職務発明規程整備の基礎知識 (7) – 支払手続の整備
投稿日 : 2024年2月22日|最終更新日時 : 2024年2月22日| 村上 友紀
会社が社内の発明者から職務発明にかかる特許を受ける権利を取得すると、それが職務発明規程による予約取得か、個別契約による取得かにかかわらず、発明者は、会社に対して、特許法35条4項に基づき「相当の利益」の付与を求めることができます。個別契約による場合は、契約の中で対価の定めが置かれるのが通例ですが、職務発明規程に基づいて予約取得をするときは、多くの場合、権利取得規定とともに、報償基準を定めることになります。
これらの規定に基づいて、権利を取得し、報償金の算定ができるようになると、次に決定すべきことは、それをどのような手続で支払うか、ということです。権利取得規定に関して、実体的な規定とは別に手続規定を定めるのと同様、報償金についても、算定基準とは別に支払手続を整備することが、適正な手続で報償金の支払をする上で重要です。
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報償金支払手続の整備におけるポイント
各社の職務発明規程の中には、報償金算定基準に従って算定された具体的報償金額の支払について、「発明者に対し支払う」とだけ記載されているケースもよくあり、各社の規程の粒度や具体的手続の内容は様々です。その背景には各社の事情があることもあり、特に一定の書き方をしなければならないというルールがあるわけではありませんが、支払手続の規定整備に際して留意すべきこととして、以下のような事項が挙げられます。
- 特許法35条5項の要件(意見の聴取の状況)の充足
- 未払金の処理(消滅時効の起算点の明確化)
- 遅延損害金の発生の回避
個別に見ていきますと、まず、第3回「特許法が定める報償金の支払い」で説明したとおり、特許法35条5項は、会社が定めた職務発明規程によって発明者に支払われる相当の利益(対価)が「不合理」であってはならないと定め、「不合理」であるかどうかを判断する際の考慮要素の一つとして、相当の利益の内容の決定について行われる発明者からの「意見の聴取の状況」を挙げています。そこで、支払手続において、発明者から支払内容に関する意見を聴取する手続を組み入れることにより、支払いが「不合理」と判断されるリスクを低減させることが考えられます(「特許法35条5項の要件(意見の聴取の状況)の充足」)。
また、発明者が退職し、連絡が取れなくなるなど、何らかの理由で支払うべき報償金の支払いができない場合、会社は、その報償金を未払金として計上しておく必要がありますが、支払いが可能にならない場合、最終的に未払金の処理をするためには、時効消滅によるしかありません。この点、いつから消滅時効が進むのかを規程上明確にしておくと、会計処理が容易になります(「未払金の処理(消滅時効の起算点の明確化)」)。
さらに、報償金について、支払時期が明確になっていないと、法律上は、発明者から請求を受けた時から遅延損害金が発生することになるところ、これを回避するには、合理的な支払手続を定めることが必要です(「遅延損害金の発生の回避」)。
支払フローのモデル
このように、報償金の支払手続を定める際には、「特許法35条5項の要件(意見の聴取の状況)の充足」、「未払金の処理(消滅時効の起算点の明確化)」、「遅延損害金の発生の回避」といったことがポイントになりますが、これらを考慮したとき、一例として、次のようなフローの手続規定を置くことが考えられます。
①各報償金が請求可能になる時期の特定
↓
②具体的な報償金額の算定・報償金額の通知
↓
③発明者による異議申立手続・報償金額の確定
↓
④確定した報償金の支払時期と方法
これらのうち、まず「①各報償金が請求可能になる時期の特定」は、消滅時効の起算点を特定するもので、具体的な規定形式としては、算定基準の中に置かれることもよくあります。
次に、「②具体的な報償金額の算定・報償金額の通知」及び「③発明者による異議申立手続と報償金額の確定」は、算定基準を適用した結果としての報償金額を確定させるための手続で、その過程で発明者からの意見の聴取の機会を設けています。
最後に、「④確定した報償金の支払時期と方法」は、上記手続で確定した報償金をいつ、どのように支払うかを定めるもので、報償金の支払時期を明確にし、遅延損害金の発生を防止する目的があります。
以下では、このモデルに沿って説明します。
各報償金が請求可能になる時期の特定
報償基準で定められた報償金がどのような場合に支払われるのかを明確に規定しておくことは、報償金制度を適正に運用する上で重要です。また、どのような場合に報償金の請求が可能になるのかを定めておくことは、未払金となった報償金の会計処理をする上でも有益で、特に発明者が退職した場合や死亡した場合で、本人や相続人と連絡が取れないような状況への備えにもなります。
未払金として計上された報償金の会計上の処理ですが、基本的には、時効消滅によって消し込むしかありません。この点、報償金請求権は発明者の会社に対する債権ですので、発明者が「権利を行使することができることを知った時」から5年間行使しないとき、または、「権利を行使することができる時」から10年間行使しないときに、時効消滅します(民法166条1項各号)。
この点、通常ですと、報償金が未払金になるのは発明者が報償金を請求できることを知らない場合ですので、後者の10年の時効期間で未払金の消込が可能になりますが、この10年の期間がいつ到来するかを明確にするには、起算点である「権利を行使することができる時」がいつなのかを明確にしておく必要があります。
そこで、職務発明規程において、報償金の種別ごとに、「権利を行使することができる時」、すなわち、発明者が各報償金を請求することができる時点を明記することで、消滅時効の起算点を明確にしておくことが考えられます。例えば、以下のように、報償金を受けることができるようになる条件を定めることが考えられます。
発明者は、以下の各事由があったときは、以下に定める報償金を受けることができる。
出願報償金: 発明が出願されたとき
登録報償金: 発明にかかる出願について特許登録がされたとき
実績報償金: 発明を実施する事業年度を終えたとき
なお、判例は、相当の対価(利益)の請求権の消滅時効の起算点について、発明の取得時を原則としつつ、勤務規則等で支払時期が定められているときは、「その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となる」としています(この判決は、「支払時期」を消滅時効の起算点としていますが、発明者が報償金を請求できる日が消滅時効の起算点となることを否定するものではないと思われます。)。
この判決によれば、職務発明規程に支払時期を定めなければ、消滅時効の起算点は、発明の取得時という最も早い時期になるため、消滅時効の完成時期も早くなりますが、時効期間は最大10年であるのに対し、特許の存続期間は20年あるため、そのような制度とした場合、実績報償金の計算根拠となる事由が生じているにもかかわらず、報償金は時効消滅しているということになり得ます。もちろん、時効が完成した報償金を会社が任意に支払うことはできるため、会社にとってはある種有利な制度といえなくもありませんが、不自然な制度は避けた方が良いでしょう。
具体的な報償金額の算定・報償金額の通知
上記のモデルでは、報償金の支払事由が発生すると、会社において金額を算定し、結果を発明者に通知することとしています。これは、発明者に金額を通知することで異議申立ての機会を付与することを目的としています。
算定を行うきっかけとして、届出報償金や出願報償金、登録報償金は、会社が支払事由の発生を管理して算定を進めることとするのが多くの場合に簡便な制度になると思われます。
他方、実績報償金を定める場合、知的財産部門が独自に支払事由を把握できないことが多く、事業部門や発明者からの申告をきっかけにすることもあり得ます。制度設計としては、会社が支払事由を把握して算定を行うほか、発明者の申告も算定のきっかけとし、発明者に支払確保の機会を用意することも考えられます。
会社が報償金の額を算定した場合、上記のモデルでは、発明者に異議申立ての機会を与えるため、算定結果を通知することとしています。
これらを踏まえた規定の例としては、以下のようなものが考えられます。
会社は、知的財産部において、前条1項各号に定める事由があったことを把握し、または発明者その他の者から同事由について申告を受けたときは、その日が属する四半期の翌四半期の終期までに報償金の額の算定を行い、その結果を発明者に通知するものとする。
発明者による異議申立手続・報償金額の確定
報償金額については、多くの会社で、発明者に異議申立ての機会が与えられています。上述のとおり、特許法35条5項は、相当の利益(対価)の支払いが「不合理」かどうかを判断するにあたり、考慮要素のひとつとして、「相当の利益(対価)の内容の決定について行われる発明者からの意見の聴取の状況」を挙げているところ、異議申立ては、まさに発明者が意見を述べ、会社がそれを聴取する場となります。そのため、不合理との判断を回避する上で、異議申立て手続は重要な意味を持つものといえます。
上記のモデルでは、算定された報償金額が発明者に通知された後に異議申立ての機会があり、その後金額の確定を経て、支払に進むという流れが想定されています。
会社によっては、通知を経由せずに、算定結果に基づく支払いを進め、支払後に異議申立てを認める制度を採用している場合もあります。それが誤りというわけではありませんが、異議申立てにおいて発明者間の寄与度が問題となり、発明者の主張が認められたときは、全発明者への支払総額は変わらないまま、各発明者への配分が変わることになるため、論理的には、発明者により、金額が増加する場合だけでなく、減少する場合も生じることになります。この場合、前もって報償金を支払っていると、すでに支払った報償金の返還を求めることにもなりますが、それは好ましくないため、異議申立てにより、支払額が減少する可能性のある制度を採用する場合には、支払いを異議申立てに先行させる制度は慎重に考えるべきでしょう。
なお、複数の発明者間の寄与率は、個々の発明者の報償金の額にも影響します。そのため、発明者間の寄与率の認定の誤りを発明の認定時における異議事由とした場合に(第5回「権利取得を実効化するための規定」参照)、報償金の支払段階においても異議事由とするかは考えが分かれるところです。
なるべく発明者の意見や不満を拾い上げるという意味ではここでの異議事由とすることも考えられますが、蒸し返し防止の観点からは、発明者間の寄与度は発明の認定時に確定したものとし、報償金支払時の異議事由からは除外することも考えられます。
1 発明者は、前条に基づき報償金の額の通知を受けた場合において、その算定結果に異議があるときは、当該通知のあった日から30日以内に、第●条に定める異議申立てをすることができる。ただし、第●条(発明の認定)に定める異議申立て期間を経過しているときは、発明者は、発明に対する寄与度の認定の誤りを理由とする異議申立てをすることはできない。
2 前項本文に定める異議申立て期間に異議申立てをせず、または、異議申立に対する決定の通知があったときは、報償金の額は確定する。
異議申立てに関する規定整備上の留意点については、第10回「組織規程と異議申立制度」をご覧ください。
確定した報償金の支払時期と方法
以上の手続を経て報償金額が確定すると、会社は、発明者に対し、報償金の支払いを行うことになります。支払時期については、確定後、会社の支払手続上支払いが可能な時期や期間を定めておくとよいでしょう。
会社によっては、この時期を明確に定めていない例もありますが、その場合、報償金の支払債務は期限の定めのない債務となるため、発明者から請求を受けた時に会社は遅滞に陥り、支払いに要する期間分の遅延損害金が発生してしまいます。そのような事態を回避し、遅延損害金を生じることなく所定の支払手続で支払いをするためには、報償金額の確定後の合理的な支払時期を定めておくことが望まれます。
また、支払方法も明記しておけば、疑義がなくなるでしょう。
このような観点から、以下の例では、報償金額の確定の日を起点として支払日を定め、また、支払方法も、給与振込口座等への振込送金と定めています。
1 前条の定めるところにより報償金の額が確定したときは、会社は、当該確定の日から60日以内に、発明者に対し、当該確定した額の報償金を支払う。
2 前項の支払いは、発明者の給与振込口座または発明者が指定する銀行口座への振込送金の方法により行う。
その他
支払手続は各社各様ですが、ここでは、職務発明の報償金の支払いにおいて生じる各種の問題を意識したモデルとして、各報償金の請求が可能になる時期を特定するとともに、具体的な報償金の算定がなされた後に、異議申立期間を経て金額を確定し、支払期が到来する、というフローを紹介しました。
実際の規程整備にあたっては、関係部門とも協議の上、現実的に運用可能な制度設計を行うことが必要です。
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(文責・村上)