においては、特許による独占があったことによって得られた売上額(超過売上額)に仮想実施料率を乗じて得られた仮想実施料を基礎に、それぞれ、会社の貢献と対比したときの従業者の発明に対する貢献割合や、共同発明者との間における寄与率を掛け合わせて計算されています。また、一つの製品に複数の特許発明が用いられているときは、相当の利益の計算対象となる特許発明の寄与率も掛け合わされます。
なお、上記の特許法35条7項にあるとおり、このような取り扱いは、職務発明規程に基づく相当の利益の付与が不合理と判断された場合のほか、そもそも相当の利益の基準が策定されていない場合にも適用されます。
相当の利益を巡る特許法35条の改正経緯
昭和34年改正特許法35条
相当の利益に関する特許法の規定は、昭和34年に現行特許法が制定された後、平成16年と平成27年の2度の改正を経て現在の制度になっています。
昭和34年法制定時において、現在の相当の利益は、「相当の対価」と呼ばれており、金銭のみを対象とするものでした。また、その規定内容は、以下のとおり、ごく簡潔なものでした。
(職務発明)
第三十五条 (略)
3 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定したときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。
4 前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない。
ここに見られるとおり、当時の特許法には、職務発明規程で発明に対する対価の定めをした場合に、その支払いが相当の対価にあたるかどうかについて何らの規定もなく、ただ、同法35条4項が、発明によって使用者が受けるべき利益と使用者等の発明に対する貢献を考慮して定めるべきことだけが規定されていました。そのため、この時点では、法律が定める相当の対価と、職務発明規程に基づいて支払われる金銭との関係は法律上明らかでなかったといえます。
そのような中、最高裁判所は、最三判平成15年4月22日平成13年(受)第1256号「ピックアップ装置事件」において、相当の対価の額は、特許法35条3項、4項の趣旨・内容に合致して初めて相当の対価にあたると解すべきとの考え方を示すとともに、以下のとおり、職務発明規程によって支払われた対価の額が特許法の上記各規定に従って定められる対価の額に満たないときは、発明者は、会社に対し、その不足額を請求できるものとしました。
使用者等があらかじめ定める勤務規則その他の定めにより職務発明について特許を受ける権利又は特許権を使用者等に承継させた従業者等は,当該勤務規則その他の定めに使用者等が従業者等に対して支払うべき対価に関する条項がある場合においても,これによる対価の額が特許法35条3項及び4項の規定に従って定められる相当の対価の額に満たないときは,同条3項の規定に基づき,その不足する額に相当する対価の支払を求めることができると解するのが相当である。
また、ピックアップ装置事件最判の翌年である平成16年には、いわゆる404特許事件(青色発光ダイオード事件)において、東京地方裁判所が、相当の対価として、200億円の支払い命じる判決をしました(東京地判平成16年1月30日平成13年(ワ)第17772号)。
これらの判決は、たとえ相当の対価に関する職務発明規程があっても、そこで定められた金額が法的に不十分であると認められるときは、発明者がその差額を求められることを認め、また、その額が非常に多額なものになり得ることを示したものであったため、この後、多くの職務発明対価請求訴訟が提起されることになりました。
平成16年改正特許法35条
上記のような状況は、産業界に大きな動揺を与え、政府も問題を深刻に捉えたことから、ピックアップ装置事件最判の翌年であり、404特許東京地判のその年である平成16年には、特許法35条の相当の対価に関する規定が改正され、職務発明規程で対価を定める場合の取扱いとの関係では、現在の制度の骨格が概ね整備されるに至りました。
同改正による該当条文は以下のとおりで、現在の規定と比較すると、発明者に与えられるのは「相当の対価」であって「相当の利益」とはされておらず、経済産業大臣によるガイドラインに関する規定は置かれていませんが、職務発明規程に基づく運用に関しては、現在の制度と実質的に同一の制度となったものといえます。
(職務発明)
第三十五条 (略)
3 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定したときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。
4 契約、勤務規則その他の定めにおいて前項の対価について定める場合には、対価を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された当該基準の開示の状況、対価の額の算定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等を考慮して、その定めたところにより対価を支払うことが不合理と認められるものであってはならない。
5 前項の対価についての定めがない場合又はその定めたところにより対価を支払うことが同項の規定により不合理と認められる場合には、第三項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。
これにより、手続的観点から不合理と認められない限り、職務発明規程に基づいて金銭を支払っても追加的な請求を受けることはなくなりました。実際、相当の対価につき、平成16年改正後の規定が適用されるようになってからは、対価請求訴訟が激減しており、最近でもときおりみられる判決は、そのほとんどがいまだに平成16年改正前の特許法の適用案件になっています。
改正法の適用基準時
このように、特許法35条は10年余りの間に2度の改正を経由していますが、相当の対価ないし相当の利益にかかる法律関係は会社が発明を取得したことによって生じるものですので、いずれの法律が適用されるかは、会社が発明を取得した時期によって決まります。
多くの会社では、職務発明規程の予約取得規定として、原始取得による場合はもちろん、承継取得による場合でも、発明完成時に特段の手続なく会社が特許を受ける権利を当然に取得する「当然取得」を定めているため、多くの場合には、発明完成時に会社が権利を取得し、その時点で施行されている法律が適用されることになるでしょう。
医薬品の再審査制度
医薬品を販売するには、以下の医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法)14条1項に基づき、厚生労働大臣の承認を得ることが必要です。
(医薬品、医薬部外品及び化粧品の製造販売の承認)
第十四条 医薬品(厚生労働大臣が基準を定めて指定する医薬品を除く。)、医薬部外品(厚生労働大臣が基準を定めて指定する医薬部外品を除く。)又は厚生労働大臣の指定する成分を含有する化粧品の製造販売をしようとする者は、品目ごとにその製造販売についての厚生労働大臣の承認を受けなければならない。
(略)
この承認においては厳格な審査が行われますが、特に新薬の場合、当初の承認時点で検討される安全性にかかる情報は限られたものとなるため、後日、承認時点では予見できなかった副作用や有効性に関する事項が明らかになることがあります。
そこで、薬機法14条の4第1項は、以下のとおり、上記の承認を受けた者は、その後一定期間内に再審査を受けることを定めています。
(新医薬品等の再審査)
第十四条の四 次の各号に掲げる医薬品につき第十四条の承認(第十四条の二の二第一項の規定により条件及び期限を付したものを除く。以下この条及び第十四条の六第一項において同じ。)を受けた者は、当該医薬品について、当該各号に定める期間内に申請して、厚生労働大臣の再審査を受けなければならない。一 既に第十四条の承認又は第十九条の二の承認(同条第五項において準用する第十四条の二の二第一項の規定により条件及び期限を付したものを除く。以下この項において同じ。)を与えられている医薬品と有効成分、分量、用法、用量、効能、効果等が明らかに異なる医薬品として厚生労働大臣がその承認の際指示したもの(以下「新医薬品」という。) 次に掲げる期間(以下この条において「調査期間」という。)を経過した日から起算して三月以内の期間(次号において「申請期間」という。)
イ 希少疾病用医薬品、先駆的医薬品その他厚生労働省令で定める医薬品として厚生労働大臣が薬事審議会の意見を聴いて指定するものについては、その承認のあつた日後六年を超え十年を超えない範囲内において厚生労働大臣の指定する期間
ロ 特定用途医薬品又は既に第十四条の承認若しくは第十九条の二の承認を与えられている医薬品と効能若しくは効果のみが明らかに異なる医薬品(イに掲げる医薬品を除く。)その他厚生労働省令で定める医薬品として厚生労働大臣が薬事審議会の意見を聴いて指定するものについては、その承認のあつた日後六年に満たない範囲内において厚生労働大臣の指定する期間
ハ イ又はロに掲げる医薬品以外の医薬品については、その承認のあつた日後六年
二 新医薬品(当該新医薬品につき第十四条の承認又は第十九条の二の承認のあつた日後調査期間(第三項の規定による延長が行われたときは、その延長後の期間)を経過しているものを除く。)と有効成分、分量、用法、用量、効能、効果等が同一性を有すると認められる医薬品として厚生労働大臣がその承認の際指示したもの 当該新医薬品に係る申請期間(同項の規定による調査期間の延長が行われたときは、その延長後の期間に基づいて定められる申請期間)に合致するように厚生労働大臣が指示する期間
(略)
ここで、再審査には、承認後に現に医療機関で使用されたデータを添付する必要があるところ、後発医薬品は、先行医薬品におけるデータを提出しなければ承認を得られないため、先行医薬品メーカーがデータを収集し、提出していない再審査期間中は、事実上後発医薬品について承認を得ることができません。そのため、この期間、先行医薬品メーカーは、特許とは関係なく、同一有効成分の範囲において、承認にかかる医薬品の販売を独占することが可能になります。
なお、米国には新規化合物や希少疾病用医薬品に関する一定期間の独占を認める制度があり、欧州にも、新規の医薬品についてデータ保護期間や市場保護期間と呼ばれる独占の期間が存在しますが、いずれも、他社にも承認が与えられることがあり得る制度となっています。
事案の概要
発明の取得・権利化と実施
本件の被告は製薬会社であり、原告は、同社在職中に、他の従業者とともに肺動脈性肺高血圧症(PAH)の治療薬となる化合物(一般名「セレキシパグ」)にかかる発明をした元従業員です。被告は、同発明にかかる権利を取得して2001年(平成13年)に国内で特許出願するとともに、これを基礎出願として翌年PCT出願等をし、各国で特許を受けました。被告は、2016年(平成28年)、日本では被告自ら、米国では導出先であるアクテリオン社を通じて、それぞれ本件発明の実施品を上市しており、また、公開された判決文から時期は明らかでないものの、アクテリオン社は、欧州等でも実施品を上市しています。
職務発明規程の整備と報奨金の支払い
被告は、本件発明完成後に職務発明規程を完成させ(本件職務発明規程)、原告に対し、同規定に基づき、以下のとおり報奨金の支払いをしました。
① 平成14年(2002年) 「出願報奨金」として3000円
② 平成22年(2010年) 「登録報奨金」として1万円
③ 平成29年(2017年) 本件医薬品の「上市後報奨金」として15万9000円
④ 令和2年(2020年) 上市後3年目の「実績報奨金」として246万4000円
⑤ 令和3年(2021年) 上市後4年目の「実績報奨金」として388万3000円
その後、被告は、上市後5年目以降の「実績報奨金」の支払いについて、令和4年7月15日付けで原告に通知しましたが、原告から異議申立てを受けたため、その支払いをしていません。
争点
以上の経緯を経て、原告は、被告に対し、平成16年改正前の特許法35条3項、4項に基づき、相当の対価の支払いを求めて本訴訟を提起しました。
争点としては、上記経緯のもと、①本件職務発明規程は適用されるか、②独占の利益はあったといえるか、③相当の対価の額はいくらか、が争われました。具体的には、被告は、①に関し、原告が本件職務発明規程に基づく実績報奨金を受領したことにより、その適用に同意していたと主張し、②に関し、被告が医薬品販売について独占の利益を得られたのは、本件特許の独占権によるものではなく、再審査期間等の日米欧の制度によるものであって、相当の対価の計算の基礎となる独占の利益はないと主張していました。ここでは、主に、①と②を取り上げます。
判旨
本件職務発明規程の適用について
相当の対価について本件職務発明規程が適用されるか、という点について、判決は、以下のとおり、適用の根拠となる定めや合意がないとして適用を排除し、平成16年改正前の特許法に基づいて相当の対価を算定すべきものとしました。
本件職務発明規程には、本件発明のように、上記定めに記載された発明に該当しない発明にも同規程が適用される旨の定めはなく、本件記録上、原告と被告との間で、上記のような発明に本件職務発明規程を適用する旨の合意が成立したと認めるに足りる証拠もない。
したがって、本件発明に関する対価の算定について、本件職務発明規程の適用を認めることはできず、平成16年改正前特許法に基づき算定するのが相当である。
この点について、被告は、上述のとおり、原告が、本件職務発明規程に基づく実績報奨金を受領していたことをもって、その適用に合意していたと主張していましたが、判決は、以下のとおり、原告が従前より報奨金の額に疑問を呈し、また、上市後5年目以降の報奨金の受領を拒否していたことから、合意の成立を否定しました。
被告は、本件職務発明規程に基づく実績報奨金を原告が受領していたことをもって、原告は本件職務発明規程の適用について合意していたと主張するが、原告は同規程に基づく報奨金の額に従前より疑問を呈し、上市後5年目以降の報奨金の受領を拒否していたのであるから(略)、上記受領の事実をもって、被告主張の合意が成立していたと認めることはできない。
独占の利益の有無について
本件において、被告は、医薬品の承認にかかる日本の再審査制度や欧米において一定の独占を認める制度があることを指摘し、相当の対価の計算の基礎となる独占の利益がないと主張しました。
これに対し、判決は、以下のとおり、法律上後発医薬品としての製造販売承認申請や承認取得が一切禁じられているわけではなく、第三者の参入を阻止しているのはあくまで特許権であること等を指摘し、「かかる薬事制度による独占的効果が特許権の排他的効力と併存する場合に、特許による独占の利益が否定ないし減殺されると解することはできない」と述べて、独占の利益の存在を認めました。
被告は、被告の自己実施による売上・利益に関し、日本の再審査制度並びに米国及び欧州の薬事制度において、新医薬品の製造販売承認を得た者には、特許の有無にかかわらず市場の独占が認められるから独占の利益はない旨主張する。しかし、再審査制度並びに米国や欧州の各薬事制度の内容は上記(略)のとおりであり、製造販売承認取得後一定期間、第三者による後発医薬品としての製造販売承認申請を困難ならしめる定めがあり、これにより事実上、所定の期間、第三者の市場への参入が制限されることは否定できないが、法律上、後発医薬品としての製造販売承認申請及び承認取得が一切禁じられているわけではなく、第三者による参入を阻止するのはあくまで特許権の排他的効力にほかならない。また、欧米の薬事制度においては希少疾病用医薬品や新規の医薬品の承認を受けた者に対して一定の市場独占的効果が法律上付与されるとしても、それらは特許制度とは別個の法律上の制度であり、効果も異なる。かかる薬事制度による独占的効果が特許権の排他的効力と併存する場合に、特許による独占の利益が否定ないし減殺されると解することはできない。そうすると、再審査期間中やExclusivity期間中であっても、この間に、本件特許の実施により得た被告の利益については、本件特許による独占の利益があると認めるのが相当である。
相当の対価の額の算定と結論
以上をもとに、判決は、被告が自社で製造販売した部分については、売上の50%が独占の利益にあたるとし、発明者の貢献度を1%、仮想実施料率を5.9%として、他社に実施許諾した部分については、発明者の貢献度を25%としました。その上で、いずれも共同発明者間の貢献割合が3分の1であることを前提にそれぞれの金額を算出し、その合計額から本件職務発明規程に基づく既払金を控除して、9399万8140円及びその遅延損害金の支払いを命じました。
コメント
本件は、発明完成後に導入した職務発明規程に基づく相当の対価(相当の利益)の支払いについて、発明者からその適用の同意を得ていなかったことから、平成16年改正前の特許法35条4項に基づく支払いが命じられた事案ですが、これから職務発明規程を導入する会社においても、既存の発明について同意取得が不十分な場合、現行特許法35条7項が適用されることになるため、同じ問題が生じ得ます。
また、従来の職務発明規程を改訂した場合には、新旧規程に基づく支払いが併存する「ダブルトラック」問題を回避するため、しばしば新規程を遡及的に適用する処理が行われますが、この場合にも、適切な同意取得が行われていなければダブルトラックが解消できないことがあり得ます。
さらに、平成16年の特許法改正後に取得した発明であっても、同改正を受けた規程改訂前に取得した発明については、改訂前の規程の適用を受けることになるところ、その場合、平成16年改正法を踏まえた協議や開示がなされていない可能性があり、新規程適用に同意が得られない場合、旧規程に基づく支払いが不合理とされる恐れもあります。
こういった問題を回避しつつ、相当の利益・相当の対価に関する職務発明規程の改訂に際し、過去の発明に新規程を遡及適用するには、新規程が発明者に全面的に有利なものとなる場合を除き、改訂の経緯や内容に応じて適切な内容・方法により、同意を取得する必要があります。判決は、制定された職務発明規程を適用できない理由として、遡及適用に関する規定がないことにも触れていますが、制定ないし改訂される相当の利益の規定が従前よりも従業者にとって不利益になることがある場合、遡及適用規定があったとしても、不利益を受ける従業者の同意なくして遡及適用をすることはできません。本判決は、こうした同意が取得できていなかった場合の問題が顕在化したものといえます。
なお、職務発明規程の整備の実務に関しては、弊所コラム「職務発明規程整備の基礎知識」もご覧ください。
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(文責・飯島)








