新ガイドラインの公表

平成28年5月12日、特許庁は、先使用権に関する新しいガイドラインを公表しました。

事業活動において生み出される発明の中には、特許化に適したものもあれば、公開することなく秘匿すべきものもありますが、秘匿する場合には、第三者が特許化する場合のリスクをいかにして回避するかが問題となります。その場合に重要になるのが先使用権です。新ガイドラインは、どのような場合に特許化し、どのような場合に秘匿すべきか、また、いかにして先使用権を確保するか、詳細に示しています。

先使用権とは

先使用権とは、特許法79条に規定された「先使用による通常実施権」のことです。特許権は、先に発明した者ではなく、先に出願した者に付与されます(先願主義)。

しかし、先に発明した者が全く保護されないのは公平に反することから、他者の出願前に発明しただけでなく、発明の実施である事業(またはその準備)をしていたなど一定の要件を満たす場合に限り、法定の通常実施権を認めるというのが、先使用権制度です。

日本の特許法においては、以下のように規定されています(特許法79条)。

要件① 特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし
又は特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をした者から知得して、
要件② 特許出願の際現に
要件③ 日本国内において
要件④ その発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、
効果 その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、
その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。

このうち、要件③については、海外での事業や準備行為であっても、日本国内での事業又は事業の準備といえる場合には、「日本国内において」事業又は事業の準備をしていると評価可能です(海外の下請先による下請製造〔下請は発注者が事業主体〕、日本で輸入・販売を行うための海外での輸出準備等)。

また、要件④でいう「事業の準備」とは、「いまだ事業の実施の段階には至らないものの、即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されていること」を意味し(ウォーキングビーム事件、最高裁昭和61年10月3日第二小法廷判決)、過去の裁判では、見積仕様書・設計図の提出(同)、試作品の完成・納入(東京地裁平成3年3月11日判決)、金型製作の着手(大阪地裁平成17年7月28日)等がこれに該当すると判断されています。

効果に関し、「その実施又は準備をしている発明の範囲内」については、最高裁は、出願の際に実施されている実施形式に限定されるという考え方(実施形式限定説)は採らず、現に実施している実施形式に表現された技術と発明思想上同一範疇に属する技術を包含するという考え方(発明思想説)を採用しました(上記ウォーキングビーム事件)。

「その実施又は準備をしている事業の目的の範囲内」については、原則として、出願時に行っていた実施行為(製造、販売)のみ可能と解されています(下請製造については、発注者自身が実施者と評価できることから、下請先を変えたり、下請製造を自社製造にすること〔またはその逆〕は可能と解されます)。

新ガイドラインの内容

先使用権制度については、特許庁が平成18年にガイドラインを出しており、今回の新ガイドラインは第2版となります。

平成18年当時から、①知的財産戦略の高度化(オープン&クローズ戦略等)、②新たな裁判例の蓄積、③資料の電子化といった状況の変化があったことを受けて、主に以下の点について変更・追記されています。

  • 権利化/秘匿化/公知化の選択についての説明が充実(第一章)
  • 最新判例を追記(第二章)
  • 事業の各段階ごとに収集すべき証拠の明示、紐付けの方法の追記(第三章)
  • 電子データの保存に関する記載の充実(第三章)

権利化/秘匿化/公知化の選択

新ガイドラインでは、権利化(特許出願)、秘匿化(営業秘密・先使用権による保護)、公知化(出願公開後取下げ〔みなし取下げ〕、論文発表、インターネットでの公開等)のいずれを選択するかについて、特許権侵害を把握・立証できるか、他社が追いつけるか、独占する必要があるかなどのいくつかの検討ポイントが挙げられています。

最新判例の追記

「事業の準備」に該当するかどうかの具体例等について、平成18年ガイドライン後の最新判例も掲載されています。ただ、解釈が大きく変わった点はなく、最新判例においても、基本的には上記ウォーキングビーム事件の考え方に沿って判断されていると思われます。

事業の各段階ごとに収集すべき証拠の明示、紐付けの方法の追記

先使用権の証拠の確保に関し、事業の各段階(研究開発、発明完成、事業化に向けた準備決定、事業準備、事業開始後、実施形式の変更)ごとに収集すべき証拠が明示され、また、証拠ごとの紐付け方法が追記されました。

証拠の紐付けは、①複数の証拠が同じ技術や製品に関連するものであることを立証する目的と、②仕様変更後も、同一の技術が含まれることを立証する目的で必要になります。

紐付けの方法としては、共通の管理番号を付す、書面をまとめて公証(確定日付等)を受ける、または電子ファイルであればタイムスタンプを付すといった方法が紹介されています。

電子データの保存に関する記載の充実

紙や有体物については、企業の実例(ガイドライン第四章)を含め、一般的に最もよく利用されているのは、封筒やダンボールに対象物を封入し、公証役場で確定日付を得る方法と思われます。

これに対し、電子データを紙に打ち出すことなく電子データのまま証拠化する方法もあります。

新ガイドラインでは、電子公証(公証役場で電子データについて確定日付や私署証書〔宣誓認証含む〕を得る、最大10MB、20年保管され、謄本〔データ〕の交付を受けることが可能)やタイムスタンプ(民間のサービスで、時刻情報を付与し、その時刻に当該電子データが存在したこと及びその後改ざんされていないことを証明する)についても詳しく紹介されています。

諸外国の先使用権

特許庁は、新ガイドラインとともに、諸外国の先使用権に関する調査結果についても公表しました。

調査対象となった北米、欧州、アジアの主要国ではいずれも法律上先使用権の定めがあるものの、保護要件や保護される範囲が日本と異なる場合も多くあります。

たとえば、日本では他者の出願時に事業の準備をしていれば足りるところ、米国では、他者の出願の1年前の日(または新規性喪失の例外の資格を満たす状態で公衆に開示された日から1年前の日)より前に商業使用や実際販売をしていなければならない(事業の準備では足りない)、ブラジルも事業の準備では足りず、出願日に発明を実施していなければならない、他方、フランスは、事業や事業の準備は不要で、発明の善意の所持が要件であるといった違いがあります。

また、そのほかの各国の特徴として、韓国には先使用権の登録制度がある(移転する際は登録が必要)、インドネシアでは先使用権を主張するためには他者による出願を知った後に知的財産権総局に申請をして先使用権証明書の付与を受けなければならず、相続以外は先使用権の移転はできない、タイは先使用品の購入者による再販売ができず、また、事業移転に伴う先使用権の移転もできないといった点が挙げられます。

新ガイドラインをふまえた今後の対応

秘匿することを決定した重要な技術について、既に十分な取組みを行っている企業も多いと思われますが、この機会に、証拠の残し方に問題はないか(鉛筆書きになっていたり、余白があったりしないか、適切なタイミングで確定日付取得等を行っているか)、証拠同士の紐付けは十分かなどについて確認することが望ましいと思われます。また、海外での先使用権を確保しておく必要がある場合には、現地の法制度について確認し、要件を満たす形にしておくことも重要であると思われます。

(文責 藤田)